kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2007年09月18日

「外国の武力介入ではなく自国内からの変革を」

「国際社会」の「新たな国連決議へ」という動きで急速にキナ臭さを増している「イランをめぐる言説」に絶望しつつ、検索をしてみたら、Sun., June 10, 2007(2007年6月10日)付けのハアレツの記事を見つけた。1979年のイスラム革命で国を追われた当時の国王、モハンマド・レザー・パーレビ(パフレヴィ、パフラヴィなど表記ゆれ多い)(1980年没)のご子息が「イラン攻撃に反対」と語っておられる。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/868822.html

イランの現在のレジーム、つまり「イスラム共和国」を語ることばでは「誰がそれを語っているか」がとても重要で、ここで「(1953年にCIAとMI6の支援で軍事クーデターを起こし、民主的に選挙されたモサデク政権を倒し、以後、厳しい独裁体制をしいた)パーレビ国王の息子(王位継承権1位)」で、イラン国外に脱出しているイラン人でシャーを支持する人々から「国王」と呼ばれ、それを拒絶していない人(ご本人がいかなるおつもりであろうとも、人々からそう呼ばれているということ自体に「意味」が生じている)の言葉を、それとわかっていてとりあげるということを、私は軽々しく行なうことはできない。

しかしそれでも、この言葉をただ読んで通り過ぎることもできない。

というのは、ある特定の人たちにこういうことを「知って」もらいたいと私は思っているからだ。

私がこれを読んでほしいと思っている特定の人たちがこれを読み、そしてレザー・パーレビさんのメッセージを受け取ってくれることを願い、また、「レザー・パーレビさんの発言」が持つ意味を、そしてそれがハアレツで記事として取り上げられているということの意味を考えてくれることを、心から、願う。(「考える」ためのベースがあってほしい。)

以下、私に果たして「正しい」解釈ができているのか、その解釈を「正しく」日本語で表現できているのか、いまいち自信がないが、私がこれを読んでほしいと思っている特定の人たちの「参考」にしていただきたいという気持ちで日本語を添えておく(「翻訳」しようとはしていませんが、まったく解釈が間違っている箇所などありましたらコメント欄でご指摘のほど)。

Sun., June 10, 2007
Shah's exiled son: Don't attack Iran
http://www.haaretz.com/hasen/spages/868822.html
By Lily Galili
プラハ発――イランの最後のシャー(国王)の息子でイラン国外に亡命しているレザー・パーレビ氏は、アハマディネジャド大統領による「イスラエルを滅ぼす」という考え方などを非常に深刻な脅威であるとしながらも、自国(イラン)への軍事攻撃は思いとどまるよう呼びかけている。

「軍事攻撃は、イランの体制の恐れるものではありません」とレザー・パーレビ氏は説明する。「体制が恐れるのは、イラン国内の反体制派です。反体制派はもちろん強化されねばならない。しかし、外部から攻撃されれば、今の体制は白紙小切手を手にすることになるでしょう。つまり現在の政権が何をしてもよいということになりうる。現在、体制の側に属していない人々までも体制支持に回るような愛国的な(nationalistic)ムードの高まり、ということにすらなりうるのです」

パーレビ氏がハアレツの取材に対しこう語ったのは、氏がShalem CenterのAdelson Institute for Strategic Studiesの主催でチェコのプラハで開催されている集まりに出席したおりのことである。この集まりには17の国から反体制派が出席した。パーレビ氏はこの19年間ずっとワシントンに在住しており、ワシントンでイラン系の女性と結婚し3人の娘をもうけた。19歳でイランを出国し、以降、ピッチで自分が必要とされるときに備えて練習を怠らずに待っている控え選手さながらに、イラン国外で活動をしてきた。【注:この部分、原文が抽象的でしかも比喩であり、私にはいまひとつ「意味」が確定できないので、この日本語は「翻訳」としてあてにはならない、ということでお願いします】

2年前には政治犯の釈放を要求してハンストまで行なっている。むろん氏は、父親が政権にあったころにイランでは多数の政治犯がとらえられていたという事実からは逃れることはできないのだが。

……中略(氏が王制時代のことを「冷戦」のコンテクストで解釈し、「革命」が起きたことを彼は全面的に否定しているわけではないということを語り、それでも現在のようになるとは誰も望んでいなかっただろうと述べている部分)……

イラン国外に逃れた人たちは一枚岩ではない。様々の立場の両極から亡命を余儀なくされてきた。「シャーの息子」に対する彼らからの反応は複雑なものがあるし、両極で重なっているものといえば、現在の政権を打倒する望みだけだ。

