「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年07月10日

音と文字の関係の問題についてのお話。

英語にはSimplified Spellingが必要だという考え方があって、なかでも「過激派」のバーナード・ショーは文字まで変えるべきとしていたのだけど:
http://en.wikipedia.org/wiki/English_spelling_reform

その話題での、Simplified Spelling Societyの人と第二言語習得の専門家(教授)との対談。

Should we simplify spelling?
Last Updated: Tuesday, 10 July 2007, 12:11 GMT 13:11 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/6250184.stm

「英語」で音と文字の関係を固定化できるかどうかが問題だと、音と文字との関係が固定化されている言語を母語とし(ひらがなとカタカナ)、まったくの外国語として英語を学んだ私は思う。例えばappleのaは「ア」、aceのaは「エイ」というのは、私にとっては「そういうもの」として見るしかなく、一方で日本語でも「はし」が「端」になったり「橋」になったり「箸」になったりする不思議というか扱いづらさはあるわけで、「なんでこれは『ア』でこれは『エイ』なのか」といったことで悩んでいてもしょうがないことは、「箸」は「は↑し↓」であって「は↓し↑」は「橋」であるということにツッコミを入れていてもしょうがないのと同じだと思っていたし。

スペルを単純化する――表音式にする――ことで言語習得というか言語の運用力が変わるかどうか、あくまでまったくの外国語として英語に接してきた私には見当がつかないけれど、少なくとも、そういうことをしてしまうと、大陸の諸言語(ラテン語系、ゲルマン語系)とのつながりというものが見えなくなり、たとえばフランス語でchambreという文字列を見たときに意味が推測できる、といった英語ならではの利点も薄れるだろう。

っていうか、やだよ、そんな、発音記号みたいなのが「英語」になったら。(あくまで感覚的な感想というか反発で、ロジックはありません。)

Simplified Spelling Societyによるスペリングの例@BBC記事から:
If u hav a por memmory yor chances of becumming a good speller ar lo. But wors stil, yor chances of lerning to read ar not good either, because of phonnic nonsens like "cow-crow, dream-dreamt, friend-fiend" and hundreds mor like them.

Poorをpor、yourをyorと表記されても、これはイングランド南西部の音でしかなく、アメリカ人には読めないだろうし、イングランドの北の方の人たちにとってはyourはyorではなくyerだ。

cowのowは「アウ」でcrowのowは「オウ」だからといって何なのだろう。うちら日本語話者は「日」が「にち」でもあり「ひ」でもあることを了解しながら日本語という言語を身につける(そのうえ「ひにち」という熟語まである!)。「本」は「ほん」であり「もと」であり、書籍のことも根元のことも表す。それだからといって日本で識字率が低いかというとそんなことはない。

・・・という反発でわかるように、私はこのSimplified Spellingというナンセンスが嫌いなのですが(特にこの人たちが日本語のかなという表音文字だけで日本語を語りたがっているような文章を以前読んだときから)、私がごにょごにょ言ってるのを書いてもおもしろくないし、そんなの読まされるほうもおもしろくないだろうから、先へ。

上記のようなSSSの意見に対する学者先生の反応:
Don't forget English has many other aspects that are a problem for children and adult learners. Our "standard" pronunciation is very hard for many people; our vocabulary is vast and drawn from virtually every language in the world; our grammar is a mystery (try explaining to a speaker of any other language when you say "I have been to Warsaw" rather than "I went to Warsaw").

our grammar is a mysteryのところで吹いた。うはははは、ほんとミステリーですわよ、英文法は。昔、haveはbeだと主張する「英文法のナゾを解く」という新書が話題になって読んでみたらますますナゾになってしまって困ったこともあったけど。(^^;)

このSSSの人は英語は母語ではないらしい。14歳で初めて習った、と述べている:
I did not begin to lern English until the age of 14, and the onely linguistic aspects I found tricky wer idiomatic expressions like "get off, back up, turn up". - "I have been" and "I went" wer easy. The difference between them is consistent and logical.

