米大統領は教皇をSir扱いする。: tnfuk [today's news from uk ] via kwout
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なお、AFPさんのレポートでは、教皇がGWBに対し「Sant'Egidio community の方々とお会いになられるご予定とか」と訊いたのに対し、GWBが "Yes, sir." と返答した、ということが伝えられているが、オーストラリアのブリスベン・タイムズでは着席する前に「お会いできて嬉しいです、サー」みたいなこと("It's good to be with you, sir")を言っていたと伝えられている。
通常、というかふつうは、教皇に対してはYour/His Holiness (またはHoly Fatherを用いることも) と言う。「はい、そうです」という場合は "Yes, Your Holiness." と言い、「教皇さま(聖下)は〜されるご予定です」は"His Holiness is going to do 〜." と言う、という具合だ。(英国のエリザベス女王について "Yes, madam." ではなく "Yes, Your Majesty." と言ったり、"Her Majesty is 〜." と言ったりするのと同様である。)
んなのあったりまえじゃん!と思うのだが、ブッシュ大統領閣下におかれましてはそんなのあったりまえじゃないらしい。
というのは、ブッシュ大統領閣下の「教皇に向かってSir」は今回が最初ではないのだ。
Iconography rich as leaders meet - George W. Bush, Pope John Paul II - Brief Article
National Catholic Reporter, August 10, 2001 by John L. Jr. Allen
http://findarticles.com/p/articles/mi_m1141/is_36_37/ai_77556901
上記記事(findarticles.com)は、2001年にブッシュ(以下GWB)がヨハネ・パウロ2世と会見したときの模様を伝えるカトリックのメディアのレポート。ちょっと引用(太字は引用者)。
Following the predictable high-level handshake, the popping of flashbulbs, the exchange went like this:
Pope: "You were at the Roman Forum yesterday."
Bush: "Yes sir, it was so beautiful. And this place is beautiful."
Pope: "Popes come here in the summer."
President: "Yes sir, I understand that, and I can see why."
(取材陣の)想定どおりの握手が交わされ、フラッシュがたかれると、次のような会話があった。
教皇: 昨日はローマン・フォーラムに行かれたとか。
GWB: はい、そうです、サー。たいへんに美しいところでした。ここも美しいところですね。
教皇: ここは教皇が夏を過ごす場所なのですよ。
GWB: そうですか、サー。なるほどそうでしょうな。むべなるかなですよ。
で、2007年にもGWBは教皇
で、今回のベネディクト16世との会見について、米国のブログ形式のニュースサイト、the Moderate Voiceでは Disrespecting the Pope(教皇に対する敬意なし)と伝えているが、その中で、別のブロガーさんが「GWBはカトリックではないのだし、Sirで呼んだこと自体に注目すべき」とかって弁護していることも書き添えている(Sirってそんなにすごい敬称なのかな。。。これは米英では大きく違うだろうし、そもそもネイティヴじゃないと細かいところがわからないから、何とも言いがたいのだが)。ただしthe Moderate Voiceの人の意見は「マナー(約束事)としていかがなものか」だ。
確かに、こういう外交的な場で、「私はカトリックじゃないからHolinessは使いませんよ」という態度を押し通すことは、過剰な自己主張であるとも考えられる。GWBの場合、基本的に「無知なバカ」として描かれることが多いけれども、私は教皇、というかカトリックの最高権威に対するGWBの態度は、「無知」ゆえの何かだと考えることは難しいと思う。
というのは、こういう外交的な場にはある程度のプロットがあるのが普通であるし、"Yes, sir"発言に対してカトリック教会が別に反応していないということは、"sir" はそのプロット通りのことだと考えるのが自然だからだ。その上に、GWBに同行したローラ夫人は、女性にとっては教皇の前ではお約束である「黒の上下に黒いヴェール」を着けている。米国側は「ルール」は知っているということは明白だ。
そのうえで、各国の記者が集まるような、全世界的に注目を浴びる場で、米国大統領が教皇のことをHolinessで呼ばずsirと呼ぶ、というパフォーマンスを実行している。これはどう考えても、「米国はあなたの権威の下にはない」ということをはっきりと示すためのものだ。また、2001年にも同じ発言があったということは、少なくとも今回(2007年)はヴァチカン側との事前の打ち合わせのうえで了解済みと考えるのが妥当だろう。ということを踏まえれば、これは公的には政治問題化はしない。カトリック教会が動くこともなかろう。(ただしひとりひとりのカトリック信者の感情の問題は別かもしれないが。)
というわけで、GWBは「無知でバカ」という固定化した見方は、お笑いとしてはいいけれど、それを前提にしすぎるのはどうかと思う。
なお、AFPさんのこの日本語記事では割愛されているが(教皇とGWBの会談を報じる別の記事には書かれているようだ)、英語記事には次のようなことも書かれている。
Bush sought to reassure the Pope over the plight of war-torn Iraq's minority Christians, less than a week after a Chaldean priest and three deacons were murdered.
