「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年02月25日

ティルダ・スウィントンが「オスカー女優」に

"Michael Clayton"(邦題は「フィクサー」、4月にロードショー)に出演したティルダ・スウィントンが米アカデミー賞で最優秀助演女優賞。



授賞式後のインタビューが「おもしろインタビュー」になってます。(昨年の最優秀主演女優賞のヘレン・ミレンもかなりの「おもしろインタビュー」だったけれど。)
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2355884/2678225

BBC記事では最優秀主演男優賞のダニエル・デイ・ルイス(2度目だよね、My Left Footがあったから)が見出しになっていますが、下記記事にティルダ・スウィントンの変なコメント@英文も掲載されています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7262222.stm

授賞式数日前、21日のBBCでのインタビュー記事:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7253460.stm

フランスのErick Zonca監督の "Julia" という映画(Derekと同じく、今年のベルリンで上映)についての話もあります。

今年のオスカー受賞作一覧@BBC:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7262106.stm

長編ドキュメンタリー部門が、バグラム空軍基地で「拷問」の末にアフガニスタン人タクシー運転手が殺されたという件を追ったTaxi to the Dark Sideですが、この作品、昨年NHK BSで放映され、この1月にNHK地上波でも放映された「民主主義 Why Democracy?」というシリーズの10本のうちの1本で、日本では『「闇」へ』というタイトルで放映されています。(非常に残念なことに、私は見逃してしまったのですが。)

http://www.nhk.or.jp/democracy/yotei/index.html から:
民主主義の膝元でテロ撲滅の美名の下“拷問”が容認されるのはなぜか?アフガニスタンで、テロリストと疑われ捕えられ、死亡したタクシー運転手の事例を軸に、アフガニスタンやキューバのグアンタナモで“拷問”に関わった調査官、被害者へ取材、またアメリカの政策決定者への取材を重ね、拷問現場の証拠写真で構成する番組。




タグ:映画

※この記事は

2008年02月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
長編ドキュメンタリー部門で米アカデミー賞をとったTaxi to the Dark Side(邦題は「闇へ」)が、明日3月3日の夜10時から、NHK総合テレビで再放送されるそうです。監督最新インタビューつきで。
http://www.nhk.or.jp/democracy/yotei/index.html
Posted by nofrills at 2008年03月02日 23:48

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