このような決定的な停戦から20年ということで、各メディアで特集が組まれていた。BBC News Northern Irelandでは、当時のニュースや、BBCでセキュリティ部門の記者をしていたブライアン・ロウアン(現在はフリー)のレポートなどを1本(1分程度)にまとめている。下記記事にエンベッドされている。(映像の最後に、PUPのデイヴィッド・アーヴァインの姿がある。PUPはロイヤリスト武装組織UVFの政治部門で、多くの記録者が言及していない「和平の当事者」だ。)
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-40656954
ロウアンの当時の解説によると、停戦の宣言は青天の霹靂ともいうべきものだった。ほんの数日前まで、IRAはさらなる攻撃を行なおうとしていたのだが、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスがIRA指導部に対し停戦への復帰を強く主張し、IRAがそれを飲んだというわけだ。そしてIRAが停戦したことで、シン・フェインは政治交渉の場に加わることが可能となり、それが翌98年の和平合意(GFA)につながっていった。
ちょうど7月のオレンジ・マーチが終わり(1997年というと、ドラムクリーがえらいことになってた)、ロウアンは休暇でアイルランド共和国のドニゴールにいたのだという(休暇なのにドニゴールにまでしか行けなかったのかもしれない。ちなみにドニゴールは北アイルランドのすぐ隣だ。東京でいうと江ノ島って感じ)。いきなりの展開を告げるBBCの同僚からの電話で「BBCラジオ・フォイル(デリー市)でジャケットとシャツとネクタイが待ってる」と告げられたのだそうだ。そしてロウアンは、ベルファストからではなくデリーからこの重大ニュースを報告した。
そういったことを振り返っているBBCの記事は、何というか、非常に、あのー、アレだ。
To properly assess the Adams statement of July 1997, you have to understand the positions that both he and McGuinness held within the republican leadership back then.
That was explained by a former Royal Ulster Constabulary (RUC) Chief Constable Sir Hugh Annesley in an interview with the BBC the previous summer.
"There is no doubt in my mind that, at the top, the Republican Movement - the Provisional IRA and Sinn Féin - are inextricably linked.
"So, I do not see this artificial distinction that's been drawn.
"I believe Messrs Adams and McGuinness are very, very influential people and I think they have a major say in the conduct overall of the republican thrust."
You, はっきり言っちゃいなYO!
20年が経過しても、この点ははっきり言えないようだ。
ともあれ、1997年7月にこのような急展開が可能になったのは、同年5月に英国で政権交代が実現していたことが大きく作用している。
選挙前のジョン・メイジャー(保守党)の政権は、今から見れば北アイルランド和平のために大変多くを成し遂げたのだが(首相官邸がIRAによって迫撃砲で攻撃されたにも関わらず、メイジャーは紛争を終わらせるための対話を行なう方向で動いた)、最終的なツメには至らなかった。一番の障害となったのは「IRAの武装解除」というめっちゃ困難な問題だったが、リパブリカンには「メイジャーではダメだ」というより「保守党ではダメだ」という意識もあったことだろう(サッチャー政権時の例から、保守党にはいつ裏切られるかわからないという不信感があった)。しかし、1997年5月に行なわれた総選挙で、トニー・ブレア率いる労働党(ニュー・レイバー)が圧勝し、1979年にマーガレット・サッチャーに政権を取られて以来初めて、労働党が政権を掌握した。一方、交渉のもう一方の当事国であるアイルランド共和国でも6月上旬の総選挙の結果、政権が交替し、FGと左派政党による「レインボー・コーリション」から、ほぼFFだけの経済重視の政権になっていた(その1つ前、FFのアルバート・レノルズを首相とする政権は、やがて北アイルランド和平につながっていく重要な流れを決定付けていた)。
