「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年11月08日

【メモ】クルド/トルコ/PKK/言語

2007年11月07日 (水)視点・論点 「トルコとPKK」
一橋大学教授 内藤正典
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/5520.html
去る7月におこなわれたトルコの総選挙でも、クルドの権利拡大を求める政党は、予想の半分程度の議席しか得ることができませんでした。それにかわってクルド票を獲得したのは、現在の与党、公正・発展党でした。与党は、クルド、トルコと民族の連いでお互いに争うのは、もうやめよう。両者とも、イスラム教徒の兄第じやないか」と説いて、多くの支持を集めました。実際、トルコのクルド人たちの多くは、PKKに対して強い嫌悪感をもっています。彼らの主張に与すれば、ゲリラやテロリストにさせられ、トルコ軍との衝突で命を落としていくからです。90年代の激しい衝突で家族を失った人々は、PKKの武装闘争がいかに大きな犠牲を強いたかをよく知っています。それより、経済発展と安定した生活がほしい、それが大半のクルド人たちの望みなのです。
ところが、PKKは、クルド人とトルコ人が融和に向かう、この状況がおもしろくありません。

※原文のタイポについては、引用時に取り消し線を補い、必要なところは修正入力した。

トルコ大使がNHKに抗議、クルド巡る番組内容「一方的」
11月6日11時29分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071106-00000202-yom-ent
NHKが10月28日に放送した紀行番組「NHKスペシャル 新シルクロード」に対して、駐日トルコ大使がNHKの橋本元一会長あてに抗議する内容の文書を送っていたことが、6日分かった。

 大使が10月30日付で橋本会長にあてた文書によると、武装勢力「クルド労働者党(PKK)」を取り上げた内容が「一方的で真実に反するものであり、誤解を招きかねない」として、再放送をしないよう要請。「PKKは、国際社会ではテロリストとして正式に認知されている」としている。

 番組は11月1日未明に再放送された。NHK広報部は、「番組はトルコの現状を客観的に伝えたもので、取材も誠実に対応した」とコメントしている。

その「NHKスペシャル 新シルクロード」を私は見たが、「クルド人」というエスニック集団の存在を明示してはいたが、「PKK」については、少なくとも肯定的ではなかったのだが。

具体的には、ティーンエイジャーのころに戦士としてPKKに加わって「山に登った」(<こういう表現で「義勇兵となる」ことを意味するらしかった)現在30代の男性が、自分のしたことを深く悔いている、という内容だった。その人が戦士になったことで、将来を誓った恋人が後を追って山に登ってしまった(「戦士になったあなたを誇りに思う、一緒に戦いましょう」)。あるとき、彼女のいた拠点がトルコ軍に爆撃され、全員が死亡した。男性はそのことでPKKに加わったことを深く後悔し、今は子供たちにクルドの音楽を教えるなどのコミュニティ活動をしている。10代後半と思われる男の子が「PKKに入ることを考えている」と相談に訪れるが、もちろん彼は「よし、行け」とは言わない。

その男性が取材陣を連れて、かつてトルコ軍に焼き払われたクルド人の集落の跡地を訪れる。その部分を見ながら、去年だったかな、コソヴォのドキュメンタリーでやはり武装勢力で戦っていた男性が取材陣を連れて、かつて激戦となった建物のなかでいろいろと説明をし、何とも言葉にしがたい表情を浮かべていたのを私は思い出したが、クルドの集落の取材はそれだけでは終わらなかった――廃墟となった建物の入り口か窓かは忘れてしまったが、開口部から、軍のパトロール車両が見えて、軍人が数人車外に出て、「お前ら、そこで何をしている、出て来い」。

そして、取材陣も男性もすぐに建物の外に出る。兵士たちのところにたどり着くと数秒で「おい、何を撮影しているんだ」のひとことでカメラのスイッチは切られる。(切られる瞬間までの映像が放送された。)

テレビの前の私は、彼らの身に特に何もなかったからこそこの番組は放送されているのだということをわかっていたけれども、それでもフィクションではない「これ」を見ていることに震撼とした。そこは、ああいう状況で「取材です」と説明して「そうか、ならいい」となるとは思えない「クルディスタン」であるということくらいは私は知っている。

