大学に進む前の夏のことだ。古いボルボに乗って、父と私はドライブに出かけた。父と私だけというのは、それまでなかったことだ。シートベルトを着用し、車を発進させた。砂利道には砂埃が舞った。
信号待ちで停車中、「ピーター、そろそろお父さんたちの仕事のことを伝えておこうと思う」と父はハンドルを指でこつこつと叩きながら言った。信号が青になり、車は大通りに出た。
「スパイなんだ」
父は真顔で冗談を言う人だった。しかし、いつもの冗談にしては非常にわざとらしいし、それに面白くも何ともない。日常の買い物をするショッピングセンターと電柱がひしめき合っているような郊外地の街を抜けながら、父は私に、もう40年近く、密かにCIAの仕事をしてきたのだと語った。
父はなーんちゃってと言うわけでもなく、沈黙が重苦しくなってきて、ああ、これは冗談じゃないんだ、と私は思った。
「母さんは知ってるの」と私は尋ねた。
「ああ、母さんか。母さんも、同じ仕事だ」と父は言った。
(親がCIAの秘密工作員だったというと)人からよく「おかしいなと思ったことは何もなかったんですか」と訊かれる。なかったですね。兄弟たちも私も、何も疑わしいと思わなかった。
両親は国務省で書類仕事にいそしむ役人なのだと思っていたが、実際のところ、仕事の内容がどういうものかはよく知らなかった。だいたい、成長過程にある子供にとって親がやってることといえば、耐え難いほど凡庸なことに決まっている。実はそうではないのだということに気づくには、もう少し大人になる必要がある。
1960年代、米軍兵士たちがC-130からベトナムの地に降り立っていたころ、CIAはラオスで極秘戦争を戦っていた。冷戦の最盛期で、CIAは私の父と工作員の一団を、ラオスの高地に住むモン族 (Hmong) に武器を与え訓練を施すために、送り込んだ。その目的は共産主義勢力パテート・ラーオと北ベトナムとの戦いだ。
CIAがモン族を強化していたのか、それともモン族を雇用していたのかははっきりとは判断しがたい。事態が過去となった今では、双方ともが、彼らのためになるよう協力していたのだと考えているようだ。
しかし、CIAの人々の多くは、モン族のレジスタンスは敗北するに決まっていると認識していた。ウシアブの群れが水牛を倒そうとするようなものだと。ベトナム戦争が終わったあと、CIAは突然ラオスから撤退し、それによりモン族の人々は、数千人単位で、ひょっとしたら数万人単位で脱出せざるを得なくなった。
これが、父にとって、中央情報局(CIA)での最初のミッションだった。
My father fought the CIA's secret war in Laos
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-42314701
(英→日、拙訳)
2人きりのドライブで息子のピーターに事実を告げた数年後、父親のアランは他界した。死の床で彼は息子に向かい、ラオスでやったことを誇りに思っていると告げた。
父親の死後、ピーターは死の悲しみに対処するため、何か少しでも読めるものは読みたいと、ラオスにおけるCIAの秘密戦争について書かれた本を、手当たり次第に読みまくった。しかし、多くの本では、CIAのこの行動は批判されていた。いかに当時、共産主義の脅威が喧伝されていたにせよ、評価できるものではないという扱いだ。特にCIAが突然引き上げてしまい、モン族の人々を置き去りにしていったこと(そのため、モン族はタイに脱出せざるを得なくなった)については、厳しい。それだけではない。CIAが麻薬取引が絨毯爆撃などをおこなっていたという疑惑もあるし、モン族の子供たちを秘密の軍隊の兵士として使っていたとの疑惑さえ提示されている。歴史家の中には、ラオス介入はCIAと米国にとっての傷だと述べる者さえいる。
ピーターは書物を読めば読むほど、父親がラオスでのことを最も誇りに思っていた理由がわからなくなってきた。
ジャーナリストとなり、ラオスでCIAが何をしたかということについて、ラジオでドキュメンタリー番組を作ることになったピーターは、父親の同僚だった人たちにメールで連絡を取った。子供の頃、日曜日の朝にうちに来てはスコッチを飲んでいた人たちだ。だが、その世代の人々も齢80を迎え、すでに他界した人もいる。ラオスで何があったのか、ファーストハンドで語れる人から話を聞こうと思ったら、今やらねばならない、とピーターは急ぐ。インターネット上でラオスにいた元CIAの人々が集まる場に投稿したメッセージには、「ミュール」とか「イゴール」といったコードネームの人々から返信があった。中には父親のアランについて「愉快な男だった」と回想する人もいた。「ところで、18ドル貸したままになってるのでよろしくお願いします。小切手でもOKですよ」
そうやって接触した1人が、「ワッツ」ことトム・ノートン。CIAでアランと一番仲良くしていた人で、現在はサウス・カロライナに住んでいる。ピーターのメッセージに彼は一度うちにいらしてくださいと返信した。
