「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月25日

アーセナルの「大株主」について、アップデート&さらに調べてみた

1つ前の、アーセナルをめぐる、いろいろな背景がありそうなビジネスマンの動きについてのエントリの続き。

どっちにしても結局ピッチとは直接関係ないカネの話なのだが(それ自体が絶対的に「悪い」ことではないとはいえ)、裏で戦争になってますな。キース・エデルマン(マネージング・ディレクター)対デイヴィッド・デイン(元副会長)。監督もプレイヤーも直接は関係ないところの話で、正直、うんざりだが頭に来ているので書くぞ。最悪だからな、言論に言論で対抗することなく「サイト閉鎖」で対応するような奴がアーセナルを「買う」なんてことになったら。

BBC記事@エデルマンの防御:
Arsenal bullish over £200m income
Last Updated: Monday, 24 September 2007, 07:21 GMT 08:21 UK
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/a/arsenal/7009944.stm

記事の報じる内容は、2006-07シーズン開幕でエミレーツ・スタジアムに移ってから収益が伸びており、£200mの壁を突破したことを受けて、エデルマンが「外国からの投資は必要ない」と述べている、ということ。(BBC Rario 5Liveでのインタビューだそうです。)

また、夏の補強はうまくいったし、補強のための予算も使い切っていないくらいだが、クラブは好調(6試合こなしたところで勝ち点16でプレミア首位、2位が7試合こなしたマンUの勝ち点14)、というわけでますます「外国からの投資は必要ない」。

※もっと詳しいのが読みたい方は、ガナ公式でのエデルマンのインタビューをどうぞ。

エデルマンのいう「外国からの投資」が具体的に何を指しているかは一目瞭然、今年4月(昨シーズン終わり)まで副会長だったデイヴィッド・デインの動きのことだ。(エデルマン自身が関わった「UAEのドバイのエミレーツ航空とのスポンサー契約」とか「それと同時にイスラエル観光省とのスポンサー契約」のことではない。これはこれですげぇなと思うのだが。)

デイヴィッド・デインは1983年にガナのフロントに入り、以後、選手の移籍・獲得や契約など、現在のアーセナルというチームを作ってきた当人だ。1996年にアーセン(アルセーヌ)・ヴェンゲルを連れてきたのもデイン。(ついでに言えば、イングランドのFAの幹部として、スウェーデン人のエリクソンを監督として連れてきたのもデイン。)イアン・ライトが語るに「すべての試合に顔を出す」デインは、プレイヤーからは絶大な信頼を得ていた。おそらくは、「私が育てたクラブ」だという意識がとても大きいのだろう。そしてそれは事実でもあるだろう。

そのデインは、今年4月に、職を辞した。「外国からの投資」をめぐってフロントが「デイン対その他」で対立したことが原因だと報じられていた。

この6月に「電撃的」なかたちでバルサに移籍したティエリ・アンリも、ヴェンゲルつながり、デインの引きでガナに来たプレイヤーのひとりで、彼が移籍の決断をサポーターに説明したときに「理由」としていたことのひとつは、「デイン氏がクラブを離れ、ヴェンゲル監督の契約もどうなるかわからず、チームも自分も不安定になった」ということだった(しばらく後に、ヴェンゲルは契約を更新した。3年だったよね)。あと、「自分も今年で30歳だし、まだプレイできるうちにやりたいことがある」というようなことも言っていたけれども(つまりはCLで勝つこと、だろう)。

今年4月にデインが辞任したのは、アメリカ人の大富豪、スタン・クロンケによる株式取得をめぐって、クラブのフロント内で、デインとデイン以外が対立したことにあった。デインは「もっとカネが必要だ」としてこの「外資導入」を推進しようとしていた。

