「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年11月13日

「北アイルランド」を舞台にゾンビ映画を作ったら……

「北アイルランド」を舞台に、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』調の、ややオフビートなギャング映画(基調はコメディ)を作るとこうなるのか、という映画が、1998年公開のDivorcing Jackだが:
http://www.imdb.com/title/tt0127516/
B00005OOCNディボーシング・ジャック
デヴィッド・シューリス レイチェル・グリフィス ジェイソン・アイザック
アット エンタテインメント 2001-11-02

by G-Tools


「北アイルランド」を舞台に、低予算で、香港アクション映画調のアクションを含めたソンビ映画を作るとこうなるらしい。

Battle Of The Bone 予告編(短いヴァージョン:3分台)
http://www.youtube.com/watch?v=3VGLH0W_-7Q


ストーリーは:

――7月12日(1690年の『ボイン川の戦い』でカトリックのジェイムズ2世をプロテスタントのオレンジ公ウィリアムが破ったことの記念日で、プロテスタントのお祭りの日)、ベルファスト。まさにオレンジ・パレードが始まろうというそのときに、「動くものは何でも喰う」ゾンビが現れた! 主人公3人は無事に市の東側にたどり着けるのか?! プロテスタントもカトリックも、ともに手をとりあってゾンビを撃退し、ベルファストに平和をもたらすことができるのか?!――というものだそうです。

詳細は、制作者・監督・主演のジョージ・クラークさんのmySpaceにて:
http://www.myspace.com/battleofthebone
※flashで写真アルバムがいくつも貼り付けられているので、重いです。写真は映画のメイキング。ソンビ・メイクとか。

BBC NIによると、絶賛撮影中のようです。(「読者の皆さんからのお写真投稿」で紹介されてた。)
battleofthebone.png
※写真左端の旗(トリコロールとユニオン・フラッグ)に注目。

上に貼り付けた予告編(YouTube映像)は、制作者さんがアップしているもの。もうちょっと長いヴァージョン(7分以上)はナレーションつきです。
http://www.youtube.com/watch?v=MGlmH4v0eaI

なお、予告編で使われている "Orange Order meets Nu Metal" みたいな音楽(長いヴァージョンでは、冒頭のスラッシュメタルではない方の音楽)にあるような「フルート(の音)」は、「プロテスタント/ユニオニスト/ロイヤリスト」の象徴です。

「カトリック/ナショナリスト/リパブリカン」側のこういう感じの音楽はCeltic Punkと呼ばれていたりするんだけれども。
http://en.wikipedia.org/wiki/Celtic_punk

※この記事は

2007年11月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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