以下、「北アイルランド映画祭」のプログラムに含まれている『眠れる野獣』という作品のスポイラーです。この作品は3月に神戸で上映されます。事前のネタバレはいただけないという方は、素通りしてください。
男はカウンシル・フラットの自室に戻り、数百枚はあろうかというCDから1枚を選んでプレイヤーにセットする。一人暮らしの男の薄暗い部屋に音楽が鳴り、ソファに座った男の耳に特徴的なヴォーカリストの声が響く。男の目に、何か「決然としたもの」が見える――。
先月、渋谷のユーロスペースの座席で、あまりにすごい「ドラマ」を見せられて涙目になりつつ、このシーンで、北アイルランドの映画の中で使われているとはまったく予想もしていなかったReefの音を聞いて一瞬あっけに取られ、映画が始まってからずっと画面を見ながら書きなぐっていた(そのためにところどころ判読不能な)ノートに REEF と書き付けた。だが、この映画はそのあとが本当にすさまじく、ラストシーンも「ここで終わるなよ頼むから」という場面でいきなり終わってしまうというもので、見た後もいろいろと、北アイルランドのニュースに接するたびに思い出すような要素もたくさんあったのだが、この作品の中でReefの曲が使われていた、なんてことは忘れてしまっていた。
それが、つい先日、北アイルランドとは関係のない文脈で、ひょんなことから「Reefいいよね」って話になって、今ここでちょっとだけ聞きたいというモードになってfinetuneに入っている唯一のアルバム(セカンドのGlow)の30秒のサンプルを順番に聞いているときに、「そういえばReefはあの映画で使われていた」と思い出した。そして、7曲目 "Come Back Brighter" で「この曲だ!」と。
Been down, but I've come back brighter,
Sun hurts me, if I try to fight her,
I won't be sat here waiting,
I won't be sat here waiting,
I won't be sat here waiting for it,
So come and take me on.
Sometimes, the black hole's inside ya,
But if you can just lighten up yourself,
It will make you stronger,
I won't be sat here waiting,
I won't be sat here waiting,
...
「ずっと鬱々としていたが、ようやく明るくなってきた。太陽の光は、抗おうとすれば痛い。このままここでじっと座ったまま待ち続けようっていうつもりはない。たまには自分のなかにブラックホールができる。でも自分で明るくすることもできるならしたほうがいい。そうすれば強くなれるから」というような内容。
映画の中でこの曲を聴きながら何か「決然としたもの」を目にたたえたその男、フレディは、上層部の決定により自分の置かれた状況に納得がいっていない。そしてこのあと、彼はそれを打破すべく行動を起こす。
彼はベルファストのUDA (Ulster Defence Association) の一員だ。
The Ulster Defence Association (UDA) is a loyalist paramilitary organization in Northern Ireland, outlawed as a terrorist group in the United Kingdom and Republic of Ireland, and which claims its aim is to defend the loyalist community from Republican terrorism.
