「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年10月30日

ウズベキスタンでのジャーナリスト殺害

アーセナルFCに対する「ウスマノフ(以下「ウス」)の危機」とりあえず去り、ウスについての「疑惑」を書いたクレイグ・マレーのブログに対する法律事務所の圧力に端を発した一連の「ブログ閉鎖」騒動も、震源地のマレーと、マレーのブログの管理をしているTim Irelandのところが復活した(サービス業者は変えたようだが)。つまり、ウスの件はとりあえず一段落した。めでたしめでたし。。。という今日この頃、ウズベキスタンのおっかない情勢についてBBCで知る。

Outspoken Uzbek reporter killed
By Natalia Antelava
BBC Central Asia correspondent
Last Updated: Thursday, 25 October 2007, 02:21 GMT 03:21 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7061171.stm

Uzbek reporter's contacts seized
By Natalia Antelava
BBC Central Asia correspondent
Last Updated: Saturday, 27 October 2007, 17:22 GMT 18:22 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7065718.stm

10月24日、キルギスタンのOshという街で、ひとりの男性が射殺された。この街はウズベキスタンとの国境に接する地域にある。

射殺された男性の名前はアリシェ・サイポフ(Alisher Saipov)。国籍はキルギスタン。年齢は26歳。職業はジャーナリスト。

BBCによると、サイポフさんは「中央アジアで最もはっきりと主張を示すジャーナリストのひとり(one of the most outspoken journalists in Central Asia)」であり、「ウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領に対する厳しい批判で知られていた(well-known for his harsh criticism of Uzbekistan's President, Islam Karimov)」。26歳という若さで、"Siyosat" (「政治」という意味)の新聞の編集長をしていたそうだ。射殺事件を報じるBBC記事では、この新聞のほかに、Voice of Americaやいくつものウェブサイトで仕事をしていたという。

彼はOshの仕事場から出てきたところを撃たれた。頭と胸にそれぞれ銃弾を撃ちこまれたというから、即死かそれに近い状態だっただろう。キルギスのオンブズマンは、「キルギスの当局者からの報告によると、殺害にウズベクのエージェントが関わった可能性がある(『スペシャル・サービス』が殺害を命令した可能性がある)」と述べているそうだ。

ウズベキスタンでは、最近、Mark Weilさんという国際的に名高い演出家(演劇の)が「夜、仕事を終えて帰宅したところを麻薬中毒者に刺し殺される」(<大本営発表)という事件が起きている。
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/DoH/2007031001.html#A1994
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/index.html#A2034

土曜日のBBC記事は、射殺されたその若いジャーナリストの連絡先(コンタクト)のデータベースが、キルギスの当局によって押収されたと報じている。

サイポフさんのオフィスはキルギスの警察によって封鎖され、コンピュータと携帯電話が押収された。当局では、事件捜査に必要な情報がそれらの中に含まれているためだと説明している。

しかしサイポフさんの同僚や友人は、押収されたデータベースがウズベクの情報機関に渡され、ウズベクの反政府派の人々が特定されることになるのではないかという懸念を抱いている。

英国大使(2002-2004)としてウズベキスタンをファーストハンドで知っていて、同国での拷問など人権侵害の実態を自サイトや著書で書き続けているクレイグ・マレーは、28日、ブログで次のように書いている。

A Dark, Dark Place
http://www.craigmurray.org.uk/archives/2007/10/a_dark_dark_pla.html
要旨:
アリシェ・サイポフが死んだとは、信じられない。最後に会ったとき、彼はまだ23歳で、まさにエネルギーの塊で、将来に明るい希望を持っていた。そして26歳になって彼は死んだ。カリモフ政権によって殺害された反体制派の、今のところ最後のひとりとなった。Natalia Antelavaが彼のための記事を書いている。
http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,2200568,00.html

友人だったMark Weilの殺害の件もあったばかりで、私はただあまりの恐ろしさに圧倒されている。

ウズベキスタンの反政府運動はほとんどすべて、外国に逃れて行なわれている。そうでなければ収監されているか、殺害されているかだ。そして国家はますますひどい悪夢となっている。何ということか――そして私は、ウズベクに身を置いてさえいない。

10月30日のBBC2のNewsnightで、ウズベキスタンについて極めて重要なことが取り上げられる。カリモフや彼の配下にあるオリガルヒたちが巨万の富を蓄える一方で、国民を奴隷化しているさまが取り上げられる。ぜひ見ていただきたい。

