kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月26日

英下院、女子高生議員候補はトニー・ベンの孫娘

英国では労働党の党大会開催中とのことで関連ニュースが多く出ている。ブラウンが「早期解散総選挙の可能性」を否定しなかったとか、デイヴィッド・ミリバンドが「あと10年労働党政権で」とインタビューで語ったとか、その同じミリバンドが英国の外交政策の転換を明示する演説を行なったとか(演説全文、ものすごく壮大なことを言ってるように読めるが)。

ニューヨークでは国連総会出席のため訪米したイランのアフマディネジャド大統領が大学に招かれて講演した際に、イランの同性愛者の状況を質問されて、「あなたがたのお国とは違って、イランには同性愛者はいません。イランではそういう現象はないのです。イランの同性愛者なんて、誰からお聞きになったのですか」と答えた(これは本気で怖い兆候だ)件が特に物議をかもしているが、一方でイスラエルのハアレツの記者が「アフマディネジャド訪米で負けたのはイスラエルだ」と書いているくらい巧みな演説であったとか。

こういう「大きな」ニュースと同時に、英国では「(早期解散総選挙になれば)18歳の国会議員が誕生するかも」というニュースがある。

Benn's granddaughter runs for MP
Last Updated: Tuesday, 25 September 2007, 10:32 GMT 11:32 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/7011922.stm

ウエスト・サセックスのEast Worthing and Shoreham選挙区の労働党候補者として、17歳の高校生(A-level student)、エミリ・ベンさん(Emily Benn)が選ばれた。彼女は来月18歳になるが、英国では(orイングランドでは:そこまで調べていません)被選挙権の年齢が21歳から18歳に引き下げられており、もしも彼女が当選すれば史上最年少の国会議員が誕生することになる。

といってもこの選挙区は保守党の地盤で(2005年総選挙で選出されたのは1962年生まれのTim Loughton議員)、労働党はあまり本気で取りに行かないのかもしれない。

で、この女子高生議員候補のエミリさん、名字を見れば「ああ」と思われるかもしれないが、おじいさんはあのトニー・ベン、お父さんは地方政治の経験者で、the Royal Society of Chemistryの政治問題部門の部長、おじさん(お父さんの弟)はヒラリー・ベン(ブレア政権で国際開発大臣、現在は環境大臣)で、エミリさんが議員になれば「5世代続けて議員」ということになる。彼女が労働党に入ったのは14歳のときだそうだ。

BBC記事によると、エミリさんはこの選挙区の労働党の候補者がいないことに気付いて、「どういうことになるかと思いつつ」地域の労働党事務所に履歴書を送った。最終的に決定するまでにいくつもの段階があったそうだが、「ベンという名前のために私を候補者として選ぶっていうのは、ふつうありえないと思う」(つまり、名前ではなく中身で候補者として選ばれたのだ)ということを述べている。

また、ダウニング・ストリートで何週間も仕事をしたことがあり(学生の職場体験プログラムか何かかなあ)、国会の毎週の議事録は読んでいて、家族や同僚と話をしてかなり詳しく知っているという。

「5代続けて議員」という家だけに、エミリさんの最初の選挙運動体験は2歳のとき(本人に記憶があるかどうかはBBC記事には書かれていないが、ないだろう)。つまり物心がつかないうちからおじいさんとかおじさんが選挙と政治だったわけだが、その点について「もううんざり」ということはなかったのかと質問されて、エミリさんは「全然」と答えている。そして:
"Ever since I have been campaigning, I have absolutely loved every minute of it and, to be honest, it is all I have ever really wanted to do."

どんだけ選挙好きなのだろう……。むしろ、自分の周りにそれが常にあるという環境だと、こういうふうに思えることもあるものなのかな。

そんな彼女の最初のステートメントはこちら:
http://www.ewaslabour.org.uk/ee/candidate/first-statement.html
...

There are real issues for which we need to raise awareness, and focus on, both in the UK and internationally.

In the UK we need increased support for children and parents, greater levels of protection and support for part-time workers, co-ordinated ways to counter the rise in youth criminality and measures to ensure dignity in old age.

Internationally we need to focus on the great humanitarian crises of the Developing World, such as the Darfur tragedy and the scourge of HIV/Aids.

...

ここではスケールの大きな話をしている彼女だが、「政治家一家の恵まれたお嬢さんの発言だろう」と思われた方は、彼女のブログを読んでみるとおもしろいかもしれない。パーマリンクがないのでトップページにしかリンクできないのだが、09/07 at 04:18 PMのエントリ:
http://ewaslabour.org.uk/ee/index.php/site/candidate-blog/
※文中、リンクは引用者が付け加えた。
Let me use my area as an example. I live in South Norwood, and area of South London between Croydon and Brixton. One of the most deprived areas of London, it has a high proportion of children living in poverty, with English as a second language the norm in a huge number of homes.