「クルド」に対するトルコの扱いは、「その存在を認めない」というものだった。トルコの全人口の20パーセントを占める集団を、ひとつの「民族」として見なすことを、トルコはずっと拒んできた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kurdish_people
the existence of distinct ethnic groups like Kurds in Turkey was officially denied and any expression by the Kurds of their ethnic identity was harshly repressed. Until 1991, the use of the Kurdish language - although widespread - was illegal. As a result of reforms inspired by the EU, music, radio and television broadcasts in Kurdish are now allowed albeit with severe time restrictions (for example, radio broadcasts can be no longer than sixty minutes per day nor constitute more than five hours per week while television broadcasts are subject to even greater restrictions). Additionally, education in Kurdish is now permitted though only in private institutions.

トルコにおいては、クルド人のようなはっきりしたエスニック集団の存在は公式に否定されている(つまり、「クルド人などというものは存在しない。存在するのはトルコ人だけだ」ということ)。そして、クルド人がクルド人であるということを示すことは、厳しく押さえつけられている。1991年までは、クルドの言語を用いることは、実際には広く行なわれてはいたが、法的には非合法であった。EUの影響による改革の結果、クルド語での音楽、ラジオ、テレビ放送は、厳しい時間制限つきであるとはいえ、許可されるようになった。また、クルド語での教育は、私立の教育機関だけに限られているとはいえ、現在では解禁されている。

10年以上前に知り合った人が、トルコでは「私はクルド人です」とアイデンティティを示すだけで「問題」あるいは「犯罪」として扱われるのだ、と私に教えてくれたときに引いていたエピソード(国会で「クルド人として」と発言したクルド人の国会議員が投獄された件)も、ウィキペディアに載っている。



英国の支配下に置かれていたころのアイルランドでは、アイルランド語(アイリッシュ・ゲール語)の使用は厳しく制限されていた。例えば学校での使用は禁止されていた(→歴史解説サイト)。1922年に独立戦争の講和条約が結ばれ、南北が分断されると、「英国」の一部として留まった北部(北アイルランド)では「アイルランド語は『敵』の言語」という扱いが完全に当たり前のものとなり、南の「アイルランド自由国」が「アイルランド共和国」となったあとの1949年には、通りの名にアイルランド語を使うことを法的に禁止した。南では、正式な第一言語はゲール語である。(だから何も知らない中国人の青年がアイルランド語を完璧にマスターしてアイルランドに渡るが・・・というコメディが成立するのだが、実際にはアイルランドではアイルランド語だけでは大変苦労するらしい。)
When Northern Ireland was founded in 1921 the new Unionist Government was hostile to the use of the language in the education system. During the 1920s and 1930s it placed restrictions on the teaching of Irish in primary schools and refused to support the training of teachers. In 1949 it banned the use of street names in Irish, a ban which has only recently been rescinded.
http://www.iontaobhasnag.com/english/irishlanguageschoolinginNI.html

「統一アイルランド」を目指す武装勢力を主要なプレイヤーとする「紛争」の時代を経て、1998年に結ばれたベルファスト合意(グッドフライデー合意)では、北部でのアイルランド語の地位の回復(「地位の回復」という呼び方は不正確かも。確認せずに書いています)も成文化されたが、それでもなお、「ナショナリストもユニオニストも一緒に行政を行なっていきましょう」ということで今年ようやくまともに再起動した北アイルランド自治議会・政府のなかから、「アイルランド語」への根強い抵抗の声(っていうかNever Surrenderな感じの)が上がったばかりだ。

※この10月、ユニオニスト政党のUUP所属の議員が、自治議会内でのアイルランドの使用を禁止するという意見を正式に提出し、46対44で非採択となった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7036276.stm

NIの議場外でのアイルランド語の使用については:
http://nofrills.seesaa.net/article/35943291.html

参考:
http://en.wikipedia.org/wiki/Language_revival
これが「EU的な何か」として機能しているのだろう。

※この記事は

2007年11月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:34 | Comment(8) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 トルコとクルド人の問題を理解するには,ドミニク・リーベン著『帝国の興亡』下巻を読むとよろしくてよ.

