「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年04月02日

【訃報】Noreen Hillさん

「政治的暴力」という言葉を与えられた理不尽な暴力に巻き込まれ、それと闘ってきた人がまたひとり、亡くなったとの報道。

Death of Enniskillen bomb widow
Page last updated at 17:36 GMT, Tuesday, 1 April 2008 18:36 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7325347.stm

Noreen Hill(ノーリーン・ヒル)さんの夫、Ronnie Hill(ロニー・ヒル)さんは、高校の校長を務めたような人だった。1987年11月8日、彼は地元の戦没者追悼記念式典を見に出かけ、IRAの爆弾で頭に重傷を負い、無意識の状態に陥り、そしてそのまま、13年後の2000年12月に亡くなった。

妻のノーリーンさんは、13年間夫の介護を続け、そして社会から武器を根絶することを呼びかけ続けた。

Slugger O'Toole(posted by Turgon):
Noreen Hill Dies
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/noreen-hill-dies/
As Mrs. Hill said in a previous interview: "I used to have a dream that he was walking about." I firmly believe that her dream in now a reality in heaven.

ノーリーン・ヒルさんは、以前インタビューで「夫が歩いている夢を昔はよく見たものです」と語っていた。今ごろは天国でその夢が現実になっていることだろう。

Sluggerのコメント欄を見ると、何かがあったらしい。コメントがいくつか削除されているとのこと。それが何なのか、私には知る由もない。私が知っているのは、ノーリーン・ヒルという女性が、政治的暴力によって夫を昏睡状態にされ、そしてずっと夫に付き添っていたこと、その女性が、おそらく高齢が原因の病気だろうと思うが、夫の死から7年以上経過した今、他界したということだ。

ボムから10年後の1997年11月8日、シン・フェインのジェリー・アダムズはエニスキレン爆弾事件について「遺憾に思う」旨、BBCに語った。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/25480.stm

「遺憾に思う」あるいは「謝罪する」は、非常に画期的な言葉ではあったはずだが、この記事にあるアダムズの「政治的な言葉」に、私はどうにも釈然としない思いを抱かざるを得ない。こういうふうに "root causes of the conflict" という言葉が使われているのを見て、そしてそれをそのまま受け取ることは、私にはできない。

その記事から、ノーリーン・ヒルさんのインタビューの部分を:
His devoted wife Noreen has looked after him for the past 10 years.

A devout Christian, Mrs Hill says her faith has kept her going and she does not display any bitterness or vengefulness towards those who planted the bomb.

She still hopes he will, one day, wake up. "I dream about it sometimes," she says, "I used to have a dream that he was walking about."


昨年11月、爆弾事件から20年のときに書いたエントリから:
http://nofrills.seesaa.net/article/65542069.html
エニスキレン爆弾事件は未解決である。爆弾製造者、設置者など実行犯、また計画者たちは、誰一人として、起訴されていない。

20周年当日のBBCレポート:
Enniskillen 20 years on (BBC World News, November 08, 2007):
http://youtube.com/watch?v=a4PQxxtB8YQ


宗教が違うけど、合掌。

※この記事は

2008年04月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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