The pope "did express deep concern about the Christians inside Iraq," Bush told a news conference.
"I assured him we were working hard to make sure that people lived up to the constitution" calling for religious tolerance and honouring "people from different walks of life," Bush said.
The murders last Sunday in northern Iraq were followed three days later by the kidnapping of another priest and five of his parishioners belonging to the Chaldean Catholic church, an autonomous Eastern rite church.
ざっくりと内容:
教皇とGWBとの会見は、イラク北部でカルデア教会の聖職者と信徒が拉致され殺害されるという事件が発生してから1週間足らずで行なわれ、GWBは教皇に対し、イラクのキリスト教徒の苦境について改めて強調、記者会見ではGWBは、「教皇はイラク国内のキリスト教徒について憂慮されておられた」と述べた。「また私は、教皇に、私たちは(イラクの)人々が憲法にいう通りの生活をするために努力しているのですと申し上げました。いろいろな立場の人々に敬意を払い、宗教的寛容を呼びかけているのです、と。」
ちなみに、ガーディアンのカトゥーニスト、Steve Bellによると、2007年のハイリゲンダム・サミットは「Yo Blair 2」だそうだ。
ブレアが噛み付いているのはプーチン。英国とロシアの間には、米国とロシアの間にある「ミサイル防衛」とかそういうののほかにいろいろあるので。(実際、英国とロシアの首脳会談はそれなりにぎくしゃくしてたらしいです。「友好」の基本を崩さない範囲内で。)
■本文部分の修正(済):
【誤】
で、2007年にもGWBは教皇ヨハネ・パウロ2世に向かってYes sirと言った、というのが今回AFPさんが伝えている内容なのだが・・・
↓
【正】
で、2007年にもGWBは教皇ベネディクト16世に向かってYes sirと言った、というのが今回AFPさんが伝えている内容なのだが・・・
なぜこういうことが起きたかというと、ユーザー辞書で「きょうこう」で「教皇ヨハネ・パウロ2世」と変換するよう指定してあったためです。もう解除しよう。。。
■追記@はっきり書かなかった私が悪いのだが:
「あんとに庵◆備忘録」さんからトラバをいただいた。(ありがとうございます。)
■ブッシュ君が教皇をSir呼ばわりしたことを新聞が騒いでいる件について
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20070610/1181482202
その中に次のようなくだりがあるのだが:
この方もプロテスタントの大統領がなにもバチカンのお作法に従う必要はあるまいとしている。各国の記者が集まるような、全世界的に注目を浴びる場で、米国大統領が教皇のことをHolinessで呼ばずsirと呼ぶ、というパフォーマンスを実行している。これはどう考えても、「米国はあなたの権威の下にはない」ということをはっきりと示すためのものだ。
という分析を載せておられる。
わかりづらかったかもしれないが、私はむしろ「いくらプロテスタントだって、儀礼として、教皇にsirはないだろ、sirは」というスタンスであり、「プロテスタントの大統領がなにもバチカンのお作法に従う必要はあるまい」ということは思っていないし、述べたつもりもない。
ただそう読めてしまったということはあるかもしれない。基本的に、「解釈」は情報を受け取った人ひとりひとりがすべきことで情報を流す側が提示することではないとの考えを抱いているため、「分析」は書いても「私の意見」というのはあんまりハッキリ書かないので。(ま、ものによっては「私の意見」だけを書いてることもありますが。)