ロウアンの記事は、ここまでをざっと述べたあとで、「今だから言える話」のようなものを始めている。厳密に「今だから言える」というわけではないのだが(過去にも言われていることだ)、この記事ではそういうふうに読めるのだ。つまり、1997年当時、アダムズ&マクギネスが主導した「和平」への道に抵抗する勢力が、IRAの中にいたということ。アダムズ&マクギネスは何よりも最初に、IRAのそういった守旧派を相手にしなければならなかったということ。
そういった勢力がProvisional IRAから分派したのは、97年の年末だったという。翌98年8月15日のオマー爆弾事件がこの勢力を世界に知らせたのだったが、その前にも北アイルランドで爆弾を爆発させていた。このころReal IRAとして知られたこの武装勢力は、2012年に他の小勢力と合流し、現在では報道では「いわゆるNew IRA」などと呼ばれている(彼ら自身の自称は一貫して the Irish Republican Army/Óglaigh na hÉireannである。自分たちこそ正統なIRAだという意味だ)。
一方でアダムズ&マクギネスの「和平」路線に賛成して、2005年に武装活動を停止し、その後武器をデコミッションしたIRA(Provisional IRA)は、現在どうなっているのか、という点についても、ロウアンの記事には書かれている。2年前、ベルファストでIRAの内輪もめを原因とする殺人事件が発生したとき、ユニオニスト、特にUUPの議員が「まだIRAが存在しているなんて、きゃー、やだ、こわい」的にカマトトになって政治を空転させていたが、IRAという組織が解体されたわけではないということは誰もが知っている。というか、コミュニティの中に組み込まれていたIRAという組織がなくなったらその空白状態に誰が入り込んでくるか、わかったもんじゃないわけで(いや、わかってるけど)、「ポスト紛争」社会に移行した北アイルランドからIRAを取り除くことははなっからできないことなのだ。
それと同じことはロイヤリスト武装組織の側にも言えていて、だから今でも何かがあると「UDAのジャッキー・マクドナルド」が発言しているのだ。というか、今年(だっけ。去年かも)、ロイヤリスト武装組織の側で「内輪もめを原因とする殺人事件」が発生しているのだが、誰もカマトト化しなかったという現実が、大変に雄弁である。
ロウアンの記事は、最後のセクションで、"That peace is not a moment or an event, but rather a long process." と書いている。その通りだと思う。思うけれども、それにしても、長い。例えば南アフリカは「プロセス」に20年もかけなかった。しかし「紛争」も「ポスト紛争」も、一定のモデルや原則に沿ったものではなく、背景も状況も当事者の気持ちも、それぞれてんでばらばらだ。北アイルランドの場合は、20年を経てこうなっている、という《事実》を見るべきだろう。
さて、その「北アイルランド紛争」が始まったのは、見方によってばらつきはあるのだが、1968年後半から1969年夏のことである。それから約30年後の1997年7月にIRAが最終的に停戦し、1998年4月にGFAが成立して「紛争」の局面は終わったのだが、では、「紛争」が始まる20年前、30年前はどうだったのか。
1930年代、40年代にもIRAは存在はしていた。もちろんまだProvisional IRAは枝分かれしていない(PIRAが分かれたのは1969年)。アイルランド独立戦争を戦ったオリジナルのIRAのうち、アイルランド独立(アイルランド自由国の成立)を可能にしたアングロ・アイリッシュ条約(がアイルランドの南北を分断すること)に反対して闘争を続けた勢力がその時代のIRAである。このIRAは、自分たちこそ正統な「アイルランドの軍隊」と考えていたが、小規模な(構成員が1,000人にも満たない程度の)ゲリラ組織だった。第2次世界大戦中は「反英」ゆえドイツ(ナチス・ドイツ)との関係が模索されたりもしたが(そこは話が無駄に長くなるだけなので割愛するが、理念的に共感したとかそういうことではなかったという)、この時期の活動として特筆すべきは「ノーザン・キャンペーン Northern Campaign」だろう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Campaign_(Irish_Republican_Army)
