「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年03月17日

ブレア側近、ジョナサン・パウエルがあんなことやこんなことを語る週間、始まる

先週末に予告されていたのだが、ガーディアンで今週、ジョナサン・パウエルの本の紹介の特集が組まれる。パウエルは、ブレアの側近として北アイルランド和平において中心的役割を果たした人物で、先週末ガーディアンに「アルカイダやタリバンと対話を」という主旨の発言が掲載されたのだが、その根拠が「北アイルランド和平」だった。
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/mar/15/uksecurity.alqaida

guar17march2008.pngで、先ほどガーディアンのサイトをロードしてみたらそれが始まっている。パウエルの書いた文章(本からの抜粋)もあるのだが、その前に、ガーディアン記者が要旨をまとめた記事、Revealed: Blair's offer to meet masked IRA leadersを見てみた。結論からいえば、これだけで涙目。記事タイトルになっている「ブレアはIRAのアーミー・カウンシルと会いたがっていた」というのは単に「やっぱり」なのだけど、何ですかこの、"Blair redrafted an IRA statement at Chequers in the presence of Adams in 2003 and Powell regularly drafted Sinn Féin statements." ってのは。IRAのステートメントが、つまり "P O'Neil" 署名のステートメントが、ブレアの手が加えられたもので、シン・フェインのステートメントがパウエルの手によるもの? それと、"Adams and McGuinness told Powell and Blair on several occasions that the IRA needed to hold on to its arms because they were under threat from the dissident Real IRA." というのは、えっと、今も基本的には状況は変わっていない(あるいはRIRAがもっと拡大している)ので、「すべて made by the British government to secure the British rule in Ireland だったんだよ!」なんてことになれば、あの……。

アダムズの文章を読み直さなければならん。

An Irish EyeAn Irish Eye
Gerry Adams


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※この記事は

2008年03月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以下、自分用の備忘録。

今日のスラオさんから:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/great-hatred-little-room-a-look-deep-inside-the-process/
Remember when Gerry Adams favourite used to be 'alternative'? He was, we understood, talking about an alternative to physical force to achieve a united Ireland. But in his first Downing Street meeting with SF, the PM clearly interprets that the 'alternative' is Adams being prepared to accept something *less* than a united Ireland.

やっぱ一番のポイントはそこ、ということでいいのだろう。(2004年のリーズ城での会談のころのアダムズの文章を本で読み返し、やはりこの alternative という語がキーだと思った。で、当時は明確に、政治トップから発されるメッセージとしては、alternative to the armed struggle ということになっていたのを確認した。)

これ、すっごくきっつい話だ。「スピンドクター」全盛期の英国政治。2001年の9-11後でも、IRAが real threat だったことも改めて。
Posted by nofrills at 2008年03月18日 00:30

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