「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2007年09月06日

「テロ特措法」(仮タイトル)

いわゆる「テロ特措法」こと「テロ対策特別措置法」のフルネームは:
平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法

「改行のない読みづらいメール」みたいなこの記述に改行を入れて読みやすくすると:
平成十三年九月十一日の ※
アメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に
対応して行われる
国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して
我が国が実施する措置
及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置
に関する特別措置法

(※実はここで改行するかしないかが問題だったり)

「英→日等翻訳等を前提とする作業等を日常的に行う者の複雑な構造の英文等をとりあえず日本語に下訳だけはしましたみたいな記述のあまり読みやすくないメール」みたいになっているだけなので、「日常語化」する(ついでに年号は西暦に変更し数字をアラビア数字にする)と:
2001年9月11日に
米国で発生したテロ攻撃等に
対応して行われる
国連憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して
我が国が実施する措置
及び関連する国連決議等に基づく人道的措置
に関する特別措置法

ようやく「私でも読める」ものになったような気がする。

これはつまりどのようなことを言っているかというと:
2001年9月11日に
米国でいわゆる「9.11」事件が発生するなどしたために (because)/発生したあとで (after)、
いろいろと対応が必要になったわけですが、
そのときに国連で国連憲章に基づいて話し合いが行われ、各国が活動を行なうということになりました。
わが国も各国の活動ということで動くわけですが、そのときに
こういう措置を実施しますよ、ということで、
それから、その件に関連して国連決議で人道的措置というのも行なうことにしたわけですが、
それも含めて扱う特別措置法です。

※むろん、日常語化については、私のこれが唯一絶対の結果であるというわけではない。(なんか、かたくるしー日本語が伝染してきたよーな気がしてならないのだが、少し考えてみれば、実は普段からこうのような気もしてくる。)

なお、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に」の部分は、スラッシュ・リーディングの要領で区切りを入れるとき(上の例では改行)に、「平成十三年九月十一日の / アメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に」とするかどうかで結果が違ってくる。なぜなら「等」があるから。

「等」があることで、「911事件など」を意味している(つまり、「911事件」以外の事件も含む)ということになる。この「等/など」によって具体的に表されるものは、結論からいえば、要するに「アルカイダ(系の諸組織・諸グループ)のテロ攻撃」である(←と断定する根拠そのものを詳細に検討する必要もあるのだが、ここではとりあえずスルー)。つまり、この特別措置法は「アルカイダのテロ攻撃に対して日本がとる行動について規定する法律」ということになる。

「アルカイダ(系の諸組織・諸グループ)のテロ攻撃」としては、例えば「911事件」直後の「炭疽菌」の事件が真っ先に思い出されるが、ほかにもいろいろあった*はずで(リチャード・リードの靴爆弾事件とか)、それを逐一リストにしていると台風9号が首都圏を直撃して東北地方まで到達してしまいそうなので(<実況)、ここでは、日本語のニュースのことばにおいて、「国際テロ組織アルカイダ」というフレーズを「決まりきったフレーズ」といえる存在にした事件(群)のこと、とざっくりまとめて先に行く。

というわけで、この法律のキーは「911事件と、その後に続いた事件(群)」、つまり「アルカイダ(系の諸組織・諸グループ)のテロ攻撃」への日本の対応とは何なのか、ということにあると考えられるのだが、ではこのカギカッコ内の言葉は何を指し、何を指さないのか。

2001年9月にあの大惨事が実行され、その後アメリカでいくつかの「これまでは考えられなかったような事件」(実はそうではなく、この事件の行為主体が「これまでは考えられなかった」のだ)が続発し、東京のテレビのニュースでも毎日トップで伝えられるのが「今日のニューヨーク」という日々が続き、やがてブッシュの演説を経て国連へ、そして国連決議へ、と事態は動いて、10月にはアフガニスタンが爆撃されていた。12月にはカブールが「解放」されていた。タリバンが退却したあとのカブールには軍隊だけでなく国連や各国のNGOが入り、「復興」が華々しく伝えられた。特に「女性が外に出られる社会」という側面が強調されていたことを、生々しく、そして苦々しく思い起こす。「女は家で」という社会規範を持つ社会に変化の波が、という色の報道の数々。(あのころに米国から賞讃されていた「勇気ある女性」は、その後、米国のサポートもなくなって、表舞台から消えたとしばらく後に報じられていた記憶があるが、このことは後で調べてみよう。私の記憶違いかもしれないし。)

こんな感じで2002年はじめには、「次はイラク」という話になってきていた。イラクに限らず、多くのことが「テロとの戦い war on terror」ということばで全面的に正当化されつつあった。

