だが今年は、そのような、この時期の風物詩たる「よい話」を読んでいない。気づかなかったのだ(コルム・トビーンによる文学論のような記事は読んだが)。今年は11月の米大統領選挙後は何もかもが無茶苦茶で、米国の新政権の人事の話だけでも報道機関のサイトは連日大騒ぎで、それに加えてシリアのアレッポ戦の最終局面で人道危機が発生していたり、南スーダンが本当に危険な状態になってきていたり、英国ではサッカー界で過去行なわれてきた未成年者に対する性犯罪(性的虐待)の実態が次々と明らかになったりと、ひどいニュース、深刻なニュースがたくさんあったので、単に私が見落としていたのかもしれない。それにそもそも、最近私はネットをあまり見ていない。どこを見てもひどい話ばかりであることに加え、どこを見ても陰謀論者ばかりでいろいろうんざりして(例えばアレッポのあの女の子を「プロパガンダ」呼ばわりすることに血道を上げてる人は、彼女のアカウントが仮にプロパガンダででっち上げられたものだったとして――そうだった場合、あの母子は、リビアの「レイプされた」女性のように、西洋諸国のどこかの保護下に入ることになるだろうが――、そのことがアレッポや他の都市でのアサド政権による自国民への無差別的暴力という根本的な問題に影響を及ぼすとでも思っているのだろうか。湾岸戦争のときに「プロパガンダ」があったのは事実だけど、だからといって誰かが「サダム・フセインの暴虐などというのは西側の宣伝に過ぎない」とか言い出したら、サハフ情報相が乗り移ったのかとツッコミ入れるよね)、ネットでものを読む時間を大幅に減らしていたのだ。
そんなわけで、今年はクリスマスのシーズンは「よい話」を読まずに過ぎてしまったのだが、クリスマスが明けてから、まさにクリスマスっぽい「人の善意」の話をたっぷり読んでいる。現実に起きたことに関連しての記事で。
その「現実に起きたこと」というのは、クリスマス・デイの朝、ひとりのスーパースターが自宅のベッドの中で冷たくなっていたこと。
そして「よい話」というのは、そのスーパースターがこれまで、困っている人、苦境にある人のために、どんなことをどのようにしてきたかということ。
日本語でも記事があるが、当然のことながら英語圏のほうが情報量が多いので、英語圏で見ておこうと思う。
ジョージ・マイケルという人がこういう人だったということを、私は今回、初めて知った。決して「派手な生活に慣れきったセレブ」ではなかったのだ。
もう少し、前置き。ジョージ・マイケルの訃報についてまとめたときに、ライターのSarah Kendziorさんの下記のツイートをみた。
George Michael in 1990 describing the role of the media in manipulating people into cruelty and lack of compassion https://t.co/hMLbqpNC7d pic.twitter.com/1b0czI9B67
— Sarah Kendzior (@sarahkendzior) December 26, 2016
ここで参照されているのは、1990年のインタビューである。アルバム、"Listen Without Prejudice, Vol. 1" を出したときのものだ。Sarahさんが参照している部分を、"that song" の文脈を明確化するため前段を含めて見てみよう。
http://www.nytimes.com/1990/09/16/arts/recordings-george-michael-on-fame-and-freedom.html?pagewanted=all
If there is a link between ''Praying for Time'' and ''Freedom 90,'' the two songs on the album that make the strongest statements, it is their lyrical connection to television. In ''Praying for Time,'' Mr. Michael declares sarcastically, ''This is the year of the guilty man/ Your television will take a stand.'' The gloomy lyric describes a world in which ''the rich declare themselves poor'' and where ''charity is a coat you wear twice a year.'' The song's starkest lines imagine people huddled behind their doors, clinging to material possessions and screaming, ''What's mine is mine and not yours.''
''No event inspired the song, just life in general,'' Mr. Michael said. ''It's my way of trying to figure out why it's so hard for people to be good to each other. I believe the problem is conditional as opposed to being something inherent in mankind. The media has affected everybody's consciousness much more than most people will admit. Because of the media, the way the world is perceived is as a place where resources and time are running out. We're taught that you have to grab what you can before it's gone. It's almost as if there isn't time for compassion.''
