「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2007年10月27日

映画『大統領暗殺』の「ことば」

USA PATRIOT III, introduced in the days after the assassination, has since been turned into permanent law.

暗殺の数日後に整備された第三愛国者法は、その後、恒久法となった。

http://imdb.com/title/tt0853096/quotes

CBSの60 Minutesのインタビューで見たカール・ローヴの目と同じような目をしてしゃべる人が出てきた。こわいよ。

金曜日、出かけたついでにすぐに行けるところにある映画館で最終日だったのでこりゃいかん、急がねばと見てきた映画『大統領暗殺』。
http://www.20071019.jp/ (日本語公式サイト)
http://imdb.com/title/tt0853096/
http://www.deathofapresident.com/ (US公式サイト)
※よく調べたら、まだ上映中の映画館もあります。詳細は日本語公式サイト参照。

US版予告編:


2007年10月19日、シカゴで財界人らを前に演説を行なったジョージ・ブッシュ大統領が、何者かに狙撃され、医師団の努力の甲斐なく落命。臨時で大統領となったディック・チェイニーのもとで、合衆国の総力をあげた捜査が開始される。そして明らかになる「事件の真相」は・・・というフィクション。

けっこう密度の濃い映画でした。「ストーリー」は基本的には謎解きというか真相解明もので、それは正直あまりおもしろくはなく、一番おもしろかったのは、「ことば/言語」。「ブッシュ大統領」を語ることば、「危機」を語ることば、「危険/脅威」を語ることば、「外国人」を語ることば、などなど。まあ、出てくることばはどれもこれも、予想通りというか、特に驚きのない「当たり前」のものなのですが、それらが「当たり前」のものであるという現実はどういうものなのだろうということに、外国語としての英語に接している身としては興味を覚えるし、それらのうちのどれだけが「根拠のないもの」だったり「みんなをまとめて士気を鼓舞するためのもの」だったり「『私の印象』を表すもの」だったりするのか、また「仕事のノルマについてのグチ」だったりするのか、そしてそれらのどれだけが「真実」として扱われているのか、また「真実を語るもの」として喧伝されていくのか、そういうところがやたらとリアル。

あと、劇中で「ニュースで流された映像」を採録したことになっている場面が、実際に「ニュース」の映像そっくりなのだけど、基本的に非常に「エンターテイメント」的で、そのことにちょっとぞっとしたり。

この映画については特に興味を持ったこともなく、事前に何も調べていなかったので、英国人が作った映画だということも私は知らなかったし(ポスターを最初に見たときに「こんなのを作るのは英国人だろう」と根拠なく思ったことは事実ですが)、最初にFilm Fourの「炎上する消防車」が出てきたところで変なツボにはまり、映画本体のオープニング前の「この映画はフィクションです」の長たらしい説明のところで「関係者の同意を得ているわけではありません」というのが出てきてまたツボにはまり、って感じ。

で、映画はマイケル・ウィンターボトムの『グアンタナモ』のような「ドキュドラマ」(本物のインタビュー+役者が演じるドラマ)ならぬ「ニセのドキュメンタリー (mocudrama)」、それも「エイプリル・フール」の冗談を意図したとかいうものでもない(BBCの「スパゲッティの収穫」とか、どこやらの「アポロは実は」とかとは違う)し、ましてや「スパイナル・タップ」的な何かではないし、諷刺を意図しているのかというとそういうふうでもなく、何というのかな、不気味にリアル。「これはありがち!」というか、「これはニュースで知っている映像/ことばだ!」という感じで。

例えば、「とりあえず、現場付近にいた怪しい者は全員しょっぴいて尋問」というのとか、膨大なリストから「とりあえず『イスラム』っぽい名前をピックアップ」というのとか、「事態をファーストハンドで知る関係者がインタビューで語る」という形式で説明されているので、居心地が悪くなるくらい不気味。

あと、大統領のスピーチライター(補佐官)が、インタビューが進むにつれて徐々に、「ファンダメンタリスト(根本主義者)」であることがわかってくるところとか、不気味(ほぼ完全にことばに依存している描写。映像的には目の輝きが不気味でしたけど))。あんまり不気味だから、「フィクションだなあ」と実感する、というねじくれた感覚を味わえました。でも実際には「事実は小説より奇なり」というのが9-11以後の実感だったり。微妙。