検索して見つけた、今年4月20日の「manchester_jpの日記」さんのエントリ:
http://d.hatena.ne.jp/manchester_jp/20070420/p1
結局、アーセン・ベンゲルのロンドンのクラブに描く理想像は、スタジアムを大きくすることによって、観客数の増加で得られる、純粋なお金であって、昨今のプレミアリーグに蔓延る、返済不可能そうな借金の額で買い取る、薄ら事の空想的なお金ではないと、言うことは、彼の発言からみて明らかだ……(中略)……。しかし、彼の良き理解者である、デヴィッド・デインは違っていた。フットボールは、もう投資の世界の中に組み込まれ、古くからの理想は捨て去る以外に、グローバル時代のフットボール界を生き残ることができないと、考えたのである。スタン・クロエンケは、この内部の混乱を尻目に、着々と、株式を取得して、彼の権限を大きくしようとしている。仮に、デインがこのアメリカ人富豪と協力して、再びこのロンドンのクラブに復帰する(その時は、今以上の権限を持ち、彼の理想を追求するのに、快適な空間になっているだろう)ようなことが起きても、ベンゲルと、デインとのこのクラブに描く、理想の未来像は、変わることなく、少しズレが存在し、その溝を埋めることは、不可能だと、このフランス人監督は、メディアで語っている。……(後略)……

たぶん、デインはアメリカ人の富豪とのパートナーシップではやりたいことができないと判断して(あるいは先方から「もういいよ」と言われて、ということかもしれないが)、次にロシア人(ウズベキスタン出身)の大富豪と組んだのだろう。今年8月、彼は自身の保有するガナ株(9,072株、14.58%)を、ロシア人大富豪Alisher Usmanov氏とそのビジネスパートナー(Farhad Moshiri氏、1955年生まれ、イラン出身の英国市民……ということはホメイニ師の革命で脱出した人かもしれないが詳しく調べた人のブログを見ても「金属とかエネルギー、不動産などの分野に投資してきたビジネスマン」ということしかわからない)の投資会社、Red & White Holdings Limitedに売却し、自身、R&Wの会長に就任した。さらに、クロンケ氏が保有していた株式(12.2%)もこの9月半ばにはUsmanov氏に売却されたそうだ。デインの14.58%とクロンケの12.2%を単純に足すと26.78%、うにゃあ。

なんかもう、スポーツ面じゃなくて経済面というか、むしろこういう感じで。

ちょっと検索してみたら、プレミアで株式がパブリックなクラブって、ガナとスパーズとバーミンガム・シティの3クラブだけになってるのね、寒々しい。「サポーター」がクラブをsupportするというより、「ファン」として「企業の利益」に貢献、という構図か?

さらに寒々しいことに、Alisher Usmanov氏はスタン・クロンケ氏のような「スポーツ・アントレプレナー」でさえない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alisher_Usmanov

ウスマノフ氏は1953年、ウズベキスタン生まれ。フォーブス誌(2007年)によればロシアで18番目に資産のあるいわゆる「オリガルヒ(新興財閥勢力)」(全世界では142番目)。鉱業、林業、投資業で財を成し、鉄鋼・金属、鉄鉱石、天然ガスなど幅広く事業を展開、ロシア国営Gazpromの子会社である「ガスプロム投資ホールディング」の取締役で、2006年にはロシアの経済紙『コメルサント』を買収した

このときUsmanov氏に『コメルサント』を売ったのは、グルジア人実業家のBadri Patarkatsishvili……ってやだー、この名前見覚えがあるわー。しかもリトビネンコ事件で。過去記事……あったあった。

1997年、ルゴボイはロシア公共テレビ(ORT)の警備のトップとなる。ORTは1995年以降はベレゾフスキーが事実上のオーナーとなっていた。また局の副会長兼財務担当は、ベレゾフスキーの昔からの友人でグルジア人のBadri Patarkatsishvili(たぶん「バドリ・パタルカツィシヴィリ」と読むのだと思いますが、入力しづらいことこの上ないので、以下アルファベットのままで)が務めていた。90年代後半、2人はテレビを通じてロシアに大きな政治的影響力を及ぼした。

