kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年12月07日

デリーの警官銃撃事件で捜査が進展&今も続くdirty war?

先月8日、デリー(ロンドンデリー)で警官が銃撃された事件について、重要参考人(≒容疑者)が身柄を拘束され事情を聞かれている。

Republican is held over shooting
Last Updated: Thursday, 6 December 2007, 14:18 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7130247.stm

BBCの表記基準では、"republican" と "dissident republican" との厳密な使い分けはないらしい(「厳密な使い分け」とは、例えば "terrorists" と "insurgents" のようなものだが)。逮捕されたのはdissident republicanだ。ま、そもそもReal IRAが犯行声明を出していたのだから、dissident republicanが逮捕されたというのは、別に驚くべきことではない。

BBC報道によると、拘束されて事情を聞かれているのは3人。そのうちのひとりが、デリーの市議会議員選挙で立候補していたという。(「立候補していた a former council election candidate」と書かれているということは、当選はしていない、ということを意味する。)

デリーに限らずどこでも、市議会議員ならものすごくいろんなタイプの人が立候補するから、それだけでは何ら驚きではない。

記事から:
Gary Donnelly stood as an independent republican candidate in the last election to Derry City Council.

independent(無所属)ということは、所属政党が「候補者を擁立することのできる政党」と認められていない、という可能性が極めて高い。北アイルランドにおいては、これは、「非合法政党」である可能性が極めて高い、という意味である。

記事を見て5秒くらいでこう思って、あとはちょいと調べてみた。

デリー市議会選挙のときのこの人のマニフェスト:
http://www.phoblacht.net/gdem1904052g.html

ざっと目を通しただけで、その主張から、RSFか32 County Sovereignty MovementかIRSPと思われるマニフェストだ。

名前で検索したら出てきたインディメディア・アイルランドの投稿 by Kevin Murphy - 32 County Sovereignty Movement:
http://www.indymedia.ie/article/85112
※用語、言葉遣いは彼らのマニエリスムなので、あんまり真に受けないように読んでください。まあ、まったくの嘘ではないのですが。

上記の通り、「32」のケヴィン・マーフィーという人が、Sunday November 18, 2007 15:25に投稿したものだが、この投稿から下記の事実がわかる。

- 今回事情を聞かれているギャリー・ドネリーは、「32」のメンバーである。
- 彼は、11月16日にデリーのフォイル・ストリートを歩いているときに、警官に暴力をふるわれ(地面に倒された)、腕を骨折した。
- 骨折したことが明らかだったのに、警官は彼に手錠をかけた。逮捕容疑は公務執行妨害のようなもの。
- 拘置施設では彼は医師の診察などを受けられなかった。
- 弁護士が到着して身柄を解放されてやっと病院に行けた。病院ではすぐにモルヒネを点滴された。(つまり、痛みがひどかったのに、警察は放置した。)
- 警察には診察をする医師ではなく、検視医がいた。
- この逮捕劇の前に、彼には警察から脅迫があった。

……うげ。えぐい。つまり、北アイルランド警察はこの人を消そうとしていたのだが、消すことができず、検視医を待機させておいたのが無駄に終わり、etc, etc ということ? 

※「すべてが真実だ」とは私は必ずしも思っていません。

これが本当なら、ひどいdirty warだ。もちろん、事実として、MI5もIMCも「Real IRAは脅威であり続けている」という情報だけは恒常的・継続的に流しているわけで、dirty warも進行していると考えるべきだろうけれども。

この件では、シン・フェインも動いていた。26 November, 2007のリリース。
http://www.sinnfein.ie/news/detail/22204

シン・フェインからPaul Fleming, Maeve McLaughlin and Raymond McCartneyの3人が、デリーのPSNIに抗議の申し入れか何かをしたそうだ。内容は、「ドネリーの逮捕と骨折の事案は、悪い警察活動の典型的なものであり、PSNIがこのような行動をすることは受け入れられない(will not be tolerated)。事案については警察オンブズマンが調査を行なうが、その間、事案に関わった警官は停職処分となってしかるべきであり、今後ともわが党はオンブズマンと緊密に連絡を取ってゆく」etc, etc。

つまり、シン・フェインは2006年1月に「警察との協力関係構築」を党大会で決定しているが、このような「昔ながらの暴力的な警察活動」があれば、はっきりと異議を申し立てる、ということだろう。全体的には、「今後、警察とコミュニティの間の関係をよりよいものにしていくために」という流れに位置付けられるものだ。

それと、名前で検索したら、2006年8月の、デリーでの反軍事産業直接行動(レイセオン社への侵入事件)での逮捕者に同姓同名の人がいる。このときはリーダーのエイモン・マッキャンら全部で9人が逮捕された。



関連記事:
2007年11月13日 Real IRA、活動中。
http://nofrills.seesaa.net/article/66193851.html


2007年11月14日 Real IRA、活動中(2)
http://nofrills.seesaa.net/article/66576439.html

あと、これら↑には書いていないのだけれども、20年前の戦没者記念日にIRAの爆弾で一般市民11人が殺されたエニスキレンで、20年目の戦没者記念式典でボム・スケアが起きている。
http://nofrills.seesaa.net/article/65542069.html#comment

それと、同じく今年の戦没者記念式典@Co Downのニューリーでは、式典会場の大砲(展示品)の中に入れられていたコーヒー・ジャーが爆発している(たぶん花火爆弾で、特に被害なし)。
http://www.4ni.co.uk/northern_ireland_news.asp?id=68369

これらのボム事件と、非主流派リパブリカン(Real IRAなど)との関連は、特に報道されていないと思う。

※この記事は

2007年12月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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