「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2018年12月22日

あれから1年(骨折記)

主人がオオアリクイに殺されたわけではないが、前方不注意の自転車に衝突されて骨折してから1年が経った。長い話を短くすると、昨年12月、当方が自転車で歩道の左側を徐行中に、左側の真横の本来自転車が走行しているはずのない通路(駐輪場からの出口)から、猛スピードで前方不注意の自転車が出てきて、フレームのペダルのすぐ前の部分に激突され、私は吹っ飛ばされて右手から着地し、右肘の中のほうを骨折した。(骨折の診断にはレントゲンでなくCTが必要になるような場所だった。)

pic21dec2018.jpg骨折自体は1ヵ所で、骨の回復は順調に進んだし神経も全く問題なく、日常動作にはほぼ支障はないが、骨折した周囲の筋肉のstiffnessが残っているため、今も2週間に1度、リハビリのために通院し続けている。近所のマクドナルドにいた女子高生八百屋のおかみさんの話では、同様に自転車事故で腕を骨折した人は2年以上通院しているというし、私のリハビリを担当してくれている理学療法士さんも「ぶつかられて骨折した場合、自分で転んだのとは違うように力が加わるようで、リハビリには時間がかかるもの」と元気付けてくれているのだが、まだしばらく、通院は続きそうだ。

普段はもう湿布薬なども貼っていないのだが、ちょっと疲れていたりすると腕がだる〜っと重くなり痛みが出る。折れたのは肘の関節の中だが、主にだるくなるのはその先、手首にかけての部分で、時には肩から肩甲骨にかけてずーっと張っていることもある。台風など大きな低気圧のときもつらくて、タイピングする高さまで右腕を上げられなくて左手だけでタイプしてたこともある。今年はいつまでも暑かったが、気温が下がっていきなり冬になったあとは、寒さと冷えで腕が痛むこともあり、アームウォーマーが欠かせなくなってしまった。あと、何かの拍子で痛みがひどくなることもあり、そういうときは湿布を貼っている。今日は何も力仕事などしていないのにかなり痛い。寒さのせいかもしれない。


リハビリは、患部周辺をホットパッドなどで温めるのと、理学療法士さんによる運動療法の2本立てで、1度通院すると待ち時間なども含めて小一時間かかる。土曜日は病院が午前中しかやってなくて混んでいる上に、まる一日予定がない状態にしておきたいので平日に通院しているのだが、2週に一度とはいえ、平日の病院が開いている時間帯でその「小一時間」を確保するために、事実上、定時の仕事は月〜金のうち4日しか入れられないという状況が続いている。

それに、骨が治るまでギプスで腕を固定していたことで落ちてしまった筋力はなかなか回復せず、右手の握力はとても弱くなったし、敏捷性も損なわれた(タイピング速度が落ちたし、少し疲れてくると右手薬指・小指のキーのミスタイプが増えるのが実感されている)。手首の柔軟性はまだ回復しておらず、大きな箱を抱えたりすると手首のあたりに普通ではない感じで負荷がかかり、腱鞘炎(これは自転車事故とは関係なく持病で、そのため手首のサポーターはほぼ常時着用している)的な意味でやばいという感覚に襲われる。

一方的にぶつかられただけで、これだけの時間的・金銭的・身体的負担を、長期にわたって強いられる。

事故とはそういうものなのだが、依然、「走行すべきでない通路を飛ばしてくる自転車」だとか「逆走してくる自転車」だとか「無灯火」だとか「自転車スマホ」だとか「イヤホン&片手運転」だとかいった自転車には、ほぼ毎日どこかで遭遇しているわけで、ヒヤリハットっていうレベルではなく、毎日がトラウマとの新たな出会いになっている。ちなみにルイガノとかのブランドもののかっちょいい自転車に前照灯として赤いライトをつけてチカチカさせて走行してるおばかさんも相変わらず少なくないのだが、自転車やライトを売るときにショップは何も言わないんだろうかとほんとに疑問に思う。店員さんと接触のない形(通販)で買ってるのかな。にしても周囲を見れば「赤は後側」ってわかりそうなものだが。

