kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年06月24日

移籍理由@ガナ公式―― I will always have Arsenal in my bloodと言い残しTH14は去る

http://nofrills.seesaa.net/article/45775236.html?1463634171

移籍理由@ガナ公式 via kwout
[コード消去・代替画面挿入/2016年5月]



BBC:
Arsenal announce Henry departure
Last Updated: Saturday, 23 June 2007, 09:41 GMT 10:41 UK
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/6231950.stm

以下、ティエリ・アンリのアーセナル退団インタビューをアーセナル公式から抄訳します。とりあえず自分の気持ちを整理するために個人的にはこういう作業が一番いいのでやってみました。もっとほんとにファンの人がやった日本語化の文書があるので、ほんとはそれを読んでいただきたい。(←Arsenal Eat Worldさんで日本語化文書がアップされているのを追記のうえ、この部分を編集)

アンリは今回、アーセナルを退団することでイングランド・プレミアからもいなくなるわけですが、このインタビューでは、イングランドの「チームをサポートする」という「文化」について「フランスとはまるで違うので衝撃を受けた」というようなことも語っています。(映画『ひかりのまち』でしたっけ、息子がクリスタル・パレスのサポで、お父さんが「どーせならもーちょっと強いところをサポすりゃいいのに」と言って、息子がむっとする場面がありましたね。)

Henry - It was the most difficult decision of my life
http://www.arsenal.com/article.asp?thisNav=News&article=473557...
※あんまり逐語訳ではないです。

インタビュアー:
アーセナルから移籍する理由について、サポーターに説明をお願いします。

ティエリ・アンリ:
これまでにも言ってきたことですけど、デイン副会長が辞任する前は、副会長の辞任の理由は何であれ、僕は監督のところに行って「チームを離れたくない」と言ったんです。移籍するんじゃないかという噂がいろいろあって、だから監督に、自分には移籍の意思はないとはっきり伝えておいた。でもデイン副会長が辞任してしまい、チームも監督も不安定になって。監督もこのクラブに対する気持ちが萎えていて。監督は、契約が残っているから完了するとは言っていたけれど、でも次の(07/08)シーズンの最後まで監督がいるのかいないのか、どうにもはっきりしない状況で。残ってくれるとは思うけど、自分としてはそれははっきりと、監督は残るということでないと、ということで。僕ももう30です。監督が不安定で、副会長は辞めてしまうし、そんなこんなで僕自身も不安定になって。それからですね、移籍を考えるようになったのは。

今日こうやってエミレーツ・スタジアムに来てこの話をするのはつらいことで、でもファンのみなさんに、ここで、理由を説明したいと思った。僕は、クラブがこの先どういう方向に行くかをはっきり知っておきたかったし、大丈夫だと安心もしたかった。でもそうはならず、だから僕は自分で移籍という道を選んだんです。


インタビュアー:
決意するまでどのくらいかかりましたか。また、今回の決意はつらいものだったと思うのですが、その点はいかがでしょう。

アンリ:
決意するまでには長くかかりました。でも正直な話、どういうことになるか、結論は誰にも(自分にも)見えてなかった。何がどうなったとかどうならなかったとかいうことはマスコミにはいろいろ出ていたけれど、だからこそ自分で決めなければならないわけで。これまで生きてきた中で一番難しい決断でした。

イアン・ライトの記録を記録を抜いて、(8年間で)226ゴールをあげて、アーセナルのためにプレイして、このクラブを愛している。今回の決断は、僕の人生のなかで最も難しい決断だったし、この先もこんなに難しい決断をすることはないと思います。このクラブを愛する気持ちは、この先も変わりはありません。

インタビュアー:
アーセン・ヴェンゲル監督は、キャリアのなかで最もよい時期をこのクラブで過ごし、「アーセナルは私の人生のクラブだ」と常に語っています。あなたにとってもそうでしょうか。

