kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年07月06日

ジョンストン記者の言葉/「囚われた人」

というわけで、アラン・ジョンストン記者は解放から2〜3日は「関係各所の挨拶回り」をして過ごされているけれども、それが終われば英国にご帰国だろう。ご本人は「しばらくパレスチナには戻らない」(<リンク先、下のほう参照)と言っておられるし、次に現場に復帰するときには、「通常の (ordinaryだったかnormalだったか)」ニュースを伝えているかもしれないともどこかでおっしゃっていた。議会の動向とか豪雨とか交通事故とかのようなニュースだろうか。

その通り、彼はしばらくしたら英国に戻り、「通常の」状態に戻るのだろう。けれども、拉致から100日目の「解放を」という呼びかけ@6月22日で、LET'S NOT FORGET ALAN JOHNSTON AND 15 OTHER OURNALISTS HELD HOSTAGES IN IRAQというメッセージがロンドンで投影されていたが(→BBC WORLD NEWS)、ジャーナリストが意図的に標的にされるという危険にさらされることが、ジョンストン記者の解放でなくなる/なくなったわけではない。6月13日にはイラク国営新聞Al-Sabahの編集長が誘拐され、翌日に殺害されている(イラクではこの半年で少なくとも29人のジャーナリストが殺されているとのこと)。(→CPJによるイラクで拉致されたジャーナリストの一覧、および殺されたジャーナリストの一覧を参照。この一覧には米軍エンベッド取材でボムにやられたジャーナリストも含まれているが)

そしてさらに、「占領」、「壁」、「検問所」、「軍事作戦」、「根拠の薄い逮捕・拘束・拘禁」、「水」、「西側からの支援のストップ」などといったかたちで "ordeal" が日常化しているパレスチナのひどい状態が、アラン・ジョンストン記者の解放で終わるわけでもない。

ジョンストン記者は、解放後しばらくしてBBCの生中継で、次のようなことを語っている。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6270020.stm
"Maybe you have to have been a prisoner of some kind, for some time, to know how good it is just to be able to do the basic things that freedom allows," he said.

"You want to do everything at the same time, to read books and newspapers, go to the movies, go to the beach and sit in the sun, and eat and talk and all the rest of it."

【日本語化】
「自由という状況でできるごく当たり前のことができるだけでもどんなにありがたいことか、それは、しばらくの間、ある種の囚われ人となってみないとわからないことかもしれませんね。いちどきにあらゆることをやりたいと思いますよ。本を読むとか新聞を読むとか、映画に行くとか、海岸で日光浴をするとか、食事をするとかおしゃべりをするとか、あれもこれも」

この言葉が、「無法者どもに誘拐され監禁されていた人が解放されたときの言葉」で終わってしまったら、残念だ。

ハマスの派手派手しくショッキングなプロパガンダやその暴力的手法、今回の派手な「PR上の勝利」の裏の計算高さ、といったものだけに目を奪われていると、'forgotten war' 「忘れられた戦争」という言葉で表すよりない何かをまた生じさせてしまうのではないか(→この記事について、またどういうことがあったのかについて説明のある「壊れる前に・・・」さんの記事@2006年7月28日も参照)。

UKのサイトで記者解放についての記事の一般に開かれたコメント欄とかを見ていると「ハマスのペースに乗せられるな」といった主旨のものがけっこう多い。その一方で、「パレスチナの人々」に言及しているものはものすごく少ない。すでに「忘れられた」何かがあるということに私には思える。というか、それは常に「忘れられている」のかもしれない。

常にそれについて考えたり、常にそれについて書いたりすることは不可能だが、自分はそのことを忘れはしない。



ジョンストン記者の言葉からもう少し書き留めておきたい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6270020.stm
He said he had few conversations with his captors, but that in one, a leader of the Islamist group "described me as a prisoner in the war between Muslims and non-Muslims, a phrase which saddened me really".

"I guess I'm a non-Muslim but I'm really not at war with anybody."

【大意】
犯行グループとはほとんど言葉を交わさなかったが、あるときグループのリーダーがジョンストン記者のことを「ムスリムと非ムスリムの間の戦争での戦争捕虜」だと言った。そのことでジョンストン記者は「非常に悲しい気持ちになった」。「確かに私はムスリムではないかもしれない。でも私は誰とも戦争状態にはないのですから」

※この記事は

2007年07月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