「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2008年02月01日

フットボーラーとしてワーパミをもらえないイラク人

最近、病人を車椅子で送還してみたり、18歳以下なら送還しないとのルールを変えて子供でも送還するという方針を打ち出してみたりと、「シャーリア法の国に同性愛者を送還する」を超えるかもしれないことを華麗にやってのけている英国の内務省イミグレ局だが、まただ。

サッカーのイラク代表の5番であるナシャット・アクラム(Nashat Akram; 1984年生まれ)が、マンチェスター・シティに入る予定だったのに、イミグレでワークパーミット(以下「ワーパミ」)を拒否された。

「イラク代表の5番」というのは、もちろん、2007年のAFCアジアカップで優勝したときの5番だ。彼はアジアカップ決勝戦では最優秀選手にもなっている。AFCの2007年最優秀選手賞では第三位に選ばれた。2004年のオリンピック(あの情勢で予選を突破し、結果は4位)では主将をつとめている。それでも、「英国の4ネイションの各リーグでプレイするための基準を満たしているとは判断されない」んだってさ。

で、そのまま移籍期限日の1月31日になってしまった。

ワーパミ拒否を知ったときの私の最初の反応は、「(イングランドもスコットランドも北アイルランドもウェールズも揃って)ユーロ予選敗退しといてよく言うよな、まったく」とか「アジアなめんなよ」という極めて近視眼的、なおかつ感情的なものだったが、イミグレにはイミグレなりの「数値的基準」というものがある。イミグレのサイトに詳しく書いてあるので、少し見てみよう。

まず、ワーパミが必要とされるのはEU圏外のプレイヤーで、クラブがワーパミを申請したあとにイミグレで行なう審査においては、次のような基準がある。

* a player must have played for his country in at least 75% of its competitive 'A' team matches he was available for selection, during the two years preceding the date of the application; and
プレイヤーは、申請の前の2年間で、代表戦Aマッチの75%以上に出場していなければならない(ただし出場停止処分中や怪我で出場できない場合は除く)。

* the player's country must be at or above 70th place in the official FIFA world rankings when averaged over the two years preceding the date of the application.
プレイヤーの国が、申請の前の2年間で、FIFAランキングで平均で70位以上でなければならない。

第一の条件、つまり「代表Aマッチの75%以上」は、代表で定位置を得ているアクラムはクリアしている。なお、アクラムは2002年、18歳で代表入り(ワンダーボーイだ!)、2008年の1月31日の対UAEフレンドリーで64 capsだそうだ(source)。イラク代表の全体の試合数は、ちょっと調べるのが面倒なのではしょるが(<こら)、2003年以降はホーム(イラク)での試合が不可能な状態が続いている。

問題となったのは第二の条件、つまり「FIFAランク70位以上」だ。アクラムのワーパミ拒否を報じる英メディア報道によると、イラクのこの2年間の平均ランクは71位または72位(記事によって2通りの数字がある)だという。

「70位以上」が基準というところに、たとえば「100位」ならまあしょうがないかという話になるとしても、FIFAランク平均で「70位」と「71位」もしくは「72位」にどんな違いがあるというのか、と。第一、その「70位」っていうのに何か根拠があるのかというと(イミグレのサイトには、"nations who have competed regularly at a highly competitive international level" と見なされる条件、というように書かれている)、何となく決められているようにしか思えない(それが例えば「75位」であっても「80位」であってもよさそうなものだ)。ガーディアンのSportブログに寄せられた、事情を知る人(davebさん:後述)のコメント@January 31, 2008 2:09 PMによると、「特に根拠なく、何となく決められている」ものだというし。(このdavebさんという人は、このブログで最初にコメントする際に「ワーパミの手続きについてよく知っている立場にある」ことを自己紹介で述べている。)

で、そういうふうに決めた根拠というのは、「イングランドのリーグはすばらしいからみなが憧れて、とんでもなく弱い選手とかも続々やってきて国内選手の機会が減るから」とかいう『英国様』精神が根底にありつつ(90年ごろの英国の不景気のどん底のときでも、イミグレは「英国はあまりにすばらしいからお前ら外人が居つきたがって困る」という扱いをしてくれていた)、この何年もの間フットボール界で「問題だ」とされている、「リーグでプレイするのが外国人ばかりで、イングランド人の若手が育たない」ということがあったりするようだ。その話はArsenalへの悪意あるdisで聞き飽きているので私はここではスルー(<こら)。何でもかんでも「自由化に伴う外国人の流入」のせいにするな。弱いのがいくら来たところで、国内の強いプレイヤーには影響あるまい。