引用したthe Moderate Voiceの記事を書いた人と私の考えは極めて近く、「儀礼としてSirはどうよ」という立場である、ということはここに明記しておく。(ついでにいうと、本エントリの主題は「GWBは無知でバカだから」で常に考えることはよくない、ということである。)
また、「メディアがどうでもいいことで大騒ぎしている」というつもりもない。ついでだから、この点について、少し文脈を補っておこう。
このことを報じたAFP通信はフランスの通信社である(「新聞」ではない)。そしてフランスは、徹底した政教分離を実行していることで知られている国ではあるが、カトリックの国である。英国(もしくはイングランド)とフランスががちがちやり合ってるのとかを見るときに、「イングランドは国教会(プロテスタント)でフランスはカトリック」というのを下敷きにするとすーっと話がわかる、というのもけっこうよくある。(ただし19世紀の植民地主義の前まで。)
つまり、フランスというカトリックの国のメディアが「ブッシュ大統領は教皇のことをSir呼ばわりしている」ことに驚愕を示すことは別に不自然ではないというのが私の考えだ。(本文に、「(ただしひとりひとりのカトリック信者の感情の問題は別かもしれないが。)」とカッコを使ってこそっと書いたのにはそういうことも含まれる。)
ただし、日本語版の記事の見出し、「バチカン関係者あぜん、ブッシュ大統領が法王に『サー』」の「バチカン関係者あぜん」に相当する表現は、AFPの英語記事では見つけられなかった。ただしフランス語版の記事は私は参照していない(フラ語で情報を探そうとするととんでもない負荷がかかるため。情けない)。
この「バチカン関係者あぜん」は「バチカンの関係者(=カトリック教会の人たち)があぜんとした」のか、あるいは「バチカンで、(メディアの)関係者があぜんとした」のか、2通りの解釈が可能であるが、後者はやや苦しい解釈であるとはいえ、英語版記事にはそういう状態が描写されている、ということも書いておこう。(英語版記事には何度もpool reportersが登場しており、英文からは、ブッシュの言動にいちいち驚いたのは彼らpool reportersであると読解することができる。)フランス語版ではもっと詳しく、現場に居合わせたヴァチカンの関係者の反応も記されているかもしれない。(だから確認しろよって。>自分)→探した。エントリ末尾参照。
以下はさらに追記。「私の意見」を書いておくことにする。無粋の極みだが。
わざわざカッコを使ってこそっと「(ただしひとりひとりのカトリック信者の感情の問題は別かもしれないが。)」と書いたのは、こういうことでアメリカ合衆国にはコントロールできない「反米感情」が高まるかもしれないのに、平気でやっちゃうんだな、ということに改めて驚いたというか嘆息したため。
GWBは繰り返し「イスラムに対する戦争ではない」と言いつつイスラム教徒がものすごく多い地域で「反米感情」を高めるようなことをしてきている。ファルージャの「集団懲罰」がその最も象徴的な事例である。そういうことに対する警告は米国内からも何度も出されてきたのに、GWBおよびその仲間たちにとっては数々の事例がまったく「教訓 lessons to learn」にもならず、単にスルーされているのだなあと。嘆息するしかない。
現在の状況、すなわち「国家」ではなく「テロ」という漠然としたものとの「戦い」であるとGWB自身が言っている状況からは、国家と国家の合意とか、合意に至る前の打ち合わせとか、首脳同士の握手とか、そういったこととは別の、「個人」に何がどう映るかが重要な要素のひとつになっているということが読み取れるはず。しかしGWBはそんなことは気にしちゃいない。だから「メディアが余計な報道をするから」みたいなことが政府上層部の口からどんどん出てきていたし(イラク報道をめぐるアルジャジーラへの言論上・制度上の攻撃を参照)、「イラク政府と合意した」ですべて丸く収まるという、冷戦時代ならそれでよかったのかもしれないけどね、という図式で語ろうとしている。(「裏でCIAが」とかいうのはここでは扱わない。)
「外交」としてはそれでいいのだろうが、「テロ」というものを考えるときにそれでいいんか? ましてや米国は「考える」より何歩も先に進んで「対処する」という行動をとっているのに?
