「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年07月29日

「デリー解放区」がピンクに。

'Free Derry' is pink with pride
Last Updated: Friday, 27 July 2007, 15:46 GMT 16:46 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6919655.stm

Why Free Derry is now pretty in pink...
Saturday, July 28 2007
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article2812410.ece

「アイコニック」といってよいデリー(ロンドンデリー)の "You are now entering Free Derry" の表示(「ここから先、デリー解放区」)が、まっピンクに塗られた。BBCの記事に写真がある。ふだんは白地に黒い文字。

この表示ができたのは1969年1月。デリーは、人口構成ではアイリッシュ/ナショナリスト/カトリックのほうが多かったが、「支配者層」のユニオニスト/プロテスタントが政治を独占している状況(ゲリマンダーなどによる)で、「デリー解放区」は、当時「白いニグロ」と呼ばれたカトリックの(貧しい)住宅街だった地域を、住民たちがバリケードで囲んで自分たちで名づけた区域である。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/places/freederrycorner/appeal.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Free_Derry

Wikipediaの記事の写真を見ればわかると思うが、この表示のすぐ向こうはボグサイドである(公民権運動、「ボグサイドの戦い」などを描いたBogside Artistsと呼ばれる人たちによる壁画が見える)。1972年1月30日の「血の日曜日」事件の現場となったのもこのあたりだ。つまり「北アイルランド紛争」が最も可視的だった地域のひとつ。また、デリーは歴史的に「プロテスタントがカトリックを打ち負かした地」(1688年から89年のデリー包囲戦)でもあり、プロテスタントが勝ち誇るための祭り(アプレンティス・ボーイズのパレード)もあったりする。

このあたりは警察や軍にとっては立ち入れない区域(no-go area)で、1972年1月30日、公民権運動のデモ隊を封じ込めるためにベルファストから投入された英軍部隊は、そのとき初めて「デリー解放区」の存在を知って驚いたという(BBC記事)。

たぶん70年ごろのボグサイド(デリー解放区)の様子(資料映像):
http://www.youtube.com/watch?v=_LaXHXlvCRw
まさにno-go area、物騒なものを持って顔を隠した男たちが「部外者」が入ってこないように、「地域の安全(と自分たちの組織の安全)」が保たれるように、がっつり「パトロール」をしている。

1972年7月、英軍がものすごい規模の作戦(モーターマン作戦)を行なって解放区のバリケードを破壊、デリー解放区は「奪還」された。現在、「解放区」の表示は家の壁だけになっているが、元々はちゃんと家の壁に書かれたもので、その家はこのモーターマン作戦で破壊された。

で、この「デリー解放区」に対してはプロテスタント側から非常に敵対的な反応があった(Wikipediaの記事にいろいろ書かれているから詳細は飛ばす)。

この5月に北アイルランド自治政府のファースト・ミニスターとなったイアン・ペイズリー(80歳)は、このころ宗教指導者にしてアジ演説家、反カトリックの運動の指導者だった。

一方で、現在自治政府で副ファースト・ミニスターをつとめるマーティン・マクギネスは、解放区が作られたころ、つまり「北アイルランド紛争」が始まったころは20歳にもならないデリー生まれ・デリー育ちのナショナリスト/リパブリカンで、後にIRAデリーの指揮官となった人物である。

それが、この5月の自治政府復活の式典のさいには、「高齢のペイズリーを階段のところでアシストしているマクギネス」という光景が見られたのだから、ほんと、世の中わからない。

また、「紛争」の終結した現在では、「デリー解放区」は「観光地」になっている。

さて、今回まっピンクに塗られたのは、8月のPride Weekのため。ベルテレさんから引用:
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article2812410.ece
Jim Collins, spokesman for the feile (=the Gasyard Feile), said: "The feile decided they wanted to do something for the gay community and we thought this was a good public, creative and visual way of celebrating Gay Pride.

"More and more people now are accepting people's right to sexual freedom. There will always be a small minority who you could call homophobic, but they are not representative of the wider public."

Mr Collins said that the new pink facade was in keeping with Free Derry Corner's historical usage.

"The wall is such a powerful symbol. It is all about freedom and we want to utilise it in a contemporary way. It is not a static monument, but something that is alive and has significance."

David McCartney, project co- ordinator with gay rights group The Rainbow Project, said the gay community in Derry were delighted.

"This is a gift to Pride from the Gasyard Feile and it is brilliant," he said.

"The Free Derry Wall is a powerful symbol of civil liberties.

"We have had a really positive response and support from the Gasyard, Dove House and a whole range of different groups.

"We have also had local boxer John Duddy's best wishes for Pride and him saying it is great - Derry is becoming so progressive."

Free Derryのfreeが意味するものが、こういうふうに変化していくと考えた人は、モーターマン作戦のころにいただろうかとちょっと思う。

なお、ピンクという色は、ナチス・ドイツが同性愛者につけさせた三角形のワッペンの色だったことから使われるようになった意味で選ばれたのだと思う。Prideならレインボーという選択肢もあっただろうと思うが、それだと文字が埋もれてしまいそうな気も。

Prideのイベントは8月13日から18日まで。the Rainbow Projectが主催、Derry City Councilとthe Community Foundation For Northern Irelandが共催。



北アイルランド紛争について、「カトリックとプロテスタントの争い」といった言い方が頻繁になされる。私も説明の便宜のためにそういう言い方をすることがある。ただし、「カトリックとプロテスタント」という図式は本質的なものではないことに注意されたい。「ナショナリスト」(「リパブリカン」を含む)は必ずしも「カトリック」であるがゆえに団結しているわけではなく、したがってヴァチカン(への信頼・信仰)によってつながっているわけではない。(「カトリック」の儀式が彼らの団結を強めた局面はあったにしても。)同性愛に対するヴァチカンの態度と、北アイルランドのナショナリストの態度とは一致しない。(ただし、ナショナリストが全員、社会の中の同性愛を受け入れているわけでもない。)

一方で、北アイルランドにおいて同性愛にアンチの態度を貫いているのは「プロテスタント」の側であるが、これは「英国の一部」という政治的な主義主張によるものではなく、彼らの宗教がキリスト教原理主義(ファンダメンタリズム)といえるものであるためだ。ただし「ユニオニスト」のすべてがファンダメさんというわけでもない。それでも、この件について声がでかいのはファンダメさんだということはできると思う。なお、ファンダメさんではDUPのイアン・ペイズリー党首が設立した「フリー・プレスビテリアン教会」が最右翼だが、政権を担ってしまったあとはかなり静かになっている。(この夏のPrideには行政も資金を出すが、その行政のトップはDUPの政治家だ。)



フリー・デリーの壁がピンクに塗られた件でのバックラッシュに興味がある方はスラオさんのコメント欄を参照。ひとり、ブロッグスポット・コムのアドレスを書き込んでいる人が暴れようとしているなど。読む価値があるかどうかは保証しません。
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/pretty-in-pink/

そういえば、ロイヤリストのUDA幹部だったジョニー・アデールが、かつて友人でムショ仲間だったマイケル・ストーン(<ロイヤリストのガンマン、テロリスト)が書いた手記に「彼は監獄でソドミー三昧だった」と書かれて激怒してて、その件でも「あそこまで怒るってことは図星なのでは」といったことが言われている(書かれている)のを見たことがあるけど、スラオさんのコメント欄でもそういう感じのやり取りが。



関連記事ははてなブックマークに。下記からどうぞ。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Northern%20Ireland/LGBT/


※この記事は

2007年07月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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