「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年01月15日

"We are blessed or cursed to live with each other"(ダニエル・バレンボイム)

"I am not a politician," he told us. "But I know one thing. There is no military solution. We are blessed or cursed to live with each other... Even not very intelligent people are saying that the occupation has to be stopped."

「私は政治家ではありませんが、これだけはわかっています。軍事的解決などというものはない。わたしたちは一緒に生きていかねばならないのです、それが恵まれたことなのか呪われたことなのかはあるでしょうが……あまり学のない人たちでさえ、占領はストップされねばならないと言っています」

上記は、パレスチナの市民権を得たダニエル・バレンボイムのことばとして、BBCのTim Franks(エルサレム支局)が、1月14日付のJerusalem Diaryで引いていることばである。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7186757.stm

バレンボイムの市民権は、ラマラのパレスチナ自治政府が授与した「名誉市民権」で、上にあるバレンボイムの発言は、ラマラでの授与式のあとの記者の質問に答えたものだそうだ。なお、授与式はラマラで行なわれ、バレンボイムはラマラのCultural Palaceに寄贈した新品のSteinwayのピアノで、ベートーベンのソナタを3曲、演奏した。アンコールはショパンのノクターンだったそうだ。

記事を書いたBBCのTim Franksは、ほんの何日か前に同じラマラでブッシュ米大統領が示した楽観的な考えについて「あなたも同じお考えでしょうか」と質問した。バレンボイムの反応について、彼は次のように書いている。

Barenboim fixed his eyes on me with the intensity of a man who is used to conveying his musical instructions clearly, and in the expectation that they will be followed.

"We have been living in this conflict for many years. It would be absolutely horrible if now, with good intentions, expectations are raised, which will not be fulfilled... Then we will sink into an even greater depression."

バレンボイムは、音楽の演奏についての指示を出すことに慣れた人物らしい強さをもったまなざしで、じっと私を見つめた。それはまた、自分の指示に相手が従うものだというまなざしでもあった。

「わたしたちは、もう何年も、この紛争の中に生きているのですよ。よかれと思ってのことにせよ、現実になる見込みもない希望的観測を称揚するなどということがあれば、それは何ともおそろしいことでしょう……あとはさらにひどい鬱屈状態に陥ってしまうことになります」


アンコールでショパンを演奏する直前に、バレンボイムは聴衆に向かってこう語りかけたという。

"My wish," he said, "is that it doesn't always continue to be a special occasion when I or my colleagues come to play in Ramallah."

「わたしが願っていることは、わたしのような音楽家がラマラに演奏しに来るのが特別の場合に限られなくなる、ということです」


ウィキペディア英語版を参照すると、2007年12月にバレンボイムが英国や米国、フランス、ドイツなどの演奏家20人を編成して行なうことになっていたガザのカトリック教会でのバロック音楽の演奏会(ツアーの一環)が中止になった、ということが書かれている。演奏家のひとり(ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人)が、イスラエルとガザのボーダーで「個別の通行許可証が必要だ」と言われ、7時間かけても通過することができず、バレンボイムは演奏会の中止という判断をしたのだそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Barenboim#Israel_and_Palestine

※この件については、クラシック音楽のニュースサイトに、ウィキペディアのソースとして掲示されている記事より細かいことが書かれている。これによると、ガザでの演奏会を中止した翌日、ラマラでは演奏家全員揃って演奏会を行なったそうだ。
http://www.playbillarts.com/news/article/7517.html

12月のバロック音楽演奏会の件を考えると、上に引用した部分にある "I or my colleagues"(「わたしのような音楽家」)というのは、「(わたしのような)イスラエルの音楽家」を意味するのではなく、「(わたしのような)音楽家」を意味するのだろう。

バレンボイムは、「その機会が特別であることが問題なのではなく、なぜその機会が特別であるのか(何がその機会を特別にしているのか)が問題である」ということも語った。

そして、「音楽家の往来が自由にできるようになること」は、もちろん、そのこと自体が「平和」をもたらすものではない、ということも。

"Music will not bring peace to the region. I'm not here to make a political speech. The negotiations required have nothing to do with music. But music will enrich all sides, if we open our ears, our brains, and our hearts to it."

「音楽がこの地域に平和をもたらす、ということはないでしょう。わたしは政治的な考えを示すためにここに来ているのではありません。(政治の面で)行なわれるべき交渉は、音楽とは何も関係のないものです。しかしながら、音楽はどの側をも豊かにするものです。わたしたちが耳を開き、頭を柔軟にして臨み、オープンな心で接しさえすれば」


バレンボイムのこういう内容の発言を読むのは私にとっては初めてではない。だが、ブッシュ米大統領の任期満了が目前に迫ってきた段階で出てきた「和平への期待」と、それについて「空手形であってはならない」というバレンボイムの強いことばとともにみると、
紛争地において「和平/平和」を望む者と、それを達成する者とが一致する、ということがないと、「和平/平和」は実現されないのだということをいっそう強く思う。

AFP BBの記事:


バレンボイムとエドワード・サイードによる取り組み、ウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラの音源:
ライヴ・イン・ラマラライヴ・イン・ラマラ
バレンボイム(ダニエル) ウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ モーツァルト

曲名リスト
1. 交響曲第5番ハ短調op.67「運命」(ベートーヴェン)
2. 管楽器のための協奏交響曲変ホ長調K.297b(モーツァルト)
3. エニグマ変奏曲~ニムロド(エルガー)
4. バレンボイムのスピーチ

