「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年12月29日

30年前の機密資料開示(今年は1977年分)

前のエントリでも触れたが、「30年ルール」に基づく英国政府の機密資料開示によって、1977年の「機密」がいろいろと明らかになった。1977年の首相はジェームズ・キャラハン(労働党)で、トニー・ブレアの政権(1997〜2007)の前の最後の労働党政権の時代だ。

開示された資料そのものを見ることももちろんできるが(後述)、資料そのものは議事録とかで、いくら時間があっても読みきれない。というわけでガーディアンに出た記事の一覧:
Texas loo role: how Thatcher got stuck in Houston toilet
前のエントリを参照。サッチャー訪米の記録。

The Thatcher threat - and how Callaghan saw it coming
※サッチャーの保守党がいかに労働党政権にとっての脅威であったか。

Callaghan had Scargill watched as Grunwick dispute escalated
※グランウィック争議(フィルム現像工場での労働条件改善をめぐる労働争議がものすごい勢いで拡大した)について、労組トップを英国政府が見張らせていた件。

Give in on police pay? I'd rather resign, said PM
※警察官の給与引き上げ要求と労働党政権。首相は「要求を呑むくらいなら辞職も」とまで言っていた。

Benn tried to turn out lights on royal jubilee
※トニー・ベン、突っ走りすぎ(笑)。

How Benn encouraged sale of nuclear reactors to the Middle East
※トニー・ベン(当時エネルギー大臣)が中東諸国に対するリアクターの販売を奨励していた。

How 1977 plot to kill president of Togo was foiled
※1977年に、元SASメンバーが西アフリカにあるトーゴの大統領らを暗殺しようとしていたことが発覚した件。

How Rumsfeld tried to influence British military policy - in the 1970s
※ラム爺は、今も昔も、英国の軍事政策に口を出していたんですよという件。

Underground testing of nuclear warheads was kept secret from cabinet
※核弾頭の地下実験が閣僚にも秘密で行なわれていた件。なんてすてきな民主主義国家。

Back to the future
※全体を概観した社説記事。

これら「英国の政治」全体のも、比較的おとなしめながらそこそこえぐいのだが、もっとえぐいのは北アイルランドだ。

ガーディアンから:
Royal blown up by IRA 'backed united Ireland'
1979年にIRAが爆殺したマウントバッテン卿は、個人的には、アイルランドの南北統一を支持していたことということを示すアイルランド大使との会話のメモが、アイルランドで公開された。
"... Reunification is the only eventual solution. If there is anything he can do to help he will be most happy to cooperate."


BBCから:
Stormont discussed Paisley arrest
※1977年のUnited Ulster Action Council Strike(→CAINのほうが見やすいかも)の最中に、ストーモント(NIO)は、イアン・ペイズリーはロイヤリスト武装勢力とつながっているとして、共同謀議での逮捕を検討していた。

1977年の北アイルランドについてのまとめは:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7162727.stm

現在もなお「機密」にあたるもの(武装組織の資金調達方法についての資料など)は、引き続き「機密」の扱いとなる。

以下は資料そのものを見たい方向け。

英the National Archivesのサイトでの資料一覧への入り口:
http://www.nationalarchives.gov.uk/releases/2007/december/default.htm?homepage=releases

Cabinet minutes and memoranda from 1977(1977年の閣議の議事録とメモ)、Newly released records from 1977 include the Silver Jubilee, the Grunwicks dispute and Lib-Lab pact(女王の即位25年、グランウィック争議、自・労協定などの記録)、Significant events of 1977(1977年の主な出来事)の3項目がある。

2番目の項目の詳細画面:
http://www.nationalarchives.gov.uk/releases/2007/december/series.htm
Defence cuts
Security arrangements for Downing Street
SAS incursion into Ireland ←!!!
Conversations with Prime Minister Callaghan
The Lib/Lab pact
Windscale industrial dispute
The Queen's Silver Jubilee
The Grunwick dispute

"SAS incursion into Ireland" というのは、アイルランド島の北と南を隔てるボーダー地帯で、ボーダーの南側で「不審人物」が拘束された件だ。拘束された「不審人物」は実はSASで、対IRAの秘密作戦の真っ最中だった。誰の何という小説だったかは覚えていないが(<オレ様の脳みその役立たず……)、何かの小説の土台のひとつになっていたと思う。

で、その資料を個別ページから入手したのだが、本当に「そのまま」で公開されているから、あまりの生々しさに「読む」より前に「見る」だけでごちそうさまでしたという気分になる。CONFIDENCIALとハンコを押された、タイプライターで打たれた文書に、誰かの手書きのメモが書き込まれている、みたいなものが50点もあるのだ。

資料のダウンロード方法は少しめんどくさいかもしれない。個別ページに行って、Priceが「0.00」になっていることを確認し、ページ末尾の「Add to shopping」をクリック。ほかにも入手したい資料があれば、それの個別ページで同様に「Add to shopping」をクリックして、出てきた画面で「Checkout」をクリック。次の画面で、メールアドレスを入れる欄が出てくるのでそこを入力し、その下の「Please choose how to pay」は、クレジットカードかBTのClick&Buyから選ぶのだが、無料の資料だからどちらをクリックしてもその先何も入力することなく進める。メールアドレスを正しく入力していれば、DLできるサイトのURLがメールで通知される。

……というのが英ナショナル・アーカイヴでの入手方法。

で、北アイルランドだが、北アイルランドの資料は、THE PUBLIC RECORD OFFICE of NORTHERN IRELANDで開示されている。ただし、PRONIの場合は、ネットで公開されているのは目録だけで、資料そのものはベルファストに行かないと閲覧できない。
http://www.proni.gov.uk/

今年公開された資料についての説明:
1977 - THE STORY FROM THE ARCHIVES

The official files for 1977 will open to the public on Friday 28 December 2007 at the Public Record Office of Northern Ireland (PRONI).

Some of the main events covered are the United Unionist Action Council (UUAC) strike, proposed scrapping of the 11+ and the introduction of comprehensive education, and local government reform.

The Central Secretariat files for 1977 include a series on an Economic and Industrial Strategy for Northern Ireland, highlighting the importance that Roy Mason, Secretary of State, attached to the economic situation.

Other topics covered in the files being released include: the security situation, policing, prisons, political developments, North/South relations, and housing.

Files from the Civil Representatives who were appointed to liaise between the Army, Government and local communities, are also among the papers being made available. These include reports on ‘paramilitary community development’ and reports of security incidents, intimidation and violence across Northern Ireland.


アイルランドのは、アイルランド共和国のナショナル・アーカイヴスで。
http://www.nationalarchives.ie/

こちらも、オンラインで公開されている資料は全体のごく一部だけで、実際にダブリンに行かないと閲覧ができないものが多い。JFKが暗殺された直後に、デヴァレラがジャッキー・ケネディに送った弔電などはオンラインで公開されている。

※この記事は

2007年12月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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