オペレーション・バナー終了の日のガーディアン、トップページ。

ガーディアンの写真特集:
The end of Operation Banner
http://www.guardian.co.uk/news/gallery/2007/jul/31/northernireland?picture=330305298
BBCのIn Picturesは多くがMoD写真だったけど(→参照)、ガーディアンは報道写真。全14点。
1点目は1969年8月14日、デリーのボグサイド(最初の派遣)。2点目が同年同月12日、バトル・オヴ・ボグサイドで警官にぶちのめされた人が運ばれていく様子(この「混乱」に警察が「対処」できず、英軍の派遣が要請された)、3点目は同年同月15日、人のいないボグサイドをパトロールする英軍車両。
4点目、1970年7月のベルファスト、フォールズ・ロード。5点目、1971年3月24日、ベルファスト。壁にはIRAのスローガンがたくさん。
6点目、1972年1月30日、デリー。逃げようとする男性の髪の毛をつかむ英軍兵士。この写真はたぶんこれまで見たことがない。7点目は1972年2月3日、ダブリンの英国大使館爆弾事件(ブラッディ・サンデーへの抗議/報復)。
8点目は強烈。1976年9月17日、フォールズ・ロード。住宅街で炎上する車と、それを見ながらおしゃべりしている女性たち(たぶんその家の主婦)。燃えるのを見ている子供の姿もある。
9点目、1979年1月31日、ロング・ケッシュでのダーティ・プロテスト(トイレのために房を出ると看守に暴行を受けるので、リパブリカンの囚人がトイレに行くことを拒否、排泄物を壁に塗りたくり、刑務所の衛生状態が最悪に)。
10点目、1987年ごろ。壁に書かれたシン・フェインのスローガン(Join Sinn Fein)と、「Dessie Ellisを死なせるな」というポスター(この人は、イングランドでの裁判に抵抗してハンストをしていたので、そのときのものかもしれない)、およびRUC, UFF, UVF, UDRは一体であるとするポスター(アルファベット・スープではなくクロスワード)。
11点目、1988年9月。場所は明示されていないが、ふつうに住宅街の小さな商店街みたいなところで、IRAと英軍との衝突のあとに燃えている車。
12点目、1996年7月13日、デリーでの「暴動鎮圧」で英軍によって殺されたDermot McShane (a former member of the IRSP and the INLA) の葬儀。彼は軍用車両に轢き殺された。この事件では欧州人権法廷が2002年に英国が十分に調査を行なっていないことについて、英国に有罪との判断を示している。
13点目は1996年10月10日、リスバーンの英軍への攻撃。炎上する何か(車かな)とひどく損傷を受けた家屋、マットレスで運び出されてくる人。平服の人と軍服の人、医療用具のトランク。
14点目は2000年8月22日、ベルファストのシャンキル・ロード。UFF(つまりUDA)とUVFとの抗争で銃弾が撃ちこまれた163番地(タクシー会社)を警備する英兵。
BBC Worldのレポート(2分45秒):
http://www.youtube.com/watch?v=jsAaYpe91z4
レポーターはデニス・マレー。サウス・アーマー(たぶんボーダー地帯)での最後のフット・パトロールの映像に続き、1969年8月の最初の派兵のときの歓迎ぶりの映像(おかあさんたちがお茶などを勝手に持ってくる)、カトリックに対する治安当局の暴力の映像、1971年インターンメント導入時のベルテレさん紙面、1972年1月30日のブラディ・サンデー、IRAとの銃撃戦、(たぶん)爆弾で破壊された軍用車両の映像と資料が続き、1980年に派兵されたカーネル・ウェイン・ハーバーのインタビュー、レポーターの説明が入り、1994年の停戦のときの様子(ピースラインの横を、アイリッシュ・トリコロールをはためかせた車がパレード)、ブレア政権下のnormalisationでの1998年の監視塔撤去作業(IRA停戦と引き換え)の映像。最後にNIに残っていたスコットランドのブラックウォッチのイアン・ヒューストンさんのインタビュー、オペレーション・バナー終了にともなって閉鎖されるヘリポートの様子(部屋がすでに使われていない)。
BBC Northern IrelandのNewsline、映像:
http://www.bbc.co.uk/northernireland/bbcnewsline/investigates/operation_banner.shtml
現時点では次のものが上がっている。要RealPlayer。
- Vincent Kearneyのオペレーション終了時のレポート(→記事としては昨日取り上げたもの)
※http://youtube.com/watch?v=MimgUPG9rEc にも。
- 1970年のフォールズ・ロード一斉捜索(the Falls Road curfew)が報道陣に公開されたときのraw footage(未編集資料映像)
※http://youtube.com/watch?v=cnzYPGW60f0 にも。歴史的資料としてたいへん貴重なもの。撮影は装甲車か何かの上から行なわれている(目線としてはダブルデッカーの2階席)。このとき、Falls Roadでは「誰も家から出てはならない」「ドアから出たら撃つ」ということになっていて、街路には英軍兵士しかいない。何人か、ドアから外をのぞいたり、窓から外の様子を不安そうにうかがったりしている人がいる。
- 1972年7月末にベルファストとデリーのno-go areaを英軍が強行突破したオペレーション・モーターマンから35周年のVincent Kearneyのレポート
※http://youtube.com/watch?v=_6AEt_RHc4w にも。Free Derryのゲーブルの前でのレポート。オペレーション・モーターマンの初公開映像(英軍資料、機密)とインタビュー(エイモン・マッキャン含む)。何かすごいものがさらっと公開されてますけど、という感じ。元兵士のJack Dawさん(上のオペレーション・バナー終了のレポートでも出ている)の証言とか、超貴重。
- モーターマンのときに弟が英軍に射殺されたMargaret Hegartyへのインタビュー(この事件では誰も裁かれていない)
※http://youtube.com/watch?v=-OFu71x4aMQ にも。YouTubeののほうが音声が聞きやすい。例によって「彼は武装していたのでわれわれにとって脅威であり射殺」と軍が説明し、実際にはまるで丸腰だった、というケース。
- Tommy McKearney (元IRAハンガーストライカー)、Malachi O'Doherty(ジャーナリスト)、Peter Taylor(ジャーナリスト)と振り返るオペレーション・モーターマン(NIで生放送されたものらしい)
※大まかには、ピーター・テイラーが「軍は勝利はしなかったが、政治的プロセスを動かすために非常に重要な役割を果たした」との見解、マラヒ・ドハーティとトミー・マックカーニーが「軍は問題の一部であった」との見解。なおかつ「軍は教訓を学んだか」については「結局はバスラでも同じことをしている。一般人の間に軍を入れるときに、必ずそこには問題が生じる。一部の軍人が規律を無視する」といった話。
- 北アイルランド派兵を経験した英軍人へのインタビュー
※最初の1分だけ見て、イラクの米軍のインタビューで「始終襲われるのではないかと安心していられる時間がない」とか「ブッシュ政権のおかげで任期がずるずる延びている」とかいったことが語られているのと同じだと思ったんで、最後まで見てません。
※この記事は
2007年08月01日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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