「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2017年01月20日

"Post-truth" によって形作られる時代に、それが1日でも早く終焉を迎えることを祈りつつ。

「ポスト・トゥルース post-truth」、つまり「事実以後(脱事実)」とは、つまり、「すべてを疑え」ということだ――そのように、自分の中で言語化されたのは、実はほんの少し前のことだ。陰謀論者たちのいう「すべてを疑え」が「ポスト・トゥルース」なのだ。

「疑う」、「懐疑的である being sceptical」ということ自体には別に問題はない。むしろ、大学に入ってすぐに教えられたのが、「高校までは教科書どおりでよかったかもしれないが、大学における学問においては、"懐疑的な態度で臨むこと" が必要とされる」ということだった。(ちなみに私のこういった基本的な教育のバックグラウンドは社会科学系である。)

その「懐疑的な態度」云々というのもまた、あまり「わかりやすい」ものではない。見るもの全てを疑ってかかるということでは、断じてない。またそれは、何かを必ず否定することを前提とするものでもない。(ここに含まれている「全て」とか「必ず」とかいったこと自体、非常におかしなものなのだ。)

こんなことを書いていたら、いつまでたっても書き終わらないので話をはしょる(と書くと「逃げた」などと言いがかりをつけてくる人もいるのだが)。

2016年6月に英国で行なわれたEU離脱可否を問うレファレンダム後に急速にリアルなものとして立ち現れてきた「ポスト・トゥルース」の流れにおける「全てを疑え」というのは、「エリートやオーソリティの言っていることは、全て疑え」ということだった。

「エリートやオーソリティの言っていることは、疑え」ではなく、「全てを疑え」だった。

単に「全てを疑え」ではなく、「エリートやオーソリティの言っていることは、全て疑え」だった。

それが何を意味したか。それまで「エリートやオーソリティ」とされていたものを全否定し、それまで「エリートやオーソリティ」とされていなかったものを全肯定するということだった。

今、自分で書いてても「そんなバカなことがあるか」、「どこのカルト教団だよ」と思うのだが、実際に起きたことはそういうことだった。だからこそ、Breitbertのような嘘と煽動しかやらないような「ネットメディア」(10年前ならブログだったようなものだが)が勃興してきたし、そういうのが「ウケるし売れる」とわかったら既存のメディアもどんどんそっちに流れていったのだ。

日々Twitterで流れてくる一面しか見ていないような状態だが、「保守系」の新聞の様子を見ると「うげっ」という声が喉の奥で鳴る。デイリー・メイルがああだったのは昔からだが、今のデイリー・テレグラフやタイムズは、逆側に対置されうるのが(ガーディアンやインディペンデントではなく)モーニング・スターだと思ってたほうがよいくらいに極端にふれている。また、ソーシャル・ネットのおかげで、新聞の紙の束を離れて、目玉記事の見出し(と写真)だけでもがんがん流通するようになったあとで起きたことは、あのデイリー・エクスプレスが「まともなメディア」的に振る舞い始めるということだった。デイリー・エクスプレスですよ。ザ・サンどころじゃない。(ザ・サンはあれはあれでものすごくひどい、めっちゃ問題のある媒体だが。)

「ポスト・トゥルース」を形作り、引っ張っているのは、メイルとエクスプレスとタイムズとテレグラフ、そしてネットメディア。BBCも、少なくとも国内政治(英国の中央政府の政治)に関する報道の軸足は、明らかにそちらにある。(BBCの政治部は、元々、2015年の総選挙で保守党がバカ勝ちしたときに感涙したような人が重鎮で、決して「不偏不党」ではない。)