まあ、何らかの基準を設ける必要はあるとしても、「70位」と「72位」はそんなに違うのか。参考までに、現在のデータを見てみたが、70位がDRコンゴで454ポイント、72位がアンゴラで443ポイントだ。ちなみにイラクは現在は67位。イングランドは12位。スコットランドが14位、北アイルランドが32位、ウェールズは58位。ウェールズが70位より下になったらどうすんのかしら。っていうか北アイルランドなんてこの10年以上ずっと70位より下で、100位より上に来たのは2006年じゃん。(いや、北アイルランド代表に罪はない。)

ちなみにイラクは、2000年が79位、2001年が72位、2002年が53位、2003年が43位、2004年が44位、2005年が54位、2006年が83位(7月に36位ランクを落としている。ワールドカップに出られなかったのが響いたのだろうか)、2007年が68位。不運なことに、アクラムのワーパミ申請(彼は2007年12月末にマンチェスターシティでメディカルを受けている)では、06年と07年が対象になってしまったのだろう。前の年にこれだけランクを落としているのにアジアカップで優勝した、ということが評価されてしかるべきではないかと私などは思うのだが。しかも試合を行なうにしても、イラク代表は条件が極めて悪い。

いずれにせよ、ここでひっかかってハネられたワーパミ申請は、次の段階に移る。専門家で構成されるパネルによる審査である。
Where an application does not meet the published criteria, a club may request a panel to consider the player's skills and experience. In these cases the sports and entertainments team, Border and Immigration Agency, will refer the club's evidence to an independent panel. ... The panel will normally consist of representatives from the relevant football governing bodies together with up to three independent experts.

申請が条件に合わなかった場合には、クラブはプレイヤーのスキルと経験についての審査会を開くよう要請することができる。この場合、イミグレ(=入国管理局)のスポーツ・エンターテイメント部は、クラブ側が提出した書類を独立したパネルに送付する。……パネルは通常、関連するフットボール協会などと3人までの専門家で構成される。

つまり、マンチェスター・シティの場合は、イングランドのFAとPFA(Professional Footballer's Association)とプレミアリーグと専門家で構成されるパネルに審査を要請した、ということになる。このパネルは選手が「最高の才能を有している」かどうか、「英国でトップレベルにある競技の発展に大きく貢献することができる」かどうかを検討する。(まったく、偉そうに。)そしてパネルの審査の結果が「勧告」としてイミグレに戻され、その内容のままにイミグレが最終判断を通告する。

ワーパミを申請した時点で、クラブ側はこの手続きは想定していただろう(イラクのFIFAランクが安全圏ではなかったから)。だけどこの手続でハネられることは想定していなかったに違いない。

でも実際には、アクラムのワーパミ申請は、このパネル審査でハネられた。つまり、イングランドのFA etcとイングランドの「専門家」のみなさんは、資料などを見たうえで、「アジアカップを制したイラク」の中核となるプレイヤーは、イングランドのフットボールに「大きく貢献」できる人材ではない、と判断した、ということになる。

なお、ガーディアンのSportブログにdavebさんがコメントしていること@January 31, 2008 1:55 PMによると、パネルは6名で、FAとPFAとプレミアリーグから各1人ずつと、監督か選手の経験者3人(ワーパミを申請しているクラブとの関係がない人)で構成される。クラブ側が提出するのは、プレイのビデオや成績の数値などの資料で、要するに、ここでクラブ側がどうプレゼンするかが大きな鍵を握る。

アジアカップなんて、正直、英国ではほとんど報じられてないし(会期中にBBCなどでスポーツニュースをチェックしていたが、準決勝か決勝まで報じられてなかった。ただしベトナムが急に勝ち進んだのでエース欠場で大混乱、という珍ニュースは別)、この6人がふだんはUAEのリーグでプレイしているアクラムの名前すら知らなかったという可能性すらある。

さらに、マンチェスター・シティの監督は、あのエリクソン(Sven-Goran Erikkson)である。この人は、監督としての力量などはともかく、女性関係でFAのおえらいさんを辞任に追い込んだこともあり、FAのお覚えがめでたいとは言えなかろう。

