kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年07月09日

「ブレアの10年間」by スピンドクター、発売



はい、元記事@timesonline:
July 8, 2007
Blair wanted to quit before Iraq war
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article2042339.ece

2001年の選挙(2期目)の翌年、2002年の夏に「3期目の選挙はやらない」と党大会で述べるつもりだったらしい。

というわけで、7月9日、2003年までトニー・ブレアのスピンドクターだったアリスター・キャンベル日記をまとめた本が出版される日だってんで、8日にBBCでキャンベルのインタビューとかがあったらしく、9日の英メディアはそれぞれキャンベル本の内容紹介や抜粋を掲載、たいへんな盛り上がりようである。出版社(Random House groupのHutchinsonだとのこと)はここまでやって売れなかったら一大事だろうに。いや、きっと間違いなく売れるんだろう。私も新聞社のサイトで抜粋をちらっと読んで、この表紙(なんですか、この空気感は)を見たら買いたくなったもん。

The Blair Years

ただamazon.co.jpで見たらものすごく高い(5000円超えてる)んで、じゃあいいや、と。ちなみにUKでもList Priceは£25、amazon.co.ukでは£14.98で、Waterstone'sでは£17.50になっている。

ところで、Little Britainで「あっ! ぷらいみにすたー、あっちにすないぱーが」とか言って首相を伏せさせて、とかいうことをやる首相側近のセバスチャンは、キャンベルとマンデルソンがモデルなのではないかというウワサもある。なおセバスチャンを演じているDavid Walliamsが、"Peter Mandelson and Alastair Campbell both seemed a little too pleased with their closeness to Tony Blair and provided some inspiration for the character of Sebastian."(マンデルソンとキャンベルはブレアの近くにいることができて嬉しいって態度が見えたんで、それに触発された)と発言しているが、ネタ元が作文新聞のthe Sunなのでそこそこ疑っておいたほうがいい。だいたい発言が本物だとしても、それはコメディ役者としての鋭すぎる目、ということかもしれない。でもそういう受け止められ方があることは事実で、この本を作った側もそれは認識しているだろうし、認識していれば「本を売る」方向で利用するだろう。

なお、これ系の話は英メディアはかなり好きで、タイムズでは「マンデルソンとキャンベルがブレアのズボンをめぐって口論」というわけわかんない見出しの記事を立てている。

July 9, 2007
Mandelson punched me in argument over Blair's trousers, Campbell says
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article2049433.ece

あんなことやこんなことを想像しちゃっているそこのあなた! 話の内容は「ドアの前にマスコミのカメラが待っているときに、ブレアがどんな服装をすべきかで言い争いになった」というだけ。マンデルソンは「若い労働党サポがいるからそれにあわせてカジュアルに」と主張、キャンベルは「シャツとネクタイ」を主張、最終的にはブレアが「取っ組み合っている兄弟を引き離すように」2人を引き離したとのこと。(マンディとキャンベルの取っ組み合いなんて、まるでLittle Britainの米大統領補佐官と英首相補佐官。。。こんなのでは物足りないという方はuncyclopediaをどうぞ。首相を辞する前の版のほうがおもしろいかもしれんが、アナーキーすぎてほとんど読解不能。)

んなことより、とりあえず抜粋だけ読んでおきましょう。。。
http://www.alastaircampbelldiaries.co.uk/

※本からの抜粋はaboutのページからPDFで。このページにある付属のビデオも「ブレアのあの瞬間、この瞬間」が次々と出てきておもしろいです。コイズミ氏も0.5秒くらい(推定)出てくる。あと、ピーター・マンデルソンがいっぱい出てくる。プレスコットの左ストレートも出てくる。

抜粋のPDFは、出版にあたってキャンベルご本人が編集した新聞、という体裁(キャンベルは元々新聞記者)。公開されている4ページをキャプチャして並べてみた。単に広告としても、おもしろい。

campbook.png
※画像はクリックで原寸表示。

うはは。北アイルランドのところ、すげ〜。ダウニング・ストリート10番地に初めてシン・フェインが入ったヒストリックな日(Thursday, December 11, 1997)の記録。

ガーディアンならけっこうな分量がHTMLで読める。
http://politics.guardian.co.uk/tonyblair/story/0,,2121928,00.html

キャビネット・ルームに入るなりマクギネスが "So this is the room where all the damage was done." と発言、英国側はIRAが迫撃砲攻撃をしたとき(メイジャー政権)の話かと思い込んだ・・・って、IRAの攻撃がall the damegeだなんて、んなわけねーだろって。そこは英国政府は一同曖昧な笑みでドンビキでOK。(笑) 

