![]() | Killing Finucane Justin O'Brien Gill & Macmillan Ltd 2005-06-01 by G-Tools |
朝イチでBBCのサイトを見て、見出しを見ただけで崩れ落ちた。今日は朝っぱらからこれかよということで、心底がっくりな気分だった。つい先日、ビリー・ライト事件で真相を知る人物がひとり自殺したばかりで、北アイルランドの闇の戦争の真相が明かされる可能性がまたひとつ減ったばかりだが、今日のはもっと決定的に重要なことだ。
検察が、フィヌケン事件で誰も起訴しないという結論を下した。理由は、「起訴できるほどの証拠がない」ということだ。
No security charges over Finucane
Last Updated: Monday, 25 June 2007, 13:06 GMT 14:06 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6237428.stm
フィヌケン事件については、2003年のスティーヴンス・レポート(後述)で「国家(英国)機関の人物の関与あり」の最終結論が出ていたのに、具体的に誰が、ということになったら「証拠がない」。だから先に進めない。これにて打ち切り。冗談でしょ。
ガーディアンの報道:
No officers to be charged over Finucane murder
Owen Bowcott, Ireland correspondent, and Mark Oliver
Monday June 25, 2007
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,2110996,00.html
Today's announcement effectively marks the end of attempts to prove in court that there was organised collusion between the security forces and loyalist paramilitaries over the killing in February 1989.
なんて端的にまとめられたパラグラフだろう。頭が痛くなるくらいに。
ベルテレさん:
No charges against police over Finucane
Monday, June 25, 2007
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article2707853.ece
お、記事が短くて助かるね。つまり、フィヌケン事件に関して「警察と英国の情報機関とロイヤリストとの結託はあった」というロード・スティーヴンズの結論について、一切、法廷に持っていかないってこと。
The Public Prosecution Service has decided not to press any charges against police officers over collusion allegations uncovered by John Stevens.
Mr Stevens, a former Metropolitan Police Commissioner in London, sent 20 files to the PPS after conducting a lengthy inquiry into collusion between the RUC, British intelligence and loyalist paramilitaries.
The cases examined include the 1989 murder of Belfast solicitor Pat Finucane.
1989年2月12日、ベルファストのあるカトリックの家族を覆面のガンマン2人が襲った。家族は自宅で日曜日の食事の最中、つまり一家団欒の最中だった。一番上の子は下の2人の子をかばって部屋の隅で床に伏せた。ガンマンは家族の目の前で、父親に14発の銃弾を浴びせて殺した。母親も足に負傷した。
殺されたのはパット・フィヌケン(39歳)。ベルファストの弁護士(ソリシター)で、IRAのメンバーの裁判で被告人の弁護などをしていた(。ものすごいやり手だったようで、IRAメンバーの無罪判決を勝ち取るなど、リパブリカンと敵対する勢力、つまり英国の治安当局とロイヤリストにとっては目障りな存在だった。
事件のすぐあと、Ulster Freedom Fighters(UFF: UDAの別名)が犯行声明を出した。「パット・フィヌケンはIRAである」。IRAのメンバーなら、「残念だがこれは『戦争』なのだ」とか言ってUDAであれUVFであれ、ロイヤリスト組織が殺しても、殺した側は「正当なターゲット」だったと主張することができた(それが「北アイルランド紛争」だ)。しかし、パット・フィヌケンがIRAだというUDA/UFFの声明の内容は、事実ではなかった。(なお、UDAやUVFが「奴はIRA」と断定して殺したが、実は被害者はIRAではなくただの一般市民だった、というケースは何件もある。)
▼以下、時系列についてはthe BBC, "Timeline of Finucane murder probe", 23 September 2004を参考にした。
事件の捜査は難航した。北アイルランドとは直接関係のないイングランドから、ジョン・スティーヴンスという警察官(当時ケンブリッジで警視副総監)を迎えて捜査本部が立ち上げられ、事件の翌年の90年1月に主要容疑者が特定されたが、そのタイミングで警察の施設内にある捜査本部で不審火が発生、書類などはあらかた焼けてしまった(一部は写しがイングランドに送られていた)。捜査本部には火の気はなく、備え付けられている火災報知器などはこのときは作動しなかった。(メイズでのビリー・ライト事件でも「たまたま作動しなかった」警報装置がある。)
1992年、別の事件で裁判を受けていたUDAの男、ブライアン・ネルソンが、実は「警察のイヌ」だったことが明らかになった。この男が、スティーヴンスの特定していた主要容疑者だった。スティーヴンスの捜査結果については、北アイルランド検察はさらなる調査を要求した。
こうして、事件の捜査は進められてはいたが進展はなく、誰も逮捕されないという状態で何年も過ぎ、フィヌケンの遺族や関係者らはパブリック・インクワイアリを要求して動いた。1998年には国連が英国に対し、インディペンデント・インクワイアリ(独立司法調査委員会)の設置を呼びかけたが、英国政府(98年だから「北アイルランド和平」を成し遂げたブレア政権である)はそれを拒絶した。