なお、イズリントン・ノース選挙区のジェレミー・コービン議員(この選挙区はアーセナルFCの選挙区である)が、国会での質疑を通じて、英国政府から、私がタシケントの英国大使館でまとめた報告を入手しようとした。アリシェ・ウスマノフとカリモフ一族とプーチンとの腐敗した取引についてのものだ。

記録によれば:
http://www.publications.parliament.uk/pa/cm200607/cmhansrd/cm071017/text/71017w0003.htm
コービン議員:英国大使館からアリシェ・ウスマノフ氏について報告書が出されている。これを公開するか否か、外務大臣にお尋ねしたい。[158765]

ジム・マーフィー:そのような情報には個人データが含まれており、政府としては、本人の同意なくそれを公開することはできないということが法的に決まっている。

ここまできっぱりと拒絶されるとは、びっくりしてしまう。となると、政府はムガベ(ジンバブエ大統領)やスロボダン・ミロシェヴィッチ(元セルビア大統領、故人)について何ら情報を出せないということになる。むろん、それはまったくばかばかしい口実にすぎない。ここでむしろ疑問を覚えるが――つまり、なぜニュー・レイバーはウスマノフが過去を隠蔽するのを支援するのだろうか。

さらには、政府はなぜウスマノフが英国のパスポートを持っているのか(これは、もし私のソースが正しければ、の話だが)について説明しようとしない。
http://www.publications.parliament.uk/pa/ld200607/ldhansrd/text/71016w0001.htm
Lord Oakeshott of Seagrove Bayから英国政府への質問:アリシェ・ウスマノフ氏は、通常のものであれ名誉的なものであれ、英国の市民権を有しているのか否か。もし有しているのであれば、いつ、どのような理由で市民権が与えられたのか。[HL5411]

英国内務省、the Parliamentary Under-Secretary of State (Lord West of Spithead):個別のケースについて公にコメントしないのが入国管理局のポリシーである。

うへぇ、もう限界。何この「パスポート」って。何でそんなものをウスが持ってるわけ? 事態はまるでマンデルソン関連@2002年!と思ったら、マレーもマンデルソンのことを書いている。

※マンデルソン(ピーター・マンデルソン)がブレア政権を辞した理由が、知り合いの大富豪にパスポートを都合したという汚職疑惑だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Mandelson#Second_resignation

マレーは「マンデルソンの疑惑のときは、政府は、個別のパスポート申請についてコメントしていた」と皮肉たっぷりに事実を伝えている。
http://www.city-journal.org/html/17_3_oh_to_be.html

ああもういや。



殺害されたサイポフさんの名前でググったら一番上にこの記事が出てきた。2006年のジャパン・タイムズの記事。

Sunday, July 23, 2006
CONVENIENT FOES
Faces of terrorism
By JEFF KINGSTON
Special to The Japan Times
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20060723x2.html

ジャパン・タイムズの記事を書いた記者さんが、ウズベキスタンで「テロリスト」と呼ばれる人たちについて書いた記事で、最初に紹介されているのがサイポフさんだ。

要旨:
キルギスタン南部最大の都市、Oshは、ウズベキスタンとの国境に近い。その都市の郊外で、私とアリシェ・サイポフは夕食をともにしながら話をした。彼はすらりとした体躯の若者で、地域新聞の編集長であり、ニュースサイトのFerghana.ruに頻繁に寄稿している。

彼の顔にはまだひどく殴られた跡が生々しく残っている。6週間前、彼はこれで入院するはめになったのだ。左目の周囲に傷があり、頬骨を骨折したが、それは暴力と脅迫が法の支配をしのいでいる国で、歯に衣着せぬ報道を行なったことの代償だ。

しかしそのことで彼がひるんでいる様子はない。ジャーナリストのすべきこととは、人々に希望を与えることであり、恐怖に屈することではない、と彼は言う。弾圧者が栄えるのは、一般大衆が恐怖にすくみあがってどのような手段を講じようとも何も問われないときだ。しかしジャーナリストは恐怖を植え付けようとする者たちに挑み、彼らの闇を暴くことによって、人々を強くする。権力を握っている者たちに説明責任を負わすことが、ジャーナリストのつとめだ――と彼は言う。そしてここでは、他の多くの国と同じように、それはリスクの高い仕事なのだ、と。