ブレアって学生時代にシン・フェインの機関紙を構内で広めようとしてたんでしょ。リパブリカンにとって英国首相官邸におけるdamageとは何か、そのくらいわかれって。しかも相手はマーティン・マクギネス、元IRAなんだし。(なお、マクギネス、答えて曰く、"No, no, I meant 1921." ぎゃははは。むろん、その後の一連の政策決定についても言及したとのこと。ちなみにマーティン・マクギネスは1972年1月30日のデリーを、ファーストハンドで知っている。)

ちょっと引用。太字強調は私による:
I was eyeing their reaction to TB the whole time, and both Adams and McG regularly let a little smile cross their lips. Mo got pissed off, volubly, when they said she wasn't doing enough. TB was maybe not as firm as we had planned, but he did ask - which I decided not to brief, and knew they wouldn't - whether they would be able to sign up to a settlement that did not explicitly commit to a united Ireland. Adams was OK, McGuinness was not. Adams said the prize of a lasting peace justifies the risks. Lloyd George, Balfour, Gladstone, Cromwell, they all thought they had answers of sorts. We want our answers to be the endgame. A cobbled-together agreement will not stand the test of time.

He pushed hard on prisoners being released, and the aim of total demilitarisation, and TB just listened. TB said he would not be a persuader for a united Ireland. The principle of consent was central to the process.

これはこれは・・・うはぁ、オナカイッパイ、ごちそうさまです。

このときの話はTim Pat Cooganのthe IRA(下記)にもまったく出てこないので(p.711で10月13日の次が12月27日のビリー・ライト射殺事件なのよ)、生々しすぎて完全にしびれました。

そういうことだったってのはわかっていて、「和平プロセス」と呼ばれたものが結局のところはこれだということも知っていたんですが、これは生々しい。

ま、とりあえず、キャンベルの本は異様に生々しい、ということで。ある意味、政治というものを裸にするポルノグラフィーかもね。

AFP記事(冒頭の)から、「鈍感力」の部分:
http://www.afpbb.com/article/politics/2250630/1762472
キャンベル氏の日記には、ブレア氏が徐々に批判に動じなくなっていく様子がつづられているという。「本を読み進めていくと、人に何と言われようとトニー(ブレア氏)が気にしなくなっていく様子が分かる」とキャンベル氏。




このほか抜粋が読めるURL:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6282106.stm
http://politics.guardian.co.uk/media/story/0,,2122281,00.html
※2件ともkey extracts

http://politics.guardian.co.uk/iraq/story/0,,2121913,00.html
※イラク戦争直前。生々しいです。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6283494.stm
※ブレアとブラウンが人の家を訪ねたときにブラウンがトイレに閉じ込められたというアホな話。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/07/09/ndiary309.xml
※ドクター・デイヴィッド・ケリーの「自殺」の件。この科学者の死の発端は、キャンベルが文言置き換え(改竄)を指示した「イラクの大量破壊兵器は45分で」論だった。これきっついな。
Campbell was told a few hours later that a body had been found and then Mr Blair telephoned him from his plane en route to Japan.

"I said I'd really had enough. He said we should announce a judicial inquiry now. I said I really wanted to go and felt I should do it now. I had been determined to clear my name, I was always going to go now, it may not seem the time to do it, but it's exactly the time to do it because I was clear it had all gone too far and we needed to step back and think... TB said it would be a disaster for me if I did that. Charlie Falconer, who called me re the inquiry, said I would be mad to do it. All people would remember was the Dr Kelly killed himself and AC went...TB called a few times and said we have to be really strong about this. I said 'I am fed up being strong; I want to get a life back'."

Dr ケリーが死んだのにこれか。政治家ですらなかった、生物化学兵器の専門家として政府が顧問としてたのんだ科学者がああいう死に方をしたのに、これか。

・・・うーん。この件について、あのdossierを作成させたときの日記も収録されているのなら読んでみたい。たぶん心底disgustedという結果に終わるだろうけれども、なぜあのような恥知らずなことができたのか、本当に知りたい。大学生がウィキペディアをコピーして課題を仕上げるのと同レベルのことを、政治の中枢にいる(しかし選挙で選ばれたわけではない)人がやったのだから。



■追記@10日:
何ごとですか、という見出し@ガーディアン。
PM's Roy Keane tells of the little things that got on top of his boss
http://politics.guardian.co.uk/tonyblair/story/0,,2122669,00.html

ブレアがあまりにアゲアゲだったんで、キャンベルが1999年には辞めたくなってきていたということらしいんですけど、あるときブレアがキャンベルに、"you are the Roy Keane of the operation, but like him you sometimes stamp people on the head without meaning to" と言ったとかいうのが見出しの意味。そのたとえはどうかと思う。ほんとに。というか、キャンベルがロイ・キーンさんならおまえは誰だと。

でもブレアがサッカー好きってのは伝わってくる。(保守党のIDSだっけ、ハワードだっけ、無理して労働者階級にアピールしようとしてある場所で講演したときに、その地域の人たちがサポしてるチームの隣のチーム、すなわちガナにとってのスパーズのようなチームを誉めて、場を凍らせたことがあるよね。)

記事冒頭:
For a couple of political operators who had the reputations of being manipulative, Tony Blair and Alastair Campbell emerge from The Blair Years as a surprisingly edgy pair. Mr Blair is often in a state of "constant agitation", his press secretary and confidante plagued by self-doubt and a desire - as early as 1999 - to leave No 10.