ルゴボイがベレゾフスキーと知り合ったのは1993年にさかのぼるという。ベレゾフスキーの会社の警備に、かつての教え子や同僚たちを何人か推薦したのが始まりだった。ORTに移り、ルゴボイはPatarkatsishviliやその家族の身辺警護や、彼の配下にある会社の警備で忙しくしていた。中でも大変だったのは、 Patarkatsishviliがコーカサスに出張するときの同行警備だった。出張先のなかには軍事衝突地帯もあった。

1998年と 1999年にルゴボイの力は大きく拡大する。Patarkatsishviliの身辺警護だけでなく、ベレゾフスキーの警備も行なうようになり、しかもロシア国内だけでなく外国での警備(特に欧州での)に参加するようになった。同時にこの2人の配下にある企業(ロシア最大の石油企業のひとつ、 Sibneftを含む)の警備についての意思決定プロセスにも関わるようになる。ルゴボイはベレゾフスキーとPatarkatsishviliの帝国の警備システムの中央集権化と再編に貢献した。これによりほかの警備会社からは否定的な反応を得た。ほかの警備会社のトップの多くは元KGB職員で、ルゴボイがまだ若かったので(注:当時30台前半)ばかにしていた。1999年の夏、ルゴボイは自身がトップを務めるセキュリティサービスの改革に着手。同年12 月の総選挙を見越してのことだった。(結果的に、ベレゾフスキーは国会議員となる。)改革を実行しつつ、ルゴボイは外国の警備会社の支援を頼るようになる。自身で外国の専門家との交渉を行なったこともあり、その中には(外国の)シークレット・サービスで高い地位にあった者もいた。

――『アンドレイ・ルゴボイとはいかなる人物か。』、2006年12月9日
http://nofrills.seesaa.net/article/29294154.html

うわー、ややこしい。この後の経緯から、ルゴボイとベレゾフスキーの仲は終わっていると判断されるのだが、ではPatarkatsishviliはどうか、とか、まったくわかんないのだけど、ややこしい。

で、Patarkatsishvili(以下、「グルジア人実業家」)からウスマノフに渡った『コメルサント』は、ソ連時代はつぶされていたがゴルバチョフのペレストロイカで復活した新聞で、1997年にボリス・ベレゾフスキーがお買い上げ、その後いろいろあって2005年に「反プーチン」色を強烈に打ち出し、2006年2月にベレゾフスキーの仲間のグルジア人実業家がお買い上げ。そのわずか半年後の同年8月に、そのグルジア人実業家から、Alisher Usmanov氏が100%お買い上げ。

で、そのUsmanov氏は、2006年8月に『コメルサント』を買ったあと、同年11月にGazeta.ruというニュースサイトをお買い上げ。

そして、Usmanov氏はウラジミール・プーチンに近い人物である。(でもUsmanov氏のお買い上げのあとも『コメルサント』はリモノフのNBPというウルトラナショナリスト政党について書いているということで、07年3月に新規設立されたメディア・ウォッチドッグから警告されているらしい。)「プーチンに近い」ということは、普通に考えれば「ベレゾフスキーとは対立」ということになるけれども、そこらへんはいろいろあるのでまあ何とも(油様についてのen.wikipediaのエントリでそこらへんの記述がぼやーんとしているのも参照)。

そしてそのUsmanov氏が、2007年8月にガナにややこしい形(クラブから放逐されたデイヴィッド・デインが介在)で絡んできて、2007年9月にアーセナルとは別件で、クレイグ・マレーのブログを閉鎖させた

わー、もうややこしすぎて限界超えた! けどもう少しがんばる。

さらにこのグルジア人実業家Patarkatsishvili氏はハム(West Ham)をお買い上げという動きを示したことがあり(SoccerBlog.com, The West Ham buyout, September 8, 2006)、つまりアレですか、イングランド・プレミアはロシアというか旧ソ連系のオリガルヒのみなさんの(場外)乱闘の場ですか。さらにこのグルジア人実業家は、ブラジルでいろいろアレゲな話題になっているMSI社に関わっているとの噂もある(MSI関連ではベレゾフスキーにブラジルで逮捕状出てますね、「資金洗浄」で)。