1999年、スティーヴンスの調査は第3期となり、元UDAのウィリアム・ストービーという男がフィヌケン殺害容疑で起訴された。しかしこのストービーという男は、自分が武器の出所であることは認めたが、自分は殺害の実行犯ではないとしており、また、核心を知る証人が出廷を拒否したため、2001年秋に裁判は行き詰った。その直後、ストービーはロイヤリストによって射殺された。死人はしゃべれない。
なお、スティーヴンスの第三次報告書(後述)には2.3においてストービーがどのような人物だったのかについて説明がある。(報告書を見る限りでは、ある種の「内部告発者」として機能していたように見受けられる。)
2002年、政府が「当局とロイヤリストとの癒着/結託」がささやかれる殺人事件6件について、カナダの元検事を責任者として指名し、調査を開始した。
その数ヵ月後、BBCが"Licence to Murder"という調査報道番組を放映(→トランスクリプトやビデオクリップ)、その中で英軍の闇の (covert) 組織であるthe Force Research Unit (FRU) のやっていることが明らかにされる。FRUは「エージェントのハンドリング」つまりスパイの運営を行なっていた組織で、リパブリカン側、つまりProvisional IRAに、"Stakeknife"というコードネームのスパイを送り込んでいたことなどが明らかになっている。
FRUについては、このBBCの番組の放映後に「自分はFRUの一員だった」と名乗り出たマーティン・イングラムなどはけっこう細かい話をしている。(「マーティン・イングラム」は本名でもなく通称でもない。ふだん使っている名前でメディアに出たら、この人は間違いなく、誰かに殺される。)
なお、FRUのトップだったことが判明しているゴードン・カーは、その後ミリタリー・アタシェとして北京に送られ、現在はイラクのSpecial Reconnaissance Regimentにいる。SRRなんてそれ自体そうオープンなものではないが、イラクのSRRといえば、2005年9月に、アラブ人の服装をして爆発物を所持してそこらへんの通りにいたところをイラク警察に逮捕された英兵がSRRだったのではないかと言われている。この逮捕劇では、最後に英軍の戦車がバスラ警察に突入するという、到底現実だとは信じられない事態になった。
2003年、スティーヴンスが最初に主要容疑者として特定したブライアン・ネルソン(警察からUDAに送り込まれたエージェント)が、肺癌のために死亡した。
ネルソンが死んだ数日後に、スティーヴンスの第三報告書 (the Stevens III) が出た。スティーヴンスは、この第三次調査について次のように説明している。
1.5 In May 1999, following a letter from the Director of Public Prosecutions (NI) to the then Chief Constable of the Royal Ulster Constabulary, Sir Ronnie Flanagan, I was asked to re-investigate the murder of Patrick Finucane and allegations of collusion raised by British Irish Rights Watch.
British Irish Rights Watchは http://www.birw.org/
14年にわたる調査の最後の報告書となったこの第三次報告書において、スティーヴンスは、「妨害を受けた」として1990年の不審火事件をある程度細かく説明し、また資料の開示が五月雨式でしかも遅かったことを説明している。
さらに、結論として、FRUとRUC(北アイルランド警察)のSB(Special Branch)がロイヤリストと結託していたと報告している。
4.6 I have uncovered enough evidence to lead me to believe that the murders of Patrick Finucane and Brian Adam Lambert could have been prevented. I also believe that the RUC investigation of Patrick Finucane's murder should have resulted in the early arrest and detection of his killers.
4.7 I conclude there was collusion in both murders and the circumstances surrounding them. Collusion is evidenced in many ways. This ranges from the wilful failure to keep records, the absence of accountability, the withholding of intelligence and evidence, through to the extreme of agents being involved in murder.
4.8 The failure to keep records or the existence of contradictory accounts can often be perceived as evidence of concealment or malpractice. It limits the opportunity to rebut serious allegations. The absence of accountability allows the acts or omissions of individuals to go undetected. The withholding of information impedes the prevention of crime and the arrest of suspects. The unlawful involvement of agents in murder implies that the security forces sanction killings.