記事の真ん中へん(太字は私による):
By 2001, Blair's confidence has grown, even at PM's question time, to the point where Campbell records "a bit of a spikey conversation about the general scene. He was definitely developing a kind of 'I'm always right' tone" with colleagues such as Jack Straw on topics they understood better than he did. "I was also pissed off that TB constantly defined himself against the left and not the right," notes Campbell. The strain gradually tells on both. When the FT reports in 1996 that Blair has changed his hair style, Mr Blair quips that his problem is keeping his hair. It is "by my reckoning his first admission that he is beginning to lose it," his press secretary notes waspishly.

ブレアの、'I'm always right' toneがはっきりわかったのは、私は911の後に日本のテレビのニュースを見ていたときなのだけど、ジャック・ストローのような人たちより自分には知識があると思い込むようになるとは、周りがGWBみたいな人ばかりでついついうぬぼれてしまうというのとはちょっと違う。で、1996年にはブレアは髪の毛を失い始めていた、というのはどうでもいい。

それと、メディアが「スピンドクター」を大きく報じ、報道局長自身が報道の的になるということになって大変だったとか、あるときディナーの席でキャンベルが切れたとか、ゴシップですけど、読んじゃうね。
Evidently stroking Campbell, who finds it hard to resist compliments from whatever quarter, Mr Blair explains that "in politics today, you need intellectual ability, nous, judgment, a thick skin and a very strong personality. Though we were all flawed in some way or another, he, GB, PM and I were the ones that had that - and he wasn't going to let go on that talent lightly." During one early media ruck, Blair says "nil panicandum" and tells his aides they must look in charge even when they are not. Kosovo, the fuel tanker drivers' blockade of 2000, and other dramas see them struggling to master events.

ここでのブレアは「怪物的」といってもいい何かを備えているように思われる。

■追記2:
故モー・モーラムの選挙区の地域新聞の記事:
http://www.thisisthenortheast.co.uk/display.var.1532322.0.the_naked_truth_about_mo_and_fury_of_milburn.php
In September 1995, Mr Campbell recalls his "extraordinary start to the day" when he knocked on the door of the shared bathroom between his and Dr Mow-lam's rooms.

He writes: "'Come in,' she shouted cheerily. I pushed open the door and there she was in all her glory, lying in the bath with nothing but a big plastic hat on.

"I brushed my teeth, trying not to look in the mirror, where I could see Mo splashing around, and decided to shave later.

"She seemed totally unbothered by me seeing her naked in a bath without the suds."

However, Mr Campbell is repeatedly harsh about what he calls Ms Mowlam's "ineptitude at negotiations" while she was Northern Ireland Secretary in the late 1990s.

...

Later, Mr Campbell recalls a three-hour discussion on political strategy at Chequers in March 2000, in which "Peter Mandelson and Milburn were OK, Mo all over the shop".

さすがモー・モーラム。としか言いようがない。北アイルランドのところだけでいいから読みたいなあ。単におもしろそうだ。

あと、この表紙、絶対狙ってる。(笑)The Brady Blogさんとこ経由で、こんなの@チャンネル4(<これはひどい)も見たし。
And he reveals how Mr Blair was "hurt" when Mr Campbell chose not to attend Leo Blair's christening at St John Fisher Church, in Sedgefield, in July 2000. Mr Campbell did not go because it was his own son's birthday, but writes: "Added to which we didn't do the God thing."

diappointedじゃなくhurtって、どんだけ?

イラクについて、ドクター・ケリーについて:
Iraq: 'Secrets and lies'

THE diaries reveal former Prime Minister Tony Blair was privately discussing the need for regime change in Baghdad a year before the 2003 invasion, at a time when he was publicly denying this could be a justification for war against Iraq.

And they reveal arrangements were made for a caretaker administration headed by John Prescott if defeat in the key House of Commons vote on the war forced Mr Blair to quit.

Mr Campbell writes that Mr Blair had to persuade him not to quit immediately after hearing of the apparent suicide of Government scientist David Kelly.

Mr Campbell had led the attack on BBC reports based on Dr Kelly's doubts over the presentation of evidence on Iraq's supposed weapons arsenal, but the PM told him it would be "mad" to respond to his death by resigning.




■文中で言及した書籍:
0312294166The Ira
Tim Pat Coogan
Palgrave Macmillan 2002-01

by G-Tools
タグ:ブレア

※この記事は

2007年07月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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