「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年06月27日

10年前の「トニー・ブレア」

UK voters' panel: Goodbye Mr Blair
Our interactive panel of UK voters bid a final farewell to Tony Blair on his last full day in office.
Last Updated: Tuesday, 26 June 2007, 16:14 GMT 17:14 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6242294.stm

今日でトニー・ブレアが「首相」から「前首相」になる。「前首相」になったらすぐにでも「EUとロシア、国連、米国を代表する中東特使」という新しい肩書きと仕事を得るのではないかとか言われているけれど(個人的には悪い冗談ということで終わらせたい気分だ)、こういう日は先を読むんではなく過去を振り返っておくのもよかろう。

というわけで、以前にもこのブログに貼り付けたんだけど、1997年の総選挙で圧勝したときの選挙キャンペーンのテレビCMをYouTubeから。3分19秒。

http://uk.youtube.com/watch?v=dmwqEg-06Ww


「ハーメルンの笛吹き男」というか、2007年に見ると「異常」とか「どこの将軍様ですか」としか言いようのない個人崇拝っぷりをご堪能ください。別な言い方をすれば、1997年において、トニー・ブレアは「スター」だった、ってことで。

トニー・ブレアがいかに「スター」であったのかは、「ブレア前夜」の時代から「ブレアの時代」の初期を描いたドキュメンタリー映画にも活写されている(Britpopのドキュメンタリーとして見るより、社会を描いたドキュメンタリーとして見た方がこの作品は楽しく見られる):
B00062R7HQLIVE FOREVER
ドキュメンタリー映画 ジョン・ドウワー ノエル・ギャラガー
メディアファクトリー 2004-11-26

by G-Tools


Live Foreverは音楽業界(というか、音楽の作り手の周辺で「ムーヴメント」とやらを作り上げることで食ってる連中)の「あのころはよかった」系のバカな自慢話がウザいことこの上ないし(ほんとにくだらない人たち)、そういう連中が「売る」ために作り上げた図式についての部分が分量としてけっこう多くて、そういうところは「ギャラガー兄弟のマンチェスター弁」を楽しむとか、「デイモン・アルバーンの東ロンドン/エセックス弁」に注目してみるとかいうことでもやってないと寝てしまいそうになるのだが、「90年代の英国の空気」は、私が多少はファーストハンドで知ってるからかもしれないが、よく伝わってくる作品だ。ただし「伝わってくる」というのは、このドキュメンタリーに出てこないミュージシャンの発言などもNMEでよく読んでいたから、そういうのを重ね合わせながら見ることができるせいかもしれない。Sleeperのヴォーカルの彼女があんなにポリティカルな人だとは当時思ってもいなかったが、映画の中での彼女ほどでなくても、「保守党はもうたくさんだ」という意見は音楽メディアにもあふれていた。

Britpopという「ムーヴメント」をでっち上げて「事実」にまでした連中は、「保守党はもうたくさん」という思いと、当時の「耳にするのはアメリカの音楽ばっかり」(実際はそうでもなかったのだが)という状況に対する形式的なナショナリズムを同一線上に並べ、「(彼らのではなく)僕たちの音楽」として「シーン」を再定義することで一山当てた。そして、94年に党首となったモダナイザーのトニー・ブレアのもとの「ニュー・レイバー」もまた、その「僕たち」というイズムを最大限に利用した。ブレア政権が成立したあとの、いわば目標が達成されたあとの五月病みたいな状況のなかで、その「僕たち」というイズムに対して冷めた目線で説明するデイモン・アルバーンが印象的だ。

予告編がYouTubeにある。「社会」についての部分は、この予告編には出てこないけど一応。


ブレアとその側近たちが、国王でもないくせに、I と we を一緒くたにしていたのは、明らかに戦略的選択であった。そういうなかで、彼らは戦略的に、上に挙げたような「誰もがその後に従いたいと思っている、すばらしい新時代の、『私たちのひとり』であるリーダー」という像を提示して見せたのだ。実際にはブレアは「私たちのひとり」などではなく、フェテス校からオクスフォードへ進んだエリートであったが、選挙戦においてブレアはそういう姿では提示されなかった。

ちなみに、1997年労働党選挙CMの音楽は、D:REAMというこれまた能天気な名前の人たちの90年代半ばのヒット曲、Things can only get better(ものごとはさらによくなることしかありえない)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Things_Can_Only_Get_Better_%28D:Ream_song%29

「保守党の時代は最低だ、もう下がりようがないほどに最低だ」という前提なのだから、誰が出てこようがthings can only get betterなのは論理的には当たり前すぎるのだが、それをキャッチコピー的に利用できるほど、トニー・ブレアは「新しい何か」だったのだ。

※この記事は

2007年06月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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