4.9 My three Enquiries have found all these elements of collusion to be present. The co-ordination, dissemination and sharing of intelligence were poor. Informants and agents were allowed to operate without effective control and to participate in terrorist crimes. Nationalists were known to be targeted but were not properly warned or protected. Crucial information was withheld from Senior Investigating Officers. Important evidence was neither exploited nor preserved.
4.10 My enquiries with regard to satisfying the test for prosecution in relation to possible offences arising out of these matters are continuing.
さて、2002年のBBCの"Licence to Murder"という調査報道番組で、ある男が、警官が若いロイヤリストに、IRAの連中の弁護なんかしているパット・フィヌケンは「やってしまえ」と言っていたと述べていた。男は「警察が関わっていなかったら、フィヌケンはまだ生きていただろう」とさえ述べ、フィヌケン殺害事件に警察の関与が決定的だったということを明かした。
この男がケン・バレットで、2003年に逮捕・起訴され、2004年に法廷で自身の主張を覆して「有罪」を申告し、殺人罪で有罪判決を受け、22年の懲役刑を宣告された、フィヌケン殺害実行犯のひとりであった。犯行前、バレットはフィヌケンの容貌も何も知らず、警察筋(警察がUDAに送り込んだスパイであったブライアン・ネルソン)から顔写真などをもらっていた。
バレットはしばらく服役し、GFAの規定により2006年5月に保釈された。バレットは2004年の時点で41歳、ということは事件当時は25歳くらいだ。
つまり事件の構図は、治安当局、特に警察RUCのスペシャル・ブランチ(強烈な内部告発がある)が、ロイヤリストの武装組織を、汚れ仕事担当の組織(いわば「死の部隊 death squad」)として使っていた、ということだ。それがcollusion(警察と武装組織との癒着/結託)。警察から組織に送り込まれた者が、「あいつはかくかくしかじかで邪魔くさいから消してしまえ」と煽動する。それを真に受けたロイヤリストのガンマンが殺害を実行する。
英軍情報当局はいったい何人の「ロイヤリスト武装組織の元メンバー」をスパイとして使っていたんだろう。そして何を行なっていたのだろう――フィヌケン事件の核心はここにある。この事件は、「紛争という状況下で一個人に降りかかった悲劇」として回収してはならないのだ。
※同時に、英情報当局はリパブリカン武装組織とその政治部門の組織にも浸透していた。最も新たに判明した事例がデニス・ドナルドソンだ。また、1998年のオマー爆弾事件で29人を殺したReal IRAは、「爆弾事件で主導的な役割を果たしたのは、組織内に浸透していた英国のスパイだ」と主張している(この主張が事実かどうかはわからないが、「まったくの嘘」とも思えない)。
なお、2004年にスティーヴンスの第三報告書とバレットへの有罪判決を受けて、当時の北アイルランド担当大臣(ポール・マーフィー)がフィヌケン事件など「癒着/結託」の可能性の高い事件についてのインクワイアリの開設を宣言した。
しかしこのとき英国政府は、インクワイアリの性質を大きく変える法改定を行なった。「2005年インクワイアリ法 Inquiries Act 2005」である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Inquiries_Act_2005
政府は「迅速に、あまり巨額の費用をかけずにインクワイアリを実施するために」という目的での法整備だと主張しているが、北アイルランドでの「癒着/結託」が疑われる殺人事件6件についての調査を英国とアイルランド共和国の政府から依頼されたカナダの元判事ピーター・コーリーや、アムネスティ・インターナショナルなどは、この法律を厳しく批判している。「国家の行動を精査する」という本来の「インクワイアリ」の機能が制限されており、そのような形でインクワイアリを行なったとしても内容に乏しい、というのがその批判の理由だ。
ちなみに、この法整備は2003年のハットン・インクワイアリのあとに進められている。パット・フィヌケン・センターはこの「2005年インクワイアリ法」でのインクワイアリには協力を拒むということを明言している。
