
One of my favourites was the Mutanabi book market. The cafes and teahouses lining the old street had became a hangout for journalists, poets and artists, and with them had come the book market. It was here that I used to buy my illegal photocopies of Marx's Communist Manifesto - in Arabic - and Orwell's 1984.
Last week, I went back to Mutanabi. To reach it I travelled through bullet-pocked Bab al-Mu'adham, past countless checkpoints: Shia police commandos, some carrying newly US-supplied M-16 guns, hunkering behind sandbags, Sunni militiamen in khaki trousers, T-shirts and trainers.
Mutanabi street itself looks like a scene from a second world war movie, a couple of gutted buildings, heaps of garbage in the muddy road. Before the war, booksellers spilled into the road and you had to push and shove to walk down the street; now there were only half a dozen of them.
The street was targeted by a car bomb, killing dozens, a few months ago. A week later the prime minister, Nouri al-Maliki, vowed that he would rebuild the street. When I went there, a lone small concrete mixer had been left in the middle of the road as if to indicate that his excellency's words were taken seriously.
http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/17/iraq1
北アイルランド和平についての総括的な報道がガーディアンで始まっているので、リンク紹介くらいしかできないのですが、バグダードから、「G」ことGhaithのレポートが入っています。彼をレポーターとして制作された開戦5周年のテレビ番組の抜粋映像つき。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/17/iraq1
「G」はサラーム・パックスが「バグダード・ブロガー」として世界的に注目されたときに数ヶ月間ブログを書いていたサラーム・パックスの友人のひとりで、その後ジャーナリストとして活動し、2004年には米軍の攻撃で負傷したりしているけれど、まあとにかくこの人はどこにでも行くから(2004年のナジャフとかカルバラとか、ファルージャとか、2006年以降の極度に不安定化したバスラとか)、彼が元気でいてくれることがわかることは、ブログ時代からの読者としては嬉しいのですが、彼の伝えることは胸に突き刺さるようなものばかりです。
映像は、「バグダードの今」を映しています。バグダードといえば爆弾とか流血の光景ばかりがテレビ画面に出てくるので、この映像を見て「何だ、意外と平和じゃん」と思えるかもしれない。でもそこにあるのは、「壁」です。「壁」で分断された都市です。
バグダードの人であるGhaithは、この都市をどう見ているのだろう。映像の中の彼は「まさに仕事中」で、彼の心情はうかがい知ることは私にはできません。でも同じURLで読める記事には、それがはっきりと書かれています。
「壁」はたしかに「治安の回復」をもたらすかもしれない。でもそれだけじゃない。「壁」は、セクタリアンな対立という「構造」を固定化してしまう。そしてそれは、隣人同士のちょっとした言い争いで「○○の出身の奴ってのはどうしてああなのかね」といったふうに現れるのではなく、コミュニティというものを、根本的に分断し、壊してしまう。それが「壁」というものです。
私はバグダードの街を知っているわけではないけれど、サダム・フセイン政権崩壊後に初めて制作された映画『露出不足』(低予算で制作された映画で、セットなどない)で見たバグダードは、こんなふうに「分断」されてはいませんでした。
米国が本当に「サダム・フセインはアルカイダとつながっている」と信じていたとして(むろん、これは今では「その事実はなかった」と公式に撤回されている見解ですが)、その時点で「イラクがアルカイダのファナティックな連中に食われる」ことを予測していなかったとしたら、ブッシュ政権の人たちの脳みそは空気だったのでしょう。あるいは、「連中がどうなろうと知ったことではない、アメリカ人が死なないことが重要だ」という差別イデオロギーを「差別」だとか「イデオロギー」だとか思いもせずにいられるほど無神経であるか。
そして、映像の中のまだ5歳とか6歳にしか見えない子供たち。2003年に「イラク戦争」が始まったころに生まれたか乳児だっただろう彼らは、ストリート・チルドレンです。人身売買(さらわれて売られる)の問題も深刻だそうです。
私が聞いている範囲では、イラクではモスクが中心となって貧しい人への支援がいろいろとあったということなのに、なぜこんなふうに子供たちが路上生活をしているのだろう。
それから墓地(アダミヤ墓地)。たった2年で満杯になってしまった墓地。そして、身元がわからない遺体が埋葬されているdumping ground。
Ghaithの柔らかな声で淡々と語られる出来事は、ひどく陰惨です。
※この記事は
2008年03月17日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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