サイポフの身に何が起きたのかを聞き、キルギスタンのデモクラシーの問題についての話を聞いて、私はなぜこの人が「テロリスト」とレッテルを貼られているのだろうと思った。彼は報道の自由を真摯にとらえて活動しているし、デモクラシーに本気で取り組んでいるというのに。

彼の話では、中央アジアのデモクラシーを阻害しているのは、部族の義務や、そのために起こる縁故主義やら汚職といったものなのだそうだ。役人や政治家は、自分たち一族の面倒を見るよう強い圧力にさらされる。市民社会は段々と発展してきているが、伝統的な部族政治が民主化の障害となっている。

サイポフはまた、民族間の関係、特にキルギス人とウズベク人の関係が緊張したままであるとも言う。相互の間での結婚はほとんどなく、1990年の流血の記憶もまだ生々しい。

サイプフは実は、米国政府のある機関のあるリストで「テロリスト」だと名指しされている。その理由についてはわからないと彼はいう。他の人たちによると、彼が最近ウズベキスタン・イスラム運動のメンバーがイランで難民申請したことについて報じているのが要因かもしれないという。中央アジアにイスラム国家をという主張をしているイスラム主義集団についての報道もまた、マッカーシズムを思わせる最近の風潮では、テロリストの「賛同者」と見なされるというカフカ的不条理をもたらしているのかもしれない。

皮肉なことに、サイポフは別の米国政府機関からは、外国の有望な若者を米国に留学させるというプログラムに誘われている。

このようなことになっているが、サイポフはアメリカには好意的で、キルギスの米空軍基地については維持を望んでいる。キルギス政府が賃料を引き上げようとしていることについては、典型的なバザール取引みたいなものだと軽くあしらう。

サイポフがもっと心配しているのは、旧ソ連の国々に対し、ロシアの影響力が再び強まることだ。ロシアもまたそれらの国々に空軍基地を置いている。そしてまた、中国の経済進出がますます盛んになっていることも。

彼のオフィスは2部屋しかないが、そこで彼は複数の作業を同時にこなして精力的に働いている。記事を書き、来客に応対し、当局の手を逃れている人や難民を出迎え、電話インタビューを行ない、ネットで調べものをしている。こんなに忙しくしている人が、テロリズム活動など、できるわけがない。

この記事では、このあと、ドイツ人ジャーナリストでウズベク当局から「テロリスト」認定されているMarcus Bensmannさん――2005年のアンディジャン事件を目撃している――とのインタビュー(ベンスマンさんはこのインタビュー時に出国を準備していた)と、イスラム活動家でHizb-ut-Tahrirメンバーの人とのインタビューが続いている。

また、クレイグ・マレーのブログに出てきたオブザーヴァー掲載の記事(BBC記者Natalia Antelavaによる):
Silenced: my brave friend who stood up to a tyrant
Sunday October 28, 2007
http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,2200568,00.html

最初の方だけ、要旨:
銃弾に倒れる2週間半前、サイポフは私に、「どうも最近有名人になっちゃったなあ」と言った。彼の写真がウズベク国営テレビのニュースに出ていたそうだ。ウズベクのレポートでは、彼は危険人物であり、国家の敵であるという。ウズベクの国家を転覆しようとたくらむテロリストであるとさえ言っているかもしれない。彼の首には1万ドルの賞金がかかっているという噂さえあったほどだ。

「たった1万ドルだなんて、がっかりしちゃうなあ」とニヤニヤしながら彼は言った。「イスラム・カリモフは、何をケチってるんだろう」。

私には笑えなかった。ウズベク大統領の敵だなんて、深刻な事態だ。彼にもそれは十二分にわかっているというのに。

VoAやRFE(Radio Free Europe)での記者活動、またいくつものニュースサイトでの活動で、彼はカリモフの刑務所での拷問について、反体制派に対する暴力的弾圧について、恐怖の空気について、経済崩壊について、飽きることなく書き続けた。民族的にウズベキスタン人で、彼はその短い生涯で、全力をかけて、中央アジアで最も人口が多く、世界で最も強権的な国家のひとつについて、伝え続けたのだ。

ガンマンが3発の銃弾を彼の頭と胸に撃ちこむ2週間前、彼は喜色満面で、彼の発行する新しいウズベク語新聞の最新号を見せてくれた。キルギスタンで発行され、ウズベキスタンに密かに持ち込まれるその新聞は、当局に挑む勇気のある唯一の印刷媒体であった。