で、このMSI社、創業者がKia Joorabchianさんというイラン系英国人(1971年生まれ、イラン革命で国外脱出した一家の息子さん)。ハム買収を仕掛けた(が最終的に失敗した)のはこの会社。

ここらで一度頭を整理すると、ロシアのオリガルヒと、それとグルジアにウズベキスタンと、イランの「反体制派」(反イスラム革命)の立場にあると考えられる人……しかもリトビネンコ事件の容疑者までちょっとは関係あり? ははは。もう私には無理。これ以上は無理。ひょっとしてアンナことにも関わってきている話なのではないかと思いつつ、頭の限界。

いずれにせよ、そういう「政治とカネ」などろどろした話のディテールを度外視するにしても、アーセナルFCの大株主(25%以上)で、ひょっとしたら買収とかしそうな勢いじゃないのかという人物が、自分の気に入らないサイトを閉鎖させた(ホスティング会社が法律事務所の要請に応じて閲覧不可にした)というのは、ほんとにありえない。

デイヴィッド・デインが自分が育ててきたチームがかわいいのだとしても、こういう「愛情」の示し方はいかがなものか。アメリカ人の大富豪がダメならロシア人の大富豪でクラブを取得して、最終的には自分が仕切る(エデルマンらっ現フロントを追放して)、というプランだろうが、私は心底落胆した。

はあ。

というわけで、Usmanov氏の圧力によるクレイグ・マレーのサイトの閉鎖(とティム・アイルランドのサイトの閉鎖と、ボリス・ジョンソンの見事な巻き込まれっぷり←そうか、これがおもしろいんだ)がなければ、ガナをめぐる動きも特に関心を持って調べてみようとは思わなかったのだが、調べてみたら、なんかすごいことになっているわけである。

「オリガルヒの暗躍」みたいな話には実はほとんど興味がないし、「カネの成る木としてのプレミアリーグ」みたいな話は、いつぞやのガナみたいに「うさんくさい」ことをせず(<コートジボワール関連)、また、いかにも「誇りを持った労働者階級」の男性が東京で「うちのクラブが欧州CL制したから、70歳のうちの親父を日本への旅行に連れてくることができた」(<実話:99年マンU来日時)と、にこやかに語ることも現実的にありうるという「文化」をつぶしてしまわない範囲でやっていただける分には、それはそれでいいんじゃないのという気がするが、言論に対抗するに言論をもってせず(名誉毀損で裁判すればいいのに!)、ウェブサイト閉鎖などというとんでもなく抑圧的なことをしてしまえる「ビジネスマン」が、イングランド・プレミアのクラブのオーナーになるなど、とんでもない。しかもそのクラブが「うち」! もういやすぎ。

しかもそのとんでもなく抑圧的なことができてしまう「ビジネスマン」と組んでいるのが、選手からの信頼がものすごく厚かった元副会長? もう悪夢のような悪い冗談だ。

で、その「ビジネスマン」は実はロシアのオリガルヒで、ゴルバチョフのペレストロイカのころに卑劣な犯罪で服役して6年のお勤めをし、カリモフ大統領の特赦で出所したことを、「政治犯として捕らえられ、ゴルバチョフの特赦で出所」などとケチな経歴詐称をしている(らしい)……などということはおまけ。

その「ロシアのオリガルヒ」が最近のロシア、プーチンのロシアの暗部とつながっているのかもしれない、とか、カザフスタンが米国と距離を取ってロシアに接近しつつある、とか、その「ロシアのオリガルヒ」は国王支持のバックグラウンドのあるらしい亡命イラン人ともつながっている、とかいうこともおまけのおまけ。さらに掘り下げればもっといろいろ出てくるのかもしれないが、それらも全部おまけのおまけのおまけ。