特に、最初の方で、「当日、大統領に抗議するデモが行なわれたが、それは激しいものだった」という説明的描写のところでの、大統領側のスタッフの言葉――「あんなことになったから言うのだけれども」が言外の前提である言葉――で、real hatredというのがやけに印象に残っている。私は英語は母語ではない(さらに正確にいえば「彼らの言語」を知らない)から、hatredという言葉とあの映像が結びつくのかつかないのかはっきりとはわからないし、その結びつきの程度もわからないのだけれども(「結びつき」というのは、例えば日本語で「ほかほかの」と言えばお茶碗によそったご飯とか、肉まん・あんまんを連想するようなもの)、あれがhatredに見えることを意図した映像であるとしたら、誰にとってそう見えることを意図していたのだろう。観客はあれをhatredだと見ることを期待されていたんだろうか。

そうではない、と私は感じた。あれは、「彼ら」(ブッシュ政権の人たち)が、あのようなデモを、hatredだと感じている、ということを示したかったのではなかろうか。んー、でもこれは見る人ひとりひとりで違って見える点だろうなあ。

映画の中で「イメージ」として示された鋲ジャンにスパイキーヘアとか、黒いアイラインに顔面ピアスといった「アナーキズム」の「記号」は――単にPunkにしか見えないのだが、私には――どういうふうに解釈されているんだろう。それと、「イラクで何人殺したんだ」といったようなプラカード、etc, etc, あれはhatredのことばなのだろうか。

(検索エンジンでhatredで画像検索して出てくる画像を眺めながら――しかしデスメタルやブラックメタル関連が多いよ――、頭の中では、映画『イージーライダー』でキャプテン・アメリカとビリーに同行したいいとこのぼんぼんの弁護士が撲殺されたこととか、ラストシーンの一本道での出来事とかいったものをhatredとして連想している。)

まあ、「シカゴのデモ隊」がやってた「星条旗を燃やす」というのはhatredを象徴として示すための行為だから、その映像でhatredを感じるのは当たり前だけれども、鼓笛隊みたいにプラスチック製のドラム缶みたいのを叩いて飛び跳ねているのとか、ねえ、どうよ。目から下の部分をスカーフで覆っているのは?

という光景をスクリーンの中に見ながら、9月末のビルマからの映像を重ねて「違い」を思ったり。

あと、事件発生後、捜査を行なうことになったFBIの人(名前がアイリッシュでこれもツボ)、現場でのシーンでの服装がコロンボみたいだったりして、それを「コロンボみたい」と思っている私も相当刷り込まれているなあ、という気がしたりする。

というように、観客の持っている「イメージ」を問いただしながら、映画は進んでいく。平凡な、あまりにありがちな「ことば」にとともに。

大勢逮捕された中で、第一容疑者としてマークされ、最終的に起訴されたのは、問題のビルの防犯カメラの映像に姿が残っていた『イスラム』の男。大統領の死亡が確認された夜中に警察が彼を逮捕し、調べていくうちにいろいろと「明らかになる」のだが、それが「明らかになる」過程を報じる「メディア」の描かれ方がまた不気味にリアルだ。テレビのニュース番組でコメントをする「中東訛りの英語を話し、中東の風貌をし、中東の名前をした『専門家』」(ステレオタイプの使い方がこわい)とか。

そしてそのニュース番組を見ている人は、レバノンあたりのめちゃくちゃ複雑な状況というのはまったく把握していないかもしれない、という現実。(ハリリ首相暗殺事件が出てきます。しかしハリリ暗殺ってアメリカではどうとらえられていたのだろう?ということを私はまったく知らない。BBCでしか見ていないから。)

ただ、本当の2007年10月には、「アメリカ合衆国の敵」として名指しされている「国」、ディック・チェイニーが鼻息を荒くしている相手は、S国ではなくI国である。そしてI国に対する「メディア・キャンペーン」は、まさに現在進行形で行なわれている。

そしてさらに、まさに今このとき、別のI国に存在する武装勢力に対するT国の「メディア・キャンペーン」も進行中で、それもまた同様のものだろう。私はT国の言語を理解しないのでT国のニュースは見てもわからないから確認することもできないのだが、BBCなどで見る限り、そういう感じになっているのだと考えている。そして、何年か前の日本での北朝鮮報道を思い起こしてみたり。

