ミレイという画家はミドルクラスの裕福な家庭の出身で、学生のころから絵はものすごく上手く、美学校(ロイヤル・アカデミー・オブ・アート)を出てすぐに「王道の歴史画」でも描き始めればその場で天才として絶賛されたであろうのに、何の因果か、親友のウィリアム・ホルマン・ハントのつながりでダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと知り合ってしまったために当時の美術界ではかなりワイルドな方面に寄り道し、しかし1860年代からあとは「ヴィクトリア朝の価値観」そのもののような、眼福ではあるが刺激のない、石鹸箱に印刷されてるような絵などを描き、ロイヤル・アカデミー会長として亡くなった。
彼の最初の作品のモチーフは、中世イタリアで召使と恋に落ちたイザベラお嬢様の物語(ボッカチオの『デカメロン』を元に、キーツが詩にしたのだが、なんともGothicな内容である)であるが、この絵、私はリヴァプールのウォーカー美術館で実際に見ているのだが、空間の歪みとものすごい緊迫感で気分が悪くなった(ゴッホとかピカソといった「歪み」を知っていても、この絵の「歪み」はまた別のものだ)。画力に疑問がある人がやっても別にどうってことはないことでも(←この絵画は、どこまでが画力の問題で、どこまでが画家の意図なのかが非常にわかりづらい)、ミレイのように無茶苦茶上手い人がやるとスゴいことになるんだな、と、作品と微妙な距離を取ったうえで、作品の前でしばらく固まっていたものだ。この迫力は、画集(それもかなり印刷のよいもの)ではまったく想像もできなかった。

今回のテイトの展覧会では、この『イザベラ』や、ヴィクトリア朝の福音主義的価値観では「どうしようもなく汚らしい」と酷評された「聖家族」(両親の家のキリスト)、それからテイト・ブリテンの看板作品のひとつで、モデルをバスタブで冷水につからせていたため、モデルが風邪引いて肺炎起こして死にそうになった問題作など「ラファエル前派」そのものといった作品から、1950年代の「芸術のための芸術」(物語や教訓のない絵画)の諸作品を経て、ミレイがPRBをすっかり過去のものにしたあとの王道の歴史画などまで、ミレイの画業がくまなく紹介される。
中でも「目玉」は――ミレイの「代表作」はテイト・ブリテンで常設で展示されているし、ロンドン以外でもリヴァプールやバーミンガムでいつでも見られるわけで、必ずしも作品の質や価値でこの展覧会の「目玉」が決まるわけではないが――1856年のクリミア戦争終結を題材にしたこの作品らしい。
Tate reveals unseen Millais
http://arts.guardian.co.uk/art/news/story/0,,2176424,00.html
何でもこの作品、アメリカのミネアポリスの美術館のコレクションに入っているのだが、最後に英国で展覧会で展示されたのが1898年なのだそうだ。1898年というと、ミレイが亡くなった(1896年)あとの回顧展か何かだろうか、ともあれ1世紀以上前のことだ。
クリミア戦争で負傷した英国の軍人が、自宅で妻子と犬に囲まれている光景を描いたこの作品、彼が手にしている新聞は「クリミア戦争終結」を報じるタイムズで、上記ガーディアン記事によると、ミレイがロイヤル・アカデミー展のためにこの絵を仕上げて搬入する直前にこの報道があったので、急遽、新聞のヘッドラインを書き換えたのだそうだ。
ガーディアン記事で取材に応じているキューレーターさんは「ブリティッシュ・ミュージアムの兵馬俑展が人気なようですが、あちらは中国に飛べばいつでも見られますが、これはいつでも見られるわけではありません」というようなことを仰っておられるが、ていうかミレイのこれはミネアポリスに飛べばいつでも見られるのではないか、という無粋なツッコミはよしておこう。
それよりこの展覧会のおもしろいところは、「ラファエル前派」から「唯美主義」、「風俗画」、「肖像画」、「風景画」とまさに何でも手がけたひとりの偉大な画家の足跡を一望できる、ということに尽きるだろう。そのテーマは「迫害されマージナライズされた人々」から「誰もが感傷を覚えるようなもの」へ、さらに「セレブ」、そして「広大な自然」と、たいへんに幅広い。
それがまとめて見られるのはすばらしいことだと思う。ひところすごい流行していた「キューレーションのニューウェーブ」みたいなの(時代にこだわりなく様々な画家の同じ主題の作品を一部屋に集める、など)とは別に、こういう地道な展覧会も、どんどん企画していっていただきたいと思う。
さて、ここでいいニュース。この展覧会は、ロンドンでの会期終了後は、オランダ、アムステルダムのゴッホ美術館(2008年2月15日から5月18日)、北九州市立美術館(2008年7月7日から8月17日)、東京のBunkamura(2008年8月30日から10月26日)と巡回するそうです。つまり、日本でも見ることができます。来年の話だけど、ニヤニヤしといていいかもしれない。
展覧会レビュー@ガーディアン:
http://arts.guardian.co.uk/art/visualart/story/0,,2176649,00.html
主要作品10点:
http://www.guardian.co.uk/arts/gallery/2007/sep/24/art.artnews?lightbox=1
7番目にあるDew-Drenched Furze、これはすごそうですね。晩年の風景画。
テイト・ブリテンでのミレイのコレクションの一覧:
http://www.tate.org.uk/servlet/ArtistWorks?cgroupid=999999961&artistid=379&page=1
これら公共施設にある作品のほか、個人蔵の作品がどれだけ出ているかも楽しみ。
※この記事は
2007年09月26日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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はい、たしかに「イザベラ」はなんか異様ですね。ウフィッツィやナショナル・ギャラリーにあるピエロ・デッラ・フランチェスカにも通じる気持ち悪さというか(画力が異様にある人が空間をわざを歪ませるさらなる異様さ)。
1850~80年くらいの絵が妙に面白みがないなー、と思っていたら、その時期は主に挿絵画家として活躍していたようですね。挿絵に限らず、スケッチやドローイングが妙に凄くて驚きました。
あとはおっしゃるとおり風景画。じっくり見入ってしまいました。北斎や広重にも通じる詩心を感じさせる冬景色が好きです。
日本への巡回が楽しみですね。うちは夫婦揃ってテイトの会員なので、「また来なきゃ」と合意して会場を後にしました。
ミレイはPRBの人たちというか、最大の擁護者であったジョン・ラスキンとの間で少し事情があってごたごたしてしまい、1850年代からあとはPRBから距離を置いてしまい、アカデミックな方面(ヴィクトリア調の規範そのもののような)に行ってしまうのですが――そのことをPRB第二世代のウィリアム・モリスなどはかなり厳しく批判しています――、そのせいかどうか、「PRB」とか「19世紀末」いう枠組で見る場合、ミレイの後期の画業は枠から外れてしまう。でも、「ヴィクトリア朝」というものを最も濃厚に伝えている画家だと思います。
ミレイの風景画はちゃんと見た記憶がほとんどないので(英国で何点かは見ているはずなのですが)、今度はしっかり見たいと思います。
ぴこりんさん、レポートありがとうございました。