 では,次の舞踏会まで,ごきげんよう(おほほほほ

ps.
 拙作サイトのミャンマー関連,更新しましてよ.
Posted by 消印ウェスト・ミンスター議事堂 at 2007年11月08日 22:05
どうも、最近のトルコのクルディスタンの状況についてはほとんど知らないのですが内藤教授の文章はちょっと問題がありますね。クルド人のほとんどが独立を望んでいないのは事実ですが、PKKだってそういう要求はもはやしていませんし。公正発展党にクルド票(というより多くの特別にイスラム的でない人々の票)が流れたのは、世俗主義の擁護者として国政や生活に暴力的介入を繰り返してきた軍への反発があると思います。トルコには全国で投票率が10%に満たない政党には議席を配分しないというルールがありますからますますそうでしょう。そのあたりは内藤教授はわかってるはずですが…。

http://www.afpbb.com/article/politics/2309087/2329126

 イラク戦争に軍は積極的だったけど、現政権の議会は協力を拒否したのも示唆的です。

 参考の本として15年前ですが小島剛一「トルコのもう一つの顔」がいいかと思います。トルコの政治や人権状況はこのころに比べるとマシになったとは思います、ある意味ではPKKの「功績」かもしれません。小島さんはかつて「世界」に、クルド語はいくつかの相互にかなり離れた「方言」に分かれていること、イラクのクルド自治区での「部族対立」は二つの「方言」の違いと重なっていることなど指摘されていました。統一国家を作って標準語を広めるということが出来なかったせいも大きいのでしょう。ちょっと長々失礼しました。
Posted by N・B at 2007年11月09日 19:38
>クルド語

 もしかして関係ありますかね?

「中近東」:第7代大統領ケナン・エヴレンの告白「クルド語禁止は誤りだった」 (Zaman紙)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20071107_205020.html

 拙作サイトでも,クルド人問題を扱った項目があるのを思い出したので,ぺたりと貼ってみる.
http://mltr.free100.tv/faq02.html#01003b04

 ソースは主に布施宏.
Posted by 消印所沢 at 2007年11月09日 21:27
>所沢さん、N・Bさん
コメントと参考書籍のご紹介など、どうもありがとうございます。順不同のまとめレスご容赦。

> 「中近東」:第7代大統領ケナン・エヴレンの告白「クルド語禁止は誤りだった」 (Zaman紙)
> http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20071107_205020.html

2007年11月07日付 Zaman紙・・・東京外語大のプロジェクト、仕事早い。エヴレンって、ググってみるまでわからなかったのですが、1980年の軍事クーデターの人ですね。エヴレンが「禁止は誤りだった」と考えるに至った理由がわかるとよいのですが、そのへんはまた見てみます。

> http://www.afpbb.com/article/politics/2309087/2329126

トルコのクルド政党が新党首選出、PKK問題の平和的解決を要求
2007年11月09日

すんません、私はトルコについては固有名詞を把握していないのでわかってないのですが、このDTPはバスクでいうバタスナ、北アイルランドでいうシン・フェインのような位置にあるということなのでしょうか。(おそらくそういうことだと思いますが。)その党が、政治的解決の方向に大きく舵を切ったということですかね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Democratic_Society_Party

> 内藤教授の文章はちょっと問題がありますね。

これは夜中にやってる解説番組「視点・論点」の書き起こしだと思いますが、トルコ大使館がNHKに抗議したあとというタイミングをつい深読みしてしまいます。つまり、明確にdenounceすることが必要とされているところに存在するディスクールではないか、というように。

この夏の総選挙については内藤教授のサイトにも書かれています。一度読んだだけでは私には何が何やらさっぱり、です。
http://www.global-news.net/ency/naito/daily/070730/01.html

11月8日のエコノミスト:
Iraq's Kurdish leader in a bind
Nov 8th 2007 | ERBIL
http://www.economist.com/world/africa/displaystory.cfm?story_id=10111035

> The PKK says it wants to negotiate and that its violence is in response to Turkish attacks―a claim that enrages the Turks; 35,000-plus people in Turkey (most of them Kurds) have been killed since the PKK began fighting in the 1980s. The PKK also insists that, unlike its cousins in Iraq and Iran, it no longer seeks autonomy or federalism, but just wants Kurdish cultural and political rights enshrined in Turkey's constitution. It also wants Mr Ocalan freed and better conditions while he is in prison.