ここで語られている曲、Praying for Timeのビデオ。カラオケの練習用か、ファンが作ったトリビュートのように見えるかもしれないが、この「黒地に白文字で歌詞が表示されるだけ」のビデオがオフィシャルのプロモビデオである(ジョージ・マイケル、尖ってる……このとき27歳。「俺の顔なんか見なくていいから、歌をちゃんと聞いてほしい」というメッセージだろう)。
訃報があった日に回覧されていたこれがとても強く印象に残っていた。
そして突然の死の衝撃が少しおさまったころ、ジョージ・マイケルが名前を出さずにいろんなチャリティ団体や個人に金銭的支援を行なっていたことが明らかにされ、それが大手の報道で注目されだした。
George Michael's philanthropy comes to light after his death https://t.co/uPIkyX0g6f
— BBC News (World) (@BBCWorld) December 27, 2016
@BBCWorld @BBCNews Never knew this before. I just felt he is a wonderful person. Never doubted it.
— Sandra (@TwentySix05) December 27, 2016
ジョージ・マイケルが薬物で大変と聞きつけたボノが「何かできることは」的なことを言ったとき、マイケル本人は「連中とつるまされるのは勘弁」と反応したというのを追悼記事で読んだのだが、その一方でマイケルは匿名で「足ながおじさん」になってた。https://t.co/pjwC47vPyO
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 27, 2016
https://t.co/dUU2WKIRdq これ、できることじゃないっすよ。すごい。(ジョージ・マイケル)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 27, 2016
あと、同じく「今日の新聞の話題」なので併記されてる原子力ウォッチドッグのザルっぷりは、目が点になるほどひどい。UKはほんっとに「原子力ムラ」がすさまじい。
日本語ではスズキ・アコさんがBarksに書いているが:
ほんとうに残念。→ジョージ・マイケル、内緒で行なっていた慈善活動が次々と明らかにhttps://t.co/YbluMMgfgz#ジョージ・マイケル #ジョージマイケル #GeorgeMichael
— BARKS編集部_編集長 (@itm_barks) December 27, 2016
これらの「報道記事」以上のことが書かれているのが、インディペンデントに掲載されているピーター・タッチェルのエッセイである。ビアンカ・ジャガーがフィードしている。
When we lost #GeorgeMichael, we lost a great artist and a star with a social conscience. https://t.co/6yKXULSkDK
— Bianca Jagger (@BiancaJagger) December 28, 2016
Anyone who remembers George Michael solely for his music is missing the real importance of him
PETER TATCHELL, Tuesday 27 December 2016
http://www.independent.co.uk/voices/george-michael-music-icon-dead-activism-iraq-war-homophobia-a7496321.html
ピーター・タッチェルはゲイ・ライツの活動家であり人権活動家。超有名人なので、彼の活動に関してはググるだけでいろいろわかる。つい最近は、労働党のジェレミー・コービンの前で「シリアで一般市民が苦境に置かれていることについて、行動を起こすべきだ」という抗議を行なったことがニュースになっていた。
1980年には、ピーター・タッチェルは既にゲイ・ライツの活動を行なっていたが、その彼がジョージ・マイケルに初めて会ったのは、マナー・ハウス駅(フィンズベリー・パークの東の端)のそばにあったパブの2階(小規模なゲイ・ディスコ)でのことで、ジョージはまだ10代だった。「踊りが上手く、かかる曲すべてに合わせて歌っていた。いい声をしていて、歌手になるんだと言っていた。あのころは歌手志望の若者は大勢いたが、私は、この子はひょっとすると、本当に成功するかもしれないなと思った」とタッチェルは回想している。
その3年後、ジョージは「ワム!」で大ヒットを飛ばす。
そして「ワム!」として売れていたころにも、ジョージ(カムアウト前)はマナー・ハウスあたりのゲイ・クラブに顔を出していたという(驚)。ハリンゲイに「ボルツ Bolts」というゲイ・クラブがあって、そこの常連だったそうだ。それについて、タッチェルは「私たちの中には、Boltsに通っているということは、ジョージは無意識にマスコミによって同性愛者であることを暴かれたがっているのではないかと考える者もいた。そうすればこそこそ隠れて二重生活を送る必要もなくなるのだから」
そのジョージが本当にカムアウトしたのは1998年、ワム!の解散後ソロになったあとで、ジョージは30代半ばになっていた。そのカムアウトに至った経緯がまた、「こんなに芸能ゴシップらしい芸能ゴシップはない」というシロモノなのだが、それは記事でごらんいただきたい。
