「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年02月08日

本日のお言葉:どう見てもネズビット主演は青春ドラマではない

「勝手にブログ評論(α版)」で現時点の当ブログを評論してもらったものがツボに入ったのでコピペ。以下、太字による強調を勝手に加えた。

http://onosendai.jp/hyoron/hyoron.php?URL=http%3A%2F%2Fnofrills.seesaa.net%2F
勝手にブログ評論
tnfuk [today's news from uk+]評論
神は地上にアンドリューとハミルトンをもたらした。
総合得点 57点

脱「ブラッディ」的世界観の中で、果たして上映スケジュールが果たす役割はなんだろうか。だとしても解せないのは後 +トークである。大人とは、時に狡い生き物である。イギリス軍に絡んだときは特にそうだ。どうだろう。ガーディアンではだめなのか。このままでは徒党を組んで上映スケジュール軍団とでも言い出しかねない。実態は上映スケジュール愚連隊だ。

そういうとき、
フェラーリは田舎者のクルマだが、ベンツとみベイビーは違う。プジョーは安物だが、バルセロナは違う。想像を絶するものとは、上映スケジュールにおけるドットコムのようなことを言うのだろう。意外と知られていない事だが、大英博物館の入場料が無料なのは、数多くのバーンズナイトの貢献によるところが大きい。およそ人格者と呼ばれるならば、ミュンヘンを疎かにしてはいけない。上映スケジュールは時にパキスタンを引き立たせる。大切なことなのだ。

言い換えると、
どう見てもネズビット主演は青春ドラマではない。

一度でも1500人の魅力に取り付かれた事のある者ならば、誰もがブレア政権の気持ちを共感できる。ブログと気安く呼ぶなかれ。いやしくもサーキットとはもっと高貴なものである。

ちなみに、大英博物館の入場料が無料であることとバーンズナイトとの間に何ら関係性はなく、ガーディアンではだめではない。しかるに私たちのこの時代は「脱『ブラディ(・サンデー)』的世界観」の蓋然性の時代であり、それでいてイギリス軍に絡むと人間というものの狡知を思い知らされることになるのは依然として同じである。そのような時代における真実はただひとつ、「どう見てもネズビット主演は青春ドラマではない」。それでも残る謎、それはいかなる理由において「上映スケジュール」がキーワードと判定されたのか、である。

ネズビット主演↓
Bloody Sunday
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Nesbitt

エントリ1件足して再度「勝手に評論」してもらったらこうなったよ。
勝手にブログ評論
tnfuk [today's news from uk+]評論
闇夜に舞う公民権運動は、優雅だろう。
総合得点 69点

ノーザンアイルランドのようであるとも言える。それはダイアリーなのだと言える。

仮定の話ではあるが、
フランクフルト郊外にある町工場では、今日もスタッフ3人が大量生産されている。スポーツ新聞の醸す雰囲気は、極上のチャーター機も及ばない。ロイヤリストにはイラク代表的なところがある。北アイルランド映画祭の裏側に隠されたカトリックがあってもおかしくない。そこにはもちろんロイヤリストの在処が示されている。女性の洞察力を侮ってはいけない。あなたがこっそり公式サイトを愛好していることなどお見通しだ。そこで3000人である。完璧だ。作者はなにをもって詳しく説明すると言うのか。ロンドンデリーは悪名高きウォルマートのバイヤーですら手を出さないだろう。ジャーナリストに英国人F1レーサー的側面はないだろうか?

ハッと息をのむほどの美人は、常にセカンドバッグにイラク代表を忘れない。ブログ評論は絶句するほどノーザンアイルランドらしい。幸福とは、ジャーナリストがスタッフ3人に出会ったときのようなものである。注意点としては、必ずオランダ製のジュリアン監督を使う事。できればアムステルダムのものがいい。
ジャーナルがそんなに大事なら、ヒュミドールにでも閉まっておけば良い。

げに、絶句するほどNIらしい。(笑)

もう1度やってみたら、段々調子付いてきやがって、という感じになった。「ウェールズ」がうまく認識されていないのが気にかかる。
勝手にブログ評論
tnfuk [today's news from uk+]評論
1900年代のサポーターは、まだ未熟だった。
総合得点 55点

なぜならば、オマー爆弾は、本質的には大英博物館だからである。日本未公開がバッキンガム宮殿の紫の間に飾られていても違和感はないだろう。黄金のジェイムズは、深淵に眠る。

パスタにールズ担当大臣。どうかなこの組み合わせは。

であるならば、フィレンツェのカフェテリアで時間をつぶす時、スタッフ3人に思いを巡らす。ここはイタリアでも別格の場所だ。ノーザンアイルランドがそんなに好きなのか。まあ良い。ブラッディにとって大切なものは3つある。イラク代表、バラエティ、それにスポーツ新聞だ。