最近この新聞の読者数が増えてきている、変化の兆候だと思う、と彼は語っていた。20年におよぶカリモフの圧制からついに人々が目覚めはじめているのだという希望さえ、完全に手放しではないにせよ、抱いていた。12月には大統領選があり、カリモフもまた出馬するけれども、そこで何かが変わるかもしれない、とも。そして新聞よりも彼が喜色満面で語っていたのはただひとつ――3ヶ月になる娘さんのこと。

・・・あまりにやり切れなくないか。26歳で、娘が3ヶ月って。

この記事を書いたBBC記者のナターリアさんは、2005年5月のアンディジャン事件のときに、初めてサイポフさんと会ったのだそうだ。

アンディジャン事件とは、ウズベク東部のアンディジャンという街での抗議行動に治安部隊が発砲し、「数百人」が死亡した事件のこと。犠牲者数は「数百人」というほかははっきりしないが、これは英語のhundredsの直訳でしかなく、日本語では「数千人単位」と表現すべきところだ。当局発表ですら死者187人である。
http://en.wikipedia.org/wiki/May_2005_unrest_in_Uzbekistan

当局はこれを「イスラム過激派の暴動を鎮圧した」と説明していたが、最終的には、「経済状況の悪化が一因となった」と認めている。

この事件で、EUは武器禁輸と査証発給停止という制裁を発動した。上海協力機構(ロシア、中国、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)は「事件はテロリストの暴動鎮圧」と断じた。米国政府は、福田首相も青くなるような曖昧なコメントを出した。なお、事件の2ヶ月ほど後の7月には、米軍のウズベキスタンからの撤退が決定し、それで米国が曖昧な態度を取る必要もなくなったが、そのころにはロシアと米国との間の防衛ミサイル問題がだんだんと目に見えるものになりつつあったように記憶している。

しかし2005年のウズベクで起きたことは、今年8〜9月のビルマで起きたこととそっくりに思われる。

この9月末に、ビルマで大変なことが起きて、大変不幸なことに10人(当局発表)〜100人以上(国連の報告)、あるいはそれ以上の人々が殺され、殺された人の中にはひとりの日本人がいて、そのことで日本では事件後1週間くらいはかなり大きく報じられていた。その後、ビルマからの情報はほとんど外に出なくなり(ネット遮断、当局の脅迫、活動家の逮捕、など)、当局発表の「事態は沈静化」みたいな話が少し伝えられるだけになった。あとはアウンサンスーチーさん関連。国連の特使が会見とか、軍政との話し合いの可能性とか。最近2週間くらいは、ぼちぼちと、西洋のメディアの記者がラングーンやマンダレーから「現在」を伝えている。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Burma/

写真だけでも見るべき@IHT(たぶんNYTの記事):
http://www.iht.com/articles/2007/10/20/asia/21myanmar.php
あの立派なパゴダの参道にあたるところに、当局が張り出した「反体制派」の写真がある。記事によると、これは「手配者のポスター」ではなく、「デモに関わった連中はこうなった」ということを示す目的で掲示されているもので、中には殴打の跡も生々しい人もいる。

そういえば、ビルマにはアウンサンスーチーさんという(西側で)高名な人がいるが、ウズベキスタンにはいない。旧ソ連なのだから仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。でも、西側で知られている「民主化のシンボル」がいないことも、ウズベキスタンについて「語られること」の少なさに、大きく影響している。(そういう人がいたとしても、単に殺されて終わりになる可能性もなくはないが――アンナ・ポリトコフスカヤのように。)

しかし、クレイグ・マレーが英国大使を解任された経緯なども見ると、ウズベクについての話は複雑だ。アフガン戦争、イラク戦争において「連合軍」側の重要な拠点となったウズベキスタンは旧ソ連で、ロシアとの関係があり、ロシアは英米には反対していた。だから英米はウズベクのご機嫌を取っておきたい。少なくとも怒らせたくない。関係をこじらせないことが最優先された。そして、「カリモフによる人権侵害」は、「サダム・フセインによる人権侵害」や「スロボダン・ミロシェヴィッチによる人権侵害」を口実に戦闘機と爆弾を送り込んだ英米からは無視され、「カリモフによる人権侵害」を報告する英国大使は、ありもしない嫌疑・スキャンダルをいくつもでっち上げられて強引に解任された。