っていうか北朝鮮もちょっと出てきたな。あの国営放送の「話すときは腹から声を出す!」という感じの女性アナウンサーの声が使われていた。それより、あれは「キムジョンイル」であって「キムイルソン」ではないぞ、とツッコミを入れていたが(大統領補佐官はかの将軍様のことを「キムイルソン」として言及していた。「どっちでもいい」と思っているということを描くために意図的にそうしたのか、あるいは単に脚本のミスか、わからないけれど。)

映画の中では、第一容疑者の妻がアラビア語で「インタビュー」に答えているが、それ以外はすべてアメリカ英語。

そして、登場人物たちの多くが、「アメリカ英語」で描かれる世界しか知らなさそうな雰囲気。





この映画、Death of a President(ある大統領の死)は、元々は『ブッシュ暗殺』という邦題が発表されていたものが、映倫の審査を通らず、『大統領暗殺』という邦題に変更されたそうだ。
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/release/2007/06/1990/
当初『ブッシュ暗殺』という邦題が発表されていた本作。しかし、その邦題とポスター・ビジュアル(写真・右)が映倫で“審査不可能”とされてしまった。映倫によると「あらゆる国の主権を尊重し、元首、国旗、国家及び民族的習慣の取り扱いには注意する」という条項に抵触すると判断したとのこと。配給会社のプレシディオでは、1982年に公開された『食人大統領アミン』(原題:『Amin:The Rise and Fall』)を例にあげ、『ブッシュ暗殺』という邦題での審査通過を交渉したが、却下されたという。

……

映倫の審査が通らないと劇場での公開はかなり難しい。ほぼ全ての映画館で上映を拒否されてしまうからだ。プレシディオでは、邦題を『大統領暗殺』に変更し、ポスタービジュアルでもブッシュだと認識できないようにしたという(写真・左)。

確かに、『食人大統領アミン』(原題:Rise and Fall of Idi Amin)はどうよ、という話だが (^^;)、私は『大統領暗殺』という邦題でよかったと思う。まず、原題により近いものであること、そして、「(アメリカ合衆国の)大統領」という存在を「ジョージ・ウォーカー・ブッシュ」というある意味カリスマティックな個人に還元せずに提示できること。

ちなみに、上のURL(cinemacafe.net)によると:
全米では昨年の10月27日に公開。500館以上の劇場で公開される予定だったが、某圧力により91館という限定された劇場での公開を余儀なくされてしまった。今年3月に公開されたイタリアでも、予定されていた劇場のうち30%が上映を辞退するなど、世界各国で物議をかもしている。

「某圧力」という表現方法には苦笑せざるを得ないけれども、トークレディオとかが上映阻止の方向でキャンペーンを張ったみたいですね(→2006年のトロント国際映画祭でプレミア上映されたときのUSA Todayの記事映画館の上映拒否を報じるガーディアン記事:マイケル・ムーアの映画であったことと似ている)。

ワトソン博士の問題発言後の講演会・サイン会など中止の件を「言論の自由に反する」と騒いでいた人たちは、この映画の「上映阻止運動」をどう見るのかなあ。Gabriel Rangeさんにはそういうのも制作していただきたい。

って、IMDBのページを見ていたら、メッセージ・ボードの投稿の見出し一覧のところに、「この映画をレンタルしたらブラックリスト入りしちゃいますか?」という投稿が。
http://imdb.com/title/tt0853096/#comment

この映画でGabriel Range監督ら制作者が俎上に載せたのが、まさにこういう「恐怖」という戦術が政治によっていかに利用されているかで、最終的には例の「愛国法 Patriot Act」がどうなっていくかということを描いている――誤った裁判の再審請求をペンディングにした状態で。

で、この映画の制作者の拠点である英国では、「政治的暴力(テロリズム)」に関して、「誤った裁判」とか「めちゃくちゃな証拠」とかいったものは実在している。今まさに1998年のオマー爆弾での裁判がそういう状況らしいのだが(「らしい」ということしかわからない)、1974年のギルフォード爆弾事件での「容疑者」たち(the Guildford Four)については、1993年、IRAやUDAの停戦の数ヶ月前に公開された映画、『父の祈りを』がある(アイルランドのジム・シェリダン監督)。日本ではDVDが1,000円を切る価格で出ている。

