「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年01月05日

今日と明日の深夜、パキスタンなどについての「民主主義」のドキュメンタリー

NHK BSで12月に放送された「民主主義」という33ヵ国共同制作の10本のドキュメンタリー・シリーズが、今、地上波で再放送されている。放送予定は下記URL。今日5日の深夜は、パキスタンとインドのドキュメンタリーだ。パキスタンの番組にはベナジール・ブットも出ているようだ。これは見ないと。
http://www.nhk.or.jp/democracy/yotei/index.html
5日深夜0:10〜1:05 パキスタン、「大統領との晩餐」(パキスタンのサビハ・スマルとスリランカのサチタナンダム・サタナンタン両監督による)
5日深夜1:05〜2:00 インド、「ガンジーの心はいま」(インドのラリット・バチャニ監督による)

6日深夜0:00〜0:55 中国、「子ども民主主義」(中国の陳為軍監督による)
6日深夜1:00〜1:55 日本、「選挙」(日本の想田和弘監督による)

※最後の「選挙」は、2007年に公開された映画の短縮版だそうです。劇場版(テレビ版の倍以上の長さ)はDVDが出たところです。
B000WSQIEM選挙
想田和弘
紀伊國屋書店 2007-12-22

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番組公式サイト(英語):
http://www.whydemocracy.net/

番組について(NHKサイト):
http://www.nhk.or.jp/democracy/about/index.html

この解説文を要約すると、このプロジェクトは2004年に始まったもの。9-11事件後の爆撃と戦争のなかで、「ヨーロッパの公共放送を中心としたドキュメンタリー番組の編集長や制作者たちの間に『アメリカ流民主主義が世界の民主主義なのか』という疑問が広がっていった」ことから、「民主主義とは何か」をテーマとして、「広く世界各地の映像作家の企画を募り、また世界の放送局に参加を呼びかけて国際共同制作のシリーズ番組を作ることを目指した」。プロジェクトには世界から42の放送局が参加、500以上の企画が寄せられ、この中から選びぬかれた10本が制作された。制作主体は、デンマークに本部を置く「ステップス・インターナショナル」で、BBC(英国)、TV2(デンマーク)など欧州の公共放送のプロデューサーと南ア、デンマークの制作会社が共同で立ち上げた非営利団体である。

参加各局で特設のウェブページがあると思うが、BBCは下記。
http://www.bbc.co.uk/bbcfour/documentaries/storyville/why-democracy.shtml
NewsnightでもDemocracyというテーマで特設コーナーがある。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/democracy/default.stm

※以下、あとで追記します。
タグ:民主主義

※この記事は

2008年01月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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