なんでもいいから、クレイグ・マレーのブログを返せ。話はそれからだ。

ついでにボリス・ジョンソンのブログも返せ。→とりあえずここまで書いて寝て起きて仕事している間に復活していました。そのこと自体はよかったと思います。

# 以上、人名などのカタカナ表記については、検索して何となく多そうなのを選んでいます。(例えば、アメリカ人のKroenkeさんはほんとはたぶん「クローンキー」という感じで読むのだと思います。)


ウズベキスタンとクレイグ・マレーといえばこういう話も。
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/DoH/2007031001.html#A1994

来日公演をしたことのあるタシケントの劇団、The Ilkhom Theatre の芸術監督 Mark Weil さんが今年9月6日の深夜に帰宅したところ自宅前で2人の男に襲撃され殺害されたことについて、マレーは「アンナ・ポリトコフスカヤらロシアのジャーナリスト殺害と同じような『暗殺』だ」と指摘しているようです。(「ようです」というのは、マレーのブログが読めないために確認ができないので。→追記:マレーが執筆したIndependentのオビチュアリを見る限り「仕事から帰宅したところで襲われ殺害される」というのが、FSBが背後にいると考えられる数々のジャーナリスト殺害事件と重なる、との記述。ブログでもおそらくは同じ論調だったと思います。)

事件は結局、麻薬中毒者が「犯人」の不幸な事件ということで「決着」したようですが、tfjさんのロシアでの報道まとめを見る限り、あまり信じられてはいないのかなあという雰囲気もしなくはない。

で、最後にクレイグ・マレーについてですが:
http://en.wikipedia.org/wiki/Craig_Murray

1958年イングランド生まれ。スコットランドのダンディー大学を出て1984年に公募で外交官になり(オックスブリッジからのエリートではない)、以降、アフリカや欧州各国で外務省職員として勤務し、湾岸戦争のときは英国政府の経済制裁監視センターを率い(私がマレーのことを知ったのはこの関連)、シエラレオネの和平に貢献するなどし、2002年にウズベキスタン大使に任命された。何度か叙勲の話が出たことがあったけれども本人が辞退している。

着任早々、彼はいろいろと見てしまったらしい。着任した年の10月に、タシケントでの人権会議で、反カリモフ派の処刑に触れて、「ウズベキスタンは民主主義が機能していない」と述べ、ウズベキスタンのカリモフ大統領が国連事務総長に抗議する事態に。当時、カザフスタンは「テロとの戦い」において米軍に拠点を提供するなど、極めて重要な「有志連合」の一員で、英国はかなり慌てたことだろう、翌2003年にマレー大使を懲戒処分とし、2004年にはウズベキスタン大使の職を解いた。その後、マレーと外務省の間にはいろいろとあって(あることないこと「疑惑」が持ち出されたそうで、まるでジョン・ル・カレの『ナイロビの蜂』――映画ではなく、小説のほう)、最終的にはマレーは2005年に外務省から退いた。そして退職後の2007年2月に彼は母校ダンディー大学のレクターに選ばれた。

ウズベキスタン大使としての彼の経験は、2004年7月のガーディアンのインタビュー(下記)などで詳しく語られている。
http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,3604,1261480,00.html

カザフスタンについての著書は下記。これはマイケル・ウィンターボトムが映画化することになっている(IMDB)……これが映画化されたら私は英国に惚れ直す。
1845962214Murder in Samarkand
Craig Murray
Mainstream Publishing 2007-02-01

by G-Tools

本の内容については、今年3月に小林恭子さんがブログで取り上げておられる

マレーはこの本に関連する資料として、英外務省のレターなどを自身のサイトにアップしていたが、外務省から「著作権侵害であるから削除するように」と言われた。なお、この資料類はミラーされているので今からでも見ることはできる(こちらのページ本文とコメント欄にミラーのURL多数。ただし2006年のものなので失効しているURLも多い。例えばジャマイルの .torrentのファイルはもう生きていません。)

あと、どこかのブログのコメント欄からたどったのだけれども、2005年のマレーのブログの記事のコピー:
http://postmanpatel.blogspot.com/2005/10/sanjar-umarov-craig-murrays-recent.html