「ノーザン・キャンペーン」は1942年9月から1944年12月にかけて、当時の北アイルランド警察(RUC)を標的とした作戦で、IRAの本部(ダブリン)ではなく北部IRA司令部の指令で行なわれた。警官や警察の施設が銃撃や爆弾の標的とされた。最終的死者数は警察の側が6人、IRAの側が3人と、「軽微」と言ってよいくらいだったが、この作戦中に行なわれた大掛かりな摘発・逮捕によってIRAはさらに数的に縮小した。
ノーザン・キャンペーンの前、1939年から1940年にかけては、IRAはブリテン(英本土)で爆弾作戦(「Sプラン」と呼ばれる)を展開していたが、このときには北アイルランドでは攻撃は行なわれなかった。
https://en.wikipedia.org/wiki/S-Plan
それが、1942年から44年にかけては、北アイルランドでの展開となったのである。
その時代のことを描いた小説が、フレデリック・ローレンス・グリーンによる "Odd Man Out" (1945) である。今もペーパーバックで読めるし、電子書籍化もされている。下記の版の解説は、ベルファスト出身で、オクスフォード大、米国を経てオーストラリアに移住した小説家、エイドリアン・マッキンティが書いている(電子書籍版のサンプルとして無料で読める)。
![]() | Odd Man Out F. L. Green Adrian McKinty Valancourt Books 2015-03-10 by G-Tools |

日本版のDVDは現在2種類が入手可能なようである。
![]() | 邪魔者は殺せ(けせ) [DVD] F・L・グリーン 東北新社 2001-04-25 by G-Tools |
![]() | 邪魔者は殺せ EMD-10003 [DVD] キープ株式会社 2012-08-27 by G-Tools |
英語でOKな人は、YouTubeに全編上がっている(パブリック・ドメインということだと思う)。
小説版では舞台がベルファストで、主人公の属する組織がIRAであることも明示されているが、映画版ではそこをあえてぼかしている。オープニング・クレジットが終わると、次のような文章が(重工業都市だった時代のベルファストだと一目瞭然の空撮映像に乗せて)画面に流れてくる。
"This story is told against a background of political unrest in a city of Northern Ireland. It is not concerned with the struggle between the law and an illegal organisation, but only with the conflict in the hearts of the people when they become unexpectedly involved."
この物語の背景は、北アイルランドのある都市における政情不安である。しかしこれは、法と非合法組織の間の闘争についての物語ではない。期せずしてその渦中に置かれたときに人の心の中で生じる争いについての物語である。
主人公のジョニーは、この都市で活動する秘密結社のメンバー(実は脱獄囚で、組織を支持する老女と孫娘のキャスリーンが暮らす家にかくまわれている)。彼のもとに他のメンバーたちが集まって作戦会議を開いている場面から映画の物語は始まる。活動資金のため、市の中心部の工場のオフィスに押し入って現金を強奪する計画だ。さして難しい仕事ではない。「5時には帰ってこられるだろう」と打ち合わせを済ませ、メンバーたちが部屋を出て行く。部屋に残った一人のメンバー(デニス)がジョニーに「実はこの仕事に気乗りしないのではないか」と尋ねる。



そして部屋に残ったジョニーはキャスリーンと言葉を交わしながら身支度を整える。キャスリーンはデニスとは違う理由でジョニーに行ってほしくない(ロマンチックな音楽)。しかし、「あなたはずっと外に出ていないのだから、体調がよくない」という言葉の裏は、ジョニーにはイマイチ通じていない様子で、さくさくと支度して部屋から出て行く。
オープニング・クレジットが1分以上あるとはいえ、この映画はここまでに9分以上かけている。
私がこの映画を初めて見たのは、もちろん1998年の和平合意後のことだが、「IRAといえば、筋が通っていそうな民族主義(民族自決)と、わけのわからない爆弾テロ」というイメージにとらわれていたのがほどけつつあるときで、この映画のこの冒頭シーンの先見性に深く打たれた。