これはすぐ上の先生の発言に対する返事で、「ほかの欧州の言語に比べて文法は簡単だ」と述べたあとに続く部分なのだが、おそろしいまでにロジックがない。何でここでイディオムの話になるのか、ついていけない。あげく、先生が「ミステリー」の例として挙げたhave beenとwentについて「別にミステリーではない」と反論する。ストローマン論法?

「英語って何でこんなにスペリングがややこしいの」ということで感情でスペル単純化運動を始めてしまったんじゃなかろうか。

SSSの人は、「外国人にとっては英語のスペリングの規則性のなさはとても困る」と言っているし、私もそれには同意するが、では何のために発音記号があるのか、と思うし、そんなの個別に覚えていけばよくないか、と思う(それはおそらく私が日本語話者で、漢字をひとつひとつ習得した経験があるからだ)。

SSSの人と先生のやり取り(笑える):
MB: But the alphabetic unreliability of English spelling is a huge problem. ...

VC: A problem for what? When reading simple words I don't turn letters into words but words into meanings: "the" is not "t+h+e" but a whole symbol "the" like "@".


先生のこれ↓に拍手喝采:
VC: Well I think this brings us to the crunch of the problems with spelling reform: the mistaken idea that spelling exists for reading aloud and the belief that the human mind works better with a few rules rather than with lots of individual items.

このしばらくあとのやり取りで、先生は「大別して世界の言語には表音と表意の2つの体系があって、英語はその両方の側面を有している」とものすごく基本的なことを述べている。それに対してSSSの人は「中国の漢字は見れば意味がわかるが英語はそうではない」と述べている。で、彼女の挙げている語を見ると、ゲルマン語系統の昔っからあったような語ばっかりなんだよね。

この人、何語が母語なんだろう。調べたらわかりそうなものだけど、調べるのもばかくさい。上のほうでLithuanian, Russian, German, French, Spanish and Italianを習ったと言っているので、それらは外国語なのだろう。(あるいはリトアニア語が母語なのかもしれない。)

で、この人の発言を見ていると、「音」を絶対視してるんだよね。そして、英語は「音」と「文字」の間に規則性がほとんどないから、子供が習得するのに苦労していて、云々と主張している。

これがどこまで妥当なのか、私にはよくわからないのだけれども(実際に就学している英語圏の子供の書いたものをちゃんと見たことがない)、次のような発言から、ちょっとファンタジーの中にいる人かもしれない、と思わなくもない。
MB: A few minds can deal with a vast number of individual signs or spellings with relative ease, but the vast majority can't. Many rural Chinese are reportedly still completely illiterate. Literacy acquisition is certainly very difficult in both Chinese and Japanese. Children learn to read and write with an easy phonetic system first and then gradually acquire the more difficult traditional orthographies.

"Many rural Chinese are reportedly still completely illiterate." ってそれは過去における教育という制度の問題であって言語の問題ではない。"Literacy acquisition is certainly very difficult in both Chinese and Japanese." というけれど、日本語という言語は覚えることが多くて習得がとりわけ困難であるというのなら、日本で読み書きができない人がどれだけいるのか。(直前の「中国の農村部では」からのつながりで読むと、そうツッコミをいれざるをえない。)

実は日本語も「けふ」と書いて「きょう」と読む、「きやう」と書いて「きょう」と読む、といった表記法を改めて表音式にしたという歴史はある。というか英語も「正しいスペル」なんてものはなかった時代のあとに、「正しいスペル」が作られた言語だ。この先いつか英語のスペルが(再度)「近代化」されることもありうるのかもしれない。

もしもそうなったときにどういうことになるか、先生の発言がひとつの可能性を示している。あくまでも可能性。
Spelling reform for English based on links between sounds and letters has to relate to a single accent ... This disadvantages once again children with non-standard accents, say those who would naturally spell "bath" as "barf". It also cuts accents of English off from each other; a Londoner would not be able to read Geordie, a person from Sydney a letter from someone in Ottawa.

この線でいくと、数百年先には、「イングランド南西部語」と「東部ロンドン語」と「ジョーディー」と「マンチェスター語」と・・・といったように分化しているかもしれないし、むろん北米大陸とかオーストラリアとか、そのほか英語圏諸国はそれぞれの言語を有するようになる、ってことにならない?

