「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年09月11日

【訃報】アニタ・ロディック

アニタ・ロディックが亡くなった。脳出血。64歳だった。日曜日に自宅で頭が痛いと訴えて病院に搬送され、ご家族に看取られて最期のときを迎えたという。合掌。

Anita Roddick, pioneer whose dreams turned the high street green, dies at 64
Lee Glendinning
Tuesday September 11, 2007
http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,2166630,00.html

Dame Anita Roddick dies aged 64
Last Updated: Monday, 10 September 2007, 22:00 GMT 23:00 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6988343.stm

Anita Roddick, Social Activist, Body Shop Founder, Dies at 64
By Mark Schoifet
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601102&sid=aBdj0w7OTaN8&refer=uk

AFP BBにも記事が出ている。


彼女がいなかったら、彼女がThe Body Shopを始めていなかったら、現在の ethical shopping の概念は存在していなかったかもしれない。

BBCから:
She was the first to introduce socially and environmentally responsible business onto the High Street and she was talking about fair trade long before it became a buzz word.


ボディ・ショップの製品は私には香りがきつすぎてそんなに好きではなかったし(香りのための製品でないものまで香りが主役になっている)、いつだっけ、90年ごろに日本にも店舗ができて(当時はたしかダイエーの資本だったと記憶しているが間違っているかもしれない)からも、そんなにたくさんの金額をこのお店で費やしたことはないのだが――つまり私はこの店の「ファン」ではないのだが――、この人の名前を知ったころの、まだ高校生だったころの自分にとって「アニタ・ロディック」といえば、まだ行ったこともないイギリスという「音楽のメッカ」で、「日本では考えられないようなおもしろい考え方をして、ビジネスをして、世の中を変えつつあるたくましい女性」だった。当時の言葉遣いを交えていうと、「イギリスって女の人が首相なんだよ、進んでるよね」という時代の「ロールモデル」。(この「首相」についてはここでは触れないことにする。)

ちょうど、先週買い求めたBig Issue日本語版に、Bonoのインタビューやソーシャル・アントレプレナーの特集が掲載されていて、まあBonoはちょっと別として(インタビューおもしろかったけどね、アイルランドの音楽の旋律は北アフリカの音楽と似ているのだそうで)、UKでのソーシャル・アントレプレナーという存在はブレア政権でその足元を固めたのだが、そもそもの始まりはサッチャー政権下でのボディ・ショップの創業と社会的キャンペーンの成功のあたりにあったのだよなぁ、と思ってみたり。アニタ・ロディックの「理想主義」は「現実」に働きかけ、彼女は「英国で最も成功した女性企業家」となった。「理想論じゃ世の中動かないんだよ」的な訳知り顔をした冷笑は、彼女の「成功」という一例で、論理上は、論破可能になった。この功績はとても大きい。

そして、「ボディ・ショップがとても成功している」ことで他社が似たようなことをするようになり、やがてボディ・ショップのコアにあったethical(倫理にかなった)という理念が「当たり前のもの」になった。いまや「労働党だからエコ・フレンドリー、保守党だから環境保護無視」という時代ではなく「社会全体で共有される前提としてエコ・フレンドリー」の時代でTescoのような巨大資本もそれを重視してビジネスを展開するようになったが、そういう「時代」を可能にするうえで、企業家としてのアニタ・ロディックは大きな役割を果たした。

私がロディックのことを最初に知ったのは、確か、80年代の音楽雑誌の後ろの方のモノクロのページに載っている「ロンドン便り」みたいなコーナーで、「イギリスにはこういうおもしろいお店があってこういう人が経営している」として紹介されていた記事だったと思う。記憶がぼやっとしているのだが、時期的に重なっているのは、「クジラを殺すな」がブームみたいになって、UKのミュージシャンたちがインタビューでそれを語ったりもしていたことだろうか(そしてその内容は、日本人である私には軽く反発せざるをえないようなものであったが、こういう「ギャップ」を埋めるためにできることは何かということを真剣に考えるきっかけのひとつになった)。

アニタ・ロディックが会社から退いたあと、ボディ・ショップがロレアルに売却された(2006年)ときはがっかりしたし、自分がたまに使っていた製品もカタログから落ちてしまったので、もう店舗に立ち寄ることもほとんどなくなっている。

しかし「起業素人主婦のこういうふうだったらいいな」がここまで成功したことは事実として記録し、その上でその「成功」を高く評価すべきであろう。そして、その成功の形を問うこと、その成功の意味を問うことは別の作業として、今はただ、アニタ・ロディックの死に黙祷を。合掌。