When I left my local primary school, I left with my classmates getting very good SATs results, and looking forward to getting good GCSE results in 5 years time. But something went wrong along the way.

I went off to a girl's school some distance away, while the others mostly went to the local comprehensive. While this is a fast-improving school under an inspirational Head, last year over 40% of pupils still left without 5 GCSEs. What prospects do these students have? The sixth-form provision in Croydon is shocking, with under-performing colleges or religious schools the only options.

I see them now hanging around the local parks, greens and alleyways. Most are in gangs, many are carrying knives and guns. Once they left after year 11 most have drifted for a year, with no further training or jobs. Once out of the system, it's much harder to get back into training or education, and as I've said the options are severely limited around here. As a result, youth crime is a serious problem around this area, as is the supply and use of illegal drugs.

The school did not do enough to motivate and support those students. In having to deal with such a wide range of problems with children from deprived areas, focus was taken away from pushing thosemore academic students. The culture of schools like this has to change to recognise that it is so important to support those children who have the talent to succeed. And as more do well, it gives a fantastic example to other students that they can also achieve.

Of course there are success stories, but these are expectations rather than the norm. And most of them have succeeded despite the school, rather than with it. I was lucky in having parental support throughout my exams and school career. But not every child gets that structure at home, and thus the school has to provide it, or we will continue to see this waste of potential.

I don't have the answers; it's a complicated issue with differing opinions. Regardless however, something has to be done to help motivate the thousands of young people who need help the most. ...

相当厳しい地域で小学校から中学、高校と進んだ彼女は、実際に学友たちのいくらかが「ナイフを持ったティーンエイジャーのギャング」になるのを見てきた。良家のお子さんで特別の学校に通っていた、というわけではない彼女は、次の選挙では無理かもしれないけれども、将来的にその経験に基づいた何かを、政治の世界でしていくかもしれない。

たまにはこういう、ある意味無責任に「がんばれ」というニュース記事もいいもんだ。

エミリさんのおじいさんのトニー・ベンことAnthony Neil Wedgwood Bennは1951年から2001年まで英国下院議員をつとめたベテラン政治家で、ブレアのニュー・レイバーを厳しく批判している。ウィルソン内閣、キャラハン内閣で閣僚の経験もある。

トニーのおじいさんは2人とも自由党の政治家、お父さんのウィリアムも自由党(のちに労働党に移った)の国会議員で、60歳を過ぎて第二次大戦で空軍に志願しパイロットとなり(トニー・ベンも従軍している)、後に空軍省のパブリック・リレーションズのディレクターをつとめ、1st Viscount Stansgateとして上院議員となった。1945年のアトリー労働党内閣で空軍大臣をつとめている。トニーのお母さんは急進的なフェミニズム運動の活動家で、イングランド国教会と激しくやり合った人だ。(21世紀の今でも議論になることを、1920年代に主張していた。)

ウィリアムにはトニーの上にひとり息子がいたが、その息子が戦死したため、トニーはウィリアムの死後に爵位を継承して2nd Viscountとなったのだが、貴族では下院(庶民院)の議員にはなれないため、議員辞職せざるを得なかった。この不条理に際し、彼は自ら爵位を捨てることを望み、そのための法改正を公約して再度議員となった(1963年)。
 「父が貴族になり、わたしはウェストミンスター校出身だから、わたしのことを進歩的貴族だと考える人もいるだろう。事実は違っている。わたしは四代にわたる強烈な急進派の家系に生まれた。……ルーツはロンドンのイースト・エンドにある。祖父はステップニー・グリーンで説教師をしていた」
 父親と祖父がどちらも、急進派だった点以外に、公職で成功をおさめたことにも注目しておくべきだろう。祖父のサー・J・ウィリアムズ・ベンは準男爵になったし、父親はスタンズゲート子爵になった。
 「反体制的で急進的な家系で育ったことがたぶん一因になって、わたしは禁酒主義者になった」と郵政相は話しつづけ、パイプをくゆらせた。……中略……
 「イースト・エンドでは昔、飲酒が大きな問題だった。祖父は禁酒運動の指導者だった。……中略……
 わたしは禁酒運動を指導しているわけではない。飲まないだけだ。禁酒主義者にもいろいろある」
 たしかにいろいろある。酒を飲む友人たちに聞くと、同氏の家を訪問したら、帰りにはかならず足元がふらつくとこぼしている。客のグラスには、水かなにかのように、アルコールをついでまわるからだ。

――アントニー・ウェジウッド=ベンのインタビュー、山岡洋一訳
インタビュアー/スーザン・バーンズ
「サン」1965年4月
(「スペクテイター」1987年10月号ではじめて公表)

クリストファー・シルヴェスター編、『インタヴューズ』、文藝春秋、1998年、253-254ページ
4163545107インタヴューズ〈2〉スターリンからジョン・レノンまで
クリストファー シルヴェスター Christopher Silvester 新庄 哲夫
文藝春秋 1998-10

by G-Tools

このインタビューは1960年代という時代にあって、インタビューされた本人を当惑させるような代物で(インタビュアーはインタビュイーの知己であったにも関わらず)、一度お蔵入りしたものが20年以上を経過して別の媒体で公表されたのだそうだ。確かにこのインタビュー、通読すると「なんて落ち着きのない人だろう」と思うし「なんて変わった人だろう」とは思うが……。

トニー・ベンは、孫娘の立候補については次のようにコメントしている。
He told the BBC that his granddaughter would not play on her family name: "People vote for you because of what you believe in. Whether you believe their views.

