http://www.artisresistance.com/
Art Is Resistanceは、アメリカのロックバンドNine Inch NailsがYear Zeroの発売に合わせて「リークした音源に含まれたナゾのイメージ」やら「ツアーTシャツに仕込まれたナゾのメッセージからたどれるウェブサイト」やら「ロンドンの街角のナゾのビルボード」やらといった形で展開したバイラル・マーケティング兼アウェアネス運動(と言ってよかろう)に含まれるサイトのひとつである。一連のあれこれは、2007年から15年後をYear Zeroとして、設定されている(したがって2007年は-15 BA: BA = Born Again)。また、Year Zero関連サイトには、Year Zeroにおいて「禁書」となった書籍などからの引用がちりばめられている。(オーウェルの『1984』、先ごろ亡くなったカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』、サイードの『オリエンタリズム』、ジョゼフ・ヘラーの『キャッチ22』などなど。)
NINは米国のバンドであり、一連のあれこれはむろん米国を基準として考えられているのは当然なのだが、それだけに留まらない。一連の「ナゾ」が始まったのはこの2月、NINの欧州ツアーが開始されたポルトガルで、以後、欧州各地で展開されてきた。英国での「仕掛け」においてはOperation Swamp(1980年代に英国で有色人種、主に黒人に対してとられた警察の取り締まり策)が出てくる。そこらへんのことはninwikiのまとめを見ていただくのが一番だろう。
(ちなみに、NINのYear ZeroのCDの裏にあるThe US Bureau of Moralityというのは、現実の世界の著作権関連のFBI anti-piracyとちょっとは関連しているのかもしれないけどそれとは別で、Year Zeroの世界で存在するとされている米国政府の機関の名称である。Year Zeroにおいては、USBMがメディア検閲から各家庭の家族計画、市民的自由まですべて見ている。オーウェル的にいえばBig Brotherのような。)
私は全部は追えていないのだが(特に数字の暗号はまるで追っていない)、見た範囲でいうと、the line begins to blurという感覚を身に迫るようにおぼえたことと、それからYear Zero収録曲の歌詞も合わせてだけど、「ことば」の選び方・選ばれ方が興味深いというか何というか、んなわけでけっこうはまっていた。
・・・なんてことを唐突に書いているのは、6日に共産党が公開した「自衛隊情報保全隊の内部文書」を見て、「反戦市民」なる四字熟語を発見したからだ。脊髄反射レベルで(つまり、特に考えずに)私はこう思った――自衛隊の用語法では、日本国では、市民が反戦だと特記事項になるのかね。というか、「反戦」の「市民」は「反戦市民」という四字熟語で語られる存在なのかね。「市民」が「反戦」だと「反戦市民」とカテゴライズされんといかんのかね、この国では。「全員が反戦になればいいんです」みたいな理想論は私のものではないが。(このへんは私のいつもの揚げ足取りなので、揚げ足取りの揚げ足取りなどなさらぬよう。)
この資料は、共産党のウェブページ(下記)から、PDFでダウンロードできる。
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2007/20070606_shii_jieitai.html
上記jcp.or.jpページから引用:
これまで、政府は、情報保全隊にたいする情報開示要求に対して、ことごとく「不開示」として拒否し、「国家の安全」を盾に、この部隊がどのような情報収集活動をおこなっているかについて、いっさいを秘密のベールにつつんできた。
つまり(アジ演説口調を取り除く方向でリライト)、政府はこれまで情報開示要求に応じなかったため、情報保全隊が何をどう調査・報告しているかはまったくわからなかった。
しかし今回、共産党が資料を入手したことによって、その「秘密のベール」が取り除かれた、とのこと。(文書の入手については上記ページから引用:「これらの文書は、自衛隊関係者から日本共産党に直接提供されたものである」)
上記引用(画像)部分は、PDFファイルの51ページ目である。
上記引用部分の2段落目、「反戦市民団体」というのは「反戦/市民団体」と区切って読むことができる。が、これは実は「反戦市民/団体」と区切るべきなのだろうか。
この「反戦市民」という四字熟語、これは何だね? 自衛隊の内部文書であるにせよ、こういう「四字熟語」が当たり前のようにそこに存在しているということにすっごい違和感をおぼえるのだが、私が過敏なのか?
自衛隊情報保全隊は、まず「諸派等」というくくりをもうけ(それは「諸派」ではない政党系の運動や労組系の運動と大まかに区別するためであろう)そのなかで、「(ア)諸派」と「(イ)反戦市民」に細分化している。文書を見ると、「諸派」はやがては「反戦市民」になる(可能性が高い)、と想定されているようだ。
「反自衛隊運動をしている市民」を自衛隊がチェックしている、というのならまだ話はわかる。(それに全面的に賛同はしないが、自衛隊が情報としてチェックするという話としては理解の範囲内だ。)(「反自衛隊運動」については、詳細には立ち入らない。っつか立ち入れるほど知らんし。)
しかし、「反自衛隊」と「反戦」は必ずしもイコールではないのと違うか。。。だがやはり、資料を見る限り、やはりどう読んでも「反戦」=「反自衛隊」ということにしか見えない。情報保全隊って組織(?)の性質からしてもそうでしょ?