そしてこれからも、大量生産されて大量に販売されて大量消費されるものを使いながらであっても、「この化粧品はどのようにして作られているのか、原材料はどのように調達しているのか」といったことを、マツキヨで商品を手に取ったときに、ほんの少しだけ考えてみる時間をたまには取ること、ほんの少ししかできないが、製品について知る努力をすること、それを実際の消費行動に反映させる努力をすることを心がけたいと思う。同時に「自然派」とか「天然」といったキャッチフレーズに踊らされないことも。

ちなみに私は、そもそも「ボトルの詰め替え」を思いついたのは、環境に配慮していたからというよりも、当時のボディ・ショップにはボトルをたくさん使えるような余裕はなかったからだ、という彼女のコメントが、好きだ。「高潔な理念」や「理想」というより、「フトコロ具合」と「現実」。それがいかに、「無駄」というものを人々に気づかせるか。「まだ使えるのに」を「もったいない」という一言で表さない「社会」のなかで。



Body Shopの日本法人のサイトから、「創業者アニータ・ロディックについて」:
http://www.the-body-shop.co.jp/corp/anitaroddick.html

英各メディアのオビチュアリと人物紹介記事:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/6988365.stm
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article2426176.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article2426935.ece
http://business.guardian.co.uk/story/0,,2166634,00.html
※・・・まだオビチュアリを出していないメディアもあるので、あとで見つけ次第追記します。できれば。

最後のインタビュー@テレグラフ(2007年9月5日、本当に倒れる直前ですね):
http://www.telegraph.co.uk/money/main.jhtml?xml=/money/2007/09/05/ccprof105.xml
「ボディ・ショップ創業者」というより「アクティヴィスト」としてのアニタ・ロディック。
"I was able to go into this huge organisation like a Trojan horse." For Dame Anita Roddick, selling The Body Shop last year for £652m was a chance to infiltrate the French cosmetic giant L'Oreal, a company that tests on animals.

Animal rights campaigners were horrified, accusing Roddick of "selling-out" as she picked up a cool £118m for her stake and handed The Body Shop over to the enemy.

But they should have given her more credit. The move was just the latest battle in Roddick's war, and today she's "absolutely bloody thrilled with it".

"People were measuring me as the founder of The Body Shop, but I'm an activist," she explains. Certainly, Roddick oozes activism. She sits right on the edge of her seat as we talk, leaning in to conspire, pushing her unruly hair from her face. A youthful 65, she is as forthright as her reputation suggests, and yet a surprisingly petite 5ft 2in.

Getting under the skin of L'Oreal was a huge risk, she admits. "I couldn't have controlled them if they'd wanted to ruin The Body Shop."

...

Roddick famously pledged to give away her Body Shop windfall to charity last year. "I come from a very socialist background, and wealth preserving wasn't part of my thinking," she says.

So, what has Roddick done with her millions? She's having a "joyful" time giving away around £3m a year. Roddick says allocating the money is easy. There are the things she rules out ("conferences and sports"), and there the things she seeks out: leaders in the community - in human rights, social and environmental justice, trading in the community, and the arts.

In pursing these, she has little faith in the Government and complains that companies aren't good at auditing themselves.

"I think it's coming to this vigilante consumer who is now getting a voice, who's being supported by NGOs. The answer isn't always boycotting, the answer is often shaming. Getting into their annual general meetings."

A mention of The Body Shop's AGMs and Roddick admits that her greatest regret is floating The Body Shop on the stock market, tying her to the "language of the City" - the bottom line.

"We would have got everywhere we'd wanted but at a slower rate. We'd have been as political as we wanted, and I don't mean that party politically. We would have been more ferocious in our campaigns," she said.

Party politics aside, Roddick would have our new Prime Minister reduce the military budget and plough the money into health, security, education and looking after the elderly.

As for the "green" agenda, Roddick says: "I'm just going to hold fire and hope to God that Brown is going to do a better job [than Tony Blair]."

She was fascinated by Mr Brown's recent meeting with President George W Bush. "He wasn't doing that dandy thing on that bloody golf cart. He was pissed off. And his wife didn't come, so he wasn't doing this genial scene that Bush can control. I think he's more serious than Blair."

...

「ブラウンはブレアみたいにチャラくない」―― He wasn't doing that dandy thing on that bloody golf cart. この英語のフレーズは覚えておこう。dandyの用例として、また、ロディックのコメントとして。




タグ:訃報

※この記事は

2007年09月11日

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1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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