1980年には既にゲイ・ディスコに来ていたジョージ・マイケルが、自身のセクシュアリティを公にするまでには18年ほどを要したということについて、訃報があったときに読んだいくつかの記事では、「本人の回想録に書かれているが、お母さんの反応を予想したためだった」ということが書かれている。お母さんが(おそらく宗教上の信念で)保守的な考え方をしており、息子がゲイだと聞かされたらショックを受けるだろうということだ。
だがタッチェルの文章には、他の要因も並べられている。
In the 1980s, he chose not to reveal that he was gay because he feared a negative reaction from his parents, fans, record company and, particularly, the tabloid press. Back then, the red tops were vicious to gay public figures. They were vilified and smeared. Being gay was portrayed as a scandal and shame. The tabloid press besmirched many a career during that time.
This was also the era of Aids, which was often dubbed "the gay plague". Gay men were blamed for the deadly virus. Public attitudes became much more homophobic. Gay-bashings and murders rocketed. It was a fearful period to be gay, let alone a gay public figure. I wish George had come out then, as he could have helped counter that tide of prejudice. But I understand why he didn't.
ここにあるような「タブロイドによるバッシング」は、ジョージ・マイケルのカムアウト後も、実際に行なわれた。
Reminder that Kelvin MacKenzie is the scum of the earth.... #GeorgeMichael #DontBuyTheSun pic.twitter.com/g64WhzZ89E
— Matthew Black (@NoirMJ) December 27, 2016
From 6 years ago.
— peter iwanoff (@peteriwanoff) December 26, 2016
Make you like #georgemichael just that little bit more doesn't it ..? pic.twitter.com/fTLR8tEgwa
そのThe Sunが、訃報を受けて、 "You were someone special, George" などと書いている。
The hypocrisy of #TheSun - which has fanned homophobia gets all hypocritical with #georgemichael's death. pic.twitter.com/42FaTa0vVA
— Gerry Hassan (@GerryHassan) December 26, 2016
スキャンダルを焚きつけ、逆張りして部数を稼いでいるようなタブロイドも、今回は死者を罵倒するのではなく単に「ポップスターの突然の死」という扱いをしているのは、読者の態度が変わったからだ(「ゲイだからって、何?」)という受け取り方もあるが(下記)、The Sunに関してはほんと、「おまえが言うな」であろう。
The generally respectful front pages about #georgemichael tell you a lot about where their readers' attitudes have shifted, which is good
— David Banks (@DBanksy) December 27, 2016
さて、インディペンデントへの寄稿でピーター・タッチェルは、ジョージ・マイケルの性的指向について書いたあとで、彼の「社会的良心」について書いている。
As well as being a brilliant composer and singer, George had a social conscience, did message music and raised lots of money for good causes.
そして、既に見たPraying for Timeでの「格差社会」への怒りや、2002年のShoot the Dogでの米英政府批判(イラク戦争)、2003年のThe Graveでの反戦の思い……。
"Shoot the Dog" was a brave move that lost George fans in gung-ho patriotic America. But he stuck to his principles and showed his critics that he wasn't a mindless, hedonistic pop heartthrob.