いや、「先見性」というより「普遍性」だろう。
映画はこのあと、ジョニーの「眩暈」を画面上に見せながら展開していく。
紡績工場(アイリッシュ・リネン!)の金庫室に押し入ったジョニーたちは現金を強奪することはできたが、ジョニーはやはり体調がよくない。金を奪ったあとで逃げ出そうとするところで眩暈を覚えたジョニーは、工場の社員に取り押さえられ、互いに銃を取り出してもみ合っているうちに左肩を撃たれ、相手を撃ち殺してしまう。脱獄囚(逃亡犯)だったジョニーは、現金強奪犯で殺人犯になってしまった。途中で仲間たちとはぐれたジョニーは、肩を負傷したまま、ベルファストの町をさまようことになる。警察が全市規模で非常線を張るなか、彼が最初に身を隠したのは、当時ベルファストのそこかしこに設営されていた防空壕(「壕」といっても地面の穴ではなく、レンガで造られた避難小屋のような設備)――アイルランドは中立だったが、北アイルランドは英国の一部なのでドイツ軍の空襲が行なわれていた。すでに彼の意識は朦朧としている。現実を夢と思い、幻覚を現実と思っている。

いつしか日も落ち、ジョニーが身を隠している防空壕の中はとても暗い。街ではこの凶行(組織の女性メンバーのモーリーンは撃たれた工場従業員が死亡したことをニュースで知り、ショックを受ける)のことが知れ渡り、おそらく組織を支援する側のコミュニティの子供たちが「ジョニー・マクイーンごっこ」に興じている(早っ!)。ジョニーと一緒に強盗に入った仲間たちもベルファストの町を逃げる。そして……
まともに動けないほどに怪我をして、意識も朦朧としながら、自分が撃った人が死んでしまったこと、つまり自分が人殺しになってしまったことを知らされ、冷たい雨の降る夜のベルファストをさまよって、ジョニーは数々の人と遭遇する。彼ら・彼女らが言葉にする自分の考え、自分の立場、何ができるか、何ができないか。通りすがりの人の親切に助けられ、それにはしかし限界がある。「善意」は最後までは面倒を見てくれない。「あなたは傷ついていて動けなさそうだけれど、私が巻き込まれるのはご免だから、うちにいさせてあげるわけにはいかない。でも、外は雨だから、コートをちゃんと着て、帽子をかぶってね」。これが通りすがりの人の親切だ。
ジョニーを救うため一計を案じ、元の隠れ家に帰ろうとさまようジョニーを探して街に出たキャスリーンが、頼りにする神父のもとを訪ねたシークエンスでは、人の心に信仰・宗教の「正しさ」が何をできるかという重いテーマが会話劇で展開される。そしてこの映画の作者たちは、ここで神にではなく人間性にことを委ねる。さらにあとのシークエンスでは、神父と警察官が「善・悪」と「遵法・違法」について言葉を交わす。ジョニーの周りを交錯する人々は実に多様だ。映画の中だから多様なのではなく、映画(とその原作の小説)がなぞっている現実の世界が多様なのだ。ニュースを通じて接する場所について――とりわけそのニュースが「紛争」や「テロ」といった、他者の人間性を否定するような暴力である場合は――、そこが、多種多様な人がいる、いわば普通の社会なのだということは意識されないことが多い。この映画は、70年も前の作品だが、そのことをはっきりと指摘して見せてくれる。
ストーリーが展開するにつれ、「情報屋(インフォーマー)」が絡んでくるなど、これは「北アイルランド紛争」(1969〜1998年)期のIRAのことを描いた物語なのではないかと思ってしまうほどだが、そうではなく単に、そう思わせる要素が普遍的なものだということだ。
「紛争」の20年前の映画が、「紛争」の20年後も普遍性を持っている。
そのことの意味は、また改めて深く考えるかもしれない。20年後に、生きていれば。
なお、この映画で最も有名な場面が、ベルファスト中心部にある豪華なパブのシーンだ。1時間14分台から始まる(直リンクは下記)。
https://youtu.be/WY7BIcV8WNE?t=1h14m41s
このパブはThe Crown Barと呼ばれるパブで、1885年にこの内装が完成した。一大工業都市に作られた盛期ヴィクトリアンの豪勢な物件でGrade Aに指定されている(重要文化財的なもの)。1978年にナショナル・トラストが買い取って修復を行ない、2007年にさらに修復を行なっている。数々の映画やTV番組の撮影に使われているが、『邪魔者は殺せ』においては、パブの中はスタジオ・セットでの撮影である。


※この記事は
2017年07月28日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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