こういうふうになったのは、以前にも書いたが、2012年の女王のダイヤモンド・ジュビリーとロンドン五輪のときだった(が、ひょっとしたらその前、2011年のウィリアム王子の結婚のときからそうなり始めていたかもしれない)。そういった「おめでたいこと」できゃぴきゃぴしている間はほとんど無害だったが、その後、2014年のスコットランド独立可否のレファレンダムで、2012年に煽り立てられたナショナリズム(ブリティッシュ・ナショナリズム)は極めて攻撃的なその本質をあらわにした。2001年に米大統領ジョージ・W・ブッシュが口にしたあのフレーズ、"You are either with us, or you're with terrorists" という恐ろしい白黒二元論に準じるような心理状態が、対外的にではなく英国内でむきだしにされた。イングランドに住んでいるスコットランド人プロ・テニスプレーヤーのアンディ・マリー(マレー)は、投票権はなかったがスコットランド独立を支持する発言をツイートして、「出て行け」「国に帰れ」と罵倒された。それも「ブリテンから出て行け」と言われていたのだ。事実は、イングランドもスコットランドも「ブリテン」(正確には「グレート・ブリテン」、「大ブリテン島」)の一部であり、仮にマリーがスコットランドに拠点を移したとしても、仮にスコットランドがUK(連合王国)から独立したとしても、「ブリテンから出て行く」ことにはなりえないということだが、人々の感情はその事実を無視した。「ブリテンが一体性を保つか、そうでないか」という問題は、「ブリテンか、ブリテン以外か」と読み替えられ、言い換えられ、感情を煽っていった。

2014年当時は北アイルランドのニュースを真剣に追っていて、Twitterの北アイルランドのリストを足場にしてアイルランド目線でこれを見ていると、「またですか」とか「もういいよ」とか「うんざり」とか、「お笑いはまだですか」といったふうになったのだが、ブリテンの人たちはそういうのに免疫がなかった。免疫がないどころか、(「ブリテンとは何か」をまともに考えることもせず)「ブリテン最高!」と叫べるナショナリズムの盛り上がりが楽しくてたまらなかったのだろう(きっと、ベルファスト市役所前の旗騒動などは楽しそうに見えていたのだろう。北アイルランドの人々は全体的に「もうああいうのはうんざりだが、あいつらに言っても話が通じないので放置」という態度だったことが伝えられていたのだが、そこまで見てるのは北アイルランド住人や研究者、オタクくらいなものだ)。

そして「エリートとオーソリティ」(つまり「エスタブリッシュメント」)への拒絶・否定と、「ブリテン最高!」という感情は、なわをなうように合わさって強化されていった。そういうことが起きたんだと思う。

「懐疑的である」ことを知っている「エリート」たちは、「エリート」であるがゆえに否定された。代わりに出てきたのが、「エリートではない」ことだけがウリのような「ネットメディア」だ。英国の場合はさらにそれにも文脈があって、「ネットメディア」の隆盛の土台を築いた有力個人ブログ(グイド・フォークスのところ。彼、元々Bloggerを使ってるただの個人だったんだけど、身バレしたあとでスターになったよね)は、なぜか政治的な人脈もすごいらしく、大手メディアの前にガチの文書を入手して議員歳費問題(2010年ごろに大問題となった)をスクープしたりといったことをしてきていたので、「メインストリーム・メディアが知ってるくせに報道しようとしないこともどんどん明らかにするネットメディア」への一般の人々の信頼というものは、かなりあったのだろう。

そこから、「メインストリーム・メディア(という用語自体がアレなのだが)は全部ダメ、ネットメディアは全部よい」という極論をレッドヘリングとして、大衆の欲求(ニーズ)というものが、「メインストリーム・メディア」の(いくつかの)方向性を変えさせることになったことには、新聞の経営の難しさ(広告収入の下落、部数の下落、などなど)という現実的な数字の話も絡んできているのだろうと思う。そういえばデイリー・テレグラフは広告主への配慮のために記事の内容が左右されるという問題を内部告発されていた。

何が絶望的かって、これが「イラク戦争」後に起きてるということ。米英(ブッシュとブレア)が嘘に嘘を重ねて国際法と国際社会の仕組みを無視して強行したあの戦争の破壊的なレガシーは、イラクや中東だけでなく、米英にも残されている。社会全体をシフトさせるほどの力を持ったレガシーが。


※書きかけ

※この記事は

2017年01月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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