「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年11月27日

デイヴィッド・アーヴィングと緑色の袋



この件はあとでちゃんと書きたいのだけれど、月曜日、Oxford Unionという、英国でトップのディベート・クラブに、BNPのニック・グリフィン党首と、「ヒトラーの直接の命令があったという証拠がない」としてホロコーストがあったことを否定している「歴史学者」のデイヴィッド・アーヴィングが招かれて、学生らと討論を行なった。

このことを伝えるAFPさんの記事に付属している写真の1枚を見て、私は鼻からお茶吹いてむせた。

その写真が出るように設定して、上にAFP BBさんの記事のリンクをはってみた。是非「続きを読む」をクリックして写真をごらんいただきたい。

そして、デイヴィッド・アーヴィングが左手に持っている緑色の袋をよくごらんいただきたい。

「M&S」と書かれているのがご確認いただけるだろう。

「M&S」、すなわちMarks and Spencerの袋だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marks_&_Spencer

Marks & Spencerは英国の「やや高級なスーパー」だ。食料品、衣料品、日用品など、自社ブランドしか置いていない店として知られ、また旅行者や留学生の間では、この店にある両替窓口は交換レートがよいことで知られている。日本では、一昔前に『大人の国イギリス、子供の国日本』という現実離れした本で(この本によると「英国の地下鉄はダイヤに正確で清潔」ということになっていたと記憶しているが、私も私の友人たちもそれが現実とはまるで違っているということを体験として知っている)「今の日本についてぼやきたい中高年男女」を感心させた女性が、短期間とはいえ、ここの創業者一族の御曹司と結婚していらした(そのために貴族の称号を得た)ことでも知られているだろう。

で、アーヴィングがスーパーマーケットの袋を持っていること自体は別に驚きではない。『大人の国……』の少し前に出版され売れに売れた『イギリスはおいしい』というエッセイで、著者のリンボウ先生がおもしろおかしく伝えていたとおり、英国では「ちょっとそこまで行くときのバッグはスーパーの袋、海峡渡ってフランスに行くときにもスーパーの袋」ということが、アーヴィングほどの年齢の人であれば、特に珍しいことではなかったりもするというのが基本だから。(もちろん、そういうことを素でする人としない人との開きは大きいのだが。見栄を張る必要もない上流は、そういうところに無頓着だったりする。)

驚きに値するのは、それがマークス&スペンサーの袋であることだ。

「驚き」というのもことばが悪いな。「うはー」と言い換えておこう。

デイヴィッド・アーヴィングは、M&Sの袋を持ってオクスフォードに現れることによって、「私はanti-semiteではありません」と主張しているのだ。

M&Sは19世紀末に2人の人物によって創業された。その創業者の1人がマイケル・マークスという人で、彼は19世紀半ばに欧州東部から英国に亡命したユダヤ系の若者だった。

アーヴィングは、オクスフォード大学のディベートに招かれて参加したときに、居並ぶカメラの前にM&Sの袋を持って現れる、という機会を得てしまったのだ。つまり、アーヴィングは「私がホロコーストを否定しているのは反ユダヤ主義という主義主張からではなく、社会科学的見地からのものだ」と主張することができてしまったのだ。

ワトソン博士の「遺伝子と人種の関係について私が言うのは、主義主張からではなく、科学者としてだ」というのと非常に良く似たもの。



ところで、上にリンクしたAFP BBの記事では:
アービング氏は、ホロコーストを否定した罪でオーストリアで1年1月の禁固刑を受け服役した経験をもつ。またグリフィン党首も、ホロコースト否定を扇動したとして1998年に有罪判決を受けている。一方で同党首は、BNPは極右政党ではないと主張している。

とあるが、元記事と思われるこの英文記事と、この英文記事にも、ニック・グリフィンが「ホロコースト否定の煽動で有罪となった」とは書かれていない。この点について少し補足しておきたい。

まず、英国では「ホロコースト否定」だけでは「罪」にはならない。「人種を根拠に憎悪を煽動すること」が「罪」になる。グリフィンはそれで有罪判決を受けている。

グリフィンが有罪判決を受けたのは1998年、incitement to racial hatred(人種に基づく憎悪の煽動)のためだ。当時グリフィンはBNPの機関誌The Rune(<この名称だけでもほんともうオナカイッパイ)の編集長をしていて、その内容がhate speechであるとして訴えられ、有罪判決を受けた。そのヘイト・スピーチの内容が、「ホロコースト否定論」(というか、「すべては連中の捏造」論)だった。下記ウィキペディア記事である程度細かい話がわかる。Stop the BNPのサイトのページも、BNPにまるっきり反対する立場からよくまとめてある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nick_Griffin#Anti-Semitism_and_Holocaust_denial
http://www.stopthebnp.org.uk/uncovered/pg03.htm

その後2001年のオールダム暴動でBNPが煽動を行なうなどの不気味な動きがあったが、グリフィンが次に起訴されるまでには2005年までかかった。BBCの潜入レポートで、グリフィンとBNP幹部が人種憎悪を煽っている現場が撮影されていた。しかし、2005年7月にリーズ近郊出身のパキスタン系英国人の青年4人による自爆攻撃がロンドンで起きるなどしたあと、2006年2月に下された判決は「有罪」ではなかった(4つの罪状につき、「無罪」と「陪審員の採決ができず」)。そしてこの裁判は再審となったのだが、同年11月の再審で「無罪」の判決が下された。このことはこのブログの過去記事に書いてある(「BNP」のタグから参照)。



この話はあとでもっとちゃんと書くので、このエントリはコメントOFF。コメントに反応している時間があったらちゃんとしたエントリを書きたいので。あしからず。

※この記事は

2007年11月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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