ブレアの「北アイルランド和平」がちゃんちゃらおかしいのは、こういうところにある。北アイルランドについて、英国の国家としての関与、つまり国家テロ (state terror) をなるべく問わないようにしつつ、「とにかく暴力の停止をさせること」と「政治を機能させること」だけが和平の目的であるかのようなあの思考パターンには、紛争のメンタリティを終焉させることはできない。それだけでなく、英国というエスタブリッシュメントに都合の悪いことにならないように法律を変えてしまって、北アイルランド紛争の最も深い闇の部分を、将来的にもずっと闇のままにしておくようなことを平気でする。どうせノーベル平和賞狙いだろうが、トニー・ブレアが中東和平特使だなんてのは、ほんとに質の悪いコメディだ。(ETAとスペイン政府の交渉でのETA側お目付け役にジェリー・アダムズというのもすごかったが、あれは「蛇の道は蛇」というか、「適所適材」だ。)
私は毎日BBCのサイトを見ているが、BBCでは、1988年の米映画『ミシシッピー・バーニング』などで広く知られる1964年の米南部での殺人事件の容疑者が、再審の結果、2005年6月に有罪判決を受け(その後8月に仮釈放)、さらにまた黒人として最初のdeputy sheriffが1965年に射殺された事件について、2007年の今、FBIが再び事態解明に着手しようとしているといったことがちょくちょく伝えられる。少しずつであっても、米国で50年代、60年代といった「昔」の事件の真相解明が進み、法の裁きが下されているということをBBCは伝えているのだ。
その一方で、1970年代以降のアイルランド島での事件については、「再調査が行なわれたが、結局は証拠不十分で、起訴なし」ということがしばしば伝えられる。(どうも北アイルランド周りは、証拠の保存という点で警察(元RUC、現PSNI)がしっかりしていなかったようで、オマー爆弾事件(1998年8月)の公判(2006年)でも、重要な証拠がちゃんと保存されていなかったといったことが明らかになっている。オマーも何か怪しい事件なんだけどね。)その結果として、「真相は結局わからずじまい」になってしまいかねないという空気がたまらんのだ。USでは60年代の事件で法の裁きが下されているというのに、UKでは80年代のことが「証拠がない」。
昨年は、1996年のマンチェスター爆弾事件(PIRAのテロ攻撃)での容疑者起訴断念があったが、今年はまず、4月に、ダブリン・モナハン爆弾事件(1974年5月17日、アイルランド共和国で発生、死者数33はthe Troubles最大)について、事件後の捜査をゆるゆるなものにしてしまった「アイルランド共和国の警察と、北アイルランドのロイヤリスト武装勢力UVFとの癒着」を示す可能性がある証拠書類がすべて失われているため、癒着があったと立証することはできない、という結論が出された。状況証拠はあれど、それ以上の証拠がないのだ。
'No collusion' over bombing probe
Last Updated: Wednesday, 4 April 2007, 20:52 GMT 21:52 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6528111.stm
そして6月、今度はパット・フィヌケン殺害事件について「治安当局と情報機関とパラミリタリーの結託について十分な具体的証拠なし、誰も起訴できず」との結論が検察当局から出されたのだ。
米議会は2006年5月の「決議740」で、フィヌケン事件についてのa full, independent, public judicial inquiry を求めている。英国の現行法でa full, independent, public judicial inquiryが可能かどうかということもあるし、ほんとに一筋縄ではいかない。
スラオさん(スティーヴンズ・レポートの抜粋あり):
Monday, June 25, 2007
No prosecutions to follow Finucane collusion probe
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/no-prosecutions-to-follow-finucane-collusion-probe/
# この記事のコメント欄は、スラオさんのコメント欄をどう読むべきかについて用語法などから判断できない人には、お勧めしません。用語法がわかっていても、読むと消耗します。また、このコメント欄に書かれていることを元に「事実」を判断することは、全体的に(スティーヴンズ・レポートなどハード・ファクトについての記述を除いては)、危険すぎ。
スラオさんのコメント欄には「将来のことが大事なのであって、それを暗礁に乗り上げさせる可能性のある過去のことをほじくり返す必要はないのだからこれでいい」みたいな投稿もあるが、仮に、そういうのが政治的に何の含みもない「現実的(リアリスティック)」な考え方から出てきているとしても、パット・フィヌケン殺害事件というのは、公式に、「国家テロ」なのだ。英国の政府機関が、テロ組織(ロイヤリスト武装組織)と結託していたということは、公的に「事実」として認められたのだ。それがこんな中途半端な形で「決着」するというのはshameだ。
何でもっと徹底的にできないんだろう。北アイルランドは、法的に「連合王国」の一部であり、ここで何もできないということは、旧植民地や英国が軍事侵攻を行なった各地での、これと類似の「治安・情報当局と地元勢力の一部との結託」の事例についての希望的観測を、(そんなものがあるとすれば、だが、)完全につぶしてしまう。
※この記事は
2007年06月26日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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