つまり、「クルドの文化」や「クルド人の政治的権利」を言うこと自体が「PKKの主張」である(から拒否・否定されるべきである)、という主張が、トルコ・ナショナリズム陣営のハードライナー筋から出ている、ということになるように思えます。

クルド語の「方言」についてはいろいろと議論があるようですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kurdish_language
Posted by nofrills at 2007年11月10日 22:41
どうもご返事ありがとうございます、クルド後の「方言」問題は英語ではこんなに簡単に読めるように、なってるんですね(^_^;)。小島氏の意見は統一クルド国家の建設は言語や文化上も非常に難しいので各国はむしろ自治や権利拡大を思い切って行うべきだというものでした。

>タイミングをつい深読みしてしまいます
 まあやはり問題があるので深読みされても仕方ないでしょうね、私もしましたしw。入管ではもっと露骨ですが…。

>このDTPはバスクでいうバタスナ、北アイルランドでいうシン・フェインのような
>その党が、政治的解決の方向に大きく舵を切ったということですかね
 多分違うと思います、私の記憶ではこの党の前身の民主人民党は、クルディスタンの地域政党として自治体レベルでは地道に活動して支持も得ていてPKKとは違うと主張していたはずです。(ヨーロッパで著名な)レーナ・ザーラ氏達と合流することで国政(国際)レベルでも存在感が強まったのだと思います(過去最高の議席を取ったそうですから)。和平提案は彼らの一貫した主張のはずです。シン・フェイン党やバタスナより、社会民主労働党やバスク国民党に近いのではないでしょうか(クルドの名前をつけていない/つけられないのが傍証でしょう)。

 ただ、PKKの政治部門はウィキペディアを見る限り全く失敗してますし、当然のように非合法ですから、DTPの中にPKKに近いグループもいるのかもしれません。批判者はスペインで何度も盛り上がるバタスナ非合法化論(これも大問題だと思うけど)などを念頭において、批判しているのでしょうが、クルドアイデンティティーを唱える政党を合法的に作れない以上どうにも矛盾していると思います。

 偶然見つけたエピソードですがトルコの現在の情勢はどうも良くないようです。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20071107

 本当は私はEUはごねてないでトルコを加入させるべきと思うんですが…。ではすいません。
Posted by N・B at 2007年11月14日 07:15
http://www.news.janjan.jp/world/0711/0711115472/1.php
これを読むとイラク戦争以来の悪循環がもはや誰にも止められなくなっているという感じです。
Posted by N・B at 2007年11月14日 07:29
>N・Bさん
詳細をどうもありがとうございます。レスは後ほど。

取り急ぎ、自分のコメントへの補足です。

DTPについてのen.wikipediaですが:
http://en.wikipedia.org/wiki/Democratic_Society_Party
Talkのページ:
http://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Democratic_Society_Party
↑これを見るに、現状のwikipediaでの冒頭の説明文(DTPはPKKのpolitical wingであると多くの人に見なされている、云々)は、別のソースでクロスチェックもせず額面どおりorミスリードされて額面以上に受け取るのは、危険なようです。(Disputeのフラグが立ってもよさそうなエントリですが、現状、立っていません。)

この点だけ、取り急ぎ。
Posted by nofrills at 2007年11月14日 08:35
アップデート。

DTPの非合法化に向けてトルコ検察が動いたそうです。

Legal action to ban Kurdish party
Last Updated: Friday, 16 November 2007, 11:01 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7097988.stm
[quote]
Turkish prosecutors have reportedly moved to ban a pro-Kurdish political party in Turkey that has been accused of colluding with Kurdish rebels.

Supreme Court prosecutors asked the Constitutional Court to bar the Democratic Society Party (DTP), the state-run Anatolian news agency said.

They allege the DTP is linked to the banned Kurdistan Workers' Party (PKK).

...

The DTP, which is represented in parliament, has called on Ankara to grant autonomy to Turkey's mainly Kurdish south-east.

Founded in 2005, the DTP denies any links to the PKK, ... .

DTP deputy Sirri Sakik said the legal action was a step backwards for Turkey in terms of democracy.

"Turkey is becoming a cemetery of banned political parties," he told the AFP news agency.
[/quote]
Posted by nofrills at 2007年11月16日 23:53

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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