kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年08月31日

今日でreported.lyが終わる。

https://reported.ly/

Twitterをはじめとするソーシャル・メディアに投稿された情報を「ソース」としたニュース・サイト、という取り組み、Reported.ly が、8月31日で終了する。Reported.ly は、「ジャーナリズムにおけるTwitterの活用」という点で誰よりも早く真剣な試みをおこなった(そして「ジャーナリズムとは何か」をめぐる熱い議論を引き起こした)アンディ・カーヴィン(当時はNPR所属のジャーナリスト)を中心に、ギリシャ、イタリアなど英語以外の言語が使われているところで起きていることをTwitterで英語で書き、また翻訳し、報告しているジャーナリスト数人のチームで運営されてきた。多くの信頼できるソースをフォローし、必要に応じてRTという形で情報を「まとめ」つつ「拡散」するというスタイルで、毎日のニュースを伝えていた。いわゆる「キュレーション・メディア」として、ここは最もhigh profileなオンライン媒体だったのではないかと思う。

その取り組みが終わる(可能性が極めて高い)ということがアンディ・カーヴィンによって告知されたのは、今月8日のことだ。なぜそういうことになったのかは、ご本人の告知でご確認いただきたい。ちなみに彼の説明文にあるFirst Look Media (FL) というのは、「ウィキリークス」や「アラブの春」などに刺激を受けた大富豪、ピエール・オミダイアが出資してネット上に立ち上げたメディア企業で、グレン・グリーンウォルドとジェレミー・スケイヒルらのThe InterceptもFL傘下である。そのFLが、立ち上げから何年もしないうちにアレなことになっている事情は、ウェブ検索すればわかるので(英語でね)、興味のある方は各自検索していただきたい(キーワードは「マット・タイッビ」)。

A note to our readers
Reported.ly to suspend operations August 31
https://medium.com/reportedly/a-note-to-our-readers-18786235f29#.sf57n9j0d

そして今日がその「最後の」日である。今日を迎えるまでは「ひょっとしたら存続の可能性もあるのでは」と思ってはいたし、「新しいオーナーが決まりました」という告知が出るのではないかとも思っていたが、そうはならなかった。



最終日は、ギリシャの @asteris と、イタリアの @alaskaHQ が担当する欧州情報から始まった。先週の地震のような大ニュースがあればそれについての現地報道の英訳や、現地語のSNSで出回っている写真・映像の転電がTLを埋めるが、今日はそれほどの大ニュースはなく、二氏は「欧州に渡ってくる難民・移民」についての最新ニュースを連続で投稿している。
















全く「いつもの調子」である。続いて、現地語(ギリシャ語)の翻訳が入る。






















「難民危機」は、「溺れて死んだあのかわいそうな子供」と一緒に埋葬されて終わりになったわけではない(ちなみに「あのかわいそうな子供」には、アラン・クルディという名前がある。あまりに雄弁な名前が)。

日本のどこかでマンガ絵を描いている人が無知と偏見とかたくなな主義主張をバラ撒くための「ネタ」にして、それに対する批判がなされて、終わりになったわけではない。

エーゲ海からの入り口になるギリシャ、地中海からの入り口になるイタリアでは、Reported.lyがRTしたり翻訳紹介したりしているツイートを投稿している支援団体や支援ワーカーが大勢、現場で(日本人が大好きな表現を使うと)「汗を流して」いる。

そして、そういったことも、(ただ当人たちが「語る」だけでなく)広く人々によって「読まれ、語られ」なければ、広く知られることなく終わる。

(例えば相模原の大量殺害事件を「日本では稀」ときゃあきゃあ騒いだ英語メディアは、今日起きていた「ガンマンの立てこもり」について「日本では稀」ときゃあきゃあ騒いだだろうか。彼らが騒がないので、日本で本当に稀に起きるこの手の事件については、日本語圏の外にはほとんど知られていかない。そして「日本は安全」なる《神話》は――池田小の事件があろうと秋葉原の事件があろうと消えずに残ってきたそれは――、これからも「話の枕、前提」として生き続けるだろう)

そのような「読まれ、語られ」の場として機能してきたのが、Reported.lyだった。

だがそれ以上に、「世界のどこかのSNSで話題になっている出来事が、プロのジャーナリストによる精査を経て、速報されている」という場だった。

例えば今年3月のベルギーの連続(ほぼ同時)爆破テロ。空港で二度の爆発があり、その1時間後に地下鉄駅で爆発があった……というのは、ある程度の時間を置いて、また距離もとって見ているからこそさくっと1行で書けるのだが、現地にいる人はリアルタイムでは何が起きているのかまるでわからない(爆発のようなことは、地震のように、広範囲に同時に、そこにいた人々全員に知覚されるわけではない)。実際に爆発現場からのがれてきた人は具体的に何が起きているかを知っているだろうが、少し離れた場所にいる場合は、その場で聞こえてくる「〜らしいよ」という曖昧な情報と、「とにかくここを離れなければ」というとっさの判断と、「とにかくここを離れてください」という現場での警官などの指示くらいしかその場にはない。そういうときにReportedlyのアカウントをフォローしていれば、大手報道機関の報道を待つより早く、「現在進行中のこと」の《文脈》がかなり正確にわかる。(Twitterのハッシュタグなどを見てもよいのかもしれないが、「マジか?」みたいな、情報としての意味のない情報が多すぎるし、「アメリカからお祈りしています」みたいな善意の言葉によって肝心の情報が流されてしまっていることもある。)

そういう点で多くの人にとって非常に有益な取り組みだったことは間違いないのだが、First Look Mediaが手を引く(運営資金を出すのをやめる)ということで金銭的不可抗力による終了だ。残念なことである。

これからも新しい引き受け手を探していくということだし、ひょっとしたら近い将来、また活動を再開するかもしれない。

そのときには、また、「何か起きていそうだったら、TwitterでReported.lyのアカウントを参照する」という日々に戻るかもしれない。

Reported.ly は、サイトで毎日「今日のまとめ」を出していた。2016年8月31日、(当面)最後の号は、ケニアの難民キャンプからソマリアに送り返された難民たちが、国境で立ち往生している、というトピックがメインだ。そんな話、BBC Newsのトップページには出ていない(BBCは相変わらずドナルド・トランプの宣伝の片棒を担ぎっぱなしだ)。





Reported.ly の取り組みは、語義どおり、alternative mediaの取り組みだった。あくまで「英語になっている/英語にできることだけ」という限界はあったが、内容としては成功していたのではないかと思う。

今、こんなタイミング(米大統領選挙前)で終了してしまうのは、大変に惜しい。

※この記事は

2016年08月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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