根本的なところで、GWBとその仲間たちは、「人間」を「テロリスト」にしてしまうのは何か、ということを真剣に考えてはいないのだろうとさえ思われてやり切れん。(彼の頭の中では、「元々テロリストだった人物」と「そうでない人物」の2種類しか存在していないのかもしれない。)
プロテスタントとカトリックの争いが続いてきた北アイルランドのテロリズムを扱った無数の本のなかの1冊を読めば(あるいは、ものによっては新聞記事1本でもいいかもしれない)、「テロリスト」が元々「テロリスト」として生まれてきたわけではない、ということはわかるはずなのに。
そして、ヴァチカンに「公式訪問」して、教皇のことをYour Holinessと呼ばず、Sirと呼んで済ませることができるように事前にヴァチカンで根回しをしておく、なんてことが「許される」と思っているのが、いかにも「アメリカらしい」。そして実際にそれが「許され」てしまうのも、いかにも「アメリカらしい」。思想上の「反米」とかいうのとは関係なく、それが現実であるのだと私は思っています。(ただし事実として、私は何度も書いている通り決して「親米」ではなくむしろあえて言えば「反米」で、「英国にはアンチ・アメリカニズムなどというものはなかった」とか平気で言ってしまうマイケル・ポーティロのような奴には「お前はどこを見ていたんだ」と言いたい、というスタンスですが。)
なお、英国のトニー・ブレア首相は、自身はプロテスタントで(イングランドの国教会)、GWBに劣らぬ「敬虔なクリスチャン」ですが(むしろブッシュより宗教的かもしれない)、教皇と会ったときにはHolinessを使っています。下記参照。まあ、イングランド国教会はカルヴァン派やルター派ほど「カトリック否定」ではないにしても。(あと、ブレアは夫人と子供がカトリックだったりもするけどね。ただし本人の家系はアルスター・スコッツでがっちがちの反カトリック。おじいさんはオレンジオーダーだし。家系と本人は関係ないけどね。)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/2789503.stm
... Mr Blair said: "Let me just make one thing also plain - we do not want war, no one wants war."
He added: "What the words of His Holiness the Pope have described... is the reluctance of people to go to war except as a last resort. That is our position."
同じquoteを別のメディアで。
http://politics.guardian.co.uk/foreignaffairs/story/0,,900298,00.html
"Apart from that, what the words of his Holiness the Pope have described, the words that are used in many of the discussions, what these words do is describe the reluctance of the people to go to war, except as a last resort. That is our position.
ブレア以外の人の発言を見ると、例えば今の教皇がマヌエル2世の引用をした直後のトルコの英語メディアでも、His Holinessを使っている。記事の内容から、書いた人はイスラム教徒だと思うけど。
http://www.turkishweekly.net/comments.php?id=2281
よりによってデイリー・メイルだけど、ヴァチカンからの反応が出ていたので引用。引用した部分のほかはいつもの先走りなので(ブレアがカトリックになるのではという話)、読まなくてもよろしいでしょう。
http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/news/worldnews.html?in_article_id=461032&in_page_id=1811&in_a_source=
Last updated at 21:20pm on 9th June 2007
Then officials cringed as he repeatedly called the Pontiff 'sir'. Later, a Vatican spokesman said: "I don't think President Bush meant anything by his use of words. The expression "sir" is widely used in English and especially by Americans – but of course the correct term is "Your Holiness"."