アンリ:
そうです。この先8年、プレイし続けられるかどうかは疑問だし、将来がどこにあるかわからないし。僕は、ファンのみなさんとも、監督とも、デイン副会長とも、つまりアーセナルに深く結びついているすべての人と、特別な関係がありました。これから先もずっと、アーセナルは、僕のこころに、血の中に、頭の中にある。関係者全員のことは絶対に忘れません。プレス・オフィスも会長も、練習場の女性たちも、練習場やエミレーツ・スタジアムのピッチを完璧に整えてくれるスタッフのことも、僕らプレイヤーがベストのプレイができるようにしてくれるスタジアムのスタッフのことも絶対に忘れません。僕はこれからさびしく思うでしょう。それからがんばれとかその調子だと叱咤激励してくれたアーセナルのファンのみなさん。この先、途方もなく懐かしく思うに違いないです。みなさんのことは頭と心に刻み込んで行きます。一緒に練習をした人、一緒に仕事をした人、そういった人たちもみんな。特に監督と、デイン副会長、それからアーセナルのファンの皆さん。僕にとっては途方もなくすばらしいとしか言いようのない人たちです。そのすばらしさは、時には現実離れしているほどでした。

スケジュールには目を通していて、だから僕たちが――えっと、「あなたたち」ですね――トッテナムと試合をするのがいつかも知っています。つい反射的にやっちゃってました。試合日程が出るとまずトッテナム戦を確認してたんです。けっこう早い段階でありますよね。試合のときには僕も観戦します。結果を誰より早く知るようにしたい。ファンの人には殴られるかもしれないけど。ここエミレーツ・スタジアムにこうやってその話をしに来るのは、本当に特別なことです。この先もずっと、僕の血の中にはアーセナルがあるし、この決断を絶対に受け入れない人たちもいることはわかっているけれども、それでもファンの皆さんには、僕は常に100パーセントを出してきたということを言いたい。昨シーズンは怪我していたけれど、それでも出場しようとした。いつもの30ゴールではなく、リーグで17試合だったけれど、それでも10ゴール、これは悪い率ではないです。結局すべて、心があったからのこと、アーセナルの勝利に対する気持ちのなせるわざでした。僕はいつも、本当に常に絶対欠かさず、100パーセントを出してきました。

・・・このあと、「8年間を振り返って」の部分、「自分がいなくなっても大丈夫」の部分を割愛(長いので、単に時間がない)。パトリック・ヴィエラの退団について、それとセスク・ファブレガスやファン・ペルシ、レーマンらについてのコメントもここに・・・

インタビュアー:
監督には、移籍したいということはどう伝えたのですか。

アンリ:
僕は監督とは本当にすばらしい関係にあって、移籍の理由は先ほどお話ししたとおりなんですが、それとまったく同じことを監督に伝えました。あれやこれや、プライヴェートなこともそうじゃないことも話しました。

でも、先ほど言ったとおり、今日は僕にとって本当に悲しい日です。これから人がどんなことを言ったり読んだり、あるいはどんな意味を探ったりしようとも、僕にとってはとても悲しいことなんです。

さっき言い損ねていたのですが、ユニフォームとチームのためにプレイするプライド、これはすごいものがあります。フランスではないものです。子供の頃、僕はボルドーをサポートしていたけど、ボルドーが負けるとマルセーユのサポになりました。でもここ(イングランド)ではユニフォームとチームの大切さと価値というものについて、本当に教えられる。アーセナルっていうのはそういうクラブでした、イングランドのファミリーですね。

イングランドのマスコミとはいろいろ不一致もあったけれど、でも本当によくしてもらいました。それでプレイが続けられた。でもマスコミの方たちだけでなく、みんながすばらしかった。ファンの皆さんも、アウェイでやって、ブーイングを受けて、歓声を浴びて、スタンディング・オヴェーションをいただいて。そのことは絶対に、この先絶対に忘れることはないです。それから、それを僕に与えてくれたのはアーセナルです。僕たちがああいうふうにプレイしたこと、アウェイのファンからスタンディング・オベーションを受けたこと、とてもこの世の出来事とは信じられない。フランスではまるっきり違うから、理解しようったって簡単にはいかないんです。フランスでは、ホームでやればスタンディング・オベーション、アウェイでやれば、ま、アウェイなんですね、そういう感じです。

アーセナルでアウェイで試合して、スタンディング・オベーションを受けたことは、絶対に忘れられないことです。チームとしてのプレイの内容を見て、それを讃えてくれる人たちがこんなにたくさんいる。これは本当にすごいことです。

