「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年11月11日

Twitterfeedが終わってしまったので、Dlvr.itに乗り換えた。

しばらくブログをほとんど書かずにいた間に、Twitterfeedがサービスを停止してしまっていた。



Twitterfeedは、Twitterが始まってすぐにスタートした「老舗」と言えるサービスで、ニュースサイトやブログなどのRSSを拾ってTwitterに流してくれるという便利なものだ。開発者はMario Mentiさんで、私がTwitterのアカウントを取って最初にフォローしていたBBC Newsやガーディアンなど大手報道機関のアカウントは彼が取得したアカウントで、サイトのRSSを拾ってフィードするよう設定されていた。(その後、大手報道機関のTwitter利用が進むにつれて、RSSフィードを食わせていただけのMarioさん設営のアカウントは、報道機関に譲られて各自で運営されるようになっている。)

Twitterfeedは2011年8月にBitlyによって取得された。BitlyはURL短縮サービスで、2011年1月のエジプト以降、「ソーシャルメディア、特にTwitterでニュースを広める」といったニーズが高まったときに、当時まだt.coの短縮URLがなく、普通にニュースサイトのURLを投げたりするとそれだけで140字使い切ってしまうという問題を解消するため、Twitterで非常に頻繁に使われて、知名度と価値を上げたアメリカのIT企業だ(確か、当時最も広く使われていたクライアントのTweetdeckでのデフォルト設定で、短縮URLはBitlyになっていたのではなかったか)。




そのBitlyが、2016年10月末で、Twitterfeedのサービスを打ち切ることにしたのだそうだ。いよいよTwitterが「衰退」の局面に入ったのだなあと胸が熱くなるが、驚きはない。それでも、Twitterfeedほど広く使われている地味なサービスを終了という判断が出たことには驚いた。それも、告知からサービス終了まで、2週間程度という短さだった。







Twitterfeed.comは現在、トップページ以外のすべてのコンテンツが見られなくなっている(サイト内の個別のURLにアクセスしようとしても、トップページが表示されるだけ)。なので、自分がこのサービスでいくつのフィードを走らせていたか、それはどういう設定・内容だったかも、このサイトからは確認できない。また、Twitterfeed.comのサイトでは、自分がTwitterにフィードしたURLがどのくらいクリックされているかなどの解析もしてくれていたのだが、それももう見ることはできない。

Twitterfeedでは、上で見た通り、乗り換え先の代替サービスとして、Dlvr.it (Deliver it) を薦めている(BitlyはBufferを推しているようだが)。私も誘導されるがままにDlvr.itでアカウントを取得し、当ブログの時間差フィードはTwitterfeedに代えてDlvr.itから流すようにした。が、Dlvr.itは設定がいろいろあるようで、勝手がわかるようになるまではしばらくかかるかもしれない。

というわけで、当ブログの新エントリ投稿時にTwitterにフィードされるのは、まずエントリ投降時にフィードされるSeesaa.netからの自動投稿と、続いて時間差でフィードされるDlvr.itの自動投稿の2本、ということになる。(どのくらいの時間差があるかは、Dlvr.itのタイミングによる。Seesaaからの自動投稿の10分後にDlvr.itが流れることもあれば、6時間後ということもあるだろう。)

Twitterfeedのころの投稿:
1) Seesaaからのフィード:



2) Twitterfeedによるフィード:



Dlvr.itでの投稿:
1) Seesaaからのフィード:



2) Dlvr.itによるフィード(いろいろ細かい設定をする前の状態):



※この記事は

2016年11月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(1) | ブログ関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

dlvr.itからTwitterへフィードする場合の画像の設定を変更する方法について。
Excerpt: 当ブログは、エントリ投稿時に自動的にTwitterにフィードしているが、ほかにもう一度、数時間後にまたTwitterにフィードするようにしている。そうするために使っていたTwitterfeedというサ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2017-01-06 22:40

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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