「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2018年03月16日

訃報: スティーヴン・ホーキング博士

スティーヴン・ホーキング博士が亡くなったことについて、特に何かを書ける素養を私は持ちあわせていないが、楽しくお茶をふいて……いや、真顔でお送りすべきだろうということは強く思うので、そういうのをちょっとメモっておきたい。

ホーキング博士は天才物理学者だそうだが、物理の素養がない私には何がどう「天才」なのか、実はわからない。信頼できそうな人たち&機関がみんな「ホーキング博士は天才物理学者」と言っているのでそれが前提になっている。個人的には、ALSという残酷な病で身体を動かす能力を奪われながら、テクノロジーを駆使し、思考を言語としてアウトプットできるのだということを示してくださった方というインパクトが何より鮮烈だ。そして、見た目では止まっているように見えても、人の中は、ものすごくたくさんのことが高速で動いているんだということについても……同じ病で早く亡くなったトニー・ジャット先生が、最後の何ヶ月かの日々の一部(ALSで自由を奪われた人の日常)をガーディアンを通じて公開していたが、それについて「ホーキング博士と同じ」ということで自分も理解がいったし、ジャット先生を知らない人にもわかってもらいやすかった。ホーキング博士が積極的にメディアなど公の場に出て発言していたことの意義は、その発言内容の意義とは別に、ある。それもとても大きな意義が。

そういった活動の一環、というか、英国外のうちらが「しまった、この人、イギリス人だった」と思ってしまうようなユーモア感覚を示す場として、ホーキング博士はTVのコメディにゲストとして出演したことがある。

英国では毎年春に、Comic Reliefというイベントが行われる。日本でいえば「24時間テレビ」のようなチャリティの風物詩で、お笑いの人を中心に、芸能界とメディア全体が赤い鼻をつけて盛り上がる。そのイベントの2015年のとき、BBCの連続コメディ番組Little Britainの「車椅子の人を介助するルー」のネタで、ホーキング博士が「介助される側」として出演した。ただし、そこはもちろん、ただ「介助される側」で終わりはしない。すごい展開を見せるクリップは必見である。英語わかんなくてもたぶん話はわかる。


LO RES - Comic Relief 2015 - Little Britain with Stephen Hawking from daffylondon on Vimeo.



そしてこの2年後、2017年(昨年)のがこちら。










この「コメディ」に出てくる著名人については、検索すればいくつかの記事が出てくるが、下記が一番詳しかった。
http://pop.inquirer.net/2017/03/actors-auditioned-to-be-stephen-hawkings-new-voice/

私も全員はわからず(「米語で喋ってる女優さん」としか認識できない人がいる、など)、これを見て「ああ、なるほど」と思った。まあそんなことより、完全に真顔でリーアム・ニーソンが「持ちネタ」を惜しげもなく披露していることだけでも見る価値がある。

でも何よりわからなかったのが、最後だ。【ネタバレ回避のため背景色と同じ文字色にしておきます→】「誰、この、近所のストリートマーケットで『3つで2ポンドだよ』という呼び声の『3』を "free" と発音している露天の八百屋みたいな激烈コックニーさんは」【←ネタバレ回避策ここまで】と思ったのだが、上記pop.inquirere.netに「多分この人」としてリンクが貼られているから、各自確認されたい。この人のこういう喋り方は私はあまり聞いたことがなかった(出身がそうだということは知ってても)。

ともあれ、こういうのに積極に出てしまう「車椅子の天才物理学者」だったのだ。しかもめちゃくちゃ楽しそうに。




モンディ・パイソンのこの映像(歌の歌詞はこちら)で、「どーでもいいようなことをぺらぺらぺらぺらとよくしゃべるね、お前さんは」とホーキング博士の車椅子になぎ倒されているのが、物理学者のブライアン・コックス博士(TVによく出ている科学者で、ヒッグス粒子発見のときはものすごい大騒ぎしてたんだけど、若い頃(90年代)はミュージシャンで、トニー・ブレアの労働党がテーマソングにした曲を出したバンドでキーボードを弾いてた)。







ロンドンで開催された2012年夏のパラリンピックでは開会式に登場し、スピーチを行った(大学のサイトに文面あり)。元々傷痍軍人の活動として始められた「障害者スポーツ」(amputeeによるスポーツ)は、時代とともに拡大し――expandし――今もなお拡大し続けている。その「肉体の限界にとらわれない、人間としての可能性」を追求するという「人間性」を、ホーキング博士は見事に言語化していたし、見事に体言していた。



そしてお笑いのセンス。ちなみにそのニュースはこちら。これでまた何百万人もの女子のハートが壊れたんですが、その崩壊のエネルギーが世界に与える影響は……と質問したくても、もう質問できる博士はいない。



ホーキング博士はALS啓発の「氷バケツ・チャレンジ」にも参加……ただし既にALSであるご本人が冷水をかぶるのではなく、お子さんたちを動員。ふつう、こういうことできないし、やらないっすよね。




肉体を捨てたら、車椅子もコンピューター・スクリーンも不要になりますね。







みんなこんな感じで楽しく故人――止まったコンピューター――を偲んでいる。2015年のComic Reliefの(たいへんにきわどい)ネタにもあるが、ホーキング博士は宗教を信じていなかった。神も天国も、人間の想像力の産物であるとする立場だ。だが神の不在を証明することはできない。だから、Twitterにいる「神」のこの反応は、「わかってる」感がすごい。人が亡くなったときに意味も考えずに「ご冥福を」と言う人たちのわかってる度が0だとしたら、この「神」が100だろう。



これこそが人間じゃないですかね。













A still more glorious dawn awaits
Not a sunrise, but a galaxy rise
A morning filled with 400 billion suns
The rising of the milky way

The Cosmos is full beyond measure of elegant truths
Of exquisite interrelationships
Of the awesome machinery of nature

I believe our future depends powerfully
On how well we understand this cosmos
In which we float like a mote of dust
In the morning sky

But the brain does much more than just recollect
It inter-compares, it synthesizes, it analyzes
it generates abstractions

The simplest thought like the concept of the number one
Has an elaborate logical underpinning
The brain has its own language
For testing the structure and consistency of the world

https://www.youtube.com/watch?v=zSgiXGELjbc




当ブログ、「訃報ブログ」化してきてますが、そうしたいわけじゃないです。うん、何とかしないとね。アイルランドの件とか書いておくといいんだけど、とにかくもうめんどくさいというかややこしくて。あと、何を書こうとしてもモンティ・パイソンのビデオの中のブライアン・コックス先生みたいにぺらぺらぺらぺらとどうでもよさそうなことをとうとうとしゃべってる感じになる。

※この記事は

2018年03月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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