そしたら今よりもっとややこしくなる(今でも十分にややこしいです。話されているエリアが広いから)。しかも、そこからまた数百年経過したら発音が変わる。そしたらどうするんだろう。

なんか、手に余る題材についてアホなことを書いたような気が山盛り。

413080250Xソシュール一般言語学講義―コンスタンタンのノート
フェルディナン・ド・ソシュール 影浦 峡 田中 久美子
東京大学出版会 2007-03

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※今年出たばかりの新訳。まだ買ってません。

外国語の学習という点で非常に頭をやわらかくしてくれる本:
4480085432わたしの外国語学習法
ロンブ カトー Lomb Kat´o 米原 万里
筑摩書房 2000-03

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英文法のミステリーといえば、「a lot of 〜はなぜ複数形で受けるのか?」(例:a lot of * have)と質問されたのが自分的には筆頭だ。たしか「a lot of+複数形」→「lots of+複数形」と持っていって、さらに「many+複数形」から「many a+単数形」の話もして、ごにょごにょと説明した。後悔はしていない。

※この記事は

2007年07月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:44 | Comment(9) | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こうなったらエスペラントを世界標準語に
してもらいましょう。英語はこのままそっと
しておいてあげてください。
Posted by shu at 2007年07月11日 23:01
BBCの読者ご意見でも「エスペラントを」というのがあったと思うのですが、たぶん英語がややこしいのはエスペラントを普及させたい活動家の陰謀です。(笑)

ところで、en.wikipediaの下記の項をざっと読んで、改めて「何て無秩序な」と思いました。「書かれている通りに読む」ことについての項。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spelling_pronunciation

ちょっとおもしろいのは、ファウラーの時代(19世紀末〜20世紀はじめ)に既に、学校で「伝統的な発音を捨て、書かれている通りに読む」という教育が学校の現場であった、という記述。(ファウラー自身がそう書いている。)

[quote]
Fowler reports that in his day there was a conscious movement among schoolteachers and others encouraging people to abandon anomalous traditional pronunciations and "speak as you spell".
[/quote]

でもやはりLeicesterは「レセスター」ではなく「レスター」で、Greenwichは「グリーンウィッチ」ではなく「グリニッジ」。

さらに、「書かれているとおりに読む」というのは、言語が最初は音であり文字はあとからなのだから、言語学的にはイラショナルである、とか、したがって「読むとおりに書く」ほうが筋が通っている、とか、どんどん話が広がっていくのですが、少なくとも、この系統の話は約100年前からあった、ということで。

# それでも、ケルト語派の言語のライティングシステムをみれば、英語のライティングシステムは整然としているように見えます。ローマ字から入っているせいか。
Posted by nofrills at 2007年07月12日 22:32
方言差が多様だからこそ標準語が貴重なのであり、標準語は学びやすいほうがいい。せめて例外だけは修正してほしい。もちろん同音語を全て同じ綴りにする必要はない。でもいちばん困るのは、発音通りの綴りが辞書に載っていないことです。学習者の助けになるかどうか。なるとすれば、音読練習用の目的で ameeba, meedia, moast, coam などと書いてあるものを利用してカタカナ発音からの脱却とか・・・。
Posted by ReddySteddyGoJpn at 2007年07月17日 01:19
> ReddySteddyGoJpnさん
フォニックスをやっておられる方ですね。まず、私は英語のつづりのアナーキーさが嫌いではないです。「言語は記号」ということが英語を見ればよくわかるし。(ややイミフメイ。)

サイトを拝読せず、コメントだけでいうと、まず何を「例外」とするかが大変な作業になると思います。「標準語」といっても英語(British English)のRPは、日本語のそれとは異なり、官製の統一の道具ではありませんし、スコットランドではRPは「標準語」ではありません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Scottish_English