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4622070944バレンボイム/サイード 音楽と社会
A・グゼリミアン 中野 真紀子 ダニエル・バレンボイム
みすず書房 2004-07-20

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バレンボイムのパレスチナとの関わりについては、バレンボイムとエドワード・サイードの対談、『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(上記amazon.co.jpリンク)を日本語に翻訳された中野真紀子さんのページを参照。この本の一部はオンラインで読めるようになっている。今回の「ラマラからの名誉市民権」についてのBBC記事から見える「和平プロセス」に対するバレンボイムの考え方に関連する部分を、少し長くなるが、引用させていただこう。

バレンボイム: ……思うに、どんなプロセスにも、それが文化的なものであれ、政治的なものであれ、その内容と、それが要求する時間とのあいだに、絶対的にきまった関係がある。そして、ある種のものは、時間を十分に与えなかったり、与えすぎたりすると、消え失せてしまう。オスロ合意が格好の例だろう。合意そのものに賛成だったか、反対だったかということは、置くとしてだ。君があの合意に反対していたことは知っている。僕はうまくいくことを期待していた。あれがうまくいかなかったおもな理由は、僕の考えでは、プロセスの勢いが──つまり、速度やテンポが──内容と同調していなかったからだ。たぶんこれは、あの和平プロセスに対する君の拒絶を、哲学的に確認するようなものだ。つまり何かがまちがっていたために、あれは自らのテンポを持つことができなかったのだ。でもそれは、僕にすれば音楽の演奏とまったく相似したことだ。そこでは内容によって特定の速度が要求されており、もし誤った速度で演奏するならば、つまりのろすぎたり速すぎたりするならば、全体がばらばらに壊れてしまう。オスロ合意に起こったのはそれだ。

サイード: だが僕の考え方によれば、オスロ合意の問題点は、あの表記が──あれは書かれたテクストだからね──現実の状況にじゅうぶんに適合していなかったことにある。つまり山脈を見ていながら、小さな紙切れに一つだけ山を描き込んで、それをもって山脈全体を表現することができると考えたようなものだ。オスロ合意の問題点は、そういうような恐ろしいズレだ。現実は、パレスチナ人にとっての現実は、挫折感、帰るところがない、追放され、剥奪されたという感覚であり、それは償いを要求する。けれど文書にかかれているのは「いやいや、そういうことは話し合いの議題ではない、ここでは君たちの着ている服についてだけ話すのだ」ということなのだから。この合意を損なっているのは、こういうような現実とテクストの大きな落差だ。おまけに君の言ったようなこともある。もしもこれが、ゆっくりと山脈の方に導いていくような展開をみせていたのであれば、話はまたちがったかもしれない。けれども実際に起きたことは、このたった一つの山によって代表された山脈は、誤ったテンポによって、まったく違った方向に進んでしまい、修復しようとした状況に対してはどんどん不十分なものになっていることが、しだいに露呈したということだった。

バレンボイム: でもこの種の対立は、ある意味で政治的な手段によっては解決できないものじゃないだろうか。僕はよく考えるんだが、政治家と芸術家のあいだの違いって、いったいなんだろう。政治家は妥協する技を身につけてはじめてよい仕事をすることができる。いろいろな陣営がすすんで譲歩できるような領域を見つけだし、彼らをできるだけ一つに近づける努力をして、適切な勢いと時間をあたえれば、つぎ目はやがて消滅するだろうと期待するのが、彼らの仕事だ。これに対して、芸術家の表現が成立するのは、なにごとにも妥協することをいっさい拒むことによってのみだ。それゆえ、このような性格の紛争は、政治的な手段を通してのみでは、経済的な手段や取り決めを通してのみでは、解決されることがないような気がする。だれもが、いわば芸術家的な解決手法をとる勇気を求められている。

http://www.k2.dion.ne.jp/~rur55/J/P&P/P&P2-3.htm#04


バレンボイムは、今のプロセスが「自らのテンポを持つことが」できている、と感じているのだろうか。サイードが生きていたら、今の状況は紙に山をひとつではなく山脈を描いていると感じていただろうか。

「和平」の話をしながら、イスラエルはガザ地区でファタハの人とハマスの人をミサイルで殺している。標的を定めた殺害(target killing: "shoot to kill" の別の言い方だ)だそうだ。

Israel blasts Gaza amid peace talks
UPDATED ON:
MONDAY, JANUARY 14, 2008
15:42 MECCA TIME, 12:42 GMT
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/F807F5EC-282A-4DE6-AB40-B9216C6747F7.htm
Israel has launched a missile attack in the Gaza strip, killing three Palestinians, as its negotiators opened fresh peace talks with Palestinian officials.

Two of those killed in the raid near the home of Ismail Haniya, the Hamas leader in Gaza, were members of Fatah's armed wing, Al Aqsa Martyrs' Brigade.

The third man was linked to Hamas' military wing.

Israel has said two of the men were on their way to fire rockets across the border into Israel.

...

An Israeli army spokesman said the latest strike was carried out by Israel's security service, Shin Beth, on a car carrying two men.

One of the other dead men was identified as Nidal al-Amoudi of al-Aqsa Martyrs Brigades, an offshoot of the Fatah faction, headed by Mahmoud Abbas, the Palestinian president.

Israeli security sources described the attack as a "targeted killing" designed to assassinate a person regarded as an enemy.

Agencies reported quoting Israeli sources that another of the dead men was Maher al-Mabhouh, a senior member of the Islamic Army group, which was involved in the abduction of Gilad Shalit, an Israeli soldier, in Gaza in June 2006. ...

※この記事は

2008年01月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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