これはひどい話だ。「アメリカとイギリスは自由と民主主義を広めるためにイラクに」、などというお題目を信じている人は今はもういないだろうが、アメリカがイラクやアフガンに対する拠点として利用していたウズベキスタン(つまり足元)では、自由と民主主義どころか弾圧と拷問があり、しかもそういう拷問で得られた情報を元にCIAが「分析」をしてグアンタナモでトンデモな罪状をでっちあげていた、ということは知っていたが、その向こうにさらにこういう話があったとは。いやもう、米国の「軍産複合体」がどうのという話がのどかな何かに見えるほどのひどさ。
Saturday, October 29, 2005
Sanjar Umarov - Craig Murray's recent meeting with him
Opposition Leader Tortured with Drugs

Craig Murray provides a background to the jailing and torturing of Sanjar Umarov.

Today Sanjar Usmanov lies, unclothed, cold, drugged and beaten, on the bare floor of a dank solitary confinement cell in Tashkent.

Last month I had dinner with Sanjar Umarov at Old Ebbitt Grill in Washington, just across from the White House. Sanjar leads Uzbekistan’s newest and best publicised opposition grouping, Sunshine Uzbekistan, which had largely taken over the Peasants and Entrepreneurs’ Party, itself a fairly recent addition to the opposition ranks.

There was a great deal of suspicion about Umarov from longer standing opposition figures. Umarov was an oligarch, from one of the leading regime families. He had made money in oil and cotton trading, both sectors which cannot be accessed without an inside political track. He had also been involved in the Uzdunrobita mobile telephone company, in which the major Uzbek partner was Gulnara Karimova, the President’s daughter. In March 2004 Karimova sold her shares in Uzdunrobita to a Russian company for 212 million dollars, a figure which places a much higher than realistic value on the company.

This transaction was an important stage in the peculiar business dealings between Russia and the Karimov family, which culminated in last November’s deal to allocate the bulk of Uzbekistan’s natural gas reserves to Gazprom. This deal was negotiated between Gulnara Karimova and Alisher Usmanov, the Uzbek born Russian oligarch who bought a substantial number of shares in Corus, the British steel company. Usmanov is also a Director of Gazprom responsible for their affairs in the former Soviet Union outside Russia.

Gulnara received a large cash payment - $88 million, according to my sources - on completion of the Gazprom deal, with further payments to come as gas is exported. Alisher Usmanov gave Putin a sweetener of 40% of the shares in Mapo Bank, an important Russian business bank with a close relationship to several blue chip western firms operating in Russia. The shares were made over to Piotr Jastrejebski, Putin’s private secretary who was a college friend of Alisher Usmanov and shared a flat with him.

This web is closely associated with Karimov’s succession strategy. He is desperate for Gulnara to succeed him, and the cash and Russian support is building up her power base. Some sort of Alisher Usmanov/Gulnara Karimova alliance is Karimov’s first choice to take over, in six or seven years time. This is the background to the diplomatic revolution of the last six months, with Karimov abandoning the US and turning back to the embrace of Mother Russia.

It is worth recalling that the Karimov regime had been aggressively anti-Russian, in terms of both propaganda, and of practical measures of linguistic discrimination. Approximately two million ethnic Russians have fled Uzbekistan since independence in 1991; about 400,000 are left.

This reorientation towards Russia went along with fierce anti-enterprise measures designed to stifle any entrepreneurial activity not under direct control of the Karimov family. This explained the physical closures of borders and bazaars, the crackdown on crash transactions and the channelling of all commercial activity through the state banks.

These developments not only brought still greater economic hardship to the poor, they created losers among the wealthy elite. Sanjar Umarov is an archetypal example of such “New losers”.

Umarov had studied business administration in Tennessee on a US government scholarship. His trading interests had widened from their Uzbek base. He has a home in Memphis, and a green card. His children are US citizens. Among the Uzbek elite, a class had come into existence of people who could do business with the West. Their business was now being cut off by Karimov.