仮に「反自衛隊」と「反戦」がイコールで結ばれると仮定した場合も、「反自衛隊」とくくられる主義主張の背景にはいろんなものがあるはずだし、「反戦」という思想の背景にもいろんなものがあり、その具体的表れにもいろんな形がある。(例えば私は9条の「前項の」の解釈がおかしいんでないかいという点では「反自衛隊」といえるかもしれない立場だが、「自衛隊をつぶせ」と主張してはいない。ただし「専守防衛」を守るべきと考えている。イラク派遣については「イラクにとって利益になるとは考えられない」こと、「日本にとって不利益になることが予想される」ことにより反対している。この点については、公開はしていないが、どちらかというと親米の立場のイラク人ともメールで話をしたことがある。んで、基本的にスタンスは「反戦」である、というのは「好戦」の対義語としてだが――つまり「爆撃しちゃえ」で盛り上がるチキンホークな方々とは対極にいる。)
「反自衛隊」は主義主張だと思うが、「反戦」は主義主張以前、スタンスとか思想とかいったものだと思うし。
で、ここで特に「反戦」=「反自衛隊」というくくりが気持ち悪いのは、「反自衛隊」=「反国家」という思考の枠組が透けて見えるからだ。
自衛隊情報保全隊の資料が気持ち悪いのはもう1点。彼ら(自衛隊)は「共産党」と「社民党」と「民主党」と関連する「市民運動」をマークしているが、それは結局、それらの各党が「野党」であるからということと切り離せないように思われる。私の妄想かね?
私は「支持政党なし」(選挙のたびにどの党・どの候補者に投票するかを検討する)であり、つまり上記のどの政党の恒常的支持者でもないのだが、一応の建前であっても、日本国の政治は民主主義であり、複数の政党があって、理論的可能性としては政権交代(英国のような形の)があるというものだと思っている。(現実にどうかというのは理論的可能性としては別個の話である。)
しかるに、国家機関である自衛隊が、共産党や社民党や民主党とつながりのある(とされる)市民運動をマークしているということは、「政権交代なんかありえませんよーだ」(共産党のポスター的言葉遣いをすれば「政権交代は許しません」)と言われているように思えてむちゃくちゃ気分が悪い。これは私の被害妄想か?
そもそも与党だの野党だのは・・・えーいめんどくさい、日本国憲法前文より:
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s0
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
っていうかそもそもそういう活動(治安維持活動でしょ?)は自衛隊の仕事なのかよ。警察・公安じゃないのかよ。・・・と、お約束のツッコミも入れておこう。(情報保全隊を検索してみたところ、現状、特に隠しもせずおおっぴらにもせずという感じで「知る人ぞ知る」あるいは「自衛隊に詳しい人なら常識」というような存在のように見受けられるが、そのうちに「日本版MI5」として公式の存在になりそうな予感。)(いや、結局「MI5」だけどね、実質的には。)
NINが「今はYear Zeroの15年前」と想定した根拠は私にはわからない。おそらくアメリカではそういう雰囲気なのだろう。アメリカが「神の国」としてBorn Againするまで15年。
詳細はARGでばらまかれたナゾの数字(電話番号)からたどれる。下記がトランススクリプト(音声そのものも下記からリンクされている):
http://www.ninwiki.com/13102951040#Transcription
Newsreader type: There you have it, the latest presidential address. America is Born Again. In this reporter's opinion, a brilliant, values-based vision of the future.
Angry man: Honest to god, once they banned free elections I figured at least we wouldn't have to hear this self righteous motherfucker give any more speeches, he must just like doing it. "America is born again", maybe that was a values-based vision of the future, maybe it was the same old manifest destiny bullshit. Or, another way to put it by an old friend
* song interrupts (chorus of [Survivalism])
Angry man: Still no formal charges. Listen people, I know you're out there and you're angry but you're scared of going to jail. Here's the bad news; the prison came to you my friend. The bars are all around you, you're already a criminal, fucking act like it.
その15年というのが「長い」のか「短い」のか、私はアメリカを知らないからよくわからない。
けれどそれはアメリカだけで起きていることではない。NINのファンフォーラム(EtS)で英国の人が、Operation Swampへの言及について拍手を送りつつ、「英国は監視カメラ大国、『対テロ』に名を借りた法整備も着々と進んでおり、ニュースなどで知る限り米国よりさらにいっそうYear Zeroに近い」と発言していた。
一方で日本ではどうか。
少なくとも、日本国憲法を変更する(「改正する」とは仕事で用語基準がある場合でもない限り言いたくないが、「改悪する」とも言いたくない)かどうかを決めるまであと3年。改憲案の中身次第では、Year Zeroまであと何年あるか、ということにもなろう。自分としては、そこらへんでちょっとは切迫感を持っているからこそNINのYear ZeroのARGのあれこれにはまったんだと思う。単に「フィクショナルなゲーム」や「仕掛け」としてもおもしろいものではあるのだけどね。
そういうときに、PDFの資料のなかに「反戦市民」なる四字熟語を見て、そしてそこに記述されている「個人」のなかに面識のある人が含まれていて(例えばシバレイさんはご自身のブログでこのことを書かれていますが)、私も監視対象になっているかもしれないし、監視まではされてなくても「反戦市民」として認識はされているだろうと思い(私はイラク人のブログを翻訳していたし、2004年4月のファルージャ攻撃のルポの翻訳書の共訳者でもある)、NINのYear ZeroのARGで自分のEtSでのハンドルがリストに上がっているというフィクショナルな事実(<言語としてちょっと変)とあいまって、朝っぱらからなんだかなーな気分にさせられた次第。
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※この記事は
2007年06月07日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。