この映画『眠れる野獣 As The Beast Sleeps』は、BBC NIが制作したテレビ用の映画で、2001年、ロイヤリストの間に「グッドフライデー合意への反発」があることがBBCなどで頻繁に報じられていたころの作品だ。
http://www.niff.jp/films-beast.htm
http://www.imdb.com/title/tt0281609/
http://www.bbc.co.uk/northernireland/drama/beast/index.shtml
リアルタイムで起きていることを、このようなかたちで「ドラマ」として作り上げ、それをテレビという媒体で放送してしまうあたりがBBC NIのスゴいところだ。(BBC NIにはこのほか、「Linfieldのサポ」という「プロテスタントの類型」をネタにしたコメディ番組、"Dry Your Eyes" などもある。例えばこれは、ホリデーに出かけた先がレバノンで、というひどいスケッチ。オチが最高。)
映画は、カウンシルフラットの中庭みたいなところにある運動場でのアマチュアのサッカーの試合のシーンで始まる(『麦の穂をゆらす風』の冒頭がハーリングの場面だったのを否応なく思い出した)。ピッチにいるプレイヤーは30代と思われる短髪の男たちで、UMBROの白いシャツを着ている。
物語の中心は、金髪のカイルと黒髪のフレディだ。ふたりは幼馴染で、ともにベルファストのプロテスタントの労働者階級の町で育ち、ともにUDAのメンバーとして活動してきた。カトリックと戦い、プロテスタント・コミュニティの内部の犯罪活動を取り締まってきた。それが彼らの「職業」だった。
だが、1994年の停戦から1998年の和平合意(ベルファスト合意、グッドフライデー合意)への道のりが、彼らにとって「すべて」だたものを変えた。パラミリタリーとしての活動を禁止され、彼らは「失業」してしまった。
その夜、カイルの家に集合したUDAのユニットと、目一杯おしゃれしたカイルの妻サンドラは、「いつもの店」に行く(このシーンで、カイルとサンドラの10歳くらいの息子とカイルの親が出てきて、それが本当に「うちの日常」や「お隣のなになにさん」を思わせつつ、「プロテスタントのコミュニティ」を明確に描き出す)。
ジャックという男がやっているその店は、ユニオンジャックやら女王のポートレイトやらレッドハンドやらカーソン卿やらといった記号であふれかえったような、「ロイヤリスト」の集まるパブだ。ジャックはpeace fund(停戦後のコミュニティ活動資金)で店をやっている。
これまでずっと店を「守って」きたカイルたちUDAのユニットは、この店では飲むのは無料だった。しかしこの日はバーテンがさらっと料金を口にする。
「平和なのは俺たちのおかげだろ」と怒ってつかみかかる彼らに、店主のジャックは、「今日から払ってもらうことになった」、「この店はちゃんとした人たちが来る場所になった (gentleman's place)」、「新しいルールだ (new rules)」と説明する。次のシーンで、椅子が投げられ、店の中はめちゃくちゃにされる。カイルたちは怒って店から出てゆく。「居場所」を「奪われ」たパラミリタリー。
めちゃくちゃになったジャックの店に、スーツを着た50歳くらいの男が訪れる。彼、ラリーはカイルたちのユニットの上にたつ人物で、カイルたちを指導監督する立場にある。和平合意後の情勢の変化のなか、ラリーは、「ちゃんとした政治家 (respectable politician)」として売り出そうとしている「ボス(上司)」のアレックの指示に従って、UDAのユニットをコントロールしなければならない。
「奴らがくると店の売り上げが落ちる」。ジャックとラリーとのやり取りで、「和平合意」がリアルに――新聞記事に載っているような政治家の言葉ではわからないような形で――描写される。
そして港湾地区の倉庫にUDAのメンバーを呼び寄せ、ラリーは彼らに「時代は変わった。社会の中で我々が果たす役割も変わった。しかしUDAのメンバーはIRAを殺している。これではカトリックを付け上がらせるばかりだ」と言い、「上からの命令は守れ。いいか、昨日の夜12時から、一切の暴力行為は禁止なんだ」と告げる。"No hijack, no disturbance ..." と言うラリーに、集まったUDAメンバーの誰かから "No surrender." という反応があり、皮肉な笑いが起きる。