It would be wrong to credit Sanjar Umarov with purely selfish motives. Unlike so many of his countrymen, he has the education and experience to understand that Karimov’s policies are economically disastrous. Over dinner, we shared our frustration over this: Uzbekistan is not a naturally poor country. It is extremely well endowed with gas, gold, uranium, iron, coal and most rare minerals you can think of. It is historically fertile and could be so again once the government-dictated cotton monoculture is abandoned.

Uzbekistan’s plight is inflicted on it by appalling government. Umarov and I both believe it could recover surprisingly quickly once basic economic freedoms are established, of which the first must be to take the land from the state and give it to the peasant farmers. Over dinner we discussed other ideas, such as voucher privatisation schemes to enable the common people to benefit from Uzbekistan’s mineral wealth. I found Umarov attentive, interested and pro-active.

The outlawed Uzbek opposition has been fractured. There are genuine, historical differences between the Erk and Birlik parties, and those differences are vital to a democracy. But, until we achieve democracy, people need to work together against Karimov. The parties had moved to do that, to their great credit, but there was understandable resentment and suspicion from those who had suffered in opposition for years, towards a “Johnny Come Lately” like Sanjar Usmanov.

Well, he is certainly suffering now in his Tashkent cell. And, if Karimov is to be overthrown, in practice some reform-minded “insiders” are going to be needed to build the necessary national unity for reconstruction. That has to be faced. There are several prominent Uzbek opposition leaders, and Umarov now joins such figures as Mohammed Salih, Abdurahim Polat and others. One day let us hope the Uzbek people will freely choose between their politicians. For now, personal ambition needs to be subordinated to the need to end Karimov’s reign of terror.

The urgent need now is for all the opposition parties, including the Sunshine Coalition, to agree a platform of basic reform in the economy, the constitution, the police and judiciary, agriculture, education and many other areas. The broad lines of change need to be ready to roll out once Karimov goes. The most useful thing donors and foreign NGOs could do now would be to set up a programme outside Uzbekistan working with all parties to agree a plan of basic reform.

I found Umarov engaging and enthusiastic. I urged him to be cautious about returning to Uzbekistan, and was rather puzzled by his apparent confidence that he could pursue his political aims inside Uzbekistan without personal danger. Plainly he had good contacts with US official circles - since Karimov turned against the US, a pro-Western oligarch is a saleable commodity in Washington.

That Umarov was arrested at the time of the visit of Russian Foreign Minister Lavrov to Tashkent is a sign of the strength and ugliness of the current Uzbek/Russian relationship. Umarov is being kept in solitary confinement. Nodira Khidatoyova of his party claims to have been told by an inside source that the Prokurator’s office have been instructed to destroy his mind through psychotropic drugs.

That is certainly feasible. There have been many examples of prisoners being forcibly injected, and Elena Urlaeva, another dissident I know, is currently undergoing such “treatment” in a psychiatric institution. Sanjar Umarov’s lawyer seems to provide some evidence for this. He found him naked, in solitary confinement, making repetitive movements and unable to communicate coherently.

The response of the international community to the brutal treatment of an opposition leader has been pathetic, as always with Uzbekistan. The UK, as EU Presidency, issued a pious statement hoping that “International norms of treatment would be respected”, when plainly they are not being.

Umarov is now being charged with “embezzlement”, and the UK hopes these charges will be “properly investigated”. How stupidly, utterly, inadequate! There is no “proper” investigation procedure in Uzbekistan, where 99% of those tried are convicted, and dissidents are framed literally every day, usually with narcotics or firearms offences. To pretend there is a shred of legitimacy to this treatment of Sanjar Umarov is a nonsense. Why is an alleged embezzler naked in solitary confinement?

If corruption is the real concern of the Uzbek authorities, Karimov and his daughter would be the first arrested. The international community, and the UK in particular, needs a much tougher response before Umarov dies in jail.