また、日本語を母語とする英語学習者にとっての「英語」についてはこのエントリでは扱っていませんので(扱えるほどの知識も私にはないと思いますし)、それはなんともいえないのですが、音読練習用なら、IPAでルビをふればよいのだと思います。「カタカナ発音」(=筑紫哲也の英語みたいなのをイメージ)それ自体は、私は悪いものだとはこれっぽっちも思いませんが(madとmudなど、ほんとに「通じない」場合を除き)、「カタカナ」については、英語学習者が耳で認識した音を「日本語の音」に変換してしまうことが根本的な「問題」だと思います。つまり、是正すべきは日本での学習のメソッドであり、英語のつづりに是正すべき問題があるとは考えていません。

breakのeaが[ei]で、breakfastでは[e]であるというのは「ややこしい」けど、表記法がわりと整然としている日本語を母語とする立場からは、世の中にこんなアナーキーな言語があって、それが世界語として大きな地位を得ているということ自体、私は相当おもしろいと思ってます。

なお、石原慎太郎がフランス語について「数もろくに数えられない言語だから国際的に使われない」云々とたわごとをヌカしたときに、「英語はスペルが無茶苦茶で音と文字が一致しないのに国際的に使われている」と反射的につぶやいたことはナイショです。
Posted by nofrills at 2007年07月18日 01:26
コメントをいただいたReddySteddyGoJpnさんのサイトに、エントリ本文で紹介しているBBC記事で語っているMasha Bellさんの文が紹介されています(Masha Bell says: で始まるところ)。
http://www.geocities.jp/spellingreform21reddysteddygo/difficult.html
# 読むのにすごく時間がかかる。シェイクスピアの英語の方がまだ早く読めるかも。

以下はサイト主さんについての文ではなく、文章を書いた人についての文です。(念のため)

Masha Bellさんが言うに、何でも、「もっと読める人が多かったら、不法な戦争を行なったブッシュやブレアは再選されなかったはずだ」とのことです。

ブッシュについてはまるでわかりませんが(<ブッシュ個人に対してすごくきついことを書いているように見えますが、単に「私はアメリカについては知らない」という意味)、ブレアの再選については「人々が読み書きできる能力」との関係はないととりあえず乱暴に(ソースも示さず)断言しておきます。読み書きができない人間が投票したからブレアが当選したのだ、なんてことはありません。英国では世論は「イラク戦争反対」だったのを、ブレアと国会が「賛成」にしてしまったということは彼女はご存知ないのでしょうか。(「イラク戦争」という問題は、西側の先進的な民主主義国家で「民主主義」なるものが機能不全に陥った事例であると考えなければならないというのが私の考えです。)

また、彼女はEnglish speaking countriesだけがイラク戦争を支持したかのように書いていますがそうではない(日本、韓国、ブルガリア、オランダ、イタリア、スペインなど参照)。

SSSなどを見ると、Masha Bellさんのおっしゃることは一部はわからなくはないのですが、彼女は人間の知的能力というものを「読み書きの能力(リテラシー)」で考えすぎです。「それがなければ向上しない」のが識字率であるとして、それさえ向上すれば世の中はもっとよくなる、というほど世界は単純ではありません。

彼女の、英語をもっと学びやすくしようという姿勢には共感のようなものすら覚えますが、イラク戦争を進めた指導者が選ばれたことについてまで「英語」のせいにするのは、明らかにおかしいです。
Posted by nofrills at 2007年07月18日 01:50
nofrills さん、ありがとうございます。

私は英語の表記法のアナーキーさは嫌なのですが、多様性については嫌いではありません。フォニックスにこだわるのは、規則性を見出しつつ、何を「例外」とすべきかを考えるためです。もちろん例外だらけなのですからIPAは必要です。音読練習用でもIPAは利用できますが、それだと綴りに対する勘が育まれないような気がしています。

それから、私のいう「カタカナ発音」は、ameba や media をそれぞれ「アメーバ」「メディア」のようにカタカナ外来語にひきずられて読んでしまったり、ローマ字式に読んでしまったりする現象のことですので、一応念のため。IPAでひとつひとつ確認すればいいと思うでしょ? でも読めませんから。辞書の発音記号一覧表を使って読み方を知っている単語と照らし合わせて覚えればいいと言っても自力ではつらいようです。学校の授業できちんと習った記憶がないのは、私だけでしょうか。簡単に読めるようになるから学校では教えなくてもいいということだったのか。