また、チーム全体の「外国人」比率も背景として重要だったかもしれないが、現在、25人中16人が非イングランド人のマンチェスター・シティの「外国人」比率は、まあ、エリクソンが監督になってかなり「外国人」が増えたにせよ、ピッチでは「イングランド人って何ですか」状態のうちなどもいるプレミアの上位のことを考えれば、そんなに際立って高いほうではないだろう。

そういう条件下で、アクラムのワーパミは拒否された。現在は、英国の国会議員(下院議員)らがワーパミ発給を求めて内務大臣に働きかけたり、イラクのFA会長がバグダードの英国大使館に陳情というか要請というかをしていたり、という段階だ。その段階で移籍期限日が過ぎた。

以上の経緯について、私が見た限りで最も読みやすかった英文ニュースは、よりによってイラン国営英文ニュースである。(よそからごにょごにょしてきて要点だけにした、みたいな記事。)
http://www2.irna.com/en/news/view/line-16/0801305087200038.htm

テレグラフも経緯を非常に読みやすくまとめていてよい。
http://www.telegraph.co.uk/sport/main.jhtml?view=DETAILS&grid=A1YourView&xml=/sport/2008/01/30/ufnmancity130.xml

で、最も中身が充実していたのが、タイムズ。ただし煽り文体。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article3273508.ece

※記事クリップは:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/football/immigration/

で、「政治的」な反応としては(政治家であれ一般市民であれメディアの記者であれ)、大雑把にいえば、「ここでイラク人プレイヤーをプレミアに迎え入れれば、イラク人にとって大きな希望となるというのに、なぜわざわざそれを潰すのか、ホームオフィスの四角四面主義は」というものだ。

めんどくさいので「右派、左派」という言い方をするが、大雑把にいえば、右派からは、「イスラム主義過激派のイマームは受け入れて、フットボーラーはワーパミ却下って、何やってんの?」という、時間軸を無視したような反応が出ている(イマーム云々は何年も前の話)。左派からは、「我が国が経済制裁したり攻撃したりしなければイラクはこんなことになってなかったわけで、さらにこの仕打ちはひどい、恥ずかしい」というような反応が出ている。

また、「イラク」と「英国のイミグレ」については、もうひとつ大きな問題があり、それと関連させて考えている人も多いようだ。もうひとつの問題というのは、バスラなどイラク南部で英軍の通訳として仕事をしていた人たちが、南部がシーア派の宗教右派民兵(それも、ムクタダ・サドルの組織などいくつもあって大混乱、シーア派同士の殺し合いが起きている)の手に落ちて(英国はいろいろと奇麗事を言っていますが、実態は「英軍は追い出された」状態で、取材陣もほとんど入れない状態のようだが、民兵による暴力は相当にひどい)、本当に身の安全が危険である、ということになってしまったので英国に難民申請を行なったのに、ホームオフィスはそれを却下した、という問題。

明らかに英軍のために危険にさらされることになった人たち(それも通訳者という立場の人たち)を、英国は受け入れることを拒否した。ブラウン政権の支持率が下がったとかいうのは、経済がどうのとかいうことだけではない。

イラク戦争開戦前、2003年1月や2月の英国での反戦デモのスローガンに、Not In Our Nameというものがあった。デイリー・ミラー(左派のタブロイド新聞)が大々的にはっていたキャンペーンのスローガンだが、それは「私たちの名の下でそのようなことをするな」という意味で、つまり「民主的に選ばれた政府がそのようなことをするとは何ごとか。私たちはそのようなことは望んでいない」という意味だった。

今の英国がやってることは、もう、Not In Our Nameというスローガンすら口にしたくないほどのことだろうな、と、通訳者の難民申請却下についてのブログを見ながら思ったのだけれども、英軍のために働いたから身の危険にさらされている人たちを難民として認めない、ナシャト・アクラムのような人でもワーパミを許可しないというのなら、一体どんなイラク人なら英国は受け入れるというんだろう。

トニー・ブレア、出て来い、って感じだな、ただひたすらに。



タイムズ記事の末尾に、最近のイミグレのフットボーラーについての判断が5例紹介されている(タイムズのソースは、http://www.workpermit.com/ とタイムズのアーカイヴ)。3例はいったん拒否されるも申し立てなどで最終的に認められたケース(ただし1例は非常にイレギュラーなケース)、2例はダメだったケース。