この点はほんとに……「アメリカ」というマーケットから締め出されたくないアーティストにとっては、「アメリカ批判」はそんなに気軽に手を出せるトピックではない。「アメリカ批判」を聞きたがる層(それもお金を出して)をターゲットにした音楽(ポリティカル・パンクとか)なら話は別かもしれないが、ジョージ・マイケルを売ってきた人々(レコード会社の重役やAR)がジョージ・マイケルに望んでいたのは、そういう音楽ではなかっただろう。むしろ、彼には "mindless, hedonistic pop heartthrob" でいてもらったほうが、ビジネス上はおいしかったはずだ。だからこそあのような曲を出したことは "brave" と言われる。
※歌詞は: http://www.azlyrics.com/lyrics/georgemichael/shootthedog.html
ジョージ・マイケルは若いときから政治的だった。原発が事故を起こしたときに、それについて思っていることを自分の曲の替え歌に乗せて歌った超メジャーなシンガーソングライターが、当初は自分だと明示せず、「そっくりさんですよ」という情報をマネージメントがばら撒いて様子見をしていたくらいなのが普通である現在の日本では(最終的には、そういうことをしても大丈夫そうだと判断したのだろう、その替え歌はコンサートでも普通に歌っていたようだが)、80年代〜90年代の英国のポップスやロックの人たちの光景は、想像つかないくらいに「政治的」に見えるだろう(もちろん、全員がそうだったわけではなく、「政治的な態度」とは距離をとっていた人たちもいるが)。今のアメリカのレディ・ガガなんかは非常にはっきりしているが、あのくらいの活発さだと想像するとわかりやすいかもしれない。
80年代にマーガレット・サッチャーと激しい闘争を繰り広げた炭鉱労働者の労働組合のアカウントが、次のようにツイートしている。
Supported miners during the strike, opposed Apartheid, campaigned for LGBT rights & spoke out against the war on Iraq. RIP #GeorgeMichael
— Durham Miners (@DurhamMiners) December 26, 2016
この炭鉱夫ストへの支援のことは、訃報が流れたときに非常に数多くツイートされていた。
You think #2016 can't get worse @GeorgeMichael dies. Spectacular voice. He played benefit gig for #pitclosres and miners. Stature of the man
— Dave Emmerson (@EmmersonDavid) December 25, 2016
Wham performed at a benefit for striking miners at London's Royal Festival Hall in 1984. https://t.co/glKtnR8CEj#GeorgeMichael pic.twitter.com/8vHyTIyXJN
— An Phoblacht (@An_Phoblacht) December 26, 2016
The only George Michael gig I went to, and fair play to him for standing up for the miners. Used to pop into my dad's petrol station too... pic.twitter.com/RImbpgT8pe
— Peter Carbery (@kerrygooner) December 26, 2016
Call #GeorgeMichael whatever you like, but he and Wham did a benefit for the miners. His heart was obviously in the right place at the time.
— RedTyneside (@_RedTyneside) December 26, 2016
今はもう「炭鉱労働者への支援」という活動はないが、当時のそれに相当する存在として、NHSがある。そして、いつのことなのかが明示されていないので正確にはわからないのだが、ジョージ・マイケルは1997年に亡くなった母親への医療に感謝して、カムデン(そのころに彼のロンドンでの家があったのがカムデンだったと思う)のラウンドハウスでNHSの看護士だけのために無料コンサートを行なった。
His support for the LGBTQ community, the NHS and the miners marked George Michael out as an activist as well as a great artist. pic.twitter.com/tsKNp22Lr7
— Billy Bragg (@billybragg) December 26, 2016
…free gig for NHS nurses. He supported the striking miners, Palestine, the homeless, LGBT and workers' rights. https://t.co/CbFOfWzN3S
— Vertebrate (@GreenGrounded) December 26, 2016
そのような彼が、ひそかに行なってきた善行(それはgenerocityという言葉で表現されるような、金銭的な善行である)が、突然の死で衝撃を受けた人々の口からどんどん語られた。まず、コメディアンのデイヴィッド・ウォリアムズが「スポーツリリーフ」で英仏海峡を泳いで横断したときには、ジョージ・マイケルは5万ポンドを寄付したという(5万ポンドというのは、非常にペイのよい仕事をしている人の年収程度。日本の感覚では「1000万円をポンと寄付した」というくらいのことだ)。
There are lots of stories about #GeorgeMichael 's legendary generosity emerging today. When I swam the channel he gave @sportrelief £50,000.