フォニックスだけわかっていても発音記号が読めないと苦労します。そのような人が私のサイトに来て落胆するのも困るので、発音記号をおぼえるためのページも少しずつ作っていますが、読める人が見たらあほらしいんです・・・、などと言いつつ宣伝してしまってすみません。徐々に学習者向けに内容を変えている最中です。

http://www.geocities.jp/spellingreform21reddysteddygo/IPA.html


Posted by ReddySteddyGoJpn at 2007年07月20日 02:26
>ReddySteddyGoJpnさん
コメントありがとうございます。IPAのページ、いいですね。ブックマークしました。

日本語のカタカナ語はすべてが英語由来ではありませんから、難しいですよね。手元の国語辞典を参照すると、「アメーバ」はドイツ語から入っているみたいです。「メディア」は元がラテン語で、[mi:dia](<IPAもどき)というのは英語話者が勝手にそう読んでいるだけと考えることもできると思います。言わずもがなのことですが、「カタカナ語」と「英語」は別のもの、という意識を持つことが重要だと個人的には思っています。

カタカナといえば、最近気になるのはentertainmentを「エンターテインメント」とカタカナにするもの。それだけならよいのですが、「エンターテ/インメント」という区切りで「イン」が高く(強く)読まれるのが、耳障りに感じられます。英語由来のものを「原音に忠実に」カタカナにすることは構わないのですが、ならば読み方も、変なところを上げないでほしいと思います。awayの「アウエー/アウエイ」も同種ですかね。(「アウェイ」という音はかなり前から日本語にあったのに!)

学校の授業では、中学1年生のときの英語の先生がthとv/fをとにかくしっかり、という感じで音と接し(その先生が筑紫哲也調だったのですが)、母音がいろいろあるんだというのは学校の外で知りました(近所の80歳を超えたようなおじいさんが開いていた英語教室があったのです)。あと学校では、中学3年で発音記号はけっこうやりましたが(発音記号を見てスペルアウトする小テストがあったような記憶もあります)、それはその先生の方針だったのかもしれません。ごく一般的な公立の中学校です。

あとは、いちいち「なんでこの音でこの綴りなんだ」ということを追求しない性格が幸いしただけだと思いますが、綴りを覚えるのが苦痛、ということは、あまりありませんでした(もちろんいつまで経っても書けない語はありますが・・・existenceなのかexistanceなのか、のような)。大学で第二外国語でフランス語をやって、綴りと音をがっつり関連付けられたのが苦痛でした(フラ語は読まない字が多すぎるのに、先生は「規則的だから簡単に覚えられるでしょう」と)。
Posted by nofrills at 2007年07月20日 09:08
nofrills さん、ブックマークしていただいてありがとうございます。アクセス数が増えたのはそのせいなのかも。

発音記号を見てスペルアウトする小テスト、ですか。そのような先生もいらっしゃるのですね。もしそれをフランス語の授業でやられたらキツイでしょうね。読むときは「規則的」でも、書くときは絶望的ですからね。たとえば mot という綴りを見て読むのは簡単だとしても、発音記号だけでは何のことだかわからない。
Posted by ReddySteddyGoJpn at 2007年07月23日 23:10
ReddySteddyGoJpnさん、どうもです。

> 読むときは「規則的」でも、書くときは絶望的ですからね。

読むほうも音読は大変だったのですが(個別の音が難しい)、書くほうはまさに絶望的でした。「け-す く せ」が Qu'est-ce que c'est? (What is it?) という厳しすぎる現実を前に、フランス語の「読まない文字」ってのは何とかならんのかと、「書いてあるなら読め、読まないなら書くな」と何度思ったことか。ただし書かなくなると今度は動詞の活用形だということもわからなくなる。と諦めたところで「規則に照らせば読まない文字だがこれは読む」が出てくる。歴史を呪いたくなりました。最後は投げ出して今に至るのですが。(^^;)

http://www.k3.dion.ne.jp/~skt/francais/
こちらのページ、フランス語についてのエッセイ集ですが、おもしろかったです。英語とはほとんど関係ありません。mot a motが「も・た・も」との表記でかわいいです。
Posted by nofrills at 2007年07月24日 07:47

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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