概略だけ。
- Collins Mbesuma (ザンビア国籍):
2005年、ポーツマスが獲得を目指した。彼は南アのリーグ優勝チームに所属し、リーグで35得点を挙げていたにも関わらず、ワーパミ拒否。理由は、ザンビアがFIFAランク70位以下だったため。ポーツマスの再申請(おそらく「パネルによる検討」のこと)は成功した。

- Ayegbeni Yakubu (ナイジェリア国籍):
ミドルスブラがワーパミを申請するも、ナイジェリア代表Aマッチへの出場が全試合の75パーセントに満たないとの理由で拒否。クラブ側は、監督との不仲が原因で起用機会が少なかったと申し立て、再申請は成功した。

- Jason Scotland (トリニダド・トバゴ国籍):※2006年ワールドカップにも出てましたね。
ダンディー・ユナイテッド(スコットランド)がワーパミを申請するもホームオフィスは拒否。ミドルスブラと同じく、監督との不仲を訴えるも拒否。

- Mark González (チリ国籍):
2005年、リヴァプールが£2.35mを用意して獲得を目指すも、ホームオフィスがワーパミ発給を拒否。チリはFIFAランク72位だったため。クラブはプレイヤー個人の能力は高いと申し立てたが、認められなかった。

- Al Bangura (シエラレオネ国籍):※この人は背景が複雑なのでウィキペディア参照で。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alhassan_Bangura
ワトフォードのミッドフィールダー。父親が秘密結社「ポロ」のメンバーで、この秘密結社は父親が死ぬと息子が入らなければならないというルールがあり、それがいやでシエラレオネからギニアへ脱出。そこで出会ったフランス人に男娼とする目的で欧州に連れてこられて、イングランドに渡ったときに難民申請。ホームオフィスで申請を検討中に、公園でサッカーをしていてワトフォードのスカウトの目に留まり、ユースに入るや頭角を現し、2005年に17歳でデビュー。次の05−06シーズンではレギュラーとなり、37試合に出場し、クラブの若手最優秀選手に選ばれ、クラブは昇格。これにより彼の契約は08−09シーズンまで延長された。しかし先の難民申請は却下され、異議申し立てを行なうも2007年12月に却下、いよいよ強制送還かというときに、国際サッカー選手連盟やクラブ、デイヴィッド・ブランケット元内務大臣(!!!! あのタカ派が)、クラブの名誉会長であるエルトン・ジョンなどのバックアップを得て、署名運動などもあり、12月19日にいきなりホームオフィスが「ワーパミ申請期間中の在留許可」を出した。2008年1月14日、ワーパミ発給。




イラクのサッカー熱の高さは、日本でもアジアカップのときに報道されたから広く知られていると思うが、ガーディアンのスポーツブログには「イラク人とサッカーの話をしたあかつきには、俺って戦略全然わかってないじゃんと思わされて終わることうけあいだ」みたいなことが書かれている。そして、「イラクがひとつにまとまるとすれば、それはサッカーだけだといっても過言ではない」とも。一方で、ムクタダ・サドルのようなイっちゃった人々が、「フットボールは宗教的に正しくない」とか言い出して、選手や監督、技術スタッフなどが脅迫される、というようなことも起きている。アジアカップで優勝したあとに、エースのユーニス・マフムード(アラブのどこかほかの国のクラブに所属している)は「イラクに帰って人々と一緒にお祝いをしたいけれど帰れない」とインタビューで語っていた。

1月31日のサウジアラビア戦(フレンドリー、ワールドカップ予選のウオームアップ)は0−1で勝ったそうです。イラクはワールドカップ予選がすごいグループだからこれからまだ大変だけれど、がんばってほしいと心から思う。

下記のAFP BBさん記事の集合写真、後列一番左がナシャット・アクラム。彼のサイトは:
http://www.nashatakram.org/index_english.html


http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/soccer-others/2344671/2580209
↑同じ記事だけど別の写真。観客席のギャルご一行様。イランなどのように「女はスタジアム観戦禁止」ってなことになったら、彼女たちはさぞかしガックリするだろう。

※この記事は

2008年02月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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