トムの自宅には大量の文書や写真、記録映像や音声テープが眠っていた。その山をかき分けながらの実証作業だ。「私が死んだらこれらがどうなるのかなとは思うけれども、まあ、それは私がとやかく言う問題ではない」とトムは言っていたという。
この世から消え去る前に、何とかしてほしい。
トムが保管していた大量の写真は当時CIAがラオス国内で拠点としていたLong Tiengで撮影されたもので、ピーターは自分が生まれるずっと前の父親の写真をたくさん見ることになったのだが、ジャーナリストとしてのピーターの手が止まったのは、1枚の子供の写真だった。軍服を着た男の子の写真。
「非公式のルールのようなものがあったというところで」とトムが言った。「兵士になるためには、身の丈がM-1ライフル銃と同じ(かそれ以上)でなければならなかったので。だからたぶん10歳くらいでしょうね」
いろいろと調べた段階では、CIAは秘密戦争で子供兵士を使っていたとの疑惑は、実証されていなかった。あるいは、私がそうであってほしいと思っていただけかもしれない。あるいは、(組織的なことではなく)特異的に起きた孤立した事例だと私が考えていたのかもしれない。どこかよそで起きたこと、どこかは知らないが、父のいないどこかで起きたことだと。
しかし、この一枚の写真で、そういう希望的な観測はすべて砕け散った。
この世を去った近親者についての資料類を掘ることには危険がある。死者たちには弁明の機会が与えられないからだ。彼らは琥珀の中に閉じ込められ、生きている者たちは、彼らを呼び出すたびに、彼らをゆがめてしまう。
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-42314701
(英→日、拙訳)
《記憶》と《記録》という問題。というか、《記憶》と《記録》と、個別の人間の問題。どう記憶し、どう語るか。生きている者によって語られる《記憶》の中では、シャンキル・ブッチャーズでさえ「いい子たち」だ。(ピーター・テイラーの著書で、シャンキル・ロードのオレンジ・オーダーの人にインタビューした箇所があり、そこでOOの人がレニー・マーフィーについてそう語っている。)
そこに、例えば【「炎上」させられたり、リップシュタットみたいに怒鳴り込まれたりするのはご免なので、ヘタレな私はネット上の、誰によって見られるかわからない場での発言を自主規制する】をめぐる「恋愛感情」云々の余地が生じるのだろう。
CIAの悪行を記録した証拠が、申し開きのできない形で目の前に出てきたときのピーター(「CIA工作員の息子」)の衝撃は、言葉にできぬほど大きなものだっただろう。それはもはや紙の上に誰かが書いている言葉ではなく、「僕の父親の物語」だ。
問題の子供の写真は、BBCの記事に掲載されているものだろう。この写真を見て「軍服に見えるが、軍服であると断定はできない」とか「軍服に憧れている子供が扮装(コスプレ)してるだけでないと誰が言えるのか」などと言い出せば、それが「否定論 denialism」の始まりだ。写真を見た瞬間のピーターの心の中ではそういう葛藤もあったかもしれない。
しかしピーターは、否定しようのないものを否定しようとはしなかった。苦い思いをしながら、起きたこと、事実を認識し、受け入れ、そしてジャーナリストとして仕事をした。
トムの家でこの写真を見たあと、番組制作中のピーターに何が起き、彼がどのように行動したかも記事に書かれている。端的にまとめれば、何が起きたのかを現地調査しようとしたところで、「子供兵士」としてCIAに使われていた人の1人が接触し、自分のことを語った(その人は現在アメリカに暮らしている)。そうしてピーターの番組は制作された。それが下記URLで聞ける。
http://www.bbc.co.uk/programmes/p05psvz1
番組の制作中、ピーターはただの調査ジャーナリストとしてだけでなく、父親やその友人・同僚たちの行為をどう見るのかというプレッシャーにさらされた。それは外的なプレッシャーだったが、内的なプレッシャーもあったはずだ。「これを見て、黙って他人事のようにしていられるのか」というプレッシャーだ。私がBBC Newsのサイトで見た記事は、番組制作の裏話といった感じのものだが、そこでピーターは自分の内的なプレッシャーについてあまり語っていない。
Throughout production of the radio documentary, there was a muscular social pressure to admonish my father, Tom Norton, and the CIA. But I'm not certain admonishment always has the effect we want it to. More often, it seems to satisfy our own thirst for righteousness, rather than bring about change. If we refuse to identify with actors in history, we will never learn its lessons.