つまり、ヴァチカンのスポークスマンは、「GWBの言葉遣いでGWBが何かを言わんとしているとは考えていない。Sirという英語の表現は特にアメリカで用いられているものだ。むろん、正しくはYour Holinessであるが」とコメントしている。つまり、ほんの少しだけ違和感を示すというか、「皆さんはどうかSirではなくYour Holinessをお使いください」ということを言いつつ、ブッシュについては「別に構わない」ということを言っている、ように読める。
すなわち、本来はYour Holinessを使うべきだということに何ら変わりはなく(これ確か正式なプロトコルで決められてるんだよね)、そこでSirを使っても大丈夫な米国大統領は「特別」なのだろう。腹立たしい。何様のつもりだってんだ。
ともあれ、ヴァチカンのスポークスマンの発言は、「Sir呼ばわり」にかちんと来たであろう全世界のカトリックをなだめるための「大人の対応」だ(「当方は個人の言葉遣いでいちいちとやかく言いませんので」みたいな)。だからといって、「じゃあ私もカトリックじゃないから教皇のことはSirでいいのね」という話にはならないので、そこはほんとに注意。(北アイルランドについてあれこれ読んだりしていると、これはほんとに難しいことなのだというのがよくわかる。フィクションでも客観的分析でもないからね、北アイルランドは。ネットで接する情報でも生だからね。)
# メイル記事引用部分の冒頭、officials cringedというのは、日本語版のAFP記事にあった「関係者あぜん」に相当する。ということは、AFPの英語版にはなかったけどフラ語版にはそういう記述があったのかな。。。確かに、当局が事前に打ち合わせをして「じゃ、そういうことで」って決めてあったとしても、いざその瞬間となると一同は緊張するよね。しかも何度も何度もSirでしょ、教皇ご自身がどうのとか外交としてどうのとかいう以前に、自分たちがイライラしてきて当然だと思う。(たとえて言えば、日本語があまりできない人が、文自体は敬体なのに、youの訳語として「あんた」を連発するのを聞いてる気分に近いのではないかと。「あんたは来週の日曜日には何をしますか」みたいな。何度か重なると、その人とさほど親しくなくても「そこは『あんた』ではなく『あなた』を使うべき」とかって言いたくなるでしょ。そういうふうにむずむずしてくるだろうなと思うよ、教皇つかまえてSirってのは。)
(今ちょっと思ったんだけど、Ali Gの突撃インタビューでやってくれないかな。「今日は教皇さんとこ来てんだけど、知ってた? 教皇さんってカトリックでいっちばん偉い人なんだゼッ! すごくね (Wicked!)?」調で。)(ぜったい無理だと思うけど。サーシャ・バロン・コーエンもこれ以上「敵」は作れんだろうし。)
ついでだから教皇についてメモ。ウィキペディアから:
http://en.wikipedia.org/wiki/Pope#Status_and_authority
The status and authority of the Pope in the Catholic Church was dogmatically defined by the First Vatican Council in its Dogmatic Constitution of the Church of Christ (July 18, 1870). The first chapter of this document is entitled "On the institution of the apostolic primacy in blessed Peter", and states that (s.1) "according to the Gospel evidence, a primacy of jurisdiction over the whole church of God was immediately and directly promised to the blessed apostle Peter and conferred on him by Christ the Lord" and that (s.6) "if anyone says that blessed Peter the apostle was not appointed by Christ the Lord as prince of all the apostles and visible head of the whole church militant; or that it was a primacy of honor only and not one of true and proper jurisdiction that he directly and immediately received from our Lord Jesus Christ Himself: let him be anathema..."
To maintain contacts with local clergymen and Catholic communities, the Popes grant private audiences too. Here seen are the Canons Regular of the Holy Cross from Uden (Netherlands) received by Pope Pius XII.
The Dogmatic Constitution's second chapter, "On the permanence of the primacy of blessed Peter in the Roman pontiffs", states that (s.1) "that which our Lord Jesus Christ [...] established in the blessed apostle Peter [...] must of necessity remain forever, by Christ's authority, in the church which, founded as it is upon a rock, will stand firm until the end of time," that (s.3) "whoever succeeds to the Chair of Peter obtains by the institution of Christ Himself, the primacy of Peter over the whole church", and that (s.5) "if anyone says that it is not by the institution of Christ the Lord Himself (that is to say, by Divine Law) that blessed Peter should have perpetual successors in the primacy over the whole church; or that the Roman Pontiff is not the successor of blessed Peter in this primacy: let him be anathema."
