「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年11月13日

Real IRA、活動中。

UDAが活動停止ということで、「紛争」が終わりましたわね的感慨に浸っているまもなく、政治的なコントロールを受けない人たちが健在ぶりをアピールしているという話。

先週、デリー(ロンドンデリー)で43歳の男性が狙撃された。幸いにも命に別状はなかったが、狙撃現場が小学校のそばということで(男性が子供を学校に送り届けたときに狙撃された)何かやーな雰囲気がしたのだが、それだけでなく、狙撃された男性が「非番の警察官」であったこと、カトリックであったこと、「警察は非主流派リパブリカンの犯行とにらんでいる」ことなど、不安要素てんこもりの事件だ。

Officer shot outside city school
Last Updated: Thursday, 8 November 2007, 11:16 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7084552.stm

で、この事件について、Real IRAが犯行声明を出した。

Real IRA admits police shooting
Last Updated: Monday, 12 November 2007, 14:08 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7090950.stm

BBCの記事では詳しいことはまるでわからないが、デリーの地域新聞である「デリー・ジャーナル」。

EXCLUSIVE: Handgun not firing saved policeman - claim Real IRA
http://www.derryjournal.com/journal/EXCLUSIVE-Handgun-not-firing-saved.3479140.jp

一読して「こえぇ」と笑うしか反応できなかった。
The Real IRA have claimed they failed to kill off-duty policeman Jim Doherty in the city centre of Derry last Thursday because a handgun failed to fire.

In a statement to the 'Derry Journal' from a caller using a recognised codeword, the dissident republic group admitted carrying out the attack and, in a chilling warning, added: "He might not be so lucky next time."

先週木曜日、非番だった警察官のジム・ドハーティさんを狙撃したが、拳銃がうまく動かなくて殺し損ねた――と、Real IRAが主張している。暗号を使って本紙に寄せられた声明で、Real IRAはドハーティさん狙撃事件の実行を認め、また、「次はこういう幸運には恵まれないかもしれない」との警告を寄せた。

かつて、イングランドでの「作戦」失敗のときに、IRAは、"Today we were unlucky, but remember we only have to be lucky once. You have to be lucky always" (今日は我々の側がついていなかったが、いずれにせよ、我々には一度だけつきがあればよい。しかるにあなたがたは常についていないと事件を防ぐことができない)というメッセージを寄せていて、これは2005年7月7日の地下鉄&バス爆破の直後にも引き合いに出されたのだが、今回のRIRAの声明も同じだなぁ。人間って変わらないのねぇ。

The group also warned that anyone giving information to 'the Crown forces' would be treated as informers.

またRIRAは、「英王室の治安組織」に情報を与える者は誰であれ、インフォーマーとして扱う、と警告した。

あのUDAでさえ「ヤクを売ってる奴がいたら警察にタレこめ」と奨励しているときに(これは、UDAによる「90年代〜00年代の超克」である。Shoukri兄弟の時代の終わり)、1980年代で時間が止まっている人たち。といっても、1997年の終わりに、1980年代に戻ることを選んでProvoから分派した人たちがRIRAなのだから、まあこれはこれで。

デリー・ジャーナルに寄せられた声明文:
The statement said: "Ogliagh na h-Eireann claim responsibility for the gun attack on a member of the British Crown forces in the Bishop Street area on Thursday morning. As the Crown forces member travelled along Bishop Street towards the city centre, two IRA volunteers stepped out and the first volunteer opened fire with a shotgun, seriously wounding the target. The second volunteer then approached his vehicle with a handgun. Only through the malfunction of this weapon was the RUC/PSNI man saved from certain death. He might not be so lucky the next time.

"We call upon the nationalist community not to be taken in by self-serving politicians who are calling for collaboration with the Crown forces and acting as recruiting sergeants for these organisations. Anyone caught supplying information to the Crown forces will be treated as informers."

つまり、最初に遠くから狙撃しておき、車に近づいて拳銃でとどめをさそうとしたが、拳銃が動作不良を起こしたのでターゲットは怪我で済んだ、と。

「ナショナリストのコミュニティは、英王室の治安組織に協力せよと呼びかけて、実は自分の目的を達することだけにかまけている政治家連中に取り込まれるな」というのは、もちろんシン・フェインの政治家たちのことを言っている。最近、シン・フェインの地方議会議員に銃弾が送り付けられたり、シン・フェインの事務所が放火されたりしていたのは、「非主流派」のしわざだといわれていたのだけれども、その「非主流派」はRIRAということなのだろう。

ちなみに声明文などでは、彼らRIRAは自分たちのことをOgliagh na h-Eireann (the Irish Republican Army) と呼ぶ。Real IRAというのは、彼らの外でのいわば「俗称」のようなもので、Provisional IRAとの区別の必要によるものだ。(そこらへんのことは今書いてるからもうちょっと待ってね。)

しかしこの声明文、とても古めかしく見えるなぁ。

※この記事は

2007年11月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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