この記事で語られている「反体制派」のSanjar Umarov氏については:
http://en.wikipedia.org/wiki/Sanjar_Umarov
※名字が同じだが例の大富豪とは無関係だそうだ。
Umarov's trial began in January 2006, and he was convicted in March 2006 of heading a criminal group laundering money through offshore companies, tax avoidance, and hiding foreign currency. He was sentenced to 14 years in prison (reduced to 10 years under an amnesty agreement) and over US$8 million in fines.

2006年に懲役の判決が出たことはBBCにも出ている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4778526.stm

ちなみに、ウズベキスタンのアンディジャンという場所で民衆蜂起らしきものが起きて軍が鎮圧した(デモ隊に発砲、数百人死亡とのこと)のが2005年5月のことだ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4550845.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4761821.stm
President Karimov ... accused Western governments and major international media organisations - including the BBC - of helping to plan and carry out the attempted uprising.


団体名のSunshine Coalitionで検索したら彼らのサイト(英語版)が見つかったし、さらに彼の名前をくっつければ彼について書かれた英語の記事はいくつも出てくるのだが、とりあえずこんなところで。

※この記事は

2007年09月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。アーセナルに関するブログをやっている者です。

記事の中から、この記事と前の記事にリンクを貼らせていただきました。何というかもう、およそフットボールと何の結びつきがあるんだっていうような話で、個人的にこの手の話は好きではありますが、もはやわけがわかりません。それ以前にフットボールの世界、それも応援するクラブにこんな話を持ってくるのは勘弁してもらいたいですね。

前の記事の最後の方、引用記事の中に、「今やアーセナルのファンでさえチェルシーらと競い合えるなら、どこから来るお金でも構わないと考え始めている」みたいな内容がありましたが、イギリス人はこの辺いい加減で困ります。

ところでそのアンチ・ウスマノフの画像、いいですね。でもあまりにも醜くて貼るのが躊躇われます(笑) それに「NOT WANTED, DEAD OR ALIVE」って、死んでたらもっと嫌だと思います(笑)
Posted by at 2007年09月27日 03:56
>陸さん
はじめまして。実はちょくちょく拝見させていただいております。リンクありがとうございます。

私もこういう話がフットボールに関して出てくることそのものがいやです。でもクレイグ・マレーのブログの読者でもあり、ティム・アイルランドのブログの読者でもあり、おまけにボリス・ジョンソンのブログもときどき見てニヤニヤしている身としては、今回の「ブログつぶし」は冗談のような悪夢、どうしてもスルーできず。。。

> 「今やアーセナルのファンでさえチェルシーらと競い合えるなら、どこから来るお金でも構わないと考え始めている」みたいな内容がありましたが

いやー、チェルシーにいろいろあったせいかもしれませんが、Arsenal系ブログや各種フォーラムを見る限り、この数日は「そんなカネは要らん」と「(こんな奴を連れてきても平気な)デインには失望した、もう手を引け」(と、やや国粋主義的な「反ロシア」な意見、リトビネンコ事件などの影響もあると思いますが、言葉がやや極右的なものも)がすごく多いように感じます。

で、会長も「売らない」と言明していますし、デインもこの筋ではもう無理と判断すると思います。冷静なビジネスマンならば!
http://football.guardian.co.uk/News_Story/0,,2177271,00.html
http://nofrills.seesaa.net/article/57473927.html

なお、ウスマロフ氏(面倒なので「ウス氏」としたいが「ウス」が「臼」のことだと思われそうなので躊躇……)のバナーは下記にて絶賛配布中です。私が貼り付けたバナーは、木版画調なところがなかなかシャレていると思うようにしています。かなり苦しいんですが。
http://www.ministryoftruth.org.uk/2007/09/23/its-banner-time/

> それに「NOT WANTED, DEAD OR ALIVE」って、死んでたらもっと嫌だと思います(笑)

完全に同意、おっしゃるとおりです。何をどうしていいのかもわからなくなると思います。(笑)
Posted by nofrills at 2007年09月27日 08:00

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