あ、日本語版ウィキペディアにもあった。
現在の教皇の地位を規定しているのは第1バチカン公会議(1870年)で採択された教義憲章「キリストの教会」である。同憲章の第一章は「ペトロ[引用者注:英語ではPeter]に由来する使徒的首位性」というタイトルで、「福音書からも、主キリストが使徒ペトロに他の人々に優越する権威を与えたことは明らかである」(第1節)と述べ、さらに「もしペトロがキリストによって使徒のかしらとされ、教会の目にみえるしるしとして立てられたということを認めず、そのイエスからの直接の権威が単に名誉的なものだけで実質的な意味を持たないというものは教会から排斥される。」としている。(「〜は教会から排斥される」という表現はアナテマと呼ばれるもので古代以来、第1バチカン公会議にいたるまで用いられ、カトリック教会が教義について述べた文章に必ず添えられる定型文であった。)
第二章「聖座におけるペトロの権威の存続について」では、「主キリストがペトロに与えた権威は永続的なもので、『岩の上にたてられた』教会として存続し、『おわりの時』まで続くものである」と述べ、 「ペトロの座を引き継いだものは誰でもキリストに由来する権威を保持し、全教会に対する首位性を有する」とする。よって「この権威がキリストの意図によるものでなく[原文ママ:英文によるに『〜によるものであること』か?]、ペトロの権威は永遠のものであることを認めないもの、ローマの聖座がペトロの権威を継承していないというものは教会から排斥される」という。
第三章「ローマの聖座の有する首位権の力と性質」では、「フィレンツェ公会議においてローマの聖座、使徒座は世界の教会におよぶ首位性を持ち、ローマの聖座が使徒の長、キリストの代理であるペトロの権威を引き継ぎ、全教会の父・教師たる地位を持つ旨が宣言されている」とし、「この聖座の布告にもとづいて、ローマ教会は他の教会に対しても卓越した地位を保持する」としている。
# ウィキペディアの日本語版、修正したくても、IPが広域ブロック(巻き添え。最近すごく多い)。接続し直して可能であれば修正を投稿すること。>自分
フランス語でのAFPの記事、見つかったー。"pape bush afp" で検索したら2件目でビンゴ!(papeはpopeのフランス語、これはen.wikipediaからFrancaisに飛んで確認。)
Bush appelle le pape "Monsieur" et lui promet des confidences sur Poutine
http://www.romandie.com/infos/news2/070609150608.kko9iwud.asp
CITE DU VATICAN - Le président américain George W. Bush, lors de sa première rencontre samedi avec Benoît XVI, a donné plusieurs fois du "Monsieur" au pape au lieu du formel "Votre Sainteté" et a affiché une grande décontraction tranchant avec la componction habituelle en usage au Vatican.
Le président américain a aussi résisté en public à la curiosité du souverain pontife sur ses relations avec le président russe Vladimir Poutine, lui promettant ses confidences pour quand les journalistes auraient quitté la bibliothèque privée du pape où avait lieu leur rencontre.
"Euh, je vous raconte ça dans une minute", a répondu M. Bush à Benoît XVI qui lui demandait s'il avait eu un "bon dialogue" avec M. Poutine deux jours plus tôt en marge du sommet des pays industrialisés du G8 en Allemagne alors que les deux pays s'opposent vivement sur le projet de bouclier antimissile américain en Europe.
A d'autres questions du pape, Bush a répondu à plusieurs reprises "Yes sir" (oui Monsieur), notamment lorsque Benoît XVI lui demandait s'il allait bien rencontrer à Rome la communauté catholique Sant'Egidio.
Cette formulation a été aussitôt jugée comme une gaffe par les médias italiens, habitués au formalisme du Vatican.
Ils ont également relevé la posture décontractée adoptée par George W. Bush lors de son entretien avec le pape, les jambes croisées "à la texane", de l'autre côté du bureau de la bibliothèque privée du palais apostolique où avait pris place Benoît XVI, revêtu de sa soutane blanche et de sa mozette rouge.