倉庫に来ていたフレディは、ナイキのトレードマークのプリントされたジャンパーを着ている――たぶん、Rangersの関係だろう。ラリーにはフレディの頑なさが気になっている。
カイルはユニットの班長として、ユニットを統率しなければならない。「和平プロセス」にどうしても納得できない旧友フレディの肩を抱いて、カイルは説得する――「命令を破る人間を上は待っている。誰かが破れば見せしめにする。そうすれば全員がおとなしくなるから。いいな、停戦だ」。
フレディは「バーに酒やタバコを届けていたのは俺たちだ。それがどうだ。全部プロセスのせいだ。プロセスが終われば昔どおりだ……こっちが何もしなくても、『停戦』は『奴ら』(=IRA)が破る」と言うが、自分からは暴力行為に出ないとカイルに言った。
カイルはそれを「フレディは納得した」ということで上に報告する。
一方で、ベルファストの別の街角で、郵便局(賭け屋だったかもしれない)に目出し帽やストッキングをかぶった男3人が乱入する。「UDAだ、カネを出せ!」 彼らの一人が、店に入ってきた人を、手にしていた拳銃で撃ってしまう。
この件についての連絡が、(立派な部屋で)会議を開いていたUDA上層部のもとに入る。(カイルとラリーの上にいる)アレックはこの会議に出席している。眉をしかめるアレック。
アレックがジャックの店に向かう。強盗事件の責任者として、ラリーがこの店に連れてこられたのだ。店に入ったアレックは、店主のジャックにラリーの居場所を尋ねる。ジャックは「懲罰室に入れてあります He's in the punishment room.」と答える。アレックは「バックルーム、だろう He's in the backroom.」とスゴむ。「これから店は合法的に」という字幕が出ていたそのシーンのアレックの言葉は、"normal" だった。
懲罰室/バックルームで、アレックはラリーに「我々はこういう部屋をなくそうとしているのだ」と言い、強盗事件をはたらいたユニットに対する処置を命じる。
ラリーはその処置をカイルのユニットにやらせることにする。
……映画を見ながら取っていたメモの、判読不能の文字列を解読しながら、思い出しているだけで涙目になる。こういったことは何もUDAだけのものではない。IRAにもあり、ほかの武装組織にもある。下手すれば「任侠もの」の世界かもしれないが、これは「暴力団抗争」ではない。北アイルランド紛争だ。政治的思想や主義主張がその暴力を正当化し続けた30年間の、最後の数年間だ。
さて、ラリーが懲罰室/バックルームでアレックに(暴力を使わずに)シメられているころ、カイルとフレディはベルファストのジョブセンター(職安、ハローワーク)に来ている。ワイシャツにネクタイの職員とのやり取りで、カイルの「絶望」が描写される――教育も受けておらず、手に職があるわけでもなく、ひたすら「紛争」のなかで生きてきた30代の男は、求人票にあるクオリフィケーションなどなにも持っていない。おそらくそれなりの学があるであろう職員に食ってかかるカイルの苛立ちは、職員に向けても何にもならない。そしてそのことをカイル自身が一番よくわかっている。
カイルとフレディが出口に向かったとき、ジョブ・センターに子供を何人も連れた女性が入ってくる。フレディは憎悪をこめて「カトリックが来ていやがる」と吐き捨てる。「英国の支配にノーとか言ってるくせに、金だけは取っていくんだ、あの連中は」。
一方でラリーは強盗をはたらいたユニットを突き止めた。彼はカイルを呼び出し、「ヘックのユニットの仕業だから、ヘックの処分を任せた」と、Benson and Hedgesのタバコを勧めながら言う。
カイルは、「自分はプロテスタントを殺すためにここにいるわけではありません」と抵抗する。(ノートにはここで、「Ulster is not under attack, so it is not 必要ない」と書いてあるが、文脈がわからなくなってしまった。)
ラリーは、「われわれは弁論部ではない。命令に従うだけだ。Ask no questions」と告げる。
それでもカイルは、「自分はプロテスタントはやりません I don't do prod.」と抵抗するが、ラリーは「やるんじゃない、命令に背いた奴に制裁を加えるだけだ」と言い聞かせる。このやり取りのなか、「事態がどうなるか」というところで、"how things go" としか言えないカイルを、ラリーは "develop" という言葉も知らんのか、とバカにする。(弁論部か!)
