kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年01月27日

ピーター・ヘインの辞任と北アイルランド担当大臣の「厄日」

政治資金不正疑惑で窮地に立たされていたピーター・ヘインが、ついに、24日に内閣を辞した。ヘインはブレア政権での最後の内閣で北アイルランド担当大臣として「和平プロセスの完了」の儀式(2007年5月)実現への道筋をつけ、ブレア退陣で引退はせず労働党副党首選に出たが落選、ブラウン内閣では年金担当大臣とウェールズ担当大臣を兼務していた。(っていうかNI大臣をしていたときにもウェールズ担当は兼務していたのだけれども。)辞職の原因となった資金不正疑惑は、副党首選をめぐるものであった。

で、そんなニュースが流れた24日、私はBBC Newsのトップページの下のほうにある On This Day の過去記事(「今日は何の日」コーナー)を見てお茶をふいた。(キャプチャとっとけばよかったな。)

BBC ON THIS DAY | 24 | 2001: Mandelson resigns - again
(2001年1月24日、マンデルソン辞任――二度目)
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/january/24/newsid_4605000/4605234.stm

ちょうど7年前の2001年1月24日、北アイルランド担当大臣だったピーター・マンデルソンが閣僚を辞任している。つまり、1月24日はNI大臣の厄日。

そんなことでニヤニヤしていたら、間髪いれずにBBCも同じような主旨の記事を(笑)。

Dodgy date for NI secretaries
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7207642.stm
1月24日は、NI担当国務大臣にとっては、カレンダーから消し去りたい日付かもしれない。7年前、ピーター・マンデルソンが内閣を辞した――2度目であったが。原因はヒンジャ氏パスポート疑惑【注:賄賂を受け取ってインド人富豪の英国籍取得に便宜を図ったのではないかとの疑惑】であった。そして今日、2005年から07年にかけてNI大臣をつとめていたピーター・ヘインが、政治資金疑惑に警察の捜査が入り、「汚名をそそぐために」内閣を辞した。


1月24日は、NI担当国務大臣にとっては、カレンダーから消し去りたい日付なのかもしれない。7年前、ピーター・マンデルソンが内閣を辞した――2度目であったが。原因はヒンジャ氏パスポート疑惑【注:マンデルソンが賄賂を受け取ってインド人富豪の英国籍取得に便宜を図ったのではないかとの疑惑】であった。そして今日、2005年から07年にかけてNI大臣をつとめていたピーター・ヘインが、政治資金疑惑に警察の捜査が入り、「汚名をそそぐために」内閣を辞した。

記事はこの後、Hain the Painことピーター・ヘインの閣僚としての経歴をざっと記述し、2005年5月にNI大臣になってからは、英首相とアイルランド首相と協力して「北アイルランドにおける政治的行き詰まり状態を打開すべく、すべての政党を説得した」ことが説明されている。ヘインのサイトには次のように書かれている、とも。
"On his watch, the IRA ended their armed campaign, de-commissioned their arsenal of weapons and Sinn Fein has signed up to support policy and the rule of law - all momentous events paving the way to a permanent political settlement to the age old conflict in Ireland," it says.

いや、確かにこう並べられるとこの通りなのだが(IRAの武装闘争停止宣言が2005年7月、武器のデコミッションが同年9月、シン・フェインの警察支持決議可決が2007年1月)、何というかその・・・(^^;)

というあたりでさんざんニヤニヤさせてくれたあとに、記事は冷たく言い放つ――「復活したNI自治議会・政府においては、ヘインのイニシアティヴのいくつかは拒否されている」。例えばエコ政策。2008年の議会の開始時に、ピーター・ロビンソンNI自治政府財務大臣(DUP所属)は、ヘインのプランを進めないことを決定している。

というのは、この政策、基本は建築制限にあるからだ。NIは「紛争」の30年間、経済発展から見放されてきた地域なので、今規制されても、という反発が財界から出ている。また、反発が激しいのは、外国からの投資が法人税の安い共和国(しかもユーロ圏)に集中しているという現状があるからでもある。(「だったらUKから抜けて共和国に入れば、経済も潤ってよろしくてよ」、というのは、何が「紛争」をもたらしたかを度外視したお気楽な言い分としてはありうるのかもしれない)。