(©AFP / 09 juin 2007 17h06)
うーん、愛用のフランス語辞書がどっか埋まってて読めない。。。探します。(^^;)
英語記事が「ローマ」となっている一方で、フランス語記事は「ヴァチカン市」で、内容もちょっと違う。
※この記事は
2007年06月10日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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ブッシュ氏自身についての彼なりの立場について、非常に勉強になりました。有り難うございます。
以下のことについて。少し。
>「Sir呼ばわり」にかちんと来たであろう全世界のカトリック
ということはないと思います。
まぁ、ブッシュさんが礼節を欠いたことに呆れるだろうとは思いますが。
わたくしのごときカトリック信者としては欧州のマスメディアの教皇への取り扱い(よく嘲笑のネタにする。揚げ足取りをする)に慣れている為に、今回、ブッシュがSir呼ばわりしたことを、欧州のメディアがこの程度のことで唖然としている?或いは嬉々として取り上げている、その感覚の方がちょいとよく判らなくなりますね。(ブッシュ君を批判したいが為なのでしょうが)
まぁ、常のメディアの教皇の扱いの方が酷いなぁなどと感じる場面はよくありますが、しかし日本人が天皇に対して抱いている感覚とはまったく違いますから、批判、侮蔑などがあったとしても、「その誤解は酷いなぁ」とか「それは言えてるな」とか、その程度に受け止めるでしょうし、今回のブッシュ君のこともさほど驚きも、感情を害するということもないでしょう。イタリア人などはギャグネタにするかも。
(まぁ、バチカンな官僚機構におられるお偉方は半分貴族みたいなとりすましたのも多そうですし、行儀の悪い人には眉をひそめるかもしれません。それが一国の大統領となると特に。)
コメントをありがとうございます。ちょうどたまたま、SONYのPS3のゲームで「マンチェスター大聖堂が勝手に使われた」としてアングリカン・チャーチが「法的措置も」と怒っているというニュースもあり、私自身は「宗教は葬式仏教」で、カトリックでもプロテスタントでもないのですが、「敬意」というものについてちょびっと考えさせられています(アングリカンはけっこうオープンなのですが・・・ハリー・ポッターの映画ではグロースター大聖堂での撮影を行っていますし)。
>> 「Sir呼ばわり」にかちんと来たであろう全世界のカトリック
>
> ということはないと思います。
> まぁ、ブッシュさんが礼節を欠いたことに呆れるだろうとは思いますが。
ちょっと補足させてください。表現の違いはあれどあんとに庵さんのお考えには同意です。「全世界のカトリック」というのは「カトリック全員」といったことではなく、「全世界に、かちんと来たカトリックの人たちが、数は確定できないにせよ、いる」ということであり、それをヴァチカンが前提として、「ヴァチカンは、GWBの言葉遣いで彼を判断したりはしない(ので、もしかちんと来た場合もあまり本気で怒らないように)」という表明をしているのだろうと思います。それこそラテン・アメリカなど「反米」の強いところのカトリックが「GWBは教皇さまでさえSir扱いだ、無礼な奴だ!」というふうに煽られたりするとあんまりよくないですし。(こういうような「敬意」の問題が、市井でどのように「問題」化していくかは、昨年の「ムハンマド戯画」騒動のときに、それこそ戯画的なほどにデフォルメされたかたちで現れました。)
> 今回、ブッシュがSir呼ばわりしたことを、欧州のメディアがこの程度のことで唖然としている?或いは嬉々として取り上げている、その感覚の方がちょいとよく判らなくなりますね。
しっかりとした証拠や根拠があるわけではないのですが、AFPの英文記事を見る限り、これはメインの記事ではなく(メインとしては教皇との会話の内容を、余計な茶々を入れずに報じている記事があります)、お笑い記事だと感じました。ロイターならOddly Enough(「世界のおもしろニュース」)として配信されていそうです。つまり、元々「息抜き」用のおちゃらけたニュース(最近では「日本で黄金風呂が盗まれ、ホテル側は唖然」というのがこのコーナーにありました。ホテルニュー三日月の件です)。
で、私が見ている範囲内の話ですが、GWBは超大国のトップであるにも関わらず、このOddly Enoughでネタにされやすすぎると思います。「セグウェイでこけた」とか「プレッツェルで喉をつまらせた」とか「トニー・ブレアにYo Blairと呼びかけた」とか。つまり、彼が何かを「やらかす」ことが、単に「おもしろいネタ」になってしまう。
というわけで、「他に報じることがあるのに、批判したいがために、わざわざ変な話だけを変なふうに取り上げている」ということではないと思います。AFPさんの日本語版でも、下記のように「メインの」(おちゃらけていない)記事が出ていますし。