さっきも言いましたが、僕はクラブの人たち全員に感謝したい。練習場で雑用をしてくれている女の人たち、練習着を洗濯してくれる人たちやマッサージの人たち、クラブのスタッフ、スタジアムのスタッフ、スタジアムのピッチを整えるスタッフの人たち、プレス・オフィスの人たち、移動のバスの運転手さん、みんなです。ここのみなさんに、僕は感謝します。

それからイングランドで対戦したチームのすべてに、イングランドのプレイヤーとの対戦すべてに、また対戦相手のファンの人たち、マスコミの方々、審判のみなさんに、(イングランドでプレイして)すばらしい時間を過ごさせてもらいました。みなさんのおかげで特別なものになった。僕はみなさんに感謝したいです。中でもアーセナルと深くつながっている人たちに感謝します。

今日こうやってクラブに来てちゃんと話をすることは、自分にとって重要なことです。僕はファンのみなさんからとてもたくさん与えてもらったから。そのお返しとして僕がファンの皆さんに多くを与えることはできていたと自負しています。ここのボックスシートは手放さずにおいて、試合観戦に来たいと思っています。たとえ入場を断られたとしても! しかし今日は本当に妙な日です。

インタビュアー:
アーセン・ヴェンゲル監督は、少なくとも来年の夏に契約が終わるまでは残るとおっしゃっています。私たちも残っていただけるよう願っていますが、もしそうなれば、あなたは今回の決断を後悔したりしませんか。

アンリ:
自分のしたことは後悔しません。アーセナルのためにプレイしたことは自分にとって名誉なことです。死ぬまでこれを言い続けますよ。パトリック・ヴィエラが退団したとき、チームはそれでも先に進まなければならなくて、そのあとでCLで優勝寸前まで行きました。ヴィエラのようなタイプの人がいてくれればということはありましたが、それでも。

アーセン(・ヴェンゲル監督)がいなくなってしまうことは――クラブの誰であれいなくなってしまうことは――僕にとっては「喪失 missing」になると思います。それは事実ですが、それでも後悔ということにはなりません。パトリック(・ヴィエラ)が退団したときには本当にヘコんでしまって、何で行っちゃうんだと思いましたし、今でも、フランス代表で一緒にやってるというのに、パトリックがいてくれればと思ったりもする。でも、僕がパトリックがいてくれればとあれほどに思ったのは、ピッチの中でも外でも彼はいい人だったからで、それはスポーツの枠に収まりきらないことです。だから「後悔」とは言わず、「喪失」という言い方をするんですが。

インタビュアー:
あなたがアーセナルを退団ということになると必ず「バルセロナに移籍か」ということでしたが、バルセロナには何か特別なものがあるのでしょうか。

アンリ:
アーセナルにも特別なものはありますよ。僕がアーセナルからバルセロナに行くのは、ほかのチームを見下すわけではないですよ、自分がしたいようにフットボールをプレイしているチームは世界にこの2つしかないからです。ここの人たちが好むプレイ――アーセナル流、っていうものですね。それがここでの自分たちのプレイの仕方で、その「自分たち」があちらでもフットボールをプレイしている。バルセロナを選ぶ大きな理由のひとつがそれなんです。彼らのフットボールは見ていて楽しい。

インタビュアー:
最後に、Arsenal.comからアーセナルのプレイヤーとしてのあなたへの最後の質問です。ファンにメッセージを。

アンリ:
これまで本当によくしていただいて、心から感謝しています。こう言いながらも身体が震えてます。みなさんのことは絶対に忘れないし、皆さんは常に自分の頭と心の中にいます。ここで(アーセナルで)自分は100パーセントを尽くしたということを改めて申し上げたかったんですが、いろいろ言う人もいるにせよ、僕は常に100パーセントを出してきました。僕はみなさんが僕のためにしてくださったことに感謝しています。だから、みなさんにも、僕がここでしてきたことを評価していただけるかと思います。ここで僕は人間として成長したし、フットボール・プレイヤーとしてもよりよいプレイヤーになった。どんなことが起ころうとも、僕はそのことはずっと忘れません。

アーセナルは僕の心のなかに、それから血の中に存在し続けます。これからもずっと、常に、本当にずっと、みなさんのことは思い続けます。僕は前に、自分は一生ガナーだって言いましたが、あれは嘘じゃない。一度ガナーになれば一生ずっとガナーなんですから。このクラブは僕の心にあるし、この先もずっと、僕の心の中に存在し続けます。

