「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年02月10日

カムデン・タウン火災、カナル・マーケット全焼

現地時間9日夜7:15ごろ、ロンドンのカムデン・タウンのカナル・マーケット (Camden Canal Market) で火災が発生し、同マーケットが全焼した模様。土曜日の夜で周辺は混雑していたが、死傷者の報告は今のところないとのこと。

カムデン・タウンのマーケットのサイトから:
http://www.camdenlock.net/
camdencanalmktfire.png

同サイトの現時点で最新の更新:
22:07 Saturday We have no information at present as to how much of the market will be open on Sunday, if at all. This will presumably depend on whether or not the fire is soon under control.

2月9日(土)22:07 現時点では、日曜日のマーケットの営業についてはまったく何もわかりません。どのくらいで鎮火するのか次第だと思われます。


BBCがこの2時間近くあとの23:55の更新で記事を出している。

Blaze ravages London market area
Last Updated: Saturday, 9 February 2008, 23:55 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7237119.stm

このBBC記事によると、23:55の時点では鎮火している。火元はカナル・マーケットのカムデ・ハイストリートとは反対側(北側)の出入り口の近くにあるHawley Armsというパブ(かつてはヘルズ・エンジェルズの溜まり場として有名、最近は芸能人御用達のパブとして有名)の付近で、一帯は警察によって封鎖されている。周辺の住民も含め全員が避難している。文面から、このパブは全焼もしくはほとんど全焼と思われる。燃えたあたりは鉄道が通っているが、この鉄道もカムデン・ロード駅と隣のケンティッシュ・タウン・ウェスト駅との間は運休。

消防署に火災の通報があったのが午後7:20ごろ。消防署のスポークスマンは、「大規模な火災で、マーケットの倉庫や店舗、住居を含む一帯が被害にあっている」と述べている。ケンティッシュ・タウンから状況を見ていた人は「黒い煙が立ち上がっていた」と語っている。

また、火が上がったときにHawley Armsの向かい側のパブにいた男性は、「最初に消防車が1台到着してから40分も経ってからさらに消防車が来たが、そのころには日は既に家屋の高さにまでなっていた。Hawley Armsが火元かと思っていたが、そうではなく、パブの裏手の路地が火元だ」と述べている。

このBBC記事のあとに出たと思われるthisislondon.co.uk (the Evening Standard) の記事@10日付には、ケン・リヴィングストン市長のコメントと、ボリス・ジョンソン(保守党のロンドン市長候補)のコメントが並べて掲載されているが、情報として特に何かあるというわけではない。

さらにその後に出たと思われるガーディアン/オブザーヴァー記事は、土曜日の夜ににぎわっているさなか、カムデン・カナル・マーケットが焼け落ち、一帯がパニックになるさまを次のように伝えている。
Eyewitnesses spoke of the panic as the fire broke out at 7pm. Police used Tannoys to force the crowds back towards Camden Town Underground station as the main building of the Camden Canal Market collapsed and explosions, thought to be from stored gas canisters, rent the air. ...

Aymon Preston, 22, told The Observer: 'I was in a bar having a drink and the window just came caving in and everyone started running for their lives, screaming. There was this bang. We didn't know if it was a fire or a bomb. Everyone was panicking.'

それと、地元議会の議員や、この選挙区選出の国会議員(労働党のフランク・ドブソン)の「カナル・マーケットは火災の危険性が極めて高いと警告していた」といったような内容のコメントも、このガーディアン/オブザーヴァー記事に。

また、カムデンで店をやっているアンディ・モリスさんが、「運河があったのであれ以上延焼しなかったが、マーケットは燃えやすいものでいっぱいだし、ごちゃごちゃしているから消火器は簡単には見つからないし、運河がなかったらどうなっていたことか」とコメントしているが、本当にそうだ。

カムデン・カナル・マーケットでは、トレイダーのおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃんにいろいろとおもしろい経験をさせてもらっている。ショックだ。




消火活動の最中のBBC News 24の現場中継レポートと思われるクリップ@BBC World News YouTubeでは、記者が「Hawley Armsのランドロードと話をしました。彼は出火当時現場にはいなかったのですが、従業員の話から、出火原因はパブに隣接するマーケットのストールの電気系統のトラブルではないかと考えています」と伝えている。(そのあとは避難状況や消火の様子のレポート。)

上記のBBCレポートのあとのBBCニュース報道@鎮火後。なんか途中で終わっていますが。
http://www.youtube.com/watch?v=XFQzeVBpuyk

今のところ、夜の映像だけだから何がどうなっているのかが確認できないのだけれども、一夜明けて現地が朝になったら、無惨に焼けたマーケットの写真があちこちのメディアに出てくるだろう。

※この記事は

2008年02月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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