「ブッシュ米大統領、ローマ法王ベネディクト16世と会談」
http://www.afpbb.com/article/politics/2237133/1677109
「ブッシュ大統領、中東のキリスト教徒の安全確保を約束」
http://www.afpbb.com/article/politics/2237429/1679382
ただ今回、AFP日本語版で注目を集めているのはこの「Sir扱い」の記事であって(「アクセストップ10」で現在3位)、「メインの」記事ではなかったりします。まじめに世界情勢を考えようというのなら、「メインの」記事のほうが注目されてしかるべきであるとは思います。私はGWBのやり方がほんとに心底嫌いなのですが、「またI did it my wayかよ」と嘆息するばかりですが。
で、なぜこれが注目を集めるのかというと、「ネタとしておもしろいから」だろうと思うんですね。別に「GWB批判のため」ということでもなく、「あっはっは、またやらかしたか!」という感じで。それが「GWBってやっぱり無知でバカなんだな」という方向でまとまってしまうと、そりゃ違うんじゃないかいということで、クリスチャンでもないのにこんなエントリを立ててみた次第です。
ところで国教会がソニーのゲームソフトに立腹しているという件でも、AFPはちょっと意地悪ですね。見出しが扇情的だし。
「英国国教会がPS3用ゲームソフトの販売停止を要求」
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2237480/1679721
日本にいると、そういうニュアンスが伝わりづらく、意訳が多かったり説明不足の為か、「一神教信徒は狂信的、傲慢」的な批判なども様々な問題でよく聞くので、ついつい気になったりしてしまいます。
カトリックもヨーロッパをはじめカトリック国でも葬式仏教化してるのは同じですね。。ですからイタリアなどでもおそらくこれをネタに、教皇ジョークやブッシュジョークが飛び交うだけだとは思います。
ですが御指摘の通り、南米では反ブッシュ的心情はありますから、それを政治利用しようという人が現れかねないかもしれませんね。
英国国教会のその教会は、銃撃戦に巻き込まれた方の追悼式を行っていたりするというあたりで、もうあちゃ〜という感じですね。昨今のゴス人気から雰囲気のあるモノを選んだのでしょうか?カトリックの施設なんかもよくゲームな舞台になっていそうです。漫画でトンでもな扱いになっていたりというのはしょっちゅうですが。愉しんでます。笑)
宗教への冒涜といえば最近、三社祭での問題(神輿の上に人が乗るのは神への冒涜である)もありましたが、例えばエルサレムの教会の聖域であるアプシス(正教会では聖職者しか入れない祭壇部分)にアメリカ人観光客がづかづかと入り込んで来る為に関係者が怒っているという話も聞いたことがあります。
啓蒙主義以降の思想の中で生きている我々にとって、また無宗教とも言われる日本の中で、その聖域への間隔が薄れつつあるのは、例えばカトリックである私自身ですら(冒涜的漫画を愉しんでしまうように)薄れていると常に感じます。ましてや信仰を共有しないものにとっては、それは判らないだろうことは仕方ないのかとは思ってはおります。
しかし、仕方ないとするべきなのかどうか。というのも、イスラムの問題と対峙する時、考えさせられてしまいますね。
プロテスタント信者はHolinessとは呼べない。
Popeは神様ではないから・・・
真のHolinessはイエス・キリストのみ!!
当然プロテスタントの国アメリカが
Holiness と言っちゃったら・・・
Popeを神様と認めた言い方になちゃって
プロテスタントの意味がありません。
万人祭司ですから・・・
なんでこんなのが記事に
日本人ってカトリック信者だったっけ・・・
日本人の西洋史観あサ〜ッ!!
その点については、私はエントリの本文に書きました。
> なんでこんなのが記事に
あなたがおっしゃる「記事」が私が引用している「AFP BBさんの記事」のことを指す場合:
AFP BBさんはAFP通信、つまり l'Agence France-Presseというフランスの通信社の記事を日本語化して紹介されているからでしょう。またAFP BBさんが日本語でこの記事を配信した理由については、当方に尋ねられてもわかりません。AFP BBさんにお尋ねください。
あなたがおっしゃる「記事」がこのブログのこのエントリ(記事)のことを指す場合:
このエントリの意図については本文をお読みください。明記してあります。
> 日本人ってカトリック信者だったっけ・・・
私の知り合いには、日本国籍で日本に生まれて育ったモンゴロイドで、なおかつカトリック信者という方は複数おられます。私自身はキリスト教徒ではありません。
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