「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年08月23日

キース・リチャーズと消されたタバコ

7月1日からイングランドでも屋根と壁のある公共の場所での喫煙が禁止され、シーシャ・カフェが虫の息になっているとか、シーシャ・カフェの顧客に罰金とかいったニュースが7月末から続いているが、シーシャとは別に、「タバコ」を一種のライフスタイル/カルチャーにしている人たちのニュースが飛び込んできた(<マスコミ語)。

といってもこの人(たち)はスコットランドの禁煙法でも同じことをやっているので、「ニュース」というより「お約束」のエンターテイメントだと思うが。

Smoking Stones avoid stage fine
Last Updated: Wednesday, 22 August 2007, 13:27 GMT 14:27 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6958627.stm

いわく、ロンドンのグリニッジにあるO2アリーナ(元「ミレニアム・ドーム」)でのコンサートの際、ステージ上でロン・ウッドとキース・リチャーズがいつものごとく「くわえタバコでロケンロー」した。

テレグラフによると、ロン・ウッドはタバコをくわえてはいたが火はつけていなかったようだ。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/08/23/nstones123.xml

禁煙法に違反すると、そのハコが£2,500(だいたい50〜60万円:最近の為替相場の変動の激しさから、幅大きめに見ておきます)の罰金を科されるが、ストーンズのこの件では消すのが早かったため罰金なしということになったとのこと。

キース・リチャーズは昨年、禁煙法が施行されたあとにスコットランドの公演で「くわえタバコ」をやって(それも演奏中ずっとだったらしい)、最終的にはその会場のステージは禁煙法の対象外との判断を引き出しているのだが、たぶん今回のグリニッジでもわざとやったんだろうなと思う次第。

テレグラフから、ファンのコメント:
Tony Harrison, 46, from Southampton, Hants, said: "Ronnie played with a fag hanging out of his mouth as usual.

"Meanwhile Keith lit up time after time. It's what they have always done and it seems the new law is not going to change that.

"They may be older but I guess their sense of rebellion is still there if they are still defying the law."

うははは。「反抗精神の表れ」。でも「消しなさい」という指示がステージに届けられる前に消してしまったりと適度に遵法精神の表れでもあり、さすがスイスの病院で全身の血液を入れ替えているだけのことはある。(まったく意味不明。)

しかし「くわえタバコ」というヴィジュアル的トレードマークを封印したローリング・ストーンズはちょっとさびしい存在になりかねない。電気仕掛けのニセのタバコ(煙ではなく水蒸気が出るような)とか開発して、キース・リチャーズの伝統芸はぜひとも継続していただきたいと思うんだが。

(なお、ストーンズといえば、初来日の東京ドームのときに列の並びの人が「チャーリー、がんばれっ!」と激励し、一帯が爆笑に包まれたことが思い出されてならない。実際、ドラムのもたつき具合は相当なものだったのだが、客席から「がんばれ」と応援されるミュージシャンはあまりいないと思う。)


※この記事は

2007年08月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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