それからほんの数年の間に、ウズベクを取り巻く政治的状況はかなり変化し、私には何が何やら全然わからなくて、下手すると過度の単純化をしていることに気付かずに単純化して理解してしまいそうなのでここでストップ。

取材とまとめが確実なソースということで、グロセキュさん:
http://www.globalsecurity.org/military/world/war/uzbekistan.htm

【追記】
ウズベキスタンのカリモフ大統領について、「軍事板常見問題&良レス回収機構」さんのページ:
http://mltr.free100.tv/faq20.html#02596

カリモフという人についての英文の情報はいろいろと「色」がありそうな感じはするのですが、とりあえず「色」を取り除いて見えることを、ものすごく乱暴にまとめると、「体制に“楯突く”のは『テロリスト』だ」という、非常に間違った「定義」をふりかざしているワンマン大統領 with クランと取り巻き一同、という感じのようです。(この「定義」は、米国の右翼の、「ブッシュ政権を批判することは『反米 anti-American』だ」というめちゃくちゃな見方ないし定義の運用よりも、さらにひどい。)



続報@29日付け、ロイター:
Kyrgyz official points at Uzbekistan over murder
Mon Oct 29, 2007 8:20am EDT
http://www.reuters.com/article/latestCrisis/idUSL29232621
"It's most likely that the footsteps are coming from Uzbekistan," said Tursunbai Bakir uulu, Kyrgyzstan's ombudsman.

Relations between Uzbekistan and Kyrgyzstan have long been tense, boiling over into open conflict in the 1990s when hundreds of people died in fighting between Uzbeks and Kyrgyz.

Uzbek officials were not available for comment. The Uzbek embassy in Bishkek also declined to comment.

...

Kyrgyzstan, which hosts a U.S. and a Russian military airbase, is seen as a relatively liberal country. Uzbekistan, by contrast, is criticised in the West for cracking down on freedom of speech and tolerating little dissent.

Bakyt Seyitov, a Kyrgyz Interior Ministry spokesman, said police were working closely with Uzbek security services to investigate the murder. "We are conducting joint operations in the south," he said. "We are sharing information."

※この記事は

2007年10月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:36 | Comment(3) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 カリモフ政権基礎知識
http://mltr.free100.tv/faq20.html#Uzbek

 ところで,拙作サイトの准トップ・ページ
http://mltr.free100.tv/index02.html
に「意見広告」扱いで「カメラ返せや!ゴルァ!」画像を貼らせていただきました.

 本来なら広告料1億円をいただくところですが,大まけにまけて1円にしておきます(ブラックジャック式値引き)
Posted by 笑う所沢のせえるすまん at 2007年10月30日 20:34
>所沢さん
おお、ありがとうございます。本文に追記させていただきます。(「カリモフ」で検索すると「カリカリモフモフのメロンパン」の評が出てきて、気が抜けます。)

> 「意見広告」扱いで「カメラ返せや!ゴルァ!」画像を貼らせていただきました.

こちらもありがとうございます。サイポフさんのコンピュータも長井さんのカメラと同じことですよね、たぶん。

> 大まけにまけて1円にしておきます

円天は使えますか?(<もちろん冗談です。逆セールスとかしないのでご安心を。)
Posted by nofrills at 2007年10月30日 22:44
11月3日付け、BBCの「特派員から」が、ウズベキスタン特派員のNatalia Antelavaさんのレポートです。もちろん、サイポフさん(ウズベキスタンの隣国キルギスタンのウズベク人で、キルギスにいるぶん「自由」があるからとウズベクについて報道していた)のことが中心です。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7073388.stm
[quote]
I first met Alisher in the aftermath of a bloody crackdown in the Uzbek city of Andijan in 2005, where government troops opened fire on demonstrators, killing hundreds of civilians.

Hundreds more fled across the border, into southern Kyrgyzstan.

Alisher's investigations revealed that the Uzbek security services were kidnapping some of these refugees and taking them back to Uzbek jails.

He was the first person to warn that Mr Karimov's hand had stretched far beyond his country's borders.
[/quote]

また、BBCのようなワールドワイドな報道機関にとって、「地元のジャーナリスト」がいかに欠かせない存在であるか、なども。
Posted by nofrills at 2007年11月05日 22:07

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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