結局、ラリーの命令に従うよりほかに選択肢のないカイルは、その夜、ユニットを率いて強盗をやったヘックの家に押し入る。そこで彼らはヘックのユニットがコカインを隠し持っているのを発見してしまう。ヘックはカイルに言う。「金になるんだ、金さえできれば、新しく出発するチャンスが」。
カイルは「俺たちは連中とは違う、こんなものは扱わない」と言い、粉をトイレに流す。ヘックは「カトリックの奴らに売ればいいじゃないか!」と泣く。
……このあたりで私は「何なのこのドラマのこの異様な濃さは、頼むからちょっと休憩させてくれ」と思っていたのだが、もちろん、容赦なくドラマは進む。
プロセスに反対する「仲間」をrenegadeとして懲罰することになってしまったフレディは、カイルの見ていないところで、ヘックのユニットの下っ端(スープ、という呼び名)をぼこぼこにしている――プロテスタントに対する暴力の行使を余儀なくされた自身のフラストレーションに歯止めが利かなくなっている。フレディに殴る蹴るの暴行を加えられ続けた下っ端は死にかけている。ユニットのほかのメンバーに知らされたカイルが何とか駆けつけてフレディを取り押さえ、冷静さを取り戻させる。
「どうせ変化するなら文句を言っても始まらない」というカイル。「変化」についていくことができないフレディ。
そして自宅に戻ったフレディは、ReefのCDをかけるのだ。
彼のほかには誰もいないカウンシル・フラットで、「暖炉の炎」のような光を放つ暖房器具(英国で、暖炉の火を燃やせない都市部でよく見られる「気分だけは暖炉」の暖房器具)をつけて、ナイキのジャンパーを着たままで、目に「決然としたもの」を浮かべ、フレディは "I won't be sat here waiting" という歌詞を聞く――このまま、じっと待っていたりしない。
カイルはヘックをシメたことで、「懲罰担当」として――上からの命令に従って、同じUDAをシメることのできる人物として、評価を得る。だが、彼は息子のジョーの「なんで、なんで」攻撃に、何がどうなっているのかを説明することもできないし、説明しようとすればますます混乱してドツボにはまる。カイルの妻のサンドラは、夫のユニットが懲罰部隊 (punishment squad) としてヘックのユニットをぼこったことに嫌悪感を示す。彼女は、カイルとフレディが「和平」の見解において対立していることを見せつけられ(カイルのユニットのメンバーはいつもカイルの家で話し合いをしている)、そしてどちらの側に立てばいいのか、生まれて初めて迷っている。彼女もまた、このエリアで生まれて育って、カイルとフレディのことを子供のころから知っているのだろう。そして、このふたりがここまで深く対立したことは、これまでになかったのだろう。そしてそれは、単に「カイルかフレディか」の話ではなく、「変化」に対する態度の話だ。「紛争」という絶対的な枠組だったものが消えようとしているときの。
そして……ここからのドラマの緊張感は正直非常にきつかった。
フレディはジャックの店をやる。ヘックのユニットをやったことで「プロテスタントに対する暴力はふるわない」という絶対的な何かが崩れたのだろう、フレディはジャックの用心棒をボコり、ジャックを締め上げて店の金庫から金を奪う。
ジャックはラリーとアレックに報告する。フレディに取られたのは、アレックが「政治家」として米国のボストンを訪れるために必要な金だった。
港で、アレックはラリーに言い聞かせる。「我々は、将来のことを考えなければならない。よりよい将来のために変わらなければ (We have to focus on the future. Change, for a better future.)」――あまりにも「政治家」然としたその言葉は(テクストとしてみたら、1997年のトニー・ブレアか、2008年のバラク・オバマのようだ)、ラリーに「だからフレディから金を取り戻せ」と命令するために使われた。
だがフレディは言う。「政治だの戦略だの、どうでもいいんだよ、カトリックの連中は俺らを憎悪しいてるし、俺らは連中を憎悪してる。戦争なんだよ、必要なのは (Fuck politics, fuck tactics. Taigs hate us and we hate 'em. We need war.)」Rangersのユニとナイキのジャンパーを着て、自宅からジャックの店の「懲罰室/バックルーム」に連れてこられたフレディは言う。「仲間」によって、椅子に縛り付けられて。
(先日、ストーモントの議場で、「あれ」は「戦争」だったのかどうかをめぐってDUPとSinn Feinが対立したが、自らは手を汚していない「政治家」にとっては「戦争」ではなく「犯罪」、「テロ」であったかもしれない「あれ」は、パラミリタリーにとっては、オレンジだろうと緑だろうと、確実に「戦争」だった。UDAもUVFもIRAも、あるいはそのほかの武装組織も、「人を殺す」ことを「これは戦争だ」という言葉で正当化していた。)
