kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年12月11日

日本のテレビに「ロンドンデリー」が出てきた日。

昨晩(10日夜)のことだが、夜のニュースでいきなり「ロンドンデリーで」という言葉が聞こえてきて、何ごとかあったのかと思ったら、「一箇所に集まったサンタの人数のギネス記録」の話だった。

BBC記事:
Santa record bid attracts 13,000
Last Updated: Sunday, 9 December 2007, 15:18 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7135400.stm

記事によると、チャリティの資金集めの目的もあってデリー城壁に集まった「サンタクロース」は13,000人以上。これは、これまでのギネス記録(ラスベガスでのもの)の倍近くで、なおかつ、北アイルランドで初のギネス記録となった。

さっぱり聞き取れないが (^^;) 、大集合の式典のビデオ:
http://www.youtube.com/watch?v=Y_xZVr6QbeU

よちよち歩きの子供もおじいさんもおばあさんも、警備の人も、見事に全員サンタクロースになっている。

北アイルランドでthe Guinness Book of Recordsの記録、というのは感慨深いものがある。

ギネスブックの創設者のひとり、Ross McWhirterは、1975年にロンドンでIRAに射殺されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ross_McWhirter
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/27/newsid_2528000/2528787.stm

射殺されたロス・マクワーターはロンドン生まれで、1950年にスポーツジャーナリストとなった。ジャーナリストとしての経験と知識によって、ギネスの社長からギネスブックを任されることになったのだが、そういった仕事とは別に、保守党員で、ゴリゴリの右翼という一面も持っていた。ローデシアや南アのアパルトヘイトは支持で、「個人の自由」の旗のもとで、反移民、反労組、反EEC(現EU)といったスタンスの主張を強く打ち出していたそうだ。北アイルランド問題についても絵に描いたような保守のスタンスで、イングランド内にあるアイルランド人のコミュニティに対する締め付け強化なども訴えていた。(現在、ムスリムのコミュニティへの管理・締め付け強化が一部によって主張されているのと同様である。)

1975年11月4日、彼は、IRAが犯行声明を出した爆弾事件について、容疑者の逮捕につながる情報をもたらした者に£50,000の報奨金を出す、と発表した。友人を通じて政府に働きかけていたのがぽしゃったので、自分でカネを出すということにしたそうだ。

当時、英国は労働党政権で、首相はハロルド・ウィルソンだった。(保守党のテッド・ヒースの後を受けて2度目。ウィルソンのあとが労働党のキャラハンで、そのあとが鉄女。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Wilson

この「報奨金」宣言によって、IRAは暗殺部隊を彼の自宅に差し向けることとなり、同年11月27日、彼はIRAのガンマン2人に射殺された。

犯人は逃走し、同年12月6日、Marylebone地区のBalcombe Streetのフラットで、住民2人を人質にとって立てこもった。いわゆるBalcombe Street Siegeである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Balcombe_Street_Siege

この包囲では、警察の一員として参加していたとして、今のロンドン警視総監のサー・イアン・ブレアが武勇伝を披露してきたらしいが、何かそれはちょっと(というかかなり)疑わしいものらしい、というのは余談だけれど、記事は下記。
http://www.guardian.co.uk/menezes/story/0,,2208758,00.html

最終的には6日後にSASが突入して人質を無事確保、犯人は4人とも逮捕されたのだが、これは全英にテレビ中継されていて、今も探せば映像を見ることができる。日本でも、2005年7月7日の地下鉄・バス爆破事件のときに、「ロンドンのテロ」についての資料映像として少し流されていたと思う。

逮捕された4人(the Balcombe Street Four)はロンドンで暴れまくっていたIRAのユニットで、1977年に全員が終身刑の判決を下された。その後、1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)での「政治犯の釈放」によって99年に出獄。

一方で、ギネスブックのほうは、殺害されたロスの双子の兄(か弟)で、ロスと同じキャリアを歩み、ロスと同じくギネスブックを任されていたノリスが引き継いだ。ロスとノリスで司会進行をしていたテレビ番組もノリスが引き継いだ。ノリスは2004年、78歳で自宅でテニスを楽しんだあと心臓発作で死去した。

というのが、「ギネスブックと北アイルランド」の関係というか、因縁だ。

さらにいえば、この「サンタクロース大集合世界記録」という、至って平和なイベントが行なわれた地はデリーであり、デリーといえば17世紀以降「プロテスタントとカトリックの対立、衝突」の最前線ともいうべき場所であり、1969年からの「北アイルランド紛争
では、1969年8月のボグサイドの戦い(これが「紛争」の始まり)、1972年1月30日の血の日曜日(ブラッディ・サンデー)(これがIRAの急速な拡大のきっかけとして最大のもののひとつ)などが起きた街でもある。最近ではReal IRAによる警官銃撃事件が起きている。

だから、日本の普通のテレビのニュースで「ロンドンデリー」という言葉を聞いて、トピックが「サンタ大集合で世界記録」だったことに、なんともいえない感慨を覚えたりするわけだ。

ニュースのレポートの映像では、ごっつい北アイルランド訛り(私にはベルファストの訛りとデリーの訛りの区別はつかないので大雑把に)のおにいさんが、はっちゃけたコメントをしていた。

でもそのおにいさんがはっちゃけている理由について、深い洞察みたいなものはつけられていなかった。単に「世界新記録で喜びにわく街」という扱いで。

それはそれでいいのかもしれない。

でも、Bloody Sundayのインクワイアリの最終報告書は、まだ出ていない。「サンタが大集合した街」とだけ扱うには、まだちょっと早いような気がする。

※この記事は

2007年12月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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