「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年12月28日

鉄の女とテキサスのフォルティ・タワーズ@1977

英国では、原則として、政府のいろいろな機密書類は30年で機密を解かれ、National Archiveで公開されることになっている。俗に「30年ルール 30-year-rule」という。これが毎年クリスマス明け、12月の下旬の風物詩みたいなものだ。毎年「おおお」というものが公開されるので、マニアはうきうきわくわくである。

今年もいろいろと公開されたようだが、ちょっとシリアスなのは後回しにして、「鉄の女」の仰天エピソードから。というか、記事の見出しだけ見るとこんなものがどうして機密だったのかがよくわからないのだが、1977年10月、最大野党党首としての米国訪問についての詳細な記録、とのことで、いろいろ表に出せないことが書かれていたのだろう。

Texas loo role: how Thatcher got stuck in Houston toilet
Owen Bowcott
Friday December 28, 2007
http://politics.guardian.co.uk/politicspast/story/0,,2232756,00.html

記事の最初のパラグラフは、ガーディアンがねちねちと「鉄の女」について書きつつ、30年ルールを説明しているだけなので飛ばしてよい。読むべきは第二パラグラフからだ。

いわく、1977年10月の訪米の際、「鉄の女」はテキサス州ヒューストンを訪問した。そのときに宿泊したホテルが、デイリー・ミラーいわく、「フォルティ・タワーズ」だったらしい。

B00005YUXGフォルティタワーズ DVD-BOX
ジョン・クリーズ コニー・ブース プルネラ・スカルズ
ポニーキャニオン 2002-03-20

by G-Tools


公開された文書は、現地ヒューストンの英国領事館の人が書いたもの。
「金曜日の晩、(ヒューストンに)到着したが、(English Speaking Unionが選んだ)Warwick Hotelがひどくてさんざんだった。美容師もいなければ、サッチャー夫人の服にアイロンをあてる係もいない。いずれもESUが手配してあり、当方の要請で万事OKかどうかはダブルチェックしてあったというのに」

これだけでも、どう見てもフォルティ・タワーズです。本当にありがとうございました。

「実際、このホテルは、ご一行にとっては冗談になった。バスルームのドアのハンドルが中からはうまく動かせず、サッチャー夫妻はどちらも自力では脱出することができなかった」

「土曜日には洗濯室がクローズされており、サッチャー夫人の秘書と私の秘書が、私の秘書の家で洗濯をするはめになった。ここはヒューストンでは最もよいホテルだと考えられているのに、まったく意外なことである」

……そして、ホテルの支配人のファーストネームはBasilだった、に1000点。

で、ヒューストンといえばNASA、といえば「ヒューストン、ヒューストン、緊急事態発生」、というわけでNASAスペースセンターでの記者会見で、英国経済の斜陽について質問されたときに:
「サッチャー夫人は、NASA訪問についての質問には答えるが、英国経済についての質問には答えません、と述べ、招待してくだすった方々に失礼ではありませんか、と言った。後で、あれはCBSのカメラマンですね、と秘書に確認したのだが、彼女は今後はCBSのインタビューには応じないことにしますから、あたくしが忘れていたら言ってください、と秘書に告げていた」

こわいこわい。

このときの訪問で、彼女はカーター大統領と予定時間を過ぎても会談を行ない、CIAに会って、英国の防衛費が削減されたことに困っているということを伝え、メキシコ湾の石油掘削現場を訪れ、当時のローデシアがどう落ち着くかについて話をした。(このあたりがいろいろと「機密」だったのでしょう。)

「夫人は一貫して熱弁を振るったが、最後にはすっかりくたびれてしまっていた」と、英外務省北米局職員のRamsay Melhuishは書いている。「訪問は成功裏に終わり、夫人は満足しておられた」

ホテルはフォルティ・タワーズだったけどね。

マーガレット・サッチャーの保守党が総選挙に勝利し、彼女が英国初の女性首相となるのは、その2年後、1979年のことだ。

それから1990年まで政権トップの座にあった彼女は、1988年に戦後独立したイスラム諸国で初めての女性首相となったベナジール・ブットと、「初の女性首相」同士で会談している。ブットの生涯を振り返るBBCの写真特集(下記)の3枚目参照。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/7161605.stm
タグ: 英国

※この記事は

2007年12月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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