"No-one is righteous," Xing Yang told us before we left. "And God also knows what we're thinking in our hearts."
I set out to learn what my father did in Laos, but the answers I found were unsatisfying, still shrouded in secrecy. At the end of the documentary, the listener is left grasping at half-truths and flickers of honesty. But this is precisely what it was like to be a spy's son.
When all is said and done, the only admonishment I have for my father is that he never discussed his life with me.
"Do you think you can still have a genuine relationship with someone when one person is deceiving the other?" I asked Tom Norton at his home in South Carolina.
"Yes. You're still the same people," Tom said. "You've just got a different name."
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-42314701
《記憶》と《記録》。時には両者は矛盾しているかもしれない。けれども最終的に、個々の人は、それに折り合いをつけねばならない――折り合いをつけないと受け入れられないのだ。
そこに入って来うるのは「理性」や「実証」だけではない。「否認(否定論)」も「陰謀論」も「(根拠がないということを当人が自覚せぬままの)根拠のない断定」も「被害者責任論 victim blaming」も入って来うる。
ジョン・ダワーの新刊を読む前に、ピーターのラジオ番組を聴いてみようと思う。
アメリカ 暴力の世紀――第二次大戦以降の戦争とテロ ジョン・W.ダワー 田中 利幸 岩波書店 2017-11-15 by G-Tools |
YouTubeで検索したら、ラオス介入についての1970年のドキュメンタリーが「良作ドキュメンタリー・アーカイヴ」のアカウントで見つかった。こういうの見ると、日本のメディアの中の人たちが、アメリカ政府が何をやろうとも「アメリカはすごい」と言い続けることができたのはある程度は当然だなと思う。支持はしないけど(イラク戦争のときとか、ほんとに唖然とするような言論状況があった。極端なところでは「アメリカがあんなことをしているのではない。ネオコンがしているのだ」という粗雑な切断処理もあった。9-11陰謀論はそういうところで響いてたよね)。
しかしこのピーターさんの書いた記事、モン族が脱出したことは書かれているのに、虐殺されたことは書かれていない。なぜだろう。
なんか、地理的に近いところでの話だということもあって、ロヒンギャの人々が「脱出した」ことだけ書いて、ビルマ/ミャンマー当局にどのような扱いを受けているのかを書かないというプロパガンダの手法を思い出してしまった。
ピーター・ラング=スタントン(Peter Lang-Stanton)の名前で検索したら、Twitterも見つかった。ただしほとんど使われていない。
https://twitter.com/peterlangstan
今残っているTweetで紹介されているのは、今年2月のBBC Worldのドキュメンタリー(ラジオ)で「米国の優生学」について取り上げたものだ。
The forgotten story of US eugenics thru the eyes of its last survivors. https://t.co/69WLB7bygH
— Steven B Jackson (@jeven_stackson) February 6, 2017
produced for @BBCWorld w @peterlangstan pic.twitter.com/8xz6jCcYzv
「米国の優生学」といってもイマイチわかりづらいが、要するに「断種」のことである。"the Virginia Colony for Epileptic and Feebleminded" という施設(現在は改名されている)で、てんかん患者や精神障害者(往時の用語でいう「精神薄弱」)に対し、強制断種が行われていた。それも、1979年まで。その政策の被害者に直接話を聞ける時間は減りつつあり、このBBC Worldのドキュメンタリーはそういう貴重な機会を捉えたものだ。あとで聞こうと思う。
そのような人権無視の政策でさえ、推進した人たち、実際に措置を行った人たちは、当時はそれは良いことだと信じていたのだろうし、ピーターの父親がラオス介入について思っているように「誇りに思っている」かもしれない。
「その時はそれが良いことだと思われていた」とか「良かれと思ってやった」とか言われているのだろう。しかし被害者にとっては、そんなの何のなぐさめにもならないどころか、クソ食らえである。
ピーターさんは現在、下記のような本を鋭意執筆中との由。
I am writing my first nonfiction book. The working title is Ha Ha: How Humor Keeps Societies Sane. It’s taking a while.
http://www.peterlangstanton.com/#about
※この記事は
2017年12月17日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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