王政復古を望まれているのかとの問いに、氏は外交的な返答をした。「決めるのは人々ですよ。たしかに、議会君主制という選択もありますね。イラン国民の性質にはそれが合っています。均質的ではない社会においては、王室は国家統合の象徴なのです。」

パーレビ氏は、最近は勇気付けられることが多い、特にフランスの(サルコジ)新大統領によるイランに対するステートメントには勇気付けられた、と述べる。

「あのようなレジームを滅ぼすために重ねられた努力を台無しにしてしまう『分割し統治する』的なシステムは、現在では、より大きな統一/連合(unity)に取って代わられている、ということでしょうか」と彼は希望を込めて言う。「イランでは現在、欧州でかつてあったような異端審問(inquisition)があります。欧州ではそのあとルネッサンスとなった。イランもほどなくルネッサンスを迎えます。イランにはさらなる後押しが必要なのです。国民を痛めつけることなく体制を痛めつける制裁という方法によって、政権に対しさらにプレッシャーを加えていくことが……世界がその途中でイラン人を見捨てることはない、世界は真剣なのだと、イラン人に確信を持ってもらわねば」

……以下略(このプラハでの集まりについての説明の部分。そこはそこで読んでいると「うはー、カスパロフまで! これはプレイヤー多すぎだ、『会議』にはなりそうにない!」ということでおもしろいのですが)


※本稿での用語について:
イランのシャー (Shah) は英語ではHis Imperial Majestyとの敬称をつけられる存在であり、したがって「皇帝」とすべきかもしれないが、本稿においては日本でより一般的に使われてきた(というか私がまだほんとに子どものころ、1979年の革命でリアルタイムで聞かされて覚えこんでしまった、と言うべきか)「国王」を用いる。

Pahlaviには「パフレヴィ」、「パフレヴィー」、「パフラヴィ」、「パフラヴィー」など複数の表記があるが、本稿においては「パーレビ」という表記を用いた。表記の選択に、特に考えがあるわけではない。



レザー・パーレビ(Reza Pahlavi)氏について:
http://en.wikipedia.org/wiki/Reza_Pahlavi

1960年生まれ。1979年のイランのイスラム革命の前年の1978年に、留学のために渡米し、そのままイランの土を踏んでいない。革命後はモロッコ、エジプトに暮らし、1984年に米国に居を定めた。

人権、民主主義、そしてイラン内外のイラン人(Iranians)の統合を訴えて政治的運動を行なってきた人物で、自身のサイトなどで、政教分離と自由で公正な選挙を「自由を愛するすべての個人のため、すべての政治的思想(political ideologies)のため」に、と呼びかけている。

1980年、イラン・イラク戦争でイラン空軍パイロットとして志願を申し出るも拒絶される。

2002年、英BBCのBreakfast with Frostでのインタビューで、「将来的な政権選択は、自由選挙で、イランの人々にゆだねられるべき」、「いかなる形を望むのであれ、宗教と政治を分離しなければ」との考えを示す。2005年には国連事務総長に宛てて、「人権委員会でイランの人権特別報告官(Special Rapporteur)を召喚しなかったこと」を批判する内容の書簡を書いている。(つまり、「人権団体がするようなことをしている」ということで理解してよいのではと思いますが。)

また、イラン人に向けては、非暴力の市民的不服従を呼びかけ、(「非民主的」と自身が考えている)イスラム共和国の選挙をボイコットを呼びかけている。しかし外国からの武力介入には反対の立場を明言している。

ウィキペディアのエントリにある発言(Quotes)から1つを引用:
"I know what my function is today, and my function today is to be a catalyst that promotes unity as opposed to being an element that brings polarity. My role today is not institutional, it's political. My role today is not someone who will be a symbolic leader under that institution, but a national leader that is fighting for freedom."

この発言のある元の文脈を見ると:
http://www.venusproject.com/ecs/Overthrow_Iran_Regime.html
"Would you rather participate in a democratic parliamentary election like Iraq or simply come back as a constitutional monarch?" との質問、つまり「イラクのような民主的な議会選挙か、王政復古か」という二元論(しかも「イラクのような」って何の皮肉だ、いや英国じゃなく米国のインタビューだから「皮肉」じゃなくて「素」の「善意」か……)が前提で、何だかねー、という気分になるが、ここでのレザー・パーレビさんの発言は彼のスタンスを端的に示すものだと私は思う。読もうと思えば、いかようにも読めるこの発言だが……。

※この記事は

2007年09月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