"This idea that politics is all about charisma and spin is rubbish. It is trust that matters."

The left-wing critic of New Labour (=Tony Benn) described Emily as a "very intelligent and serious person" and promised not to "embarrass" her.


なお、英下院などでは最年少議員はBaby of the Houseという愛称で呼ばれるが、第二次大戦後のBabyたちの一覧を見ると、21歳で当選しているのは1969年の選挙でのベルナデット・デヴリン(北アイルランドの公民権活動家)と、1955年のフィリップ・クラーク(シン・フェイン)、いずれも北アイルランドのナショナリストのバックグラウンドの人たちである。偶然なのだろうがおもしろい。また、1981年のハンストの最中に獄中から立候補したボビー・サンズ(27歳)はこの選挙でのBabyになっており、サンズの死後にその議席を獲得したオーウェン・カロンも27歳でBabyになっている。ちなみに、「女子高生議員候補」のエミリ・ベンさんのおじいさんであるトニー・ベンは、1951年に26歳で当選し、やはりBaby。LibDem党首だったチャールズ・ケネディは1983年に23歳で当選してBaby。

あんまり何度もbaby, baby言っていると、頭の中が……。
http://www.youtube.com/watch?v=6ReO6J9NyTo
http://www.youtube.com/watch?v=YqGwtONAT-s

※この記事は

2007年09月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ども。このところ多忙で、ビルマのニュース以外の新聞記事はほとんど読まずに積んであるので、このニュースは知りませんでした。彼女のブログの記事は読みながら胸が熱くなりました。ありがとう。自分の高校時代のことをちょっと思い出したりしました。

少し離れた女子校(セカンダリー)と言うのがどこかはちょっと見当つきかねますが、労働党一家であることを考えるとたぶん公立でしょう。現在の我が家からそう遠くないですが、すごくラフな地域(この半年ぐらいの間にティーンエイジャーが多数、ナイフと拳銃で殺されている)なので、様々なものを見、経験していると思う。ぜひ政治家になって欲しいです。ソーシャリストを自認しながら子どもを私立に通わせている身としては、非常に耳が痛いです。

ところで、トニー・ベンはわたくしの心のアイドルでございまして、一時はおっかけのごとくラリーでの演説に聞き惚れていたものです(とは言え、入れ歯があわないみたいで何を言っているのかわからないときがしばしばある)。4年ほど前に「湾岸戦争の子どもたち」のフォトブックレットを送ったときにくれたサンキューカードは、いまでも宝物。ちなみに、このときは送り先がわからなくてかれの前の選挙区の事務所宛に送ったのですが、サンキューカードには自宅の住所があり、なんと当時わたしが住んでいたフラットの目と鼻の先でした。立地は高級住宅街とは言え、うるさい表通りに面したビクトリアンの一軒家で、奥さんが亡くなった後ほとんど手入れをされていないみたいで、家もぼろぼろだし前庭も草ぼうぼうでした。
Posted by 在英のチコ at 2007年09月27日 23:15
>在英のチコさん
どうもです。日本語では下記のような報道があります。
http://www.kobe-np.co.jp/kyodonews/news/0000657768.shtml
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070928-00000084-sph-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-00000049-san-int
※ま、ほとんど「イロモノ」扱いに近いのですが。新聞記事には字数制限があるとはいえ、彼女の主張を何も伝えていない。

エミリさんは17歳で、まさに同世代として「最近の荒れる子どもたち」を知っている人です。今すぐに議員になるならないではなく、彼女でなければ伝えられないことを政治家に伝えていってほしいと思います。労働党も、あまり勝ち目のない選挙区でのこととはいえ、こういう人を候補者として選んだのは、変な言い方ですが「粋な計らい」だと思いました。

> 入れ歯があわないみたいで何を言っているのかわからないときがしばしばある

ははは。。。s音がsh音なんですよね、基本的に。あと、ときどきすごい早口になる。私はこの人のスピーチをディクテーション教材に使おうとは思いません。

「トニー・ベン、ジョン・ボルトンをぼこる」の巻
http://www.youtube.com/watch?v=_ZLGHy2WS_M
4:45あたりのボルトンの顔が見ものといえば見ものです。

ビルマ(ミャンマー)については日本語の報道記事などを下記に:
http://nofrills.seesaa.net/article/57643007.html
Posted by nofrills at 2007年09月28日 09:13

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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