「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月30日

長井健司さん、ご遺体を確認。しかしあのカメラはどこだ。

nagai's cameraAPFの山路さんが長井健司さんのご遺体を確認されたとのこと。現地の検視医によると、弾丸は背中から入って胸に貫通しているとのこと。つまり背後から撃たれたということになる(映像で見た通りだ)。改めて、合掌。2003年4月9日のバグダードからの、あの奇妙な昂揚感の漂うレポートや、ガザの海岸で一家がミサイルで吹き飛ばされたあとの、ただひとり生き残った女の子のあの目を、私は忘れない。

一方で、日本大使館で山路さんが確認したご遺品のなかに、殴り倒されて撃たれたときに手にしていたカメラがない、との報道が出てきている。


時事通信:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070930-00000079-jij-soci
取材カメラ、没収か=長井さんの遺留品を確認−現地入りのAPF社長
9月30日19時0分配信 時事通信

 ミャンマーで治安部隊の銃撃を受け、死亡したジャーナリスト長井健司さん(50)が撮影していたビデオカメラが、警察側から返却されていないことが30日、分かった。長井さんが契約していたニュースプロダクション「APF通信社」(東京)の山路徹社長が同日、現地で遺留品をチェックした後、同社に報告した。

 警察当局が没収した可能性が高く、山路社長はカメラの返却を求めるとともに、遺体の搬送準備を進める。……


毎日新聞:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070930-00000053-mai-int
<ミャンマー>長井さん所持のビデオカメラ、返却されず
9月30日20時45分配信 毎日新聞

 ……
 同社によると、山路社長が在ミャンマー日本大使館内で警察から返却された遺品を調べたところ、返却されたのは予備として持っていたキヤノン製の1台のみ。銃撃現場で長井さんが手にしていたソニー製のビデオカメラはなかった。

 返却されたカメラに残っていたテープを再生すると、室内をテスト撮影したような映像はあるが、デモの様子などは映っていなかった。同社は「1台しか返って来ないのは明らかにおかしい」と疑問視している。ロイター通信が銃撃直後の様子を配信した写真には、倒れた後も長井さんがビデオカメラを握っている生々しい様子が写っていた。

 長井さんの母道子さん(75)は愛媛県今治市の自宅で「軍の見せたくない姿が映っているからではないか。(死亡から)何日たつか。毎日かわいそうで、早く(遺体を)引き取りたい」と声を詰まらせた。

 ……【町田徳丈、加藤隆寛、土本匡孝】


読売新聞:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070930-00000015-yom-soci
長井さんの遺品、射殺時のビデオカメラなし
9月30日22時19分配信 読売新聞

 【バンコク=田原徳容】ミャンマーで軍事政権による反政府デモ弾圧を取材中の映像ジャーナリスト、長井健司さん(50)が射殺された事件で、軍政が警察を通じて返却した遺品の中に、長井さんが銃撃された際手にしていたビデオカメラが含まれていなかったことが30日、分かった。……

 山路社長は29日夜、ヤンゴン総合病院で長井さんの遺体を確認。長井さんの両親に電話で報告し、警察から受け取った遺品などを大使館に預けた。同通信社などによると、山路社長が30日、大使館で遺品やホテルの荷物などを点検したところ、ビデオカメラは予備機1台しか見つからなかった。また、ビデオテープには、長井さんが撃たれた直近の映像らしきものは確認されなかったという。


というわけで、私はこのニュースを聞いたときに「やっぱりな」と思いつつ「かえしやがれこのやろう」という気持ちになったのだが(flickrではI am very angry. と書いたが、それどころではない、pissed offを最上級にするために4文字語をつけても足らない)、その勢いでこういう画像を作ってみた。flickrでイタリア人が何人も、ダンテの言葉を引いて画像を作っているのを見ていたので、反射的に似たようなことをやろうと思ったのだろう。

以下、コピーライトとかは一切主張しませんので、使いたい方は勝手に使ってください(右クリック→「名前をつけて保存」などでお持ち帰りください)。FlickrではCCしか選択できないのですが、私の意志としてはCCというよりむしろ、クレジット不要。

500×375サイズ:
Give Us Back This Camera
# 1箇所、アホなタイプミスがあります。ほんとはAじゃなくてaだっての、という箇所が。

300×225サイズ:
Give Us Back This Camera (small)

縦長:
Give Us Back This Camera (long)

まったく、なかなか行けないような場所に行って日本語でいろんなことをうちらに伝えてくれるジャーナリストを殺しただけではまだ足らないとでもいうのだろうか。カメラを返せ。



追記:
この件についてのアップデート(メモ)はflickrのページで行なっています(日本語&英語)。バナーのリンク先がほしいという方はこちらにお願いします。
http://flickr.com/photos/nofrills/1462104357/

それと、今日のAFP BBの記事:


AFP BBの「特集」ページ。
http://www.afpbb.com/middle/253
インドでの動きのことも報じられています(映像、日本語字幕つき)。
http://www.afpbb.com/article/politics/2291745/2199419


※この記事は

2007年09月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:52 | Comment(4) | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。mixiの日記にて紹介させていただきました。
有難うございました。
Posted by jagatara at 2007年10月01日 16:39
>jagataraさん
ご報告ありがとうございます。

ニュースによると、現地警察は「長井さんの所持品はすべて渡した。残されているものはない」としているそうですね。日本国政府が返却を求めているそうですが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071001-00000909-san-pol
Posted by nofrills at 2007年10月01日 21:17
こんにちわ。バナー使わせていただきました。
10月4日には国内外で色々とイベントがあるようですね。
http://d.hatena.ne.jp/we_are/20071001/1191180536
http://www.secondtimes.net/news/world/20071001_burma.html
http://www.asahi.com/special/070928/TKY200710010049.html
Posted by aoiume at 2007年10月01日 23:46
>aoiumeさん
はじめまして。トラバ&リンクをありがとうございます。なんか頭に来すぎているので、コメントがそっけなくてすみません。>all

FreeBurma.orgは「10月4日はブログの記事の更新をストップし、画像を貼るだけにしよう」という内容で、私もflickrで誘われたのですが、やるとすればこのブログではやらずにflickrのほうでやろうかなと思っています。
http://www2.free-burma.org/index.php

※彼らのflickr groupのpool、「ここから画像を選んでください」ということになっているわりには、all rights reservedで投稿している人が多くて、そのへんがどうなのかは私にはわかりません。ご質問などおありの方は、彼らにお問い合わせください。
Posted by nofrills at 2007年10月02日 01:19

この記事へのトラックバック

[ビルマ動乱]長井さんのカメラを探せ!
Excerpt: http://www.asahi.com/special/070928/TKY200709300137.html すんなり当局が返すとは思わなかったが、案の定、射殺された時までその手に持っていたビデ..
Weblog: 青梅日記 aoiume diary
Tracked: 2007-10-01 22:38

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