「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年11月14日

Real IRA、活動中(2)

先週木曜日のデリーでの警官銃撃事件について、今週月曜日にReal IRAが犯行声明を出したとの報道に続いて、月曜日にまた警官銃撃事件が発生したとの報道があった。

Policeman injured in gun attack
Last Updated: Monday, 12 November 2007, 22:28 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7091544.stm

今度の銃撃事件はCo TyroneのDungannonという街で発生している。ここは、カトリックとプロテスタントの比率はほぼ6対4でカトリックが多いが、かつて「死の三角地帯」と呼ばれた地域の一角だ(プロテスタント系武装組織とIRAとが激しくやりあっていた)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dungannon

拡大地図を表示

シン・フェイン所属のマーティン・マクギネス自治政府副首相は、「これらの人々は私たちの社会をまた紛争に引き戻そうとしている」と述べ、何か知っている人は警察に届けるようにと訴えた。(シン・フェインはこの1月に党大会で警察への協力を決定している。)

DUPのLord Maurice Morrowは、月曜の夕方にシン・フェインが地域警察協力チーム(District Policing Partnership)のメンバーを指名する予定だったことを指摘し、「非主流派リパブリカン」(シン・フェインの方針を肯定せず、昔ながらの「Britとは全面対決」の路線を堅持し続けるリパブリカン)の犯行との見解を示した。(なお、この指名式は中止になったらしい。)

事件発生の翌日、13日には、男女1人ずつが逮捕されたと報じられている。

Pair held over policeman attack
Last Updated: Tuesday, 13 November 2007, 09:52 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7092013.stm

Pair quizzed over policeman shooting
TUESDAY 13/11/2007 13:01:29
http://u.tv/newsroom/indepth.asp?id=85928&pt=n

……現在報じられているのはこんなところだ。

※以下書き足します

※この記事は

2007年11月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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