そのころ無根拠に、なんか、アルカイダの背後にいるのはイラクらしいじゃん?って雰囲気はあったのかもしれない(記憶がはっきりしていない)。イラクのサダム・フセインは暴君であり残虐非道である、ということは私はとっくに知っていたが、同時に、「サダム・フセインは宗教が嫌いなんだよ」とも聞いていた(どこで聞いたのだろう?)。だから、アルカイダが、言われているように「イスラム原理主義」の組織であるとした場合、なぜサダム・フセインがそれをサポートするのか、まったく整合性が取れてないじゃんと思っていた。

そのころに「イラクの大量破壊兵器」が「世界にとっての脅威」である、との主張がどんどん出てくるようになった。アメリカが「テロとの戦い」はひとりアメリカだけのものではなく、全世界的なものである、との立場でいろいろな主張をし、イギリスが「イラクの大量破壊兵器は欧州にも届く」とか「45分で配備されるかもしれない」といった大袈裟なことばでそれを語るようになり、なし崩し的に、「イラクは世界の敵」のような言説が固められていった。

そして国連の武器の専門家チーム(査察団)がやれるだけのことをやった、という「現実」が明らかに示されたとき、私は東京で、イラクについて書かれたジョン・ピルジャーやロバート・フィスクらの文章を読みながら(少しは翻訳もしている。自分には直接、事態を動かすことができないことへのフラストレーションが動機になり原動力になっていたのだと思う)、小泉政権がほとんど「無条件」と言ってよいようなふうに「アメリカを支持する」と言明した「現実」を、扱いかねていた。

「テロ特措法」は、そういう流れが完全に確定しつつあった時期、「911事件」から約2ヵ月の間に、日本国の国会で法案の提出→審議→可決・成立という経緯で制定された時限立法だった(施行・公布は2001年11月2日)。

そのときに目の前にあったのは、「アルカイダのテロ」と「アフガニスタンへの武力攻撃(タリバンへの攻撃)」だった。日本はそれに対してこういうことをします、という話だった。

では、そのときに、「サダム・フセインのイラクを攻撃する」ということは?

それはまだ行われていなかった。それはまだ法的根拠を取り沙汰されていなかった。それはまだ何も始まっていなかった。しかし、それは既に、「プラン」として存在していたし、存在していることが何となく伝えられていた、と記憶している(違っているかもしれない)。


成立したときに「テロ特措法」は時限立法で、「有効期間は2年間」とされていた。つまり臨時の法律だった。

しかしその「2年間」で、あっちの状況が変わってしまった。2001年11月にはサダム・フセインのイラクは武力攻撃されていなかった。2年後の2003年11月には、サダム・フセインはバグダードから逃げ出していて、イラクには米軍や英軍やオランダ軍やイタリア軍やスペイン軍や……がいた。彼らはそこで「治安維持」と「復興支援」を行なっていた。その間に日本国は、もうひとつの時限立法、「イラク特措法」を整備していた(2003年7月26日未明に成立、4年間の時限立法)。

「テロ特措法」が有効であった2年の間に、アフガニスタンはとりあえず一段落したという形式が整えられており(実は一段落したのではなく次のフェーズに移行というだけだったのが後から明らかになるのだが)、イラク戦争が現実になった。

日本国の法律が米国の行動に影響を及ぼすはずもなく、米国は日本の法律のことは日本に任せて自分たちは関与しないのだから(もし関与していたら内政干渉だ)、「日本は例のあの地域に自衛隊を出している」ことは認識していても、またその「自衛隊」が「陸上 army」なのか「海上 navy」なのか「航空 air」なのかを正確に認識していたとしても、「あの地域」のどこに、ということが「問題」になるとは思っていないだろう。

そして、「あの地域」をひとつのまとまりとして扱うことは、軍事の面では合理的なことであり、また米国内では整合性が取れているのだろう。

けれども、日本は日本として、また法律は法律として、「あの地域」をどう扱うべきなのか。実際問題として「対イラク」なのか「対アフガン」なのか、方向で区別されておらず一緒くたになった地域(←この場合、ほんとは海域とすべきか)を、どう扱うべきなのか。

「対イラク」がそこに入ってくると前提されていなかったときに、その前提なく制定された法律は、「対イラク」が入ってきた今でもまだ、有効期限が切れたら延長される、という形でずるずるといつまでも有効、ということで例の北海道銘菓のような状態になっていいのか。

この国会でそれについての厳密な検討、議論、そういったものが行なわれることを、おおいに期待している。日本国民のひとりとして。

これは、「法律」を「現実」の前でどうするか、というとても大きな問題だ。

そもそも、「有効期間は2年間」として制定された法律が、情勢が根本的に変化してしまった後においてさえ、そのまま「延長」されていることの是非、という大きな問題もあるだろう。

国会議員の人たちがこのことをどう扱うか、私は見ていることにする。

そして、米国が米国のwar on terrorを、国際的視野に立ったときに法的にどう正当化しているのかを、その時間を作って調べることができればしたいと思っている(が、できるかどうかはわからない)。