こないだなんか、2車線(片側1車線)しかない車道の自転車レーン(マークが路面についているところ)を走行してたら、左側の、道路の側溝のスペース(アスファルトじゃなくてコンクリートのブロックがある路肩の部分)をしゅーっと走っていくロードバイクに左から抜かれた(自分の右側に自動車、左側のごく狭いスペースをロードバイク)。私のチャリはロードバイクみたいにスピードの出るものじゃないからうざかったのかもしれないが、左側から抜くなんて、何を考えて自転車乗ってるんだろう。しかも日没後で無灯火だった。

こっちがいくら気をつけていても、ああいうのがいる。それも、かなりうじゃうじゃと。

そういう大人たちよりもさらに無軌道な子供たちの暴走自転車というのもいて、中学受験のための大手学習塾があるエリアなどは時間帯によってはほんとに怖い。車があまり通らない道路で、前カゴに塾のバッグを放り込んだ子供たちが逆走上等で自転車レースをしているのに遭遇したこともある。さすがにあれは近隣住民から塾に苦情が入ったのではないかと思うが……。

最近ではUber Eatsのデリバリー自転車が、私の行動範囲である狭苦しく入り組んだ道を走っていることも増えてきたが、このエリアは「タクシー運転手や宅配ドライバーもなるべく行きたがらないくらい、わかりづらいエリア(のひとつ)」と言われ、Google Mapsを見ながらじゃないと走れないような自転車が、配達時間を気にしてスピードを出しながら前方を見ずハンドルのスマホを見て走行しているのは、正直、とても怖い。それもあの人たち、平気で逆走してるんだよね。特に狭い道路が交わる交差点の手前で左側から右側に渡ってしまって、それから右折する、というパターン(私もうっかりやってしまうことはある。ごめんなさい)には何度か遭遇しているし、正面衝突しそうになって急ブレーキをかけたこともある(そしてそのブレーキ操作で右手に違和感が生じて、家で湿布を貼ることになる)。Uber Eatsは「縛られない働き方」だの「稼げる」だのと大宣伝されていて、ポイントサイトなんかでも「登録して初回デリバリー完了で○○ポイント」と高額のポイントばらまきで人を集めているようだけど、登録してみた人によるレビューを見ると、雇用契約を結ぶわけじゃないから労災適用外だし、事故った場合も個人の事故にしかならない。

やはり、自転車を使う人は、自転車保険には入っておいたほうがよい。

……と、ここで保険の宣伝が入るわけでもなくこのまま終わる。

あ、そうだ、こんなニュース記事を見たんだけど:
イヤホン自転車と衝突 34歳女性死亡 “ギタリストの男”書類送検
12/21(金) 18:42配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181221-00408279-fnn-soci

当時、ギタリストの男は、耳にイヤホンをし、右手にアタッシェケースを持ち、左手で自転車を運転。

そして、歩行者を追い抜こうとした時に、正面から来た菅野さんの自転車と衝突した。

その場で互いに言葉を交わしたあと、ギタリストの男は、「急いでいる」と言って、その場を立ち去ったという。

その後、友人に腹痛を訴えた菅野さん。

救急搬送中に意識がなくなり、病院で死亡が確認された。
外因性腹腔(ふくくう)内出血だった。


私が肘の骨折で済んだのは、事故にあったのが12月で、私がダウンコートに分厚い二重手袋という重装備だったからだ。もっと言えば、コートの中は厚手ニットのセーターで、下は裏起毛のレギンスの上に分厚い素材のスカートをハイウエストで履いていたので、いろんなところで衝撃が吸収されたはず。衝突され飛ばされた衝撃を生身に受けていたら、どうだったかわからない。

上述の「片手運転のギタリストの男」の事故が発生したのは今年9月。9月はまだまだ真夏のように暑く、だれもが薄着だったはずだ。被害者の女性は実にお気の毒なことに、衝突後は言葉を交わせたのに、あとで意識を失ってそのまま帰らぬ人になってしまうようなケガを負ってしまっていた。

私も去年遭遇した事故が薄着の季節の事故だったら、と思うと、決して他人事には思えない。

被害にあってしまった方のことが気の毒でならない。

(加害者はどうでもいい。)


※この記事は

2018年12月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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