[Saturday, June 23, 2007]

昨年のチャンピオンズ・リーグ決勝のころに「移籍話」が出たあとで残留を決断したあとの会見で、「僕のハートはここにある My heart remains here」というように、my heartを主語にして語っていたアンリですが、今回は「アーセナルは僕のハートにある Arsenal will always be in my heart」と言っているんですね。そのことからやはり「今のアーセナルから気持ちが離れてしまった」ということを読み取ってしまいます。そういうエモーショナルなことをベースにして将来自分がやりたいことを現実として考えられるほど、彼はもうプレイヤーとして若くない(Everybody knows I am 30 と言っているとおり)。

さらに今回は、アンリは「ハート」のみならず「ヘッド(頭:思考)」も、果ては「ブラッド(血)」まで持ち出して語っているけれど、ここでやっていこうという気持ちはもう消えてしまったということに変わりはなく、なんていうのかな、インタビューのテクストと向かい合って、昨年のときの「熱さ」が感じられないことを確認した、というか、用いられている単語の数が増えることは、語ろうとすることが増えることを意味しない、ということに思い至る次第。

いずれにせよ、決定的だったのがデイヴィッド・デイン副会長の辞任(クラブの「経営」についてのごたごたの帰結。詳細はJ Sportsさんの記事@4月24日とかwednet.comのスティーブ・マッケンジーさん@5月7日などを参照)で、ここからいわば芋づる式に「ひょっとして監督も」という不安が出てきて、そこでいろいろ考え、話もしたんでしょうが、結局は・・・というところなのかな。

でもこのインタビュー読むとパトリック・ヴィエラの退団が今になってこたえているようにも見えてくる・・・というのはうがちすぎにせよ、あのときは「パトリックに代わって俺が」という気持ちになったが、今回は「俺に代わって誰か」というモードになってしまったに違いないと思います。



ヒナキさんのところにトラバ(前回、複数のエントリを同時進行で書いていたため、トラバし忘れました):

「アンリ、自ら移籍の真相を語る」@2007.06.24
http://hinakiuk.sakura.ne.jp/wordpress/?p=1137

ヒナキさんには、うちの前の記事にリンクしていただいたエントリ内で、某タブロイドSにアンリからの手紙が掲載されていることを教えていただいた。多謝。

手紙本文じゃなく記事に衝撃的な(センセーショナルな)ことがいくつか。
Wenger met with Barca's financial director Ferran Soriano in France last week.

Henry has parted company with agent Jerome Anderson and will arrange personal terms himself.

つまり、フランスのメディアが「移籍交渉」を報じ、そんな交渉などない、と、今思えばまるでコミカル・アリな反応をしていたアンリの代理人は、そのメディアを訴えるとかいう姿勢だと報じられていたのだが、アンリはその代理人をクビにして、自分でいろいろやっている、と。

さらに:
The news comes as a devastating blow to Arsenal fans and places a huge question mark over Wenger's future.

The Catalan giants will now make Wenger their No 1 target to replace boss Frank Rijkaard.

バルサは、アンリを取った次はヴェンゲル獲得も視野に!・・・ってこれはタブロイド報道(「基本、壮大な作文」ともいう)ですから、話半分どころか話1パーセントくらいで。某タブロイドSではオンライン・ポール(アンケート)で「ヴェンゲルはアンリのあとに続くか、Yes or No」なんてのをやってるし。(^^;)



とにかく、はぁ。。。。って感じですな。

Au revoir, TH14...

回顧@BBC in pictures
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/6232342.stm



※前記事
どうやら今回は移籍で確定のようだ。(2007年06月23日)
http://nofrills.seesaa.net/article/45688528.html



追記@6月27日
見慣れない写真を見てしまったので、ちっちゃくこそっと貼ってみたんですが、どんなにちっちゃくしても見慣れないものは見慣れない。
http://nofrills.seesaa.net/article/46043536.html


タグ:Football

※この記事は

2007年06月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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[サッカー] アンリがアーセナルを去る理由 : Goal.com
Excerpt: 移籍理由@ガナ公式―― I will always have Arsenal in my bloodと言い残しTH14は去る : tnfuk [today’s news from uk+] やっぱり..
Weblog: 昨日の風はどんなのだっけ?
Tracked: 2007-06-25 00:21





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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