kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2007年12月08日

『くまのパディントン』の新作は移民問題に切り込む社会派

南米ペルーで大地震が発生し、被災した「彼」は、おばの手配でロンドンへと密航した。パディントン駅で「どなたか、この子の面倒を見てやってください」というメモを手にしてスーツケースの上に腰掛けていた「彼」は、ブラウンさん一家に拾われてロンドンでの生活を開始する――というのが、英国の作家マイケル・ボンドによる『くまのパディントン』シリーズの始まりだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paddington_Bear

1958年に第一作が発表されたこのシリーズは、1979年の第11作まで出版され、「マーマレードが大好きで、穏やかな性格で礼儀を知るくま」の物語は多くの子供たちを楽しませてきた。
くまのパディントン—パディントンの本〈1〉
くまのパディントン—パディントンの本〈1〉マイケル ボンド ペギー フォートナム 松岡 享子

福音館書店 2002-06-14
売り上げランキング : 10276

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
パディントンのクリスマス―パディントンの本〈2〉 (福音館文庫) パディントンの一周年記念―パディントンの本〈3〉 (福音館文庫) パディントンフランスへ―パディントンの本〈4〉 (福音館文庫) パディントンとテレビ—パディントンの本〈5〉 パディントンの煙突掃除—パディントンの本〈6〉


このシリーズの新作が、第一作から50周年となる2008年6月に出るそうだ。

そして、新作では「密航者のパディントン・ベア」はイミグレにひっかかるらしい。

Paddington Bear's birthday book
Last Updated: Saturday, 8 December 2007, 12:24 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7134165.stm

新作のタイトルは、"Paddington Here and Now"(パディントン、ここで今)。物語の舞台は、ブラウンさん一家とパディントン・ベアが暮らすノッティング・ヒルだそうだ。

83歳になる作者のマイケル・ボンド(パディントン地区在住)は、パディントンは昔と何も変わらないが、この30年で世の中が変わった、と語る。「パディントン・ベアは楽観的で、新しい経験を拒絶したりしない。だからこの物語を書くのは楽しいのです」

その「新しい経験 (what life has to offer)」が、「イミグレによって密航者、不法移民として扱われる」ことだろうか。

私も子供のころに読んだっきりだから覚えていなかったのだが、パディントン・ベアが英国に送られたのは、ペルーで彼の面倒を見ていたおばさんが、リマの養老院に入ることになったからだった。

第一作も、近いうちに図書館で読み返してみよう。私が最初に読んだときは「深い意味」もわからずにいたに違いない。マイケル・ボンドはきっとケン・ローチばりの社会派、大人じゃないとわからない何かがあるに違いない!

そもそも、私がこの物語を読んでいたときには、ロンドンとパリの区別もついていなかっただろう。単に「外国の有名な街」としか認識できてなかったはずだ。

新作(原著、英語)はamazon.co.jpで予約可。
0061473642Paddington Here and Now
Michael Bond R. W. Alley
Harpercollins Childrens Books 2008-06

by G-Tools


※この記事は

2007年12月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
劇中、パディントン氏には、あのテストを受けていただきたい様な気も(笑)。
既に長年ロンドンに住んでいるので、英語力も「えーこくについてのちしき」もばっちりのはずです。

なんだか、HO(とその他大勢)の恐怖は、漠然とした「ガイジン」というよりも、「えーごをしゃべってくれない人たち」に向けられているのでは、という気がする今日この頃。
Posted by ぴこりん at 2007年12月09日 01:32
>ぴこりんさん
ははは、私としては、例のテストをクリアした挙句、MI6のエージェントとしてリクルートされ、某国に潜入するというストーリーを期待。(何かの読みすぎです。)

だってここだけの話、彼の英語運用スキルは、ステレオタイプのアメリカ人@ネイティヴ英語話者(例えば『愛国者のゲーム』のジャック・ライアン)よりスゴいんですよ。。。
> He is always polite (always addressing people as "Mr.", "Mrs." and "Miss" and very rarely by first names)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paddington_Bear

まあ、在住50年のパディントン・ベア氏にとって、えーこく検定試験 with 「英語使いますか、それとも英国から出て行きますか」試験なぞ、物の数ではありますまい、はっはっは。

> なんだか、HO(とその他大勢)の恐怖は、漠然とした「ガイジン」というよりも、「えーごをしゃべってくれない人たち」に向けられているのでは、という気がする今日この頃。

ほんとそうかもしれないですね。ComicやTorygraphの言う "multi-culti" な人たちにとって、Britishnessを実感でき、何も後ろめたさを感じることなくBritishnessとして喧伝できるものは、最終的には「英語」だった、というオチではないかと私は感じています。ジャッキー・スミスとか、ヘイゼル・ブリアーズとか。あるいは先日のNMEインタビューでのモリッシーとか。

でも、アメリカ映画ではスコットランド訛りには英語字幕がついてたりします。(実話。Punk's Not Deadという、素材だけはすばらしいけど、全体としてはしょーもないアメリカのレコード産業宣伝映画で、The Exploitedの人のしゃべっている部分だけに字幕が出てました。私は「失礼な」と思ったんですけど。)
Posted by nofrills at 2007年12月09日 12:42
ガーディアンにもう少し詳しく出ています。マイケル・ボンドのインタビューが中心の記事です。

Paddington Bear faces questions on asylum status
Richard Lea
Tuesday December 11, 2007
http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,,2225679,00.html

記事によると――スーパーに買い物に出かけたパディントン・ベア、会計を済ませて店の外に置いておいたトロリーがなくなっていたので、警察に届けたら「暗黒のペルー」出身だということで「ちょっと話をうかがえますかね」ということに。実際の逮捕には至らないものの(is never "actually arrested", said Bond)、「ちょっとした騒ぎとなって」、ブラウン一家は大わらわ――というお話だそうです。

そして最後は円満に終わるものの、「ブラウン一家がまるで知らなかったパディントンの顔」、つまり「祖国を離れ、難民というステータスにあること」が描かれているそうです。

しかしながら、ボンドは「メッセージ」を伝えるために書いたのではない、と述べ、書き始めるまではなかなか難しかったが、いったん書き始めたらあとはキャラクターが物語の中を動いてくれた、と語っています。

Posted by nofrills at 2007年12月12日 13:08

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