ラリーは金のありかを問い詰めるがフレディは目にあの光を宿したまま「戦争」の継続を言いはしても、金のありかを口にしようとはしない。ラリーは「尋問」をカイルに交替する。カイルはフレディの肩を抱いて、「頼むから、俺を助けてくれ。そうすれば俺はお前を助けてやれる (Help me, and I'll help you.)」と懇願する。
それでもフレディは折れない。「その金で武器を買い、俺は戦う」と言う。No Surrenderの歌を歌う。そして目に異様な光をたたえ、カイルに言う――「俺の目には見える、統一されたアイルランドってやつが。お前の息子のジョーが司祭に犯されているのが」。
この言葉に、カイルがキレる。
「尋問」は交替する。まさに「脳みそが筋肉」みたいなジャックの用心棒(フレディが金を奪ったときにボコった相手)から、激しい殴打を受けるフレディ。
ここでエンドロール。
……以上、メモを元に文章化した。文章化したもので伝わるかどうか、私にはわからないが、とにかく自分用のメモとして書きとめておきたいのが第一なので。
で、こんなものを見せられてはふらふらのへろへろになります。しかもこの終わり方はきつすぎる。NI映画祭では、「重い」系のものはあらかた見ているのだけれど、これが一番重かったし、きつかった。「内戦」と人間のつながりを扱った作品ということでは、ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』の終わり方もきつかったけれど、あれは最後にテディの涙とシニードの涙という「結論」のナラティヴがあった。でも『眠れる野獣』にはそれがない。『麦の穂』でいえば、デミアンを処刑の柱にくくりつけて「撃て」と命令したテディが、デミアンの死体に歩み寄るシーンで終わる、という感じの終わり方だ。「この人は一生、弟を銃殺する命令を下したことを抱えて生きていかなければならないのか」と重い気持ちになることすら許されない終わり方。これは「映画」の終わり方じゃない。「物語」ではない。
2001年に制作されたこのドラマは、元々は90年代半ばのグッドフライデー合意に至る数年間の間に書かれた舞台劇だった。初演は1998年、ダブリン(さすがに北で初演はできなかった)。つまり、いささかも「過去」のことではなく、まさにリアルタイムの、ほんとに彼らの目の前で起きている「いまだかつてない大きな変化」を題材とした劇だ。作者はそれを、そのコミュニティに投げ込みたかったのだろう。
舞台劇を書いたのはゲリー・ミッチェル(Gary Mitchell)で、彼がテレビ映画版の脚本も担当している。テレビ映画版の監督はハリー・ブラッドビア (Harry Bradbeer)で、テレビでの仕事の人。そして、俳優陣はアレック役のDavid Hayman以外は全員、北アイルランドの人たちだ。カイルとフレディは舞台劇での配役そのまま。主役のカイルがステュワート・グレイアム (Stuart Graham)、フレディがパトリック・オケイン (Patrick O'Kane)、サンドラがレイン・ミィゴー (Laine Megaw)で、彼女とステュワート・グレイアムは実際に夫婦。
ステュワート・グレイアムは1967年生まれ、パトリック・オケインは1965年生まれだそうだから(ともにベルファスト)、まさに「北アイルランド紛争」(1969年に本格化した)の中で育ってきた世代の人たちだ。10歳にならないうちにデリーのブラディ・サンデーがあり、20歳ごろでエニスキレンとジブラルタルとミルタウンがあり、30歳くらいでグッドフライデー合意。彼らは俳優だけれども、実際のUDAやそのほかの武装組織のファイターたちにも、同世代の人はとても多いだろう。「UVFのビリー」のような形で「紛争」を生きた人たちは、もう少し上の世代かもしれない。
BBCにはキャストそれぞれのインタビューのページがある。
http://www.bbc.co.uk/northernireland/drama/beast/interviews/index.shtml
主演のふたりのインタビューから少し抜粋:
Stuart Graham:
'Kyle might be perceived as the good guy trying to make the peace process work. However, he ends up betraying his best friend in the process of attempting to do something for the greater good. He's trying to do the right thing, but winds up destroying his own family. With Freddie, he's like a father telling his child 'no'. But when the child, asks 'why not?,' he can't explain it. Kyle doesn't know what the truth is anymore."