この記事のあとの部分は、NIローカルの話が続いている。NIに興味のない人はさっぱりだろうが、ユニオニスト/プロテスタント側がヘインを嫌っているのは、まあ、いろいろと背景がある話でけっこうめんどくさい。ひとことでいえば「ナショナリストの傀儡」という見方だ。

そこらへんは予想されていた範囲内というか、1998年の合意自体が、これからユニオニストは「英国の一部」というステータスを守るために政治的な戦い (struggle, not war) をしていくことになるというふうに解釈されていた/いるのだから、特に意外なことではない。

とかいうことを思いつつ記事を最後まで読むと:
Within hours of resigning bookmakers William Hill offered odds of 5/1 that Mr Hain will be back in the Cabinet by the end of 2008.
辞任から何時間もしないうちに、ブックメイカーのウィリアム・ヒルが、「2008年内にヘインは内閣に復帰する」ということで5/1のオッズを出した。

He had been a 7/1 shot to be out of the Cabinet by the end of January.
ちなみに、「1月内に辞任する」のオッズは7/1だった。

かなり、どーーーでもいいです。(笑)

なお、辞任までの情勢はかなり細かく伝えていたSlugger O'Tooleさんでは、辞任についてのエントリはわずか2行だ。
Hain has resigned from the Cabinet after the Electoral Commission referred the issue of unreported campaign donations to the Metropolitan Police. Over to you Ronnie.

最後の、Over to you Ronnie. というのは、NIで「辞めろ」コールの集中砲火を浴びているロニー・フラナガン元NI警視総監(now Her Majesty's Chief Inspector of Constabulary)の件。彼が警視総監だったときに発生したオマー爆弾事件での警察の対処の杜撰さゆえに実行犯はおそらく永遠に不明となるだろう、という状況が明白になり、遺族に謝罪はしたが、「謝罪して済む話か」ということになっている。でもサー・ロニーは、今の役職から退く気はありませんよ、というまさにdefiantな態度だ。

I won't resign says Sir Ronnie
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7206232.stm

この人さぁ、「NIでの経験があります」っつって、イラクのバスラでの紛争対処アドバイザーみたいなこともやってたんだけど、この人がNI警視総監だったときのNI警察ってひどかったんだよね(その前はもっとひどかったみたいだけど)。オマー爆弾事件での「唯一の実行犯」の公判が、警察での証拠品の扱いがめちゃくちゃだったことなどによってポシャってしまった今となっては、誰も「この人に任せれば大丈夫」とは思わないだろうけれど、サー・ロニーがイラクに行くときには北米のメディアで「こんなにスゴい人がバスラに入ります」みたいに称揚されていたなぁ。文面はおそらく英国の外務省か国防省のプレスリリースの写しだっただろうけれども。



話がズレて、seesaaさんが重くて投稿できなかった間に、ブラウン政権ではまた「政治とカネ」の問題が浮上した。今度はアラン・ジョンソン保健大臣だ。(よりによって保健大臣か。)

Labour faces new donations claim
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/7211465.stm

※この記事は

2008年01月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
去年だか一昨年だか、「マンデルソンは欧州委員も任期まで務められない」のオッズが4/1だったような記憶があります。どうやって算出してるんでしょうね。前歴からか、ヘインの辞任よりは「あり得る」と思われていたんでしょうか(笑)。
Posted by タツヤ at 2008年01月29日 12:17
> 「マンデルソンは欧州委員も任期まで務められない」のオッズが4/1

ははは。。。根拠を問いただしたいですね、ほんとに。実はW&Hのヘッドクォーターでスゴい計算をしてたりして。

今年の年末あたりには、「ウッドウォードNI大臣は1月24日に」なんて賭けも出てきそうです。
Posted by nofrills at 2008年01月29日 17:37

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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