こんなふうに、あれもwar on terror、これもwar on terrorで語られることは極めて危険であると、この「新語」が持ち出されてそんなにたたないうちに恐ろしく感じていたのだが、現在に目を転じてみると、まるで、あのときに「アルカイダを支援するタリバン」という言い方がされていたように、「イラン国内のシーア派武装勢力を支援するイラン」という言い方がされていて、恐ろしさはますます大きくなっているのだ。

まあ、「あのとき」とは違って、米国の軍事的パートナーである英国が、war on terrorという用語を公的に使うことをやめてしまっているし(しかし舌は何枚も隠し持っていると前提してかかるべき英国のこと、彼らがwar on terrorという言葉を使わないことは、「米国の言い方に付き合うのはやめた」ということしか意味していないと考えるべきだが)、この数日、英軍関係の「将軍」というタイトルを有するような人やその他高い位にある人たちが、米国について「知的に破綻している intellectually bankrupt」と発言するなど、おもしろい興味深い動きもあるし、第一に、イラクでアンバール州が大変なことになっていた2005年に、米国が「シリアが裏にいる」と主張しまくる一方で(そういえばここしばらく「国際ニュース」でシリアの名前を見てないな)、「イランが裏にいる」と主張しまくっていたのは英国だ。

まあ、英国は南部担当で、南部はシーア派で、しかも南部のシーア派はイランとのつながりが強い(サダム・フセイン政権下でイランに亡命していた宗教指導者、など)のだから、「英国はイラン、米国はシリア」な住み分け(?)があったのはわかりやすい話なのだが。

でもその後、イランのほうがあの大統領になっちゃったんだよな。。。ニュースでわかる範囲では、常にニヤニヤしながら英国と激しく挑発しあっているのだが(そういうところはロシアのプーチンにも似ている)。




*:
大人なら、6年前のことなら自分でもだいたいは覚えているものだが、なんかちょっとぼやーんとしているなあということがあっても、こういう場合に便利に参照できるウィキペディアの「この年のこの月の出来事」リストのようなものを数か月分参照すれば、ごっちゃになっている記憶もすっきりする。

炭疽菌事件の発生は、ウィキペディア日本語版には明示されていないが、英語版を参照すると、同年9月17日か18日から10月9日だ。何かもう自分でもすっかり忘れていたので改めてメモっておくが、「911事件」は日本でBSEが初めて確認されたのとほとんど同時のニュースで、個人的には、ニューヨーク在住の知人の安否確認やら、自分には問題とされる期間に英国滞在暦があるためにBSEに関連して献血禁止になってる件はどうなるのだろうとか、んなことより「911」で世界規模の戦争になるんじゃないかとか、そんなこんなでバタバタしていたなあと。もう6年も経つのか。



10日、夜11時ごろからの日テレニュース、嵐の櫻井くんがキャスターをつとめる(原稿をわかりやすく説明する)コーナーで、「911に対応」と断言。つまり「等」を度外視。日テレでこれか。。。話をわかりやすくするため(その後はインド洋での活動についての解説)かな。民主党の意見を紹介(「アメリカの戦争」)、先日の江田議員のテレビでの発言を江田議員と明示せず紹介し、民主党案(人道物資の直接の支援)を紹介し、最後は日本が給油をやめると「各国の反発」も予想される、というのとあと1つ、何だっけ、忘れちゃしょうがない。で、「各国の反発」って、「誰が(どの国が)」「反発」するのかは言及せず。そしてその「反発」の具体的内容についても言及せず。「反発」? 実体のないものじゃないの? 「日米同盟」なんでしょ。米国さえ見てれば万事オッケーなんでしょ。「各国の」とか持ち出す必要なくないか?

・・・あと、「事実」として、ここしばらくは、英軍の上層部が「米軍ってのは」とか「米国ってのは」というコメントを垂れ流している。政府のメディア規制らしきものもない。テレグラフ(軍人御用達新聞)で垂れ流しがまったく放置されている。まあ元々、アブグレイブのころから、「英軍は米軍とは違う」で内部の引き締めを行なっていた英軍だから(「法は守る、それがわが軍である。乱射狂ではないし、とらえた人をああいう目に合わせたりしない」みたいな。その英軍でも拷問事例などは報告されている、というのは言わずもがな。さらにバスラでcovert operationが発覚してすべて台無し)。

・・・まだ書きかけですがひとまず。書き上げるまでコメントはオフ。

※この記事は

2007年09月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:54 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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海上補給活動について、日米首脳は本当に意見が一致したのか
Excerpt: 安倍首相とブッシュ大統領の会談に関する報道について、気がついた点、その一。日本での報道はだいたい、 大統領は「日本の支援は、米国はじめテロとの戦いに参加している国際社会のメンバーにとって不可欠」と述べ..
Weblog: 壊れる前に…
Tracked: 2007-09-09 00:04

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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