たとえば、夜の日本未公開は妖艶な輝きを放つ。

そういうわけでスケジュールは大切なのだ。

メルローの渋味を楽しめるようになるには、フェスティバルというワインをじっくり熟成させなければならない。嗜みとして、最低限のプログラムは必要である。かつてメディチ家がそうしたように、シェルショックをもっと支援すべきだろう。真紅のシフトキーはレディに似合う。
ありとあらゆる事実が、スタッフ3人の必要性を裏付けている。

メディチ家がシェルショックを支援していたとは! どうりでボッティチェリが途中からあっちの道に行ってしまったはずである。

さらに、今度は不謹慎になりはじめた。「結局、非主流派リパブリカンしかない」と断言されても私は困惑するばかりだが、「非主流派リパブリカン」という文字列がひとつの塊として認識されていることは、なにげにすばらしいことだということは認めざるを得ないだろう。
同じ特徴は、ポストモダニズムにおける「英国人F1レーサー」として説明できる。
総合得点 68点
90年代が終わり、ついに英国人F1レーサーが表舞台に現れた。なぜならば、ブレア政権は、本質的には3000人だからである。紳士淑女は刮目してスタッフ3人を見よ。

このブログにおける結論は、「ブラッディが★DVD特別無料上映型社会を出現させる」ということに他ならない。結局、非主流派リパブリカンしかない。「ジャーマンとはなにか?」という質問をされたとき、公式サイトについて考える必要がある。スペインでは、男性が女性に情熱を示すため、自らのジュリアン監督を差し出すのだと言う。大英博物館を手に入れるためなら、セーヌ川に飛び込むという若者があとを立たない。嘆かわしい。ジェイムズに漂う気品は、まるで洗練された淑女のようだ。素晴らしいワインに極上のフットボーラー。それが教養というものの成せる技なのである。

そういうわけでアイザックは大切なのだ。

ジュリアン監督を決しておろそかにしてはいけない。むかしからいわれていたことだが、自由とは、ールズ担当によってもたらされ、ネズビット主演によって破壊されるのだ。そもそも人はいかにして「ブラッディ」依存から脱却したのか。
スコットランドの言い伝えに寄れば、「好奇心はマンチェスターを殺す」のだそうな。

実際に、Bloody Sunday事件がなければ、映画『ブラディ・サンデー』も存在せず、したがって同映画の「★DVD特別無料上映」も存在し得なかった、ということは事実である。

■2月11日
ひどくツボったフレーズだけ。
- 左手にガーディアン、胸には愛を抱いて、男は闘うもの。

- tnfuk [today's news from uk+]に惑わされてはいけない。これはバルセロナの物語なのだ。【注:違います】

- このブログにおける結論は、「バルセロナがベルファスト型社会を出現させる」ということに他ならない。【注:ある意味考えさせられる】

- ある朝、バルセロナのホテルで目を覚ますと、傍らに北アイルランドがあった。【注:ねーよ】

- 19世紀のイタリアに、青春ドラマに詳しい詩人が居た。

- 歴史ある北アイルランド紛争について語ろうとすれば、ここでは語り尽くせない。【注:げに】

- 純白のレクチャーは、乙女を惑わす。もう北アイルランド紛争の魅力から逃げられない。【注:お茶吹いた】

- そこで、少し気取ったデートにイングランドは欠かせない。【注:勝手にやってろ】

- 全くもって他に必要なものはなんだろうか?・・・そう、アイルランドだ。むしろ「英国人F1レーサー」大会などと称して、それをたたえるのはどうだろうか。【注:アイルランド島とブリテン島の区別がついていない人、という設定のコメディでありそうな台詞(笑)】

- ノーザンアイルランドは絶句するほどマクシェインらしい。【注:マクシェインとは、スパイであったことが判明した人物の名である。くわばらくわばら】

- この当時話題になったものといえば、ドキュメンタリーとカトリック、それとプロテスタントだ。これに後にネズビット主演が加わることになる。【注:一応内容があるのがおそろしい】

- 世の中はそれほどカトリックを中心にまわっているわけではない。残念ながら。【注:同上】

- 夜の晩餐会に赴くときに忘れてはならないのが北アイルランド警察。【注:いやすぎる】


それぞれツボるが、一番スゴいのはこれだ。ついに人工無能にボビー・サンズが現れたか!
- 神はなぜ北アイルランド警察を地上にもたらしたのか。




※「勝手にブログ評論」は、ウェブログ「港区赤坂四畳半社長」の社長さんが開発されたものです。

スタート時の告知エントリ:
http://blog.so-net.ne.jp/shi3z/2008-01-20

「種明かし」:
http://blog.so-net.ne.jp/shi3z/2008-01-21

バージョンアップの告知エントリ:
http://blog.so-net.ne.jp/shi3z/2008-01-23


※この記事は

2008年02月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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