「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年06月12日

【メモ】「規範意識」と「法治国家」

以下はメモです。

はてブ新着経由、「ONO-MASA Homepage はてな主張所」さんの11日エントリ経由で、自由法曹団さんの「教育3法案国会審議についての公開質問状〜法案審議の前提として明らかにされなければならない101の質問〜」
http://www.jlaf.jp/jlaf_file/070606situmon.pdf
【学校教育法改訂についての質問】
(各学校種の目的及び目標の見直し等について)

3. 幼稚園の目標に「規範意識の芽生えを養う」、義務教育の目標に「規範意識・・・を養う」という文言が入りましたが、ここにいう「規範意識」とは具体的に何ですか?

4. この点につき、伊吹文部科学大臣は、「社会あるいは国家が長い年月の間に熟成させてきた伝統と申しますか、暗黙の、その社会を動かしていくためのルールというか約束事のようなもの、そういったものを総称して規範」と答弁されていますが(5月16日の衆議院特別委員会での石井議員の質問に対する答弁等)、具体的にはどのようなものを指しているのでしょうか?

※引用文は、ブラウザで読みやすいよう、項目と項目の間に1行アキを入れた。以下同。

「ONO-MASA Homepage はてな主張所」さんのエントリでは、特に「家族(像)」について注目されているのだが(必読!)、私はそれとは全然関係のないところでメモる。以下、本題の「教育基本法ならびに教育三法」とは関係なし。

自由法曹団さんの質問状から抜粋させていただいた上記部分、これを見て、ブレアとかブラウンとかストローとかが何度も語っているvalues (British values) という例のアレは、「規範意識」と解釈すると話が見えやすいかもと思った。ただし「規範意識」というのを「訳語」として扱ってしまうとラディカルすぎ。以上、メモ本体終了。

で、もうひとつ、トンデモないものを見たのでそれもメモ。

「ONO-MASA Homepage はてな主張所」さんのエントリにも紹介されているけれど、上に引用した部分の【学校教育法改訂についての質問】の下のほう、項目9と10のところ:
9. 義務教育の目標に「家族と家庭の『役割』・・・の理解」という文言が入ったのはなぜですか?

10. この点について、伊吹文部科学大臣は、西村議員からの「これは、何か特定の家族像あるいは特定の家庭内の様子、それを指すものではあってはならないというふうに考えるんですけれども、この点、確認させていただいてよろしいですか」という質問に対し、「ただ、法治国家でありますから、現在日本の国会が国民の総意としてつくっている方向性のもとでの家族というものはこういうものであるということは教えなければならない」と答弁していますが(5/11 衆議院特別委員会での答弁)、「現在日本の国会が国民の総意としてつくっている方向性」とは何でしょうか?

この伊吹文部科学大臣という人、何でこれで文部科学大臣なんか務まるわけ? 「法治国家」の意味、わかってんの? 「立法府(国会)で決めた法律があれば、国家権力は好きなように行使できる」ということではなく、「国家権力は、立法府で決めた法律がない限りは、行使できない」ってことでしょ。
ほうち-こっか 【法治国家】
法により国家権力が行使される国家。国民の意志によって制定された法に基づいて国政の一切が行われ、国民の基本的人権の保障を原則とする。法治国。

きほん-てきじんけん 【基本的人権】
人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利。日本国憲法は、思想・表現の自由などの自由権、生存権などの社会権、参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権を基本的人権として保障している。基本権。

※引用文中、太字は引用者による。

伊吹文明氏は、「人権メタボ」発言といい、「保守」(「急進」の反対語)と呼ぶのもどうかというくらいにおかしな考えをお持ちのようだ。私には、マリー・アントワネット@「パンがないのならお菓子(ブリオッシュ)を召し上がればよろしくってよ」並みにぶっ飛んでいるように思われる。

(「人権メタボ」発言のときは確か「人権」を「バター」にたとえていたが、19世紀のアイルランドのプロテスタントの地主が、カトリックの小作人に対してほざいているような言い草だと思ったよ。「人権」ってのは、どうしても体内に経口摂取するものにたとえるとすれば「バター」ではなく「水」。仮に伊吹氏の言うような「乱用」があるとすれば、それは「乱用」している人間の問題であって「人権」そのものが問題なのではない。つまり、乱用している者がいるからといって、「水」が「バター」になるわけではない。「保守派」であれ誰であれ、このくらいのロジックはおさえておいてほしいよね、ほんと。)

(英国の保守党の人たちの発言がおもしろいのは、こういうロジックはほんとにかっちり押さえた上で「保守」だからだ。しかも一見「保守」なのかどうかもわからなかったりするくらいひねりが効いているし、最近は一見「保守」とは思えない発言が続いている。ただ一部にやたらと「家族の価値」とか言ってた人もいるけれども、それは「政治的保守」ではなく「宗教的保守」として扱ってよい。)

それと、「家族というものはこういうものである」というのは、法律で規定されるものなんですかね。「一人っ子政策」の中国じゃあるまいし、ほんと勘弁してください。あたしゃ自分の祖国を、「家族のあり方」が「法律」で規定されるような国にしたくはございません。法律で規定するのは、現状のとおり、「婚姻」だけで十分じゃないですか。

自民党では、以前も、確か二階氏が「民主主義は多数決、小学校でもそう教えている」という発言をしていたが(このブログのどっかに書いてあるはず)、議員のみなさんにおかれましては、改めて基礎の基礎、高校の「倫理」で習うようなことからやり直したほうがいいと思う。

自民党以外の政党の人たちがそういうところでどうよ、というのもあるだろうけど(「また反自民の連中がどうでもいい言葉尻をとらえて鬼の首を取ったように」とかいうのとはちょっと違う方向で、そういう問題がない、つまり「こういうのは自民だけ」とは思ってない)、とりあえず、閣僚とか与党幹部とかは発言はすべてテレビや新聞で伝えられるのが前提なのだから、思想とか主義主張以前の、ロジックや基礎知識については、ほんとちゃんとしてよー。「公共」といえば「国」のことで、「国」といえば「政府」のこと、というような用語法といい、ほんとにもー。

タグ:言語

※この記事は

2007年06月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:21 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。annntonioと申します。教基法関連の運動屋さんという側面も持っております。拙ブログの引用とご言及、ありがとうございます。<(_ _)>▼法で家族像や教育内容を決めに掛かる発想に、例えば立憲主義の考えから=権力の暴走を縛り、その運用を人権に照らして適正にするための最高法規という考え方がすっかり抜けている危惧を覚えるのです。民主主義は、多数決と同義ではないですしねぇ(って、中学校の教科書にでも書いてありますし)…。▼どうぞこれからもご厚誼の程を、よろしくお願いいたします。
Posted by annntonio at 2007年06月13日 02:19

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