B000NJMLE6父の祈りを
ダニエル・デイ=ルイス エマ・トンプソン ピート・ポスルスウェイト
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン 2007-05-10

by G-Tools


それどころか、逮捕も起訴も裁判も何もなく、いきなり射殺されてしまった「容疑者に似た男」も英国には実在している。今のところその最後のひとりになっているのが2005年7月の地下鉄・バス爆破事件の直後に計画されていた自爆事件の容疑者と誤認されたために地下鉄車両内で押さえ込まれ射殺されたブラジル人の電気技師、デメネゼスさんだ。1999年にはハックニーで椅子の脚を運んでいたところを「ライフルを運んでいる」と誤認されてハリー・スタンレーさんがその場で射殺されている。北アイルランドに行けば「誤認して射殺」は何件あるだろう。

ただ、これらの「誤認して射殺」と、ギルフォード事件のような「冤罪」との決定的な違いは、ギルフォード事件のようなmiscarriage of justiceは、法に基づいた逮捕・起訴(対テロ法)と陪審制裁判で何が起こりうるか、ということを示している点にある。(どちらのほうがひどい、とかいう話ではないが。)

『大統領暗殺』で「第一容疑者起訴を実現させた唯一の信頼できる証拠」がいかなるものであったか、それを語る現場の人(FBI鑑識のDr. James Pearn)がなぜこの「ドキュメンタリー」でインタビューに応じているのか、そこらへんのことが、見終わって1日経って、なんかもやもやと頭に漂っている。

監督兼プロデューサーのロング・インタビュー:
http://movies.ign.com/articles/741/741764p1.html

なお、英国ではこの映画は、2006年10月にデジタルテレビで放送され、その後地上波でも放送されている。(いずれもChannel Four。)
http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,1862190,00.html

あと、マードックのBSkyBがこの映画を放送してるんですね。
http://www.guardian.co.uk/media/2006/oct/22/newscorporation.pressandpublishing



どーーでもいいんだけど、この映画についてのIMDBのページで「この映画を好きな人へのお勧めをデータベースから」のところに、こんな作品が上がっている。

The War Against Terror: The Musical (2004)
http://imdb.com/title/tt0427548/

題名を見ただけで「こういうのを作るのは英……」と断定したあなた、正しいです。映画の脚本家自身がIMDBに投稿したあらすじは:
'Mobilising the Troupes' charts the making of a new West End musical entitled 'The War Against Terror: The Musical'. The all-singing, all-dancing show has been put together by American theatre producer, Michael Panton, assisted by the musical's British director, Vadim Flanders. Together the pair prepare to unleash their production on an unsuspecting public. The show's lead actor is Raymond Burchill, a classically trained and celebrated Shakespearian actor, who is having trouble understanding the subtleties and nuances of his character, cast as he is in the role of President George W. Bush. With its combination of singing, dancing and good old xenophobia, how will the British public cope with 'The War Against Terror: The Musical'?

つい先日、ロンドンのウエストエンドでのある催しについて、No, it wasn't the opening of Sinn Fein - The Musical. という記述を見たところだ。これか!
http://nofrills.seesaa.net/article/56650428.html

※でも『大統領暗殺』で側近たちの証言で描かれる「ジョージ・ブッシュ」は、自分が「世間」からそういうふうに扱われているということをよく知っていて、それを自分の「チャームポイント」にしてしまっているという狡猾さを持った人物だ。側近たちが微笑みながら「彼の魅力」について語れば語るほど、「人物 personality」で政治リーダーを選ぶということの怖さが透けて見えてきたりしたのだが。
タグ:映画

※この記事は

2007年10月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私がこの映画を東京で見てからちょうど1年後の2008年10月26日、米軍がシリアに越境攻撃を行ないました。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7692153.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/27/syria-helicopter-attack

米国からの公式なステートメントがなかなか出ません。出たらエントリ立てると思います。

エントリ本文には書いていないのですが、映画『大統領暗殺』で「アメリカの敵」とされていた「S国」は、シリアです。
Posted by nofrills at 2008年10月28日 00:39

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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