Patrick O'Kane:
"He's like a pit bull. People who don't own pit bulls think they're ferocious and mad, but their owners say they're loyal and loving and great with children. Freddie is certainly wonderful with Kyle and Sandra's young son, Joe. Freddie has an absolute love for those three people, and yet to outsiders he seems like a rabid dog who would fight his own shadow. Freddie is not sophisticated, but he is genuine and honest."
BBCのインタビューではこのほか、ラリーを演じたコルム・コンヴェイが「ラリーってのはすごく嫌な奴だ」と語っていたり(ははは)、アレックを演じたデイヴィッド・ヘイマン(キャストで唯一北アイルランド出身ではない)が「30年も当たり前のものとしてきた枠組を否定し、新たなモラルを自分たちのものとするのは難しいことだが、特に『元ギャング』のアレックには簡単なことではない」と語っていたりする。サンドラのレイン・ミィゴーは脚本を読んでサンドラに強く共感したと語っている。
で、IMDBを見て気付いたのだけれど、「カイル」のステュワート・グレイアムは同じ「北アイルランド映画祭」で見た『オマー』にも出ていて(Victor Barker役で)、「サンドラ」のレイン・ミィゴーはどっかで見た人だと思ったら『ディボーシング・ジャック』の「ジャガイモ攻撃」の彼女だし、やはり同じ「北アイルランド映画祭」で見た『ミキボーと僕』にも少し出ていた(これは映画を見ている間は気付かなかった! 『ミキボー』は『野獣』のすぐ後に見たのに)。
ってなところでもニヤニヤできちゃったりなんかする(←広川太一郎追悼)NIフィルム・フェスティバルは、3月に神戸、4月に福岡でも開催されるそうです。
神戸@3月29日(土)、30日(日)、神戸アートビレッジセンター:
http://www.niff.jp/kobe%20niff.htm
上映されるのは、「12月の花嫁」、「7月、ある4日間」(→ネタバレありあり@当ブログ過去記事)、「オマー」、「9人のゲイ、殺される」、「シェルショック・ロック」(→過去記事)と「弾道の詩行」(←これらは二本立て)、「ハリーに夢中」、「ミキボーと僕」、「デリー・ダイアリー」(→メモ@過去記事)、「眠れる野獣」(→この記事)、「おやすみベイビー」(・・・ということは、「キングズ」以外東京で上映された作品が全部、かな)。「眠れる野獣」は30日の17:40から(「ちびまるこちゃん」とかの時間帯に……(^^;)。
福岡@4月6日(日)、あじびホール:
http://www.niff.jp/fukuoka%20niff.htm
上映されるのは、「7月、ある4日間」(→ネタバレありあり@当ブログ過去記事)、「弾道の詩行」、「デリー・ダイアリー」(→メモ@過去記事)の3本。
というわけで、神戸、福岡エリアの方はぜひ。特に、「7月、ある4日間」は、マイク・リーの映画が好きな人にはたまらないと思います。あとスティーヴン・レイが好きな人にも。「デリー・ダイアリー」は、サヴィルの調査委員会についてある程度おさえてから見たほうがいいかもしれません(6年間を扱ったフィルムで展開が早いのと、話がディープなので)。「シェルショック・ロック」は、北アイルランドってよく知らないけどPUNK好き、という人はぜひ。マルコム・マクラレンという仕掛け人のいないPUNK、ってだけでも。
※この記事は
2008年03月09日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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