— David Walliams (@davidwalliams) December 26, 2016
また、ジョージの善行を列挙した文章も多く回覧されていた。
Read this about #georgemichael
— peter iwanoff (@peteriwanoff) December 26, 2016
Then compare it to how Gary Barlow, Tory supporter, robbed the taxpayer of £millions
I salute you George pic.twitter.com/IhfPT7vG2g
ここにあるキャプチャの内容を箇条書きにすると:
・17歳で作曲した「ケアレス・ウィスパー」を(ワム!結成後の)21歳で出したときに、作詞・作曲のクレジットにアンドルー(アンドリュー)・リッジリーの名前も加えた。(これは、ワム!で組んでたリッジリーに収入が行くようにという配慮。プロコルハルムの裁判のこととか思い出して、涙が出てくるよ)
・「ラスト・クリスマス」での収益はすべて、Band Aidに寄付した。(Band Aidはボブ・ゲルドフとボノが中心となって、当時のスターたちが集結して行なったチャリティ企画。Do They Know It's Christmas?)
・看護師に無料でコンサートのチケットを出した(前述のNHS看護師のためのライヴのこと)。
・「公表しない」という条件付で、ガンにかかった子供たちとその家族のもとを訪問した。
・「ヘルプ・ア・ロンドン・チャイルド」に毎年£100kを寄付していた。
・賞金の出る視聴者参加型のテレビ番組に出た女性が、体外授精をうける費用を捻出するために£15kを勝ち取らねばならないと語ったのを聞いて、ジョージが小切手を送った(後述)。
・炭鉱労働者支援ライブに出演した。
・看護師になるための勉強をしている学生が、学費を捻出するためにバーで働いていたのだが、ジョージ・マイケルは彼女にこれで学費ローンを返済してくださいと£5kのチップを渡した。
・不正確情報(マーク・ボランの息子を支えたのはデイヴィッド・ボウイだ)。
特に、体外受精の人が、寄付のことを知っているジャーナリストのような人たちが突然の訃報でそれを語りだすまでは、自分の不妊治療にお金を出してくれたのがジョージ・マイケルだとは知らなかったとツイートしているのが、大きく注目された。本当に、「売名目的での寄付」とはまったく逆だ。
Incredible that this lady has only just found out that #georgemichael donated this money to her. How amazing, @richardosman. #RIPGeorge pic.twitter.com/NAa4xyxXl1
— Chris Percival (@ChrisPercival_) December 26, 2016
これらについては、下記にまとめがある。
http://www.celebitchy.com/517341/george_michael_gave_away_millions_to_charity_and_worked_to_keep_it_private/
ジョージの善行はまだある。悪質な犬のブリーダー活動に反対するキャンペーンを支援していた(ジョージ・マイケル自身、大変な犬好きだ)。ホームレスの施設(シェルター)でボランティアとして働いていた(が、そのことは言わないでほしいと施設の職員に告げていたため、死後になってから明らかにされた)。ロンドンの町で路上生活を送る人に食べ物を届けていたという話もあった。まだほかにもあるかもしれない。
ジョージ・マイケルは有り余るほど持ってるカネを、社会のため、他者のために惜しみなく使っていた。それも、自分の名前を出さずに。
クリスマス・デイの朝、この世を去ったスーパースターは、その死によって、このような「クリスマスらしく、心あたたまる話」をたくさん解禁していった。
クリスマスの翌日、ボクシング・デイの試合でのセルティック(スコットランド・プレミアリーグ)のサポーターたち。
Nice gesture by the Celtic supporters
— Andy Mann Tips (@AndyMannTips) December 26, 2016
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏#georgemichael #RipGeoge#LastChristmas pic.twitter.com/5XkZw3DJPW
※